2021年8月 私は山口県柳井市にいました。

松山の三津浜港から船で瀬戸内海を渡りました。

 

 

 

 松山城から見た夕景の中で太陽が興居島(ごごしま)に向かい沈んでいきました。

その興居島をまじかに見ながら船で移動します。

 

 

 山口県柳井市は人口およそ3万人の落ち着いた佇まいの町です。

 

 

 

 瀬戸内海の室津半島のつけ根部分にある港町で、古くから海上交通の要として

栄えてきました。

 

 

 

 古墳時代からの歴史があり、江戸時代には岩国藩の「お納戸」と呼ばれ商都として

賑わったそうです。

 

 

 

 柳井市で、ある伝説に出会いました。

「般若姫伝説」です。

 

 

 この柳井の地名発祥となった場所があります。

柳井津にある 古刹 湘江庵には柳の木とその横に井戸があります。

 

 

 ある美しい女性がこの場所で清水を求め、のどを潤し、その傍らに

大事に持っていた不老長寿の楊枝を挿すとそれが一晩で芽を吹き、

たちまち立派な柳の木になったと言われています。

なんとも不思議な話しです。

 

 

 柳と井戸、ここから「柳井」という地名になったと言われています。 

そして、湧き出る清水を飲み 楊枝を柳に変えた人物こそが般若姫です。

 

 

 時代は1400年ほど前に遡ります。

般若姫は豊後国(大分県)の真名野長者(満能・満野の表記もある)に大切に育てられて

いたひとり娘でした。 父は小五郎といい、深田で炭焼きをしていた男でした。

ある日、大和国三輪明神さまからお告げを受けたと、奈良の都から玉津姫(般若姫の母)

が小五郎の嫁になると現れました。

ふたりは結ばれ、炭焼き小屋や近くの池の周りにたくさんあった金塊のおかげで富を得て

真名野原という場所に屋敷を建て真名野長者と呼ばれます。

そして、玉津姫は般若姫を授かります。

 般若姫は舌に三日月型のアザがあったので半如姫と名付けられました。

後に観音様のお告げにより般若姫と名前を改めました。

般若姫は日に日に美しく、気品を備え成長していきます。 

 

 般若姫の美しさの噂は海を越え、奈良の朝廷まで届いていました。

月の光のように輝かんばかりの美しさをたたえた般若姫には朝廷から我の妃にと

使いが送られましたが、長者夫婦は大事な跡取り娘なのでと断りました。

長者夫婦は般若姫の代わりに、美しい般若姫の姿を描いた玉絵箱を献上します。

 

 あきらめきれない若者がいました。

欽明天皇の第四皇子 後の用命天皇 橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)です。

皇子は朝廷を抜け出し、豊後の臼杵(うすき)へ下り 山路と名を変えて牛飼いとして

長者の家に住み込みます。 

般若姫が重い病気になった時に山路はやぶさめの神事で病気を治します。

山路は本当の身分を明らかにして、般若姫と結ばれます。

しばらくは幸せな日が続きました。

 

 奈良の朝廷では世継ぎの問題が起こり、全国に使者を出し皇子を探していました。

都へ戻らなければならなくなった皇子は身重の般若姫に、生まれてくる子が男ならば

共に、都に参られよ。 もし、女であれば長者の跡継ぎにするために残し、般若姫だけが

都に上るようにと言い残し、単身 朝廷へ戻りました。

皇子が19歳、般若姫が17歳の頃です。

 

 般若姫は無事に可愛らしい女子を出産しました。 

子どもの名は玉絵姫と名付けられました。

般若姫は約束通りに玉絵姫を長者夫婦に託して、都へ向かいます。

 

 

 そして、悲劇の伝説が生まれます。

般若姫が都へ向かうにあたり、長者夫婦は般若姫に1000人あまりの従者をつけ

大小120艘もの船で豊後 臼杵の港から都を目指して出航します。

長者夫婦は山の上から般若姫を見送ります。

この山は「姫見ケ岳」(姫岳619.9m)と呼ばれるようになります。

 

 はじめは穏やかな海ではあったのですが、周防の国(周防灘)平郡島(へいぐんとう)

にさしかかろうとしたあたりで嵐に襲われます。 

船団は一度は熊毛の浦まで吹き流されてしまいます。

その時に般若姫が休んだ島が「姫島」です。

 

 天候の回復を待ち、再度出航しますが今度も大畠鳴門の瀬戸に差し掛かったところで

大きな暴風に見舞われます。 ここでは多くの船が沈み、従者たちも海に投げ出されました。

この嵐は長者によって池を埋められた金龍神の怒りとされています。

従者や船人たちが海に投げ出され、裸同然でたどり着き、難を逃れた島が「裸島」です。

 

 

 般若姫ら一行は柳井の港に入り、姫の身体を休めることにしました。

般若姫は里の人に介抱され、清水が出る場所を案内してもらいます。

般若姫が清水でのどを潤した場所、湘江庵です。

 

 

 般若姫は懸命に流された人たちを捜しました

多くの遺体がみつかり、般若姫は嘆き悲しみます。

「これほどまでの多くの犠牲者をだしてまで私は皇后になりたいとは思わない」

「かりの世に何歎くらんうき船のいずくを宿と定めおかねば」と繰り返し詠じる

ばかりでした。 その後、大畠の瀬戸の渦に般若姫は身を投じます。

侍女も後を追い、飛び込みます。 船人たちがあわてて姫を助けますが、

般若姫は衰弱していきます。

「私は、この瀬戸の守り神になります。 私の亡骸はあの山の上に葬ってほしい」

と言い残し、息をひきとりました。

 

 知らせを聞いた長者と皇子の悲しみは大変なものでした。

皇子は般若姫の遺言通りに山の頂上に埋葬しました。

 

 

 現在の山口県平生町神峰山にある「般若寺」(250m)です。

 

 

 長者は臼杵に姫を供養するために、たくさんの石仏を作ったとされています。

(臼杵磨崖仏といわれている)

 

 

 確かにこの般若寺のある山の上からは海が一望できます。

この場所から、航路の安全を般若姫は祈っているはずです。

 

 悲しみに暮れる長者夫婦は般若姫の供養のために、姫の姿が描かれた「玉絵箱」

の里帰りを願います。 朝廷の許しを経て「玉絵箱」は再び臼杵に戻ります。

 

 般若姫の御霊は船に乗り両親と娘が待つ臼杵に戻るのです。

里の人は暗闇の中、竹ぼんぼりを手にして夜道を照らして般若姫を長者の館まで

送りました。

大分県臼杵市で行われている「うすき竹宵(たけよひ)」般若姫行列はその様子を

今に伝えるものです。(11月開催-2020年は中止) 

淡いぼんぼりの灯りが連なり、船に乗った般若姫が里の人たちに運ばれます。

美しく、しっとりと、幻想的に再現されています。

 

 

 「般若姫伝説」何も知らずに柳井に降り立った私にはとても新鮮な驚きと喜びが

ありました。 長い時間の中で伝えられてきたこと、伝えられてきた場所、伝えられてきた

事象、その歴史と背景を知ることが出来て、自分で考える機会を得て、その現場に行くこと

が出来て、こんなに嬉しいことはありませんでした。

 もちろん、伝説なのですべてが正しく正確に伝えられてきているとは限りません。

伝えられていく過程で内容に脚色されたりすることもあると思うし、地域によっても

内容が変わることも多々あります。

しかし、根底にはゆるぎない事実があるはずです。

 

 山口県平生町神峰山の般若寺は用命天皇の勅願により建立されたものです。

 

 

 大分県大分市坂ノ市 萬弘寺の寺伝では用命天皇が皇子の時代に密かに豊国を巡行

した際にこの場所で難病を患ったものの豊国法師が薬師如来像を彫って加持祈祷を行うと

病状は回復して、都に戻り皇位を継承した。 と伝えられています。

 

                (2017年8月 大分県 坂ノ市駅)

               (2017年8月 大分県 坂ノ市駅)

                  (2017年8月 大分県 坂ノ市の町)

 

 天皇の系図には般若姫は登場しません。 皇子の時代の出来事だからでしょうか。

私の見立てでは、般若姫は実在したと思われます。 

都へ向かう途中大変な嵐に遭遇して船団のほぼ全員が海に投げ出されたのではないだろう

かと思います。 般若姫の最期は伝えられている地域によって差があります。

 

 般若姫がいつ臼杵の港を出航したかという記述は見つけられませんでした。 

しかし、般若姫の面影を残す「玉絵箱」が臼杵に戻ったのは秋から冬のはずです。 

ひょっとしたら出航は8月の終わりから9月にかけての台風の時期だったのでは

なかろうかと私は考えています。

 

 

 地名が示す物語の背景、点と点が結ばれてそこから明瞭な線がひかれていくと

登場人物の動きが明らかになってゆきます。 

般若姫伝説はわかりやすい地理的な要素が更に信憑性を高めていると思います。 

 

 こうした般若姫の伝説がおよそ1400年もの間、語り継がれてきたということは

それだけ、この物語が魅力的で人のこころを動かすだけの力を持っているからに

他なりません。 

 

 この物語のどの部分をどう解釈するのか、考える人によっておのずと変わるはずです。

実際にはひとつだけのお話しではなく、何かと何かの出来事が結びつき、般若姫の

伝説になっている可能性もあります。 

それにしても細部にわたり、みごとに描かれている伝説だと思います。

 

 この伝説にはまだ続きがあります。

この出来事の後、毎年陰暦(旧暦)の大晦日の夜、大畠の瀬戸から

火の玉が三つ舞い上がり、ひとつは神峰山の山頂の「龍灯の松」に

とまった後、般若寺の観音堂の三光之窓に入っていき、またひとつは

対岸の大畠の瀬戸の明神さまへ、もうひとつは大島三蒲の松尾寺(しょうぶじ)

に向かい飛ぶと伝えられています。 

その火の玉を見た人は大漁と豊作、福徳に恵まれるとされています。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

 

 2021年7月24日(土)に移動して愛媛県松山市に来ました。

約1年半ぶりにまた来たという事になります。

以前長いこと、お世話になった場所なので町を歩くとすべてが懐かしく思えてきます。

 

 

 

路面電車、城山公園、八股榎お袖大明神(やつまたえのきおそでだいみょうじん)、

 

 

 

 ホテルの朝食、仕事場の食事・・。 

 

 

 

 今回は期間も短いし作業量が多いので、宿と仕事場の往復で終わるかもしれないなぁ

と思っていたのですが、なんとか時間をやりくり、町をほっつき歩き始めました。

こんなことをしない限り、出張でよその町に来ている意味がないからです。

こういう事には仕事以上に頑張るのです。

 

 7月31日(土)午前 松山城 

 

 

 午前中、自由になる時間が出来たので早速、松山城へ向かいました。

9時過ぎにホテルを出て城山公園へ入り黒門口登城道から行きます。

 

 

 けっこう、険しい石段が続きます。  

でも、歩きやすい感じがします。 段と段の幅と高さが窮屈ではありません。

登りやすい登城道です。  

 

 強い日差しは周辺の樹々の葉に遮られ、道の前方に光のカーテンを作り出しています。

一段一段、本丸に近づくにつれ、太ももに負荷が掛かります。 

足が鍛えられていくのを実感できます。

 

 

                (霊峰 石鎚山 1982m が正面に見える)

 

 マスク着用のせいもあり、息苦しくなります。  

汗も噴き出しました。  蚊はあまりいないようです。 

 

 

 そして、松山城 本丸です。 

 

 

 

 やはり、美しい城です。  堅牢な城構え、守りを厳重に固められた巨大な要塞は

勇ましさの中に均整が整った美しさを漂わせています。 

 

                   (瀬戸内海 興居島が見える)

 

 来てよかったな。 夏に見る松山城もいいな。

 

 

 午後から真面目に仕事をして、なるべく早めに切り上げて次の場所へ向かいました。

 

 

7月31日(土)夜 道後温泉 

やはり、松山に来ているのですからここを外すわけにはいきません。

伊予鉄城南線に沿って、うす暗くなりつつある道をひたすら歩きます。

 

 

 松山の人の性格を表す?すばらしい案内板を見つけました。

何だろうこれ? と思って目を向けたら、なんと分別ごみの収集日一覧表でした。

 

 

 松山は、これほどまでに徹底してゴミを分別しているのです。

すごいよな。 生きていく自分の環境に対しての思いやりが感じられます。

やはり、松山の方たちは偉い。 見習うべきものがあります。

と、感心しながらトコトコ歩いて道後温泉へ着きました。

 

 

 

 20時前でしたが、商店街は人がまばらでした。

(この日、東京では新型コロナ感染者が1日で4000人を突破した日でした)

 

 

 

 

 歩きやすくていいのですが、さびしさもあります。 

 

 

 1年半ぶりの道後温泉です。

出入口の場所が以前と変わっています。

築125年の道後温泉は大規模な耐震(保存)工事が進められています。

壁や梁に強度を持たせ、ちょっとやそっとではびくともしない木造建築に変貌しようと

しているのです。

 

 

 完成予定は2024年(令和6年末)です。

足元の工事もしているのですね。

 

 

 2020年1月の頃は派手な窓が見える面に出入口がありました。

現在は大きな道路(187号線)に面した場所が出入り口になっています。

 

 

 新型コロナ感染症対策のため、現在では入場制限をしながらの営業になっています。

整理券を受け取って、指定された時間に合わせて温泉に入るというシステムになっていま

した。 私は整理券すら受け取れませんでした。 

いつか また、機会があれば温泉に浸かりましょう。

 

 

                    (椿の湯)

 

                    (飛鳥の湯)

 

 帰り道、東警察署近くのスーパーABCで買い物をして宿で豪華な夕食をいただきました。

やはり、魚はおいしいなぁ。  松山はいいところです。(普通に太ります)

 

 

8月1日(日)朝 松山城 

この日から仕事に行く前に散歩をすることにしました。

せっかく、松山に来ているのですからほっつき歩きましょう!

で、また松山城です。

 

 

 石段の道を歩きます。 2日連続なので身体が随分楽です。

あっという間に本丸の天守広場に着きます。

 

 

 それにしても、石垣がみごとな城だと思います。

 

 

 

          (今回の松山でのおみやげは石垣のかけら3個にした)

 

 

 

 石材(花崗岩=御影石)の量そのものも半端ではありません。

石垣の特徴は下は緩い勾配で上部はきつく反り返っています。

 

 

 

 急な角度で立ち上がる壁を突破できる強者はいないでしょう。

また、敵が攻めてきたらどう防衛するかという戦略がみごとです。

 

 (この坂道を上り右手に迂回すると戸無門へ向かう 

      櫓があるこの位置に必然的に敵兵がまとめられ上から狙われる事になる)

 

 本丸に向かう通路をわざと迂回させる形にしてそこに敵軍をまとめて上から鉄砲や矢で

戦える構造に作っていたり、あえて扉のない門(戸無門 となしもん)をつくり、相手に

油断をさせ歩を進ませ今度は立派な門構えを見せつけて(筒井門)、敵兵が門を打ち破ろうと

している隙に横の小さな門(隠門 かくれもん)からパッと将兵が出てきて奇襲をかける・・などなど。 

 

                    (迂回した先には戸無門)

 

                   (戸無門のすぐ先にある筒井門)

 

         (筒井門の真横に敵軍から死角になる位置に隠門がある)

 

                   (内側から見る 隠門)

 

 攻め手の軍勢を巧妙な心理作戦も含めて足止めを食らわし、封じることの出来る構造になっています。  

松山城は難攻不落の城です。  

 

8月2日(月) 朝 松山城 

また、松山城です。  松山城には4つの登城道が用意されています。

 

 

1, 黒門口から入り、石段を上るコース 

2,県庁裏から入りなだらかな舗装された斜面を登るコース 

 

 

                (途中 登り石垣が見える)

 

           (ずっと舗装路になっている 車輛用の道でもある)

 

3,大街道の近くにある東雲神社(しののめじんじゃ)から行くコース

(最もなだらかな坂道でロープウエイ、リフト乗り場の近く)

 

 

 

4、北側にある町 古町(こまち)方面とを結ぶコース。

(古町コースは道の一部が崩落しているため現在は通行禁止になっています)

 

 

8月3日(火)夕方 松山城 

仕事が早めに終わったので、ついついまた来てしまいました。

この場所からの夕陽は、今まで見たことはありません。

方向的には瀬戸内海の方へ太陽は向かうはずです。

どんなかな・・。

 

 

 太陽は興居島(ごごしま)へ向かっていきました。 

きれいだな。 やっぱり、この時間に来てよかった。

 

 

 どれだけの時間が流れても、ここからの風景は大きく変わることはないように思います。

松山城が完成したのは1627年(寛永4年)です。 

25年の歳月をかけて建造されました。

加藤嘉明がそれまでの経験で得た、戦で勝つための知恵の結集が松山城です。

時間は流れて、現在は弓矢や鉄砲、刀、槍、投石に縁のない時代になりました。

松山城は、これからも変わりゆく時代をここから静かに城下町を見守り続けます。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

九州・中国地方に大雨特別警報が出ています。

安全確保を第一に気をつけて行動されるようお願いいたします。

 

 

  6月26日(土) 実家の近くの山に登る。

登るといっても標高が317mなので、のんびりと斜面の道を30分くらい歩けば

山頂に着きます。 

 

 

 子供のころからいつもこの山の山頂を見て過ごしていました。

何かあっても、なくてもこの山の山頂に眼が行きました。

 

 

夏でも冬でもこの山はいつも、私が育った町を見守っているかのように

そこに存在していました。

 

 

 時間が経ってもあまり変化しない景観が存在していることは、その場所で暮らす

者にとっては地理的なランドマークであるだけでなく、見慣れた景色は精神的に

落ち着ける場所にもなりえます。

 

 

 自分の存在証明を具現化してくれるもの。  自分を映す精神的な鏡。 

イカレポンチな幼少時代からすべてを見られ、すべてお見通しの眼。 

 

 

 自分の親もまた、同じような気持ちでこの山を見たかもしれません。

もっと、前の時代のご先祖も、同じようにこの山を見たかも知れません。

ひょっとしたら、私の眼を通して誰かがこの世界を見ている可能性もあります。

 

 

 同じものを見ることが出来たら、それを見ていた人と同じ時代に行けるといいのに。

どう考えても無理だな。 1秒、1秒 過去とは時間が離れていく。

どんどん、遠くなる。 

未来を手に入れている代償に、過去との距離を縮めることは許されないということか。

 

 

 未来は明るく楽しいものなのかな。

過去が辛ければ未来は楽しいのかな。

今が楽しければ未来は・・。 

 

 

 1ヶ月前、隣の町の公園でツキノワグマが出没したということをニュースで

知っていました。 山で生きている動物が食べ物を求めて里に下りることは

不思議なことではありません。 私がクマだとしても同じ事をするでしょう。

 

           (ウツボグサ)   カコソウ 夏枯草

 

 クマと出くわしたら闘うことになるのかな。

向かってきたら、逃げられないだろうな。

闘えるだろうか。 こんな小心者の人間が。 

闘ったとしても私が勝つことはまず、ないだろうな。

 

 

  里に下りるまでは、常にクマとの遭遇の恐怖がつきまとっていました。

普段の生活でこんな気持ちで生きている瞬間はありません。

 

 

 下山中、山側の斜面でポキッ、ポキッと枝が折れる音がして私の10mほど先に

動物が出てきました。 

「サルか・・」

私が気が付いた時はサルのお尻だけが見えました。

サルは茂みに隠れた後に「ガウゥッー」と唸り、私を威嚇しました。

「て、てめぇ、隠れていないで出てこいや!」

「山はおめぇだけのものじゃねぇんだってことを教えてやる!」

(相手がサルだったら勝てるような気がしたので心の中で言ってやりました)

 

 

 古くから山の存在は宗教的な意味を持ち、人はそこに霊的なものを注いできました。

山とそこに生きる生物には特別な生命として扱い、神かその使いとしての役割を

与えてきました。

なぜでしょうか。  人はたった独りでは生きていけないからでしょうか。

誰かに見守ってもらわないと生きていけないのでしょうか。

相手が人だと見守ってもらえる時間が短すぎるので、永遠に近い命を持てそうな

相手として自然を選んだのでしょうか。

だから山や岩や大木、海や川、滝や湖や池、そして泉や田んぼに神を置いたのでしょうか。

(それか、本当に神さまたちはあちらこちらにいるのかな) 

 

 

 この地元の山に入ると私は、日常の時間の流れによじれが生じて

過去と現在を自由に行き来できるような気がしてきます。 

(頭がおかしいのだろうな・・)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 追記 : 山頂付近まで車で行けます。

           ぶっ飛ばせば1分で行けます。

           ただ、鳥のさえずりは聞こえないでしょう。

           四季の風や樹木の香り、動物たちの気配は感じないでしょう。

 

  

 堀切駅 (東武スカイツリーライン・東武伊勢崎線)

私がいつか行ってみたいとずっと思っていた駅です。

 

                                      (google 地図)

 

 水分を含んだ重い雲が関東に迫る中、私は電車に乗りました。

都営新宿線で神保町まで行き、半蔵門線に乗り換え曳舟で東武スカイツリー線に

乗り換えました。 

そして、ついに「堀切駅」に来ることが出来ました。

 

 

 私はここですることを決めていました。

用意したのはアンパン2個(同じものを2個よりも違う味わいのものにした)

と自分で調合したカフェオレ(本当は瓶のコーヒー牛乳にしたかった)

それと、愛用のヒゲ剃り 準備は万端でした。

 

 

 1番ホームに降り立ちます。 見覚えがあります。 このホームに間違いありません。

 

 

 改札を抜けて振り返ります。 堀切駅だ。 

 

 

 初めて来た場所なのに、懐かしさを覚えるのはなぜか。 

しばらく改札口と駅舎をながめていました。   

この駅は私が来るのをずっと待っていてくれた・・ような気さえします。

 

 堀切駅、私にとって特別な意味を持つ駅です。 

 

 1972年(昭和47年)に日本テレビ系列で放送されていた人気ドラマがありました。 

「パパと呼ばないで」です。 

あまりの人気ドラマのために何度も何度も再放送されました。 

私の好きなドラマのひとつです。

 

 石立鉄男さん扮する右京さん、可愛い子役の杉田かおるさん、脇役にはテレビ界を支える

名優たちが名前を連ねています。 

右京さんとチー坊が暮らすことになるお米屋さんの主人役 大坂志郎さん、おかあさん役の

三崎千恵子さん、長女役の園子姉さんは松尾嘉代さん 次女 和子さんは有吉ひとみさん、

長男は小林文彦さん。

魚屋魚敏 主人役の花沢徳衛さん、娘さん役の 富士真奈美さん。 

よく、これだけ個性豊かな俳優さんたちを揃えたと思います。

そして、みんながこのドラマの中で生き生きと輝いていました。 

 

 江戸の下町風情とか、深い人情というものを私はこのドラマから学んだような気がします。 

江戸にはこんな粋な人たちがたくさんいるのだろうな。

 

 堀切駅の駅舎をくまなく見ます。

1972年と雰囲気は大きく変わっていない感じがします。 

駅舎全体の雰囲気、屋根の形、当時の面影を色濃く残しています。

大規模な工事が入ることなく、そのままの形を残して今に至っていました。

ここから、昭和を代表する、いや日本を代表する名作ドラマが生まれたのです。

 

 このドラマは早朝の堀切駅でのシーンから始まります。

記念すべき始まりの場所なのです。

 

                         (1972年 みゆき堂菓子店)

 

 右京さんは、小さな商店に慌ただしく駆け込みアンパン2個とコーヒー牛乳を買い、

防波堤に腰かけました。 

何を始めるんだろう、せっかちそうな人だな。 風変わりなヘアースタイル、真ん丸の

お目め、人懐こそうだ。  アンパンを食べながらヒゲ剃りまでしました。 

座った傍らには洗濯物が干されています。 風を受けてなびいている。 

近所の家のものでしょう。 

普通の日常、ただただ普通の生活がそこにあります。

 

                  (1972年 堤防の前に置かれた 洗濯干しスタンド)

 

 子供が近づいてきます。  お腹が減っているのかな?

物欲しそうに右京さんの持つ、アンパンに眼を向けています。 

食べたいのかな。 

 右京さんはアンパンを半分にして子供に渡します。

(直後、アンが多い方を渡したことに気がつき腹をたてます-取り替えてくれっ!) 

ここまでの内容で右京さんがどんな人物なのか盛りだくさんに描かれています。

きっと独身だな。  だいぶおっちょこちょいな性格なのかな。 

人懐こさがあり、やさしい人だ。 人のこころがある。 

 

 アンパンを食べている時に背後から電車の音が聞こえてきます。 

右京さんは慌てて駅の改札へ向けて走っていき1番ホームの電車に向かいます。 

 

                                  (1972年 堀切駅)

 

 この後、右京さんを待っていたのは予期しない出来事でした。

独身の男性が突然、小さな女の子のお父さんになります。

2人の行く末は・・。  

 

 

 私はこの堀切駅前の堤防に腰かけて、アンパンを食べながらヒゲを剃るつもりで

来ていました。

右京さんと同じことをしたかったのです。

 

 しかし、堤防を見るとフェンスが作られていました。 

座れるスペースはありません。 

 

 仕方なく、周辺を歩くことにしました。

線路をまたぐ歩道橋から下を見たり、道沿いにしばらく歩いたり。

 

 

 2021年の時代に1972年を探します。

50年近い時間が経過しているにも関わらず、この場所はあまり大きな変化が

ないように思えます。 

 駅舎の位置も大きさも、堤防もそのままの形でこの場所に存在しています。

 

 

 駅の近くに「東京未来大学」という学校があり、増築工事中でした。

その学校があるために、多くの若い人がこの駅を利用しています。

 

 

 右京さんがアンパンと牛乳を買った「みゆき堂菓子店」という商店はその後

ラーメン屋さんに様変わりしました。 

 

               「ラーメンみゆき」の表記         (Yahoo 地図)

 

 古いタイプの公衆電話はガラス面の公衆電話になり、いつのまにかその姿は消え

その近くにはきれいな公衆トイレが建っていました。

 

                       (2020年3月 堀切駅  google地図)

 

 駅の改札は当然、自動改札になりました。 

 

 

 時間が経っているのですから、このくらいの変化は当たり前だろうなぁと思いつつ

歩いていると、道路に出てその場に立っているおばちゃんが目に留まりました。

(なんで立っているのだろう? 散歩中なのかな?)

やさしそうな方に見えたので声を掛けてみました。

「こんにちは。 ご近所の方ですか?」 「はぃ・・」

「ちょうど、この辺りに 「みゆき」というラーメン屋さんがあったはずなんですけど

ご存じないでしょうか?」と尋ねてみると・・。

 

「ありましたよ」「身体を壊してね、病院に行っているの」

「あぁ、店のご主人がですか・・ 店を閉めたのは何年位前になるんでしょうね」

「何年になるかしら・・最近記憶がおぼろげでね・・」

 

 おばちゃんが視線を向けた先を見ると年配の男性が女性に付き添われて

ラーメン屋さんのあった場所の家に入るところでした。 

「あの方たちはどなたですか?」 「弟」

「今の方がラーメン屋さんのご主人ですか・・えっ? 弟??」

 

                            (ラーメンみゆき があった場所)

 

「あれっ? じゃ、みゆき堂の方なのですか?」「はぃ、そうです」

 

 このおばちゃんとその後、1時間近く立ち話をしました。

(よく付き合ってくれたものだなぁと思います)

 

 81歳になるそうです。 今でも週に2回卓球の練習に行くそうです。

2回というのは2つのチームに入っているからだそうです。

卓球は30年くらい前から続けているそうです。

(何を聞いているのだろう・・私は・・)

 

 凛とした美しい立ち姿です。 健康のひけつは卓球のようです。

 

 おばちゃんは思い出しながら私に、いろんな話を聞かせてくれました。

以前はこの堀切駅のすぐ近くに踏切があってその先に堀切橋があったこと。

 

 

 高速道路が出来る時に隅田水門の位置をずらしたこと。 

 

 

 

 

 かつては目の前の川を行き来する船がよく見えたこと。

隣の駅の鐘ヶ淵の町には「旧カネボウ」があったこと。

(旧 鐘淵紡績) 

 

 

「ドラマの撮影の時のこと覚えていますか?」「見ていましたよ」

「みゆき堂で右京さんの対応していた方はひょっとして店のご主人本人ではないですか?」

「全部、役者さんがやるのよ 私たちは誰も出てはいませんよ」

 

 私は気になっていたことを質問しました。

 

 

「あそこに出ている洗濯物を干すスタンドはお宅のものですか?」

「そうですよ」 「つながった!」 

「ドラマの中でもスタンドが映っていますよ」 「あらっ、そうだったかしら」

 

 あの洗濯物スタンドはみゆき堂が外に出して使っていたものだと思われます。

私の目の前にいるおばちゃんが30歳くらいの時に干した洗濯物がそのまま

ドラマの中に映っていたということなのかもしれません。

まるっきり同じものではありませんが、50年近く経った今でも同じように

みゆき堂の洗濯物は堀切駅の横で風を受けているのでしょう。

 

 

「みゆき堂という名前の由来はなんでしょうか? ひょっとしてご家族の中に

みゆきさんという方がいるのですか?」

「いませんよ・・」 

「あれはね、看板屋さんが間違えてみゆき堂と書いてしまったの」

「本当はみゆき屋なのよ 家族はみゆき屋と呼んでいましたよ」

 

 みゆき堂菓子店は、戦後この駅前で露店で商売を始めたのがそもそもの始まりだそうです。

店の名前は商売を始めたこのおばちゃんのお父さんが埼玉県の行幸村(みゆきむら)

(かつて埼玉県北葛飾郡に存在した村)の出身だったことから「みゆき屋」としたのだ

そうです。

 

 鉛色の雲が大きく広がり、小さな雨粒が落ちてきました。

「写真を1枚だけ撮らせていただけませんか?」と言うとおばちゃんは

「恥ずかしい・・」と言いながら笑いました。

 

 

 初めて見るもの、初めて知ること。

堀切駅、そしてみゆき堂菓子店。

この日、おばちゃんと出会えてよかったです。

 

 食べることの出来なかったアンパンをナップザックに入れたまま

帰路に着きました。

 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 3月28日(日) 朝 久し振りに公園へ散歩へ。

さくらが満開でした。 時折吹く風に花びらが舞っていました。

 

 

 今年もさくらを見ることが出来てよかったなぁ。 

また、来年も元気にさくらを見ることが出来るといいなぁ。

毎年、思うことです。

 

 2021年1月28日 

毎年行われていた「世田谷梅まつり」は新型コロナ感染症拡大防止のため開催中止になりました。 

 

 

 いつもと違うこと。 新しい生活様式です。

 

 

 

 

 2021年1月31日 

よく通る場所にある橋に名前があることを知りました。

 

 

 「富士見橋」いい名前です。 

 

 

 橋は桁をかけた上に床版を置き通行可能にしてあります。

中央部は若干せりあがっています。

わずかながらではあっても、この高さが重要なのです。

周りよりも高い場所、遠くまで見渡せる場所、広がった空間 これらの条件を

満たしてはじめて富士山を見ることが出来るのです。

 

 西の方向はこっちだな・・・。   ん? 富士山は?  

 

 

 中華料理屋さんの看板と不動産屋さんがよく見えました。

線路沿いにまっすぐに道が伸びています。 

 

 

 かつてはこの道の延長線上に富士山が見えていたのでしょう・・。

 

 ここにも富士の名前が付いた橋があります。 

 

 

 「代田富士見橋」 いい名前です。 おそらく関東一円には「富士見橋」は

数多く存在しているはずです。 その中にあって「代田」という

地名を頭に付けることで、他のものとは違う、個性を前面に出しています。

ここにしか存在しない橋「代田富士見橋」

 

 

 

 小田急線と道路が並走しているために西の富士山が見える方向に向けて

空間が開けています。 ずっとこのままの景観が維持されるといいなと思います。

 

 

 私がほっつき歩くエリアからは富士山はこのくらいの大きさでしか見ることが出来ませ

ん。  富士山を見たから何かが変わるとか、何もないかもしれません。

でも、富士山がよく見えていると気持ちがいいです。 

 

 

 2021年2月7日

夕方、いつもの公園に行く。 焼けた空の中に富士山が見えました。

 

 

 

 

 2021年3月28日

梅の花が咲いてから、およそ2か月経ちました。

時間が経つのは本当に早いです。 

 

                   (2021年1月30日)

 

                   (2021年3月28日)

 

 桜の花びらが舞っていたこの日、梅の木を見ると結実していました。

 

 

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2021年1月22日(金) 私はこの日が訪れるのをずっと待っていました。

2020年の春に決めた事の最終結果がでる日であり、2021年の私の年間計画が

これによって左右される事にもなる日であり、私の母の誕生日でもあり

いい一日になればいいなと思っていました。

 

 私の記事は<夏の思い出>で途切れています。

暑い夏だったな。 朝の6時とか7時には公園を散歩していました。

汗をかいた後に浴びるシャワーが気持ちよかった。

2020年は新型コロナウイルスの感染症対策のために誰もが今までになかった不自由な

生活を強いられてきました。

もちろん私もそのひとりです。

仕事が休みの日でも比較的家の中で過ごしていました。

ずっとテキスト本を読んでいました。

 

 2020年4月、日本が緊急事態宣言となりマスクが買えない事態になり、国民へ10万円の給付金が

明らかになった頃に私は思っていたことがありました。

「この感じだと今年1年は仕事にも影響が出るだろうなぁ」

「という事は自由になる時間が出来るということになるな……」

「んじゃ、資格を取得するか・・予算は充分にある…」   

 

 以前からいずれとるつもりでいた資格がありました。

ひとつは 第二種電気工事士、もうひとつは 第三種冷凍機械責任者 です。

住宅管理のお仕事をされて(目指して)いる方々が持っている主な資格としては

二級ボイラー技士、危険物取扱者、消防設備士 に加えて 電気工事士と冷凍機械責任者

なのです。  

住宅管理の仕事に就きたいと思っているわけではありません。

ボイラー技士の技術講習で知り合った方のアドバイスでこんな流れになりました。

 資格は維持するのにお金が掛かるものもありますが、私が取得しているものは

消防設備士の5年に一度(初回は2年以内に一度)受けなければならない講習費用とか

危険物取扱者の10年に一度の写真の更新くらいのもので、あまりお金はかかりません。

持っていて邪魔になるものではないのです。

 

 2020年4月、新型コロナの影響が大きくなっていく中で私は2つの資格取得を

目指す決意をしました。

 

 4月には第二種電気工事士と第三種冷凍機械責任者(三冷)のテキスト本や問題集を

ネットで購入しました。

 

 

 電気工事士の技能試験用の工具や練習用のケーブルや取り付け用の器具がセットになったものも揃えました。  

以下 資格取得のために掛かったお金をまとめておきます。 

 

 

 (第二種電気工事士)

 

    テキスト  筆記用    2090円  /    2090

                    実技用    2090円   /    4180

 実技試験用 工具     11000円   /   15180  

  実技試験用 練習キット 12000円  /   27180  

       (1回分)

 受験申請            9300円   /   36480   

 

申請先 

一般財団法人 電気技術者試験センター 

https://www.shiken.or.jp/index2.html

 

 

 (第三種冷凍機械責任者)

 テキスト 949円  送料込み     /   949  

  (↑ オークションで落札)

 問題集  2300円 送料込み     /   3249  

  (↑ オークションで落札)

 

      受験申請  8420円             /   11669  

 

申請先   高圧ガス保全協会  

https://www.khk.or.jp/qualification/qualification_application/ 

 

 

 2つの資格取得を目指します。 

第二種電気工事士       計   36480円 

第三種冷凍機械責任者   計   11669円 

      ここまでの費用          合計    48149円  

 決して安い金額ではありません。

これらの他に受験をする場所に行く交通費もあります。

合格したら免状の申請にもお金が掛かるだろうし、維持管理にも必要かもしれません。

私の場合は(極貧なこともあり)出来るだけお金をかけないで必要最低限の資金での

資格取得を目指しています。

今回は受験費用の他に技能試験用のテキストや工具、練習用キットなどが加算されるため

今までのものと比べるとはるかにお金が掛かります。

お金を掛ければそれで資格が手に入るわけではありません。

この時点で私はやっと、スタート地点に立てたのです。 ここからです。

 

 

 2020年 試験の日程は幸いなことに同じ日に重なりませんでした。

 

 第二種電気工事士     筆記試験   10月4日(土) 東京ビッグサイト 

                      合格発表     11月20日(金)

 第三種冷凍機械責任者 筆記試験   11月8日(日) 東京流通センタービル 

                       合格発表      1月12日(火)

 第二種電気工事士     技能試験    12月12日(土) 市ケ谷カンファレンタスセンター

                      合格発表      1月22日(金)

 

 電気工事士は筆記試験に合格出来たら技能試験を受験することが出来ます。

マーク方式 択一問題 全体の60パーセント以上が正解なら合格です。

(筆記試験に合格出来れば技能試験は2回まで受験が可能になります。)

 

 第三種冷凍機械責任者 の試験は私にとってはかなりやりにくかったです。

筆記試験だけなのでテキストの内容が頭に入ればなんとかなるのかなと思っていました。

これまで経験したいくつかの試験では4つほどの解答群があり、その中からの正解をひとつ

選択するという単純明快なものでした。 

しかし、今回は正解群の中にいくつも正しいものがあります。 

1はこれとこれが正解している 2はこれとこれ 3はこれだけ とかあり、その中から選択するというものです。 

ストレートに正解1つを選択するのではなく

何が正解で何が間違いなのか理解できていなければ正確には答えられません。

法令と保安管理技術の2つの科目があり、それぞれが60パーセント以上の正解であれば合格です。

 試験は1年間で1回だけです。  

 

 第二種電気工事士には技能試験があります。

配線図という配線が描かれた図が問題として出て、その設計の通りに実際にケーブルや

電気器具を取り付けるというものです。 試験の時間は40分間です。

配線図から複線図→実際にケーブルの配線、結線をどのようにするか具体的に描いたもの

を描き、その指示通りの寸法と施工で仕上げていきます。

 

  (↑ 実際の試験で出された問題 東京は1番の問題が出されました 2020年12月)

 

 工具も初めて扱うものばかりでした。 ケーブルの被覆をはぎとるためのケーブルストリ

ッパ、リングスリーブを圧着する専用ペンチ 私にとって日常では触れることのない

工具を手に出来たことが単純にうれしかったです。

特にケーブルストリッパは素晴らしく よく出来た工具です。

ケーブル表面のシース被覆のはぎとり、中に入っている電線を覆う絶縁被覆のはぎとり、

切断、採寸 ひとつの工具で見事に出来ます。

 

 技能試験に出る問題は13問です。 

これは試験当日にならないと分からないわけではなく事前に公表されます。

もちろん配線図ですが、どのような問題が出るのか分かるのです。

それに沿った技能試験用のテキスト本が出版されます。 

試験用の工具や練習キットを販売しているメーカーや詳しい専門家たちによる

解説動画が動画サイトにアップされます。 

 試験は1年間で2回あります。 上期と下期があります。 

(2020年は上期の試験は新型コロナの影響を受けて中止になりました)

 

 4月の中旬にはテキストと受験用工具、練習用キットがすべて揃っていました。

とりあえず、それぞれのテキストに眼を通しておこうと思い読み始めたのですが

理解できません。 特に第三種冷凍機械責任者の内容がわたしにはどうにもよく分かり

ませんでした。 私はIQがゼロに近いせいもあり、なかなか書かれてある内容を

頭の中でイメージすることが出来ませんでした。

要は例えば冷蔵庫やエアコンなどがどんな原理で、どんな液体を使って部屋の中を

冷やしたり、温めたりするかということだと思うのですが、私にはまったくの未知の

世界でさっぱりわかりませんでした。

それでも、試験までにはテキストと問題集を2巡はしたいと思い必死で読み進めました。

 

 新型コロナの影響を受けて、仕事の予定が大幅にずれて時間が出来た時期もあったので

すが夏以降は、いくらか忙しくなってきました。

通勤の電車に乗っている時間と仕事が終わってからの時間、だんだん テキストに向き合

う時間がなくなってきていました。

 

 もう、先行投資をしてしまっています。

受験申請もしています。 2つの資格を取得しようとするのは無謀だったのかな……。

 

 10月4日(土)いよいよ、試験の始まりです。

まずは第二種電気工事士の筆記試験です。

試験会場についてしばらくすると小雨が降ってきました。

上期の試験が新型コロナの影響で中止になっていることもあり、

下期の試験には大勢の方々が集まっています。

密を避けるため離れた場所のベンチで傘を差しながらテキストに眼を通しました。

試験会場に入るために並んでいる時もテキストは離せませんでした。

 言いにくいのですが、私は電気のことをあまり知りません。(今更・・)

テキストを読めば何とかなるのかな?と思っていたのですが・・。

「いやぁーっ 奥が深いですなっ・・」

 

 それでも必死に問題に向き合いました。

とてつもなく広い空間で大勢の人たちが同じ問題に向かっています。

「みんな、賢そうだなぁ、すらすら解答を出していくんだろうなぁ」

 

 後日、試験問題と解答はホームページで公表されます。

自己採点では62点か64点です。 ということは・・ギリギリ合格している可能性があり

ます。

 

 

 11月20日(金)合格発表  なんとか合格していました。 よかった。

 

 11月8日(日)第三種冷凍機械責任者 試験 

山手線に乗り、浜松町からモノレールに乗り流通センターに向かいます。

「うわーっ 海だ 自転車で遊びに来たいなぁ」

2度目になりますが、ちょっと言いにくいのですが、この資格 私には

向いていないような気がします。 

テキスト本を読んだのですが、試験を受けるこの日になっても保安管理技術の科目が

さっぱり分からないままなのです。 テキスト本の後は問題集に力を注いできたのですが

具体的に機械の原理や働きがしっくりと理解できるところまでには辿り着けないままでし

た。  

法令の科目は内容を覚えればいいだけなので問題はありません。

法令の問題は20問です。自己採点では間違ったのは2問だけのはずです。

しかし、保安管理技術が・・。

問題は15問、自己採点するまでもなく、試験会場ですでにがっくりときていました。

「まぁ、いいか・・よくないか・・」

 

 

 2021年1月12日(火) 合格発表  予想通り 不合格 でした。 

 

 2020年12月12日(日)

第二種電気工事士 下期 技能試験 

 筆記試験をかろうじて合格出来て、ここにこぎつけました。

このチャンスを逃すわけにはいきません。

日々、配線図から複線図を描き、実際に施工するという練習を繰り返しました。

 

 

 初めて挑戦した時は施工に1時間45分かかりました。

試験の時間は40分しかありません。 どう考えても合格できません。

 

 

 それに、たった1か所の間違いや不備があっただけで欠陥とみなされます。

かつての採点は減点方式だったそうですが最近はダメな場所が1つでもあると

それだけで合格は出来ないのです。

 

 

 当然、時間内に完成することが出来なければ合格は出来ません。

 

 

 ただ、実践を繰り返すだけ、毎日、配線図から複線図を描き、実践を行いました。

購入した練習用キットは1回分のケーブルの長さしかありません。

 

 

 たちまちケーブルやリングスリーブ(結線する時に使う小さい筒状の金具)が足りなくなり

ました。  幸い、家から自転車で40分くらい走った所にあるホームセンターで多くの

材料やパーツが揃えられてあり購入する事が出来ました。

技能試験用のテキストはわかりやすく、やっているうちに楽しくなるほどでした。

電源からのケーブルがどういう順番で器具につなげていくのか法則や決まりを理解すれば

配線図から複線図は描けるようになります。

複線図を描くのは複雑なものでも5分以内でできます。

実際の施工も材料や工具に慣れてくると30分で出来るようになりました。

ゆっくり、やっても5分の時間が残ります。

最終確認する余裕の時間が持てるまで私の技術は向上していました。

 

    ( 私のケーブルストリッパ ↑ 使用頻度が高くて右手が腱鞘炎になりました ) 

 

 ずっと工具を使っていると手になじんでくるのが分かります。

私のケーブルストリッパ!! 最高の工具です。 

 

 この技能試験が終われば私の2020年資格取得の挑戦はすべて終わります。

なんとか有終の美を飾りたいと思いながら試験に臨みました。

 

 2021年1月22日(金)

午前9時30分 ホームページで合格者の番号を確認することが出来ます。

自分の技能試験の受験番号を入力して合格者の番号検索をします。

 

 んっ?? 

パソコンの画面は<私の番号が合格者一覧にはない>と言っています。

「そうか・・やはりダメだったか・・。」

何日かすれば正式な不合格通知が届くことでしょう・・。

 

 

 技能試験には相当な自信を持って臨みました。 

もはや電気工事の職人張りの工具さばきにまで成長していました。 

ただ・・、ただ・・、練習で使っていたケーブルの色が実際に試験で使われたものと

違っていました。  練習では2mmのVVFケーブルは青い外装被覆がされていました。

1.6mmのケーブルの外装被覆は灰色でした。 私はこれで区別をつけていたのです。

実際の試験ではすべてが灰色のケーブルでした。 

試験開始前に配布された材料を確認する時間も設けられているのですが、

色による単純な判別が出来ない中で急に不安な気持ちが大きくなり、

今まで持っていた自信が消えてしまいました。

そして私は、肝心なところで大ミスをしてしまいました。

切断するべきではないケーブルをちょん切ってしまいました。

VVF1.6mm3芯ケーブルをVVF1.6mm2芯ケーブルと間違えてしまったのです。

断面を見て確認すればよかったと切断した瞬間思いましたが、時すでに遅かったです。

 

 試験開始から複線図を描き終えてすぐの事だったので6分後くらいの

出来事だったのだと思います。 

誰よりも早く結果を出してしまいました。(日本最速記録だと思います ‐ 非公認)

しかし、テキストにはたとえケーブルを間違えて短く切ってしまっても50パーセントの

長さがあれば合格圏内になると書かれてあることを思いだしました。

途中で投げ出すのも嫌だったので最後まで仕上げました。

私の作品は1点を除いては完璧に近い仕上がりだったと思います。

 

 1年近く時間をかけた私の2つの資格取得挑戦はみごとに惨敗でした。

ふりだしに戻ってしまいました。

何かに挑めば必ず判定が下されます。

これほど、時間とお金を掛けたのに私は何も成果を出すことが出来ませんでした。

自分に腹立たしいし、悔しいし、情けなくもあります。

でも、これが自分の実力です。  

合格するには知識も技術もまだまだ不十分なのです。

 

 第二種電気工事士の技能試験の時に私の左横にだいぶ高齢の方が座っていました。

(2人がけの机で受験しました) 

私が座る時にあいさつして少し話しました。

「技能試験はけっこう、難しいですよねぇ」と声を掛けるとその方は

受験は2回目だと言い「みんな、きれいに作るよなぁ」

と笑いながら言っていました。

用意されている工具を見ると、異常に年季が入ったものでした。

試験用の工具ではなく、実際に普段使用しているような工具でした。

相当なキャリアを持っていることがうかがい知れます。

立派な人だなぁと感心しました。 

この資格取得に年齢の制限はありません。

可能性を求めて、挑戦できる人は力強く自分の人生を生きている方だと思います。

確固たる自分を持っている方です。

 

 技能試験終了時に左隣の方の施工を見たら、作品は残念ながら完成に至って

いませんでした。 

 

 私は合格出来なかったので、ひょっとしたら次回の試験会場で同じ顔を見かける

かもしれません。(試験会場には何度も出入りはしたくないですが)

 

 結果がダメなら仕方のないことと受け止めて、また努力をします。

それでもダメなら、その時にまた考えます。

未熟な知識と技術のままでたとえ合格出来たとしても、そのままでは実践に通じる

ものとは思えません。 人の生活を支えるための資格であるはずです。

資格を手にすることの責任と義務も発生します。

私はまだその域に辿り着けていません。

 

 

 みごとに合格されたみなさん、おめでとうございます。

資格を活用して自分の人生を充実させることが出来るといいですね。

不合格になった私を含めた落第組は、ちょっと遅れて後から行こうと思っています。

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 ひとつのまとまった記事としてのテーマは立ちませんが、

私の夏の記録として、この場所にいくつかのことを残しておきます。

 

 

 けっこう暑い夏でした。

暑さのせいか、頭がいかれて贅沢をしました。

メロンと桃(あかつき)です。  

 

 

 果物はおいしいですね。 

よくこれだけ多くの水分を吸収出来るものだと思います。

 

 とある店で見つけた、かわいいもの。

令和の時代に入ってから、いちばん「かわいい」と思いました。

いや、2番目かな? 

ここまでの可愛らしさとはなかなか、出会えません。

 

 

 名前も付けました。  「うさぴょん」 です。 

たぶん、この子はお母さん似だろうな。

お母さんは、すごい美人だと思う。 

私の家族として、うさぴょん を迎え入れました。

 

 

 コロナ禍の中「電車に乗らなきゃいいんだろっ!」ということで

自転車で相模湖へ向かいました。

家からおよそ50キロくらい先です。

 

 甲州街道をひたすら突き進み、高尾山口まで行き、大垂水峠を越えれば

相模湖です。 

文字にすると2行で終わりますが、私の場合は片道7時間(平均)かかります。

 

 

 丸3年ぶりの相模湖サイクリングです。

のんびりとゆっくり走りたかったので家を早めに出ることにしました。

3時半起床。 お弁当を作って、5時に出発しました。

(今までは朝の7時出発というパターンが多かったです)

 

 

 甲州街道を約2時間走り、左折します。

日野バイパス(多摩川‐石田大橋)へ向かいます。

 

                    ( 石田大橋を渡る )

 

                      ( 多摩川 )                

 

 多摩川ですね。

そのまま、走り八王子を経て、高尾方面へ向かいます。

 

                           ( 八王子を経て 左折して高尾方面へ向かう )  

 

 

 京王線 高尾山口駅です。 屋根がおしゃれです。

2015年4月に駅舎はリニューアルをしました。

 

                    ( 高尾山口駅 )

 

 建材は杉の木です。 デザイナーは隅研吾さんです。

 

               ( 高尾山口駅近く 私の好きな場所 )

 

 いつもの川のほとりで昼食にしました。 (9時半ころ 2度目の朝ごはんかな?)

 

 

 この日のために奮発しました。

新宿とんかつ さぼてん でカツを買いカツサンドにしました。

とんかつは三元麦豚ロース 1枚 529円、この店で2番目に高級なとんかつです。

前日に2枚買いました。 

 

 持参した からしとソースをかけていただきました。

うまいっ!! 最高だ! サラダはニンジン多めのうさぴょん用ですね。

 

 

 ゆで卵まであります。 

この表面のつるつるが おふうさんの肌だというのかっ!

 

       ( 私のクーラーボックス 考えてみるとあまり魚を入れたことがない )

 

 アイスを持参したサイクリングは初めてでした。

重量はかさみますが、クーラーボックスがあれば、凍らせた水も確保できます。

あとはオレンジとグレープフルーツも持ちました。

 

 

                    ( 大垂水峠へ向かう )

 

                  ( 走っていて怖い場所)

 

                 ( 沢水が流れていて涼しげだ )

 

              ( 大型車輛が来ないことを祈りつつ走る )

 

                   ( もうちょっとだ )

 

                       ( もうすぐだ )

 

                   ( このカーブを過ぎれば・・・ )

 

               ( 東京都から神奈川県へ入った )

 

 11時半ころ 大垂水峠 頂上部 

途中、だいぶ自転車を降りて歩きました…。

 

 

 今まで、高尾山口から大垂水峠の頂上までノンストップで走れたのは3回しか

ありません。 (脚力が落ちたのか、根性がなくなったのかどちらかかな?)

 

           ( このコースは冬の方が走りやすい 暑さは天敵だ )

 

 峠の頂上からの下り道は自転車のペダルを漕がなくても麓まで行けます。

およそ15分間、山の中の風を感じて走ります。

 

      ( 相模川に架かる 桂橋が見える なだらかなアーチが美しい )

 

                 ( だいぶ麓まで下りてきた )

 

                 ( 相模湖ダムが見えた )

 

 

 12時45分 相模湖到着 

自宅からここまでの距離は51.19kmでした。  無事に目的地に着きました。

今回はおやつも充実しています。

 

 

 ヨーグルト クランベリー チョコ と木の実です。

まるで、うさぴょん のおやつですね。

 

 

 それと、豆腐屋さんが作ったドーナッツです。おからと豆乳で作られたものです。

一個80円です。 ほのかに口の中に広がる甘さがすばらしいです。

普通、ドーナッツを食べると「太る」と思いますが、ここのドーナッツは

「健康になる」と思えてきます。

 

               ( 意外に氷は溶けなかった )

 

 氷水がこれほどおいしものだったとは今まで知りませんでした。

 

               ( 相模湖 釣り人はいなかった )

 

           ( やたら大きな ハクチョウ? が泳いでいた )

 

 

 13時半に相模湖を出発 帰り道は峠を避けた別ルートです。 

 

 

 帰り道の楽しみで、いつも立ち寄るコンビニがあります。

夏の期間は地元のブルーベリーが売られています。

 

 

 バニラアイスの上にブルーベリーを載せて食べるとおいしいですよ。

 

 

 毎回同じ店の裏で畑と山を見ながら食べます。

 

 

 あとは強烈な炭酸を飲むと、クっ、くっ、クッ。 

死にそうになりますので注意が必要です。

 

                    ( 津久井湖ダム )

 

                    ( 津久井湖 )

 

 津久井湖をかすめて城山ダムの上を通り、橋本を通過して八王子を目指します。

また、日野バイパス、石田大橋を渡り、甲州街道に出ます。

そこからは朝と同じルートでひたすらまっすぐです。

 

 予定では、早ければ20時前には家に帰れるつもりでいましたが、途中

両足が痛くなりました。 今までであればどんなに痛みがあっても走りますが、

最近は軟弱になり、すぐに歩きます。(ウオーキングだと思えばいいのです)

八王子以降、ちょこちょこ歩きました。23キロほどは歩いたと思います。 

途中、カミナリが鳴り出し、雨が降り出しました。 

どうでもよくなり、そのまま歩いて帰ってきました。

 

 帰宅 23時 5時に家を出たので18時間 自転車で遊んでいたことになります。

自転車のメーターでは全走行距離 104キロ弱でした。

この日の私の記録です。 

 

 

 自転車に乗っていたり、歩いたりしているので正確な歩数ではありませんが、

4万294歩 数字としては自己新(珍)記録です。

 

 

 最近、スマートウオッチを使っています。

歩いている時、スマートフォンはウエストポーチに入れています。

すると、電話の着信音やメールの通知音が聞こえないのです。

これを付けていれば、着信があればブルッとバイブと表示で知らせてくれます。

すごく便利で気に入っています。 

 

 

 公園に向かう途中にある踏切のそばで咲いていた花。 

赤と白いきれいな花が咲いていました。

 

 

 あんまり、可愛いのでポキッと茎を折り、家のベランダのプランターに刺しました。

毎日、水をあげていたら1週間くらいして遂に花を咲かせました。

 

 

 

 葉っぱは枯れてきているのに花を咲かせています。

もう、やけくそで花を咲かせて、むりやり結実させ、種を残そうという植物の

根性を今、目の当たりにしているのかもしれません。 

理由はどうであれ、咲いてくれてホッとしました。

図鑑で花の品種を調べたのですが、よく分かりませんでした。

私は「踏切の花」と呼んでいます。

 

 よく行く公園(見えているのは野球場) たまに誰かが愛を叫んでいます。

 

 

 もう9月も半ばですね。 今年も暑い夏でした。

あちらこちらへ出かけることは出来ませんでしたが、楽しいことが

たくさんありました。 

可愛い家族も出来て、とても充実した夏でした。 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 相変わらず、私は家の近くの公園を散歩しています。

あの日、私が無理やり、セミの幼虫を勝手に助けた日 以来

公園のセミたちに異変が起きていました。

 

 

 私の前にやたら、昆虫たちが現れるのです。

 

 

 

 

 セミだけではなく、カナブンやトビイロスズメの幼虫やら・・・。

 

 

 

 「何なんだよ 私は樹じゃないぞ そんなに寄ってくるなよ」

 

 

 「いいじゃないか、お礼だよ 楽しいだろ」

 

 

 「楽しいというより、くすぐったいな そこ やめろよ」

 

 

 「お前のおかげでこの公園の羽化成功率がほんの少し上昇した」

 「そうなんだ、まぁ、よかったね これが恩返しなの?」

 

 

 「バカ言うな!」 「これが倍返しだ!!」

 「何それ!?」 「お前テレビを見ていないのか? 知らないのか?」

 「知らないよ」 「まぁ いいだろう」

 

 

 「でっ、どうだ」 「何が?」

 「A47区で欠員が出ている どうだっ!?」

 「何が?」 「こっちに来ないかと言っている」

 「えっ?」 「こっちに来いよ」

 「こっちって? どっち?」 「こっちだよ そっちじゃない」

 「こっちのこと? そっちって どっち?」

 「どこまでバカなんだ お前はっ! もう代名詞を使うな!」

 「使いだしたのはそっちだろう!」 「もういいっ!」

 

 

 「だから、お前をセミの世界に連れて行ってやる 来いよ!」

 「お前が欲しいものは羽だろう? 空を飛びたいんだろう?」

 「くれてやるよ! 手に入るんだぞ!」

 「欲しいと言えば・・欲しい・・」

 「何を迷っているんだ、来いよ!決断しろっ!」

 「でも、仕事も入れてあるし、セミになっても仕事できるのかなぁ?」

 「そんな事は私には関係ない! 来いよ!」

 「・・・・」

 

 

 「どうだ、庄屋の娘 おふう という可愛い むきたてのゆで卵のような子・・」

 「行きます! 行かせてください!」 「やけに早いなっ!」

 

 「近い!近い! お前の唇がわしのめん玉にくっついている 離れろ!」

 「よし、欠員 2304番 ついて来い!」 「ハイッ!」

 

 「いや、待てよ ひとつだけ条件がある! これだけは譲れない」

 「何だ、言ってみろ!」

 

 「こちょ こちょ ごにょ ごにょ・・」

 「何をっ! お前っていう奴は・・」

 

      命は次の命を支えます。

 

     食物連鎖が構築されていました。

 

 

 

 

 

 ここに不思議な動画があります。

公園で撮影された世にも不思議な現象です。

 

 

                                youtube   撮影 choco  

 

 

 ごらんいただけたでしょうか。

葉っぱがひとりで踊っています。

まるで喜びを表現しているように見えます。

 

 この踊る葉っぱが何を意味するのか私にはよく分かりません。

 

 

 ただひとつ、間違いなく言えることは、この公園は生命の歓びに

満ち満ちているということです。 

 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 私がよく行く公園です。

公園内、一周630m  私の歩数で一周 約1130歩です。

家と公園との歩数は片道 約1440歩です。 

一日の目標歩数は10000歩にしています。

なので、家から公園まで歩いて公園内を7周ほどすると目標は達成されることになります。

夕方の散歩中、こんなことがありました。

 

 

 おっ、セミの幼虫だ。

危ないなぁ。  こっちに出て来るなよ。 人間に踏まれるぞ。

この公園にはネコもカラスもいるんだぞ。  ここのカラスはセミを食うぞ!

 

 

 よし、まかせておけ。 安全を確保してやる。 

 

 

 (余計なお世話だ、こっちは野生なんだよッ!)

 

 

 そういうな。 こっちの茂みでどうだ。 

ここなら、大丈夫だろう。

 

 

 (放っといてくれ、自分の未来は自分で切り拓く! かまうな!)

 

 よし、これで、バッチリだ。

この場所ならば 今夜の羽化は問題ないだろう。

明日の朝には羽根が固くなって大空を飛べるぞ。 よかったな。

 

 

 で、これで そなたは私に借りができたわけだ! 

 

(うれしそうだな、それにしても、勝手な奴だ! 罰があたるぞ!)

 

 

  ひとつ、頼みがある。

 

  ( ?? )

 

 1日だけでいい。 貸してほしい。

 

  ( ?? )  

 

 どうだ、この話 受けてはくれまいか? 

 

 ( 断る ) 

 

 一般的にセミはタマゴ~幼虫で3年~13年間の地下生活を経て

地上に出てきて1週間(2週間~1か月説もあり)ほどで命が消滅します。

生まれて、結婚相手を探して、結ばれて、おもいっきり生きて、全力で死ぬ。

セミの7日間は人間の100年間よりも充実しているように感じるのは

私だけでしょうか。

 

 この日の夜、一時的に激しい雨が降りました。

今朝、あの恩知らずがいるはずの場所に行ってみました。

 

 

 近くで仲間の抜け殻を見つけましたが、あの恩知らずの抜け殻が

見つけられません。 

 

 

 ハトがほっつき歩いてきました。

食ってないよな!? 食っていたら、叩きのめすからな!

と こころの中で怒鳴ってやりました。

 

 

 30分近く、ツツジの植え込みを見てまわりましたが、

恩知らずの抜け殻を見つけることは出来ませんでした。

 

 

 また、雨が降ってきたので公園を出ることにしました。

あの恩知らずは、自分が野生だと言っていました。

自分の未来は自分で切り拓くとも。 

私の恩着せがましい心配は、始めから必要なかったのでしょうね。

きっと、どこかでセミの第一日目が始まっているはずです。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 2020年6月27日(土)

梅雨の中の晴れ間、天狗さまに会いたくなり、出かけました。

 

 

 高尾山 たかおさん (標高599.30m‐2014年改測) 

京王線高尾山口駅下車。 

都心からのアクセスの良さや登山道の整備がされているため、

関東では最も人気がある山です。

年間の登山者は300万人にも及びます。

ケーブルカーや2人乗りリフト、おみやげ屋さん、トイレ、中腹にはビアガーデン、

山頂広場には食堂もあり、子供からお年寄りまで誰でも気軽に歩ける山です。

 

 

 高尾山への登り口 ここからケーブルカーとリフトに乗ることが出来ます。

 

 ケーブルカーは5月23日から運行再開しています。 

朝の8時から15分間隔で動いています。 料金 大人 片道490円 往復950円  

リフトは6月10日から再開しました。   

朝の9時から乗れます。   料金 大人 片道 250円 往復 470円 

 

 

 高尾山の山頂へのルートはいくつも用意されています。

一般的なのは高尾山 薬王院への表参道を行く1号路コースです。

 

 

 11時ちょい過ぎ。 

では、のんびりと山頂をめざしましょう。

 

 ケーブルカーとリフト乗り場の右横にある1号路に入ります。

私がよく使うのは1号路からのコースです。

 

 

 この地点から、リフトの終点駅までの区間がいちばん傾斜がきつく距離もあります。

この日、天気はくもりで気温はそれほど上がってはいないため歩くには楽なのですが、

マスクを着用しているため、呼吸がしにくくて、今までの中ではいちばんつらかったです。

 

 

 30分ほど歩けばリフトの降り口、山上駅の場所に出ます。

 

             (画面 中央 ビアガーデン)

 

              (ケーブルカーの駅)

 

 

 ここからは、しばらくなだらかな道が続きます。

道なりに進み、浄心門の手前で右に折れ4号路に入ります。

 

               (浄心門 と 4号路 入口)

 

 

 

 薬王院への参道から外れます、距離的には山頂への道は少し遠くなりますが、

自然の中を歩けるので楽しいです。

 

 

 

 

 細い道を進んでいくと、かすかに水の流れる音が聞こえてきます。

 

 

 

 このルートの最大のポイントは吊り橋です。   (みやま橋)

 

 

 それほど長い橋ではありませんが、橋の揺れが臨場感を高めます。

 

 

 今、まさに谷を渡っているのだという実感がわいてきます。

(よく、こんな険しい場所に立派な橋を架けたものです)

 

 

 狭い道は互いに譲り合いながら先に進みます。

自分より、すれ違う相手の安全を確保してあげましょう。

 

 

 

                 (コケとアリ)

 

 

 雨の日などは特に注意が必要です。

一歩間違えると転げ落ちることになります。

 

 

 落ちたら、ケガでは済みそうにありませんね。

 

 

 

 登山道の奥が抜けて空が見えてきました。

高尾山の頂上です。

 

 

 歩き始めて、だいたい1時間30分です。

 

 

 けっこう人が多いです。

海外からの方たちの姿が目立ちます。

 

 

 2007年にミシュランガイドに「三つ星」観光地として紹介された

その影響もあると思います。 

 

 

 さぁ、高尾山山頂からの眺望は・・。

 

 

 ありゃま、ガスっていて遠くがほとんど見えません。 

条件が良ければ富士山が見えるのですけどね。 

 

 

 「時間が経てば視界が開けるかな」

お昼ご飯を食べながら、少し待ってみることにしました。

 

 

 高尾山エリアとしてのおすすめは「とろろそば」です。

おいしいと思うのですが、私、とろろを食べると場合によっては

蕁麻疹が出ます。

なので、山菜そばセット1200円にしました。

 

 

 ガスっていて、30mくらい先までしか見えない景色の中、

おいしいご飯をいただきました。

おにぎりの白米が特別においしく感じました。

(塩加減かなぁ)

 

 

 デザートはチョコ。 

遭難した場合のことを考えて水や携帯用ガスコンロ、インスタントラーメン、

コーヒーなど1日分の非常食を持ってきていました。

(真面目に歩けば遭難することはまずありません)

ラムレーズンの高級チョコ、おいしかったです。

 

 

 しばらく、山頂広場で時間をつぶしていたのですが、お天気は変わらず

遠くは見えないままでした。

 

 

 14時、帰路に着くことにしました。

 

 

 帰りのルートは1号路を使います。

ずっと舗装されている道なので、楽と言えば楽ですが、急な石段が多いです。

 

 

 薬王院飯繩権現堂(やくおういん いづなごんげんどう)です。

本殿は享保14年(1729)の建立されたものです。

 

                              (大天狗さま)

 

 最大の特色は組物と彫刻のすごさです。

躍動感のある迫力のある龍がお堂を護っています。

1本のケヤキをそのまま彫ったものだそうです。

日光東照宮を彷彿させんばかりの極彩色に塗られた

彫り物が本当にみごとです。

 

 

 立派な注連縄(しめなわ)が見えます。

お賽銭箱も置かれてあります。

これだけを見ると神社ですが、ここはお寺です。

 

 

 「権現」とは仏さまが「仮の姿で」神の形を取って

「現れた」ことを示します。

ちょっと、ややこしいのですが、簡単に言うと神社とお寺が

融合したものなのです。

 

 元々は日本古来の土着の神さまが祀られていたところへ仏教が伝来してきて

日本の神さまは、仏様を拒絶することなく受け入れたのです。

その結果、神社のようでもあり、お寺のようでもある この姿の

権現堂が生まれました。

 専門用語でいうと「神仏習合」(しんぶつしゅうごう)と言います。

日本のおおらかな神社思想が、多くの芸術性を持った仏教と結びついた結果です。

 

 本殿の中にはカラス天狗さまの像が祀られているそうです。(秘仏)

御本尊は天狗さまなのです。

 

      (カラス天狗さま)

 

 向かって右側に立つのは大天狗さま(鼻高天狗)、

左側はカラス天狗さま(木の葉天狗)です。

この飯縄権現堂の随身(ずいじん-護衛をすること)です。

 

 

 

 

 

 

 格好は山伏の姿をしています。

かつて密教や道教の流れをくんだ修験者や山伏たちが俗世との

関わりを絶ち山に入り「悟り」を開くためにこの山で修行をしました。 

 

              (カラス天狗さま)

 

 元々は山岳信仰から発した信仰が根底にあると考えられます。

山に対して畏敬の念を持ち、願い、祈り、そこに神を見出して

きました。 天狗は神としてこの山の中で生きています。

 

         (大天狗さま)

 

 天狗は中国から伝わって来たとされています。

伝承の中の天狗は神でもあり、精霊でもあり、妖怪でもあり、

伝説上の生きものであったりと様々な顔を持っています。

どちらかと言えば、災厄を招いたり、人を魔道に導く魔物とされたり

よくないイメージがあるのですが、高尾山の天狗に関して伝わる話の

中には、あまり人を困らせるようなものは登場しません。

 

 

 身体を思うように動かせなくなった老人がとても信心深い人で

毎日のように高尾山の薬王院へ行きお勤めしたいと願っていました。

それを知った天狗は「天狗さらい」の術を使い、老人を一瞬で

山へ連れていってあげたそうです。 

 

 里で村人が間違った判断を下した時は大きな笑い声が山から響いて

くるそうです。

 

 山の中で修験者は天狗に護られているそうです。

 

 

 これと言って、人々に対して迷惑に思える部分は一切ありません。

この土地での人々と天狗との関係が友好的に見えるのは、人々が

天狗に対しての深い愛情があるからではないのかと考えました。

 

       (登山道の片隅にオオバジャノヒゲが咲いていました)

 

 

 自然に対する感謝と、常に護られているという安心感。

天狗は人々の心の中でも暮らし、気持ちを共有し、日々の生活を

支えてくれたのではないでしょうか。

 

              (天狗の腰掛杉)

 

 きっと、天狗は大杉の上から私たちを見ているはずです。

私たちのこころに、信仰がある限り、天狗はこの山のどこかから

いつも、私たちを見守ってくれているはずです。

 

  (700年以上 登山参拝客を見守っていると伝えられている)

 


        (湧き水が出ている場所でユキノシタが咲いていました)

 

                    (ユキノシタ)

 

 

 天狗さまに護られていると感じながら下山しました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。