(20191210 城山公園 お堀)
八股榎お袖大明神
「やつまたえのき おそで だいみょうじん」と読みます。
城山公園の周りの堀、東堀端と南堀端の角にその社はあります。
私が2019年12月1日に松山に入り、駅から歩いてホテルに向かう途中に見て
おもわず足を止めた社です。
(20191210 城山公園 お堀)
18時前でしたが、あたりは暗闇に飲みこまれつつありました。
スマホの地図で確認しつつ、お堀沿いに歩き 目的地のホテルを目指していました。
大きな道沿いの歩道とはいえ、お堀沿いの歩道はそれほどの明るさはありません。
遠くからも、その場所に何かあることは確認できていました。
近づくにつれ、何か得体の知れないものを感じます。
(20191210 城山公園 お堀と 松山城)
そこから放たれている ある種の「異様さ」を感じていました。
うす暗い闇の中に赤い幟が見えています。
それに、幾重にも重なった鳥居が見えました。
はじめはどこかの神社から持ってきた鳥居をここにまとめて置いてあるのだろうかと
思いました。
(20191210 城山公園 お堀 八股榎お袖大明神 裏側より見る)
しかし、どうも様子が違います。
社の正面に立ち、目の前を見ます。
急な石段を下りた先に祠が見えました。
(20191210 八股榎お袖大明神 正面)
「何だろう 八股榎?」 薄明りの中で供物が見えました。
もっと近づけばよく見えるのでしょうが、あたりは暗く、まったくの独りで
異様さを感じる場所で、どんどん奥に入っていく勇気はありません。
初めての土地だし、この場所について何の情報も持っていないのです。
(20191210 八股榎お袖大明神 正面)
まるでこの場所から異界の口がぱっと開いているかのようにすら思えました。
自分のこころのどこかで、自分の行動を止めさせるもうひとりの自分がいます。
「やめた方がいい」「カメラも向けない方がいい」
自分に言い聞かせ、写真を1枚も撮らないまま その日はホテルに向かいました。
仕事が忙しくなり、しばらくはこの「八股榎お袖大明神」のことは頭から離れていました。
でも、何の気なしにあの日に見た光景が頭に浮かびます。
「なぜだろう? 気になる・・」
(城山公園 松山城)
ホテルから仕事場への道は、その社の場所を通らずに城山公園の中を歩きます。
それでも、何の脈絡もなくふっと、頭に浮かぶ時がありました。
「ちょっと行ってみるか・・」
仕事の帰り道に近づいて見てみました。
(城山公園 お堀)
石段を下りようとしたその時、動く人影らしきものが見えました。
ぞっとしました。
「うそだろっ! こんな夜に人がお参りしているのか?」
恐怖感が募り、また中に入ることは出来ませんでした。
あたふたしながら、周りを見ると傍らに自転車が1台止められていました。
「自転車でここに来た人なのか?」
今、見たものは普通の人でありますようにと思いながらホテルに戻りました。
私は臆病者です。 ひょっとしたら、この世の中には祟りとか呪いとか科学では
証明できないものがあるのではないかと思っているふしもあります。
であれば、なるべく接したいとは思わないのです。
安全第一、健康第一、火の用心で100年ほど生きて十万億土先にあるといわれる
冥途へ旅立つ予定なのです。
それまでは、元気にしていたいのです。
(城山公園 松山城)
で、その社をネットで検索してみました。
(初めからそうしろよ!)
「ほほーっ、なーるほど そうだったのか・・」
恐怖感を抱くものではないことがわかりました。
八股榎お袖大明神 要はお袖狸と言われる雌狸が祀られているものでした。
歴史は古く、文政13年(1830年)頃にさかのぼります。
(お袖狸? イメージ フリー素材)
雌狸がお堀の端に植えられた榎の大木に移り住んだのが始まりのようです。
狸はこの大木に登り人の往来を見るのが好きだったようです。
一説には美男子を見るためという説もあるようです。
このお袖狸は神通力を持っていて道祖神になりすまし徐々に信仰を集めるようになり
有名になったそうです。
商売繁盛・縁談・病気平癒などあらゆる願掛けにご利益があるとされています。
(お袖狸? イメージ フリー素材)
190年ほどの歴史がある八股榎お袖大明神ですが、この時代まで平穏無事に、
過ごしてきたわけではないようで、今まで何度か消滅の危機があったそうです。
明治5年(1872年)県の命令で榎が伐られ県庁の薪にされる。
お袖狸は一時、お堀端から離れます。
明治44年(1911年)松山電機軌道の路面電車開業に伴い、祠があった大木の榎が
伐られる。
この時は勝山町にある六角堂に合祀という形で移転するものの、いつしかまた
お堀端にある別の榎の木下に祠が建てられる。
昭和9年(1934年)に伊予鉄道の複線化でまた榎の木が切り倒されることになります。
しかし、この時、不思議なことが起こります。
作業する者がケガをしたり病気になったりして一向にはかどらなくなりました。
お袖狸の祟りと言われはじめ遂には松山歩兵第22連隊の憲兵隊が乗り出すも
結局、病人が続出して撤退してしまいます。
そこでお袖狸の信仰者が伐採ではなく移植する案を出して実行し
榎の大木は石井村の喜福寺へ移されます。
しかし、古い木だったということもあり、枯死してしまいます。
これでまたお袖狸は行き場を失います。
その翌年、不思議な噂話が松山の町を駆け巡ります。
予讃線の伊予大井駅(現在の大西駅)に一人の女学生が降り立ちます。
それが、なぜかお袖狸が化けたものであるという話になったり、
小西村(現在の今治市大西町)にある明堂に鎮座したという話にもなり、
これが評判になり明堂には連日参拝者が集うことになります。
そして戦後になり、いつの間にかお堀端の榎の下にまた、お袖狸の祠ができます。
昭和31年(1956)檜造りの立派な祠が完成します。
さらに平成26年(2014)には八股榎お袖大明神奉賛会が発足して、根強く信仰を
集めているのです。
幾度となく消滅の危機にさらされつつも、現代までお袖狸への信仰は
健在です。
お袖狸へ願掛けすると願いが叶うのでしょう。
土地の方々のそうした気持ちに支えられ、人と共にお袖狸も生きてきました。
(城山公園 お堀と松山城)
人と狸、この場所に限らずとても距離の近い関係だと思います。
狸は動物の中でも擬人化しやすく、人間の勝手な先入観や感情移入
に応えてくれる存在だと思います。
確実なコミュニケーションがとれない分、余計に人との距離が縮むということも
考えられます。
(八股榎お袖大明神 裏側より)
お袖狸は元々、松山城がある勝山で生息していた狸だと伝えられています。
森の中だけでは物足りず、里に下りてきたのでしょうか。
八股榎お袖大明神に関連する資料や文献などに眼を通しているうちに
ある興味深いことを知りました。
それは、俳人 正岡子規とのつながりでした。
その情報が、私の行動に影響することになりました。
次の記事へ続く予定です・・。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。












