2021年8月 私は山口県柳井市にいました。
松山の三津浜港から船で瀬戸内海を渡りました。
松山城から見た夕景の中で太陽が興居島(ごごしま)に向かい沈んでいきました。
その興居島をまじかに見ながら船で移動します。
山口県柳井市は人口およそ3万人の落ち着いた佇まいの町です。
瀬戸内海の室津半島のつけ根部分にある港町で、古くから海上交通の要として
栄えてきました。
古墳時代からの歴史があり、江戸時代には岩国藩の「お納戸」と呼ばれ商都として
賑わったそうです。
柳井市で、ある伝説に出会いました。
「般若姫伝説」です。
この柳井の地名発祥となった場所があります。
柳井津にある 古刹 湘江庵には柳の木とその横に井戸があります。
ある美しい女性がこの場所で清水を求め、のどを潤し、その傍らに
大事に持っていた不老長寿の楊枝を挿すとそれが一晩で芽を吹き、
たちまち立派な柳の木になったと言われています。
なんとも不思議な話しです。
柳と井戸、ここから「柳井」という地名になったと言われています。
そして、湧き出る清水を飲み 楊枝を柳に変えた人物こそが般若姫です。
時代は1400年ほど前に遡ります。
般若姫は豊後国(大分県)の真名野長者(満能・満野の表記もある)に大切に育てられて
いたひとり娘でした。 父は小五郎といい、深田で炭焼きをしていた男でした。
ある日、大和国三輪明神さまからお告げを受けたと、奈良の都から玉津姫(般若姫の母)
が小五郎の嫁になると現れました。
ふたりは結ばれ、炭焼き小屋や近くの池の周りにたくさんあった金塊のおかげで富を得て
真名野原という場所に屋敷を建て真名野長者と呼ばれます。
そして、玉津姫は般若姫を授かります。
般若姫は舌に三日月型のアザがあったので半如姫と名付けられました。
後に観音様のお告げにより般若姫と名前を改めました。
般若姫は日に日に美しく、気品を備え成長していきます。
般若姫の美しさの噂は海を越え、奈良の朝廷まで届いていました。
月の光のように輝かんばかりの美しさをたたえた般若姫には朝廷から我の妃にと
使いが送られましたが、長者夫婦は大事な跡取り娘なのでと断りました。
長者夫婦は般若姫の代わりに、美しい般若姫の姿を描いた玉絵箱を献上します。
あきらめきれない若者がいました。
欽明天皇の第四皇子 後の用命天皇 橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)です。
皇子は朝廷を抜け出し、豊後の臼杵(うすき)へ下り 山路と名を変えて牛飼いとして
長者の家に住み込みます。
般若姫が重い病気になった時に山路はやぶさめの神事で病気を治します。
山路は本当の身分を明らかにして、般若姫と結ばれます。
しばらくは幸せな日が続きました。
奈良の朝廷では世継ぎの問題が起こり、全国に使者を出し皇子を探していました。
都へ戻らなければならなくなった皇子は身重の般若姫に、生まれてくる子が男ならば
共に、都に参られよ。 もし、女であれば長者の跡継ぎにするために残し、般若姫だけが
都に上るようにと言い残し、単身 朝廷へ戻りました。
皇子が19歳、般若姫が17歳の頃です。
般若姫は無事に可愛らしい女子を出産しました。
子どもの名は玉絵姫と名付けられました。
般若姫は約束通りに玉絵姫を長者夫婦に託して、都へ向かいます。
そして、悲劇の伝説が生まれます。
般若姫が都へ向かうにあたり、長者夫婦は般若姫に1000人あまりの従者をつけ
大小120艘もの船で豊後 臼杵の港から都を目指して出航します。
長者夫婦は山の上から般若姫を見送ります。
この山は「姫見ケ岳」(姫岳619.9m)と呼ばれるようになります。
はじめは穏やかな海ではあったのですが、周防の国(周防灘)平郡島(へいぐんとう)
にさしかかろうとしたあたりで嵐に襲われます。
船団は一度は熊毛の浦まで吹き流されてしまいます。
その時に般若姫が休んだ島が「姫島」です。
天候の回復を待ち、再度出航しますが今度も大畠鳴門の瀬戸に差し掛かったところで
大きな暴風に見舞われます。 ここでは多くの船が沈み、従者たちも海に投げ出されました。
この嵐は長者によって池を埋められた金龍神の怒りとされています。
従者や船人たちが海に投げ出され、裸同然でたどり着き、難を逃れた島が「裸島」です。
般若姫ら一行は柳井の港に入り、姫の身体を休めることにしました。
般若姫は里の人に介抱され、清水が出る場所を案内してもらいます。
般若姫が清水でのどを潤した場所、湘江庵です。
般若姫は懸命に流された人たちを捜しました
多くの遺体がみつかり、般若姫は嘆き悲しみます。
「これほどまでの多くの犠牲者をだしてまで私は皇后になりたいとは思わない」
「かりの世に何歎くらんうき船のいずくを宿と定めおかねば」と繰り返し詠じる
ばかりでした。 その後、大畠の瀬戸の渦に般若姫は身を投じます。
侍女も後を追い、飛び込みます。 船人たちがあわてて姫を助けますが、
般若姫は衰弱していきます。
「私は、この瀬戸の守り神になります。 私の亡骸はあの山の上に葬ってほしい」
と言い残し、息をひきとりました。
知らせを聞いた長者と皇子の悲しみは大変なものでした。
皇子は般若姫の遺言通りに山の頂上に埋葬しました。
現在の山口県平生町神峰山にある「般若寺」(250m)です。
長者は臼杵に姫を供養するために、たくさんの石仏を作ったとされています。
(臼杵磨崖仏といわれている)
確かにこの般若寺のある山の上からは海が一望できます。
この場所から、航路の安全を般若姫は祈っているはずです。
悲しみに暮れる長者夫婦は般若姫の供養のために、姫の姿が描かれた「玉絵箱」
の里帰りを願います。 朝廷の許しを経て「玉絵箱」は再び臼杵に戻ります。
般若姫の御霊は船に乗り両親と娘が待つ臼杵に戻るのです。
里の人は暗闇の中、竹ぼんぼりを手にして夜道を照らして般若姫を長者の館まで
送りました。
大分県臼杵市で行われている「うすき竹宵(たけよひ)」般若姫行列はその様子を
今に伝えるものです。(11月開催-2020年は中止)
淡いぼんぼりの灯りが連なり、船に乗った般若姫が里の人たちに運ばれます。
美しく、しっとりと、幻想的に再現されています。
「般若姫伝説」何も知らずに柳井に降り立った私にはとても新鮮な驚きと喜びが
ありました。 長い時間の中で伝えられてきたこと、伝えられてきた場所、伝えられてきた
事象、その歴史と背景を知ることが出来て、自分で考える機会を得て、その現場に行くこと
が出来て、こんなに嬉しいことはありませんでした。
もちろん、伝説なのですべてが正しく正確に伝えられてきているとは限りません。
伝えられていく過程で内容に脚色されたりすることもあると思うし、地域によっても
内容が変わることも多々あります。
しかし、根底にはゆるぎない事実があるはずです。
山口県平生町神峰山の般若寺は用命天皇の勅願により建立されたものです。
大分県大分市坂ノ市 萬弘寺の寺伝では用命天皇が皇子の時代に密かに豊国を巡行
した際にこの場所で難病を患ったものの豊国法師が薬師如来像を彫って加持祈祷を行うと
病状は回復して、都に戻り皇位を継承した。 と伝えられています。
(2017年8月 大分県 坂ノ市駅)
(2017年8月 大分県 坂ノ市駅)
(2017年8月 大分県 坂ノ市の町)
天皇の系図には般若姫は登場しません。 皇子の時代の出来事だからでしょうか。
私の見立てでは、般若姫は実在したと思われます。
都へ向かう途中大変な嵐に遭遇して船団のほぼ全員が海に投げ出されたのではないだろう
かと思います。 般若姫の最期は伝えられている地域によって差があります。
般若姫がいつ臼杵の港を出航したかという記述は見つけられませんでした。
しかし、般若姫の面影を残す「玉絵箱」が臼杵に戻ったのは秋から冬のはずです。
ひょっとしたら出航は8月の終わりから9月にかけての台風の時期だったのでは
なかろうかと私は考えています。
地名が示す物語の背景、点と点が結ばれてそこから明瞭な線がひかれていくと
登場人物の動きが明らかになってゆきます。
般若姫伝説はわかりやすい地理的な要素が更に信憑性を高めていると思います。
こうした般若姫の伝説がおよそ1400年もの間、語り継がれてきたということは
それだけ、この物語が魅力的で人のこころを動かすだけの力を持っているからに
他なりません。
この物語のどの部分をどう解釈するのか、考える人によっておのずと変わるはずです。
実際にはひとつだけのお話しではなく、何かと何かの出来事が結びつき、般若姫の
伝説になっている可能性もあります。
それにしても細部にわたり、みごとに描かれている伝説だと思います。
この伝説にはまだ続きがあります。
この出来事の後、毎年陰暦(旧暦)の大晦日の夜、大畠の瀬戸から
火の玉が三つ舞い上がり、ひとつは神峰山の山頂の「龍灯の松」に
とまった後、般若寺の観音堂の三光之窓に入っていき、またひとつは
対岸の大畠の瀬戸の明神さまへ、もうひとつは大島三蒲の松尾寺(しょうぶじ)
に向かい飛ぶと伝えられています。
その火の玉を見た人は大漁と豊作、福徳に恵まれるとされています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




















































































































































































































































































































