寝起きしている家から90歩ほど歩くと、目の前に海が広がっています。

水面下にクロダイが泳いでいる姿を見つけました。

砂地から岩場の方へ移動して食べ物を探しているようでした。

 

       (画面中央にクロダイ と それを見ている私)

 

 私は40分ほど、クロダイの動きをじっと見ていました。

その周りに1匹、もう1匹と姿を現しました。

 

         (食べ物を探す クロダイ)

 

 クロダイは私が一度釣りあげたい憧れの魚です。

チヌとも呼ばれ、野性味のあふれる魚です。

船に乗り、海上に出なくても堤防からも狙える魚です。

いつか釣り上げたいなぁと思っていた魚が眼下に悠然と泳いでいます。

海水が澄んでいるので頭部が見えて、眼も確認出来ました。

右目の上に2センチほどの白い傷あとがありました。
 

 持ってきている釣り道具で釣れるのかもしれません。

でも、試すことはしませんでした。

ずっと、このままクロダイの泳ぐ姿を見ている方が心地よかったからです。

 

             (尾郷地区)

 

 使用されていない家を借りて年末から2週間ほど生活をしていました。

電気と水道は使えます。

友人が幼少の頃に暮らしていた家、じいちゃんとばあちゃんが

この島で仕事をして、お金を貯めて建てた家です。

 

 

 私が使っていた部屋はじいちゃんとばあちゃんの部屋です。

古い和箪笥が置かれたままの部屋で私は眠り、風の音を聞き、

鳥のさえずりを聞いていました。

 

    (冬のヒマラヤでも使えるという寝袋を友人から借りた)

 

 じいちゃんはボイラー技士として、ばあちゃんは医療に従事して

この島の人々の生活を支えていたそうです。

 

           (小深浦地区)

 

 私は今まで、海に囲まれた地域で生活をしたことはありません。

私にとっては夢のような日々でした。

 

         (はなぐり岬とはなぐり岩)

 

 この島はとても美しい島です。

瀬戸内海の澄んだ海、岬と入り江が多く存在し、岩場と白砂の浜辺が

島の輪郭を形作っています。

 

       (はなぐり海水浴場 奥に太崋山が見えている)

 

 島全体が瀬戸内海国立公園に指定されています。

山は最低限の開発に留まり、原生林がそのまま残っているように見えました。

標高200m級の山々が連なり、縦走できるハイキングコースも整備

されています。

 

            (深浦漁港)    

 

 海を見ながら散歩が出来るのです。

海面は太陽の光を反射して輝き、まるで海面の上に1本の道が

あるかのように見えます。

 

       (白浜展望岩より 小島が見えている)

 

 濃淡の差がついた群青の海水は白砂の浜で砂を動かし、

波間に白色の模様を作っています。

 

          (はなぐり海水浴場)

 

 同じ風景のように見えても、一瞬、一瞬 景色に違いが生まれます。

生きている景色であり、静物のように見えても、それは全体が動的な

生き物であると感じられます。

 

           (深淵地区)

 

 海原に大型船や漁船が見えます。

その先に見える島、そして もっと遠くに見える陸地。

今までに見たことのない世界、知らなかった世界。

私にとっては、すべてが別世界でした。

 

        (江の浦地区 新笠戸ドッグ)

 

 島は漁業と造船業で栄えてきました。

島の中央部には新笠戸ドッグがあります。

巨大なクレーンが大型船組み立てのため、大きな鋼板を

持ち上げている様は壮観です。

 

         (島側から見た笠戸大橋)

 

 この島は本土と笠戸大橋で結ばれています。

1970年(昭和45年)11月に赤いきれいなアーチが架かりました。

 

         (笠戸大橋から本土を見る)

 

 それまでは、島内での移動や本土との行き来は船しかありませんでした。

島の生活は大きく変わり、便利に、豊かになりました。

 

 

 笠戸大橋の完成をどれだけ多くの島民が待ち望んだことでしょう。

赤い橋は、それこそ本土と島とを結ぶ夢の懸け橋そのものです。

 

      (深浦地区の手前にあった笠戸大橋の絵)

 

 かつて、島には中学校1校がありましたが、2013年に閉校し、

3校あった小学校は2014年に閉校して島から小中学校が消滅しました。

 

          (旧 下松市立深浦中学校)

 

 深浦中学校のグラウンドの向こうは海です。

潮風の中で子供たちは学び、身体を鍛え、成長しました。

 誰もいないグラウンドでは首輪の付けていない犬が1匹いて、

自由に走り回っていました。

 

 

 毎日のように島のあちらこちらを歩き回りました。

誰もいない白浜海岸、はなぐり海水浴場の堤防、釣り桟橋、

深浦漁港の堤防・・島の魚を釣り上げたくて、仕掛けを変えて

釣り方を変えて、複数の場所でやってみたのですが…。

 

        (江の浦地区 白浜海水浴場)

 

            (白浜海水浴場)

 

 

 

 

 私には1匹も釣り上げることは出来ませんでした。

 

            (深浦漁港)

 

            (深浦漁港)      

 

 堤防から魚の群れが見えています。

 

 

         (黒っぽい魚が群れていた) 

 

 ルアーや、ジグヘッドを外して、サビキ釣りに変えても

私の仕掛けに魚が騙されることはありませんでした。

この島の魚たちは、「みごと」と言ってもいいくらい

私よりも頭がいいのです。

 

          (はなぐり海岸 海上遊歩道へ)

 

          (はなぐり海岸 海上遊歩道)

 

         (海上遊歩道にある釣り桟橋)

 

 

 「水温が急に下がったけぇ 魚はおらんよ」と散歩しながら

釣り人たちを見てまわる年配の人が口にしていました。

ひょっとしたら、釣り人に対しての「やさしさ」かもしれません。

「誰も傷つけない」そんな「言い方」もあるのだなぁと思いました。

 

     (リョーユーパンはどれもおいしい)

 

      (はなぐり海岸 海上遊歩道)

 

   (はなぐり海岸 海上遊歩道から見た崖 トンビが旋回していた)

 

 私は3日間にわたり、右目の上に傷あとが残るクロダイの泳ぐ姿を確認しました。

仲間たちは最大で5匹になることもありました。

ずっと、何か食べ物を探しながら砂地と岩場の間を行き来していました。

 

       (画面中央 下を向き食べ物を探すクロダイ)

 

 

 食べなければ生き続けられません。

これは魚も人間も同じです。

目の前にある、偽りのごちそうを口にしようとした瞬間、魚の生命は

終わりに向かいます。

 

       (友人が差し入れてくれた甘酒 うれしかった)

 

      (かなり熟成されていたが健康被害はなかった)

 

 人間の世界にもたくさんの偽りのごちそうが存在していると思います。

物事を考える能力は人間の方が上かもしれません。

しかし、魚は剝き出しの野生で生きている分、日々の生活の中で多くを

学習し、慎重に行動をするのではないでしょうか。

 

 

 ひとつひとつの所作が命にかかわるのです。

そうしなければ、子孫を残せないのです。

種を絶やさず、生息域を広げ、繁栄を目指すのです。

そうさせる能力が野生の本能の中に組み込まれているのだと思います。

 

    (友人からの差し入れ タコの足をかじって食べた おいしかった)

 

          (自由に生きる 犬たち)

 

         (はなぐり海岸 海上遊歩道)

 

 この島は美しい夕陽が見られることで有名です。

太陽は地球のどこから見ても同じものであるはずですが、

海原と島があると、太陽は景色を美しい絵画のように描きだします。

 

 

          (夕日岬 はなぐり岩)

 

 「美しい」という表現が付く場所は世の中にたくさんあります。

普段、自分が暮らす場所や遠く離れた場所、自分のまだ知り得ない場所。

いろんな場所を自分の眼で見てみたいです。

だから、人は旅に出るのかもしれません。

 

         (落 地区のあたり)

 

 島での生活の最終日、残っていたサビキ釣り用に使ったアミ(小さなエビ)

を全部クロダイにあげる事にしました。

 

 

 喜んで食べるかな? と思ったのですが、アミに近づきもしません。

じーっと見ていても、平然と何事もなかったように泳いでいました。

 

 (太陽が笠戸島を照らしだした 2023年の始まりだ  太華山 山頂より )

 

       (笠戸島の赤いアーチの橋が見えている)

 

 美しい島、じいちゃんとばあちゃんが生きたこの島。

ふたりが生きたこの島の景観は少しづつ変わってきていると

思いますが、「美しさ」はずっと変わっていないと思います。

 

           (笠戸島 太華山 山頂より)

 

        (太華山登山道の途中にいるおじぞうさん)

 

 いつでも、ふたりの姿の背景には海がありました。

海が穏やかな日も、曇りの日も、嵐の日も決して海から

離れることはなく、この家で暮らしていました。

 

         (深浦漁港と深浦八幡宮がある森)

 

 

 

 

       (深浦漁港の先にあるサイコロ型公衆トイレ)

 

           (厳島明神の鳥居)

 

          (厳島明神の鳥居)

 

 多くの方々がこの島に魅力を感じて訪れます。

私も、そのひとりです。

よそ者だからこそ、余計この島が美しく尊く、特別なものに

見えているのかもしれません。

 

         (江の浦地区 新笠戸ドッグ)

 

     (国民宿舎 大城のすぐ近く 長岡外史公園)

 

        (国民宿舎 大城のすぐ近く 長岡外史公園)

 

    (国民宿舎にはレストランと温泉がある)

 

 また、この場所に来ることが出来るといいなぁと思いながら

海が見えない私の日常の場所へ向かいました。

 

   (家の近くでよく見かけた白い犬 食パン1枚をくわえて走っていた)

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 12月17日(土)

かねてから一度行ってみたいと思っていた場所へ向かいました。

目的地は東京湾のど真ん中、「海ほたる」です。

神奈川県の川崎市と千葉県の木更津市を結ぶ東京湾アクアラインの途中に

あるパーキングエリアです。

 

 

 本来は車で移動する際の休憩や食事に立ち寄る場所です。

私は東京では車を運転しません。

徒歩や自転車で行くことは出来ません。

でも、行ってみたいなぁとずっと思っていました。

 

 調べてみると、バスを利用すれば行けることが分かりました。

川崎駅と木更津間をバスが運行しているのです。

「海ほたる」で下車して、またバスに乗って戻ればいいのです。

 

 川崎駅前22番線で11時30発の木更津行のバスを待ちました。

15人ほどの方たちが並んでいます。 

よく知らない土地でバスに乗って移動するのはすごく楽しいです。

遠足気分でワクワクしながらバスを待ちます。

時刻表を見ると、だいたい1時間に1本の運行のようです。

 

 ですが、来ません。 バスが来ません。 5分経過しても10分経過しても

20分経過しても、30分経過してもバスは来ません。

待っている人たちの表情が少し、険しくなっているように見えました。

「何か問題が起きているのだろうか? 本当にバスはくるのだろうか?」

40分経過しました。 これまでに並んでいた2人が列から離脱しました。

バスでの移動を諦めて電車を使うのでしょうか?

 

 私が行きたい「海ほたるPA」に電車では行けません。  

厚着をしてきていますが、さすがに身体も冷えてきました。

 

 45分を経過して、やっとバスが来ました。

 

 

 川崎駅前から海ほたるPAまでの運賃は大人片道1100円です。

乗車時間は40分ほどです。

 

 

 東京湾アクアラインは川崎側から海ほたるPAまでは海底トンネルに

なっていて、その先、木更津までは海上の橋になっています。 

 

 

 ずっと、トンネルなので景観は楽しめませんが、トンネルに入るまでの

街を見ながら、何十年も前のことを思い出していました。

 

 この東京湾アクアラインが完成する1997年まで、川崎から木更津とを

フェリーが就航していました。  

車や自転車も船に載せる事が出来ました。

自転車にキャンプ道具を積んで、多摩川沿いに川崎まで走り、船に乗り

木更津の砂浜で1泊して陸路で帰宅したこともありました。 

懐かしい思い出です。

 

 

 

 海ほたるPAに到着しました。

 

 

 あたりまえですが、周りは全部海です。 

大型船に乗っているような錯覚に陥ります。

 

 

 天気はいまひとつ、パッとしませんが、やっとこの場所に来ることが

出来ました。  

 

 

 東京方面の沿岸を見ると右手にスカイツリーが見えました。

千葉方面をみると道路が見えます。  

「橋の上からの移動しながら見える景色もまたいいだろうな」

 

 

 海ほたるは陸上に造られた大型商業施設のように思えてきます。

巨大駐車場がたくさんあり、5階までのフロアーにコンビニやおみやげ屋さん

ゲームセンターやレストランが入っています。

 

 

 

 時間もお昼時になり、お腹がすきました。

最上階の5階の展望スペースの近くの木更津庵という店に入ることにしました。

 

 

 メニューをパラパラっと見ると、値段設定がだいぶ高めです。

でも、海の上にある特別な場所ですからね。

 いいものを見つけました。

「海ほたる天丼」です。 ごはんの上にドドーンと天ぷらがのっています。

エビが2匹もいます。 キス・大葉・カボチャ・ししとう・ナス それに

大きなアナゴがはみだして、今にも海へ逃げ出しそうです。 

ひょっとしたら食材は江戸前かもしれません。 

だとしたら、なおさらいいですね。

 

 

 値段は1880円 !!   8秒ほど、悩みましたがこれに決定しました。

せっかく、「海ほたる」に来たのです。  記念すべき日なのです。

 

 

 1880円の天丼は、高級感のあるおいしさです。

上品な味付けで、天ぷらの油も新鮮でサックサク、具材はふっくら、ふわふわ、

とてもおいしいお昼ごはんでした。  

(飲むヨーグルトは試供品でいただきました)

 

 

 で、ディバックから、無線機を取り出しました。

今日の目的はこれなのです。

 

 

 この場所は東京湾の真ん中にあるため、大きな障害物もなく

沿岸の土地と直線的に結ばれます。 

神奈川・東京・埼玉・千葉はすぐ目の前です。 

感度の良いたくさんの電波が出ているはずです。

 

 受信できるエリアが広範囲になるため、その分 無線交信をするチャンスが

単純に増えます。  

 

 

 栃木県宇都宮市の古賀志山(582.8m)から 強い電波が届いています。 

さっそく呼び出しに応答してみますが、こちらからの電波は届いていない

ようです。 5W出力では弱いのでしょうか。  

432.78MHz で埼玉県奥秩父からの電波を入感しました。

何度か、呼び出しに応えているうちに交信が出来ました。

埼玉県奥秩父の「皇鈴山(みすずやま)679m」展望台からでした。

この場所との距離は直線で89キロ弱あります。

 

 

 先方は空中線電力は10W、私は5W運用です。

私から先方に送ったRSレポートは5と9です。

私のRSレポートは5と2をいただきました。

(電波信号の了解度は最大5 信号の強さは最大9)

「R」は(READABILITY:了解度)「S」は(SIGNAL STRENGTH:信号強度)

よく電波が届いてくれました。

 

 先方は山の展望台からの移動運用でした。 私も移動運用です。

無線機を手にするだけで、こんな出会いが生まれるのですね。

 

 電波は眼には見えませんがこの無線機は、いろんな場所からの

電波と遭遇させてくれます。 

「無線」ならではの面白さだと思います。

 

 

 アマチュア無線従事者の免許の所有者数は300万人ほどで、実際に

稼働しているアマチュア局は37万局ほどだそうです。

今後、どれだけの局長さんたちと交信できるでしょうか。

 

 今日は「無線」を通して楽しい一日を過ごせました。

 

 

 私はハンディ機1台しか持っていませんが、時には無線機を

片手に遠出をして、どこかの誰かとつながり

例え、短い時間でもお話しが出来ることは、とてもぜいたくな遊びだなぁ

などと思いながら、日が沈みかけた「海ほたる」を後にしました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

  

 

 頭の上に青空が広がっているのに、小雨がぱらつく時

「どこかで、きつねの嫁入りが行われている」といつも思っていました。

 

 

 とても不思議な現象です。

特別な力を持つと言われる、きつねだからこそ起こせることなのでしょう。

きつねの嫁入りの日にふさわしい天気だと思います。

 

 

 2022年11月3日(木) 

「きつねの嫁入り」を遂に見ることが出来ました。 

 

 

 

 路地は多くの人たちで埋め尽くされ、その中を厳かにきつねたちの行列が

続きます。

 

 

 

 

 

 

 そして、終盤に婚礼人力車に乗った きつねの新郎と新婦が姿を見せました。

 

 

 

 ふたり(二匹?)の新しい門出を傍らからみつめ、幸せを祈り

この行列を自分の眼で見られた事に感謝をしつつ、ふたりを見送りました。

 

 

 山口県下松市 花岡福徳稲荷社稲穂祭 きつねの嫁入り(第73回)が

3年ぶりに開催されました。

毎年、11月3日 五穀豊穣を祈願して行われる御神幸祭(ごじんこうさい)です。

 

 

 現実の世界であるにも関わらず、目の前の行列はどこか幻想的で

見えない膜のようなものに包まれて、大きくうねりながら塊が移動して

いくように感じられました。

 

 

 

 きつねたちは何故、この行列を見せてくれているのでしょうか。

それを見る里の人々は、どんな思いでこの行列を受け止めているのでしょう。

 

 

 

 下松市の観光ガイドに、この「きつねの嫁入りの行列」が行われる

ようになったいきさつが書かれてありました。

その内容は…。

 

 花岡の上市(かみいち)にある法静寺(ほうしょうじ)の住職はとても

徳の高い人として知られ、多くの人々に慕われていたそうです。

 1724年(享保九年)のある日、徳山(法静寺から8キロほど西にある場所)

出かけ、その帰り道 遠石から久米に出て坂道を越えるところで数珠がない

ことに気づきます。 

日が暮れてしまい、道は暗く、探しても見つけることは出来ませんでした。

 仕方なく寺に帰り、失った数珠のことを気にしながら床に就きました。

時間が経ち、うとうとしていると住職の枕元に何かが立って、こう話します。

「私たちは理由あって、しらむが森で死んだ白きつねの夫婦です。

数珠を届けにあがりました。 

お願いがあります。

私たちの亡骸を人様と同じように寺にひきとってはいただけないでしょうか。 

そうして下されば、お寺や里の人々を災難から守ることをお約束いたします」

という声を聞き住職は眼を覚ましました。

枕元には失くしたはずの数珠が置かれてありました。

 すぐさま、白きつねの亡骸をひきとり人間と同じように手厚く葬り、供養を

しました。 それ以後、この寺に参ると失くし物やたずね物が見つかるという

霊験が数多くおこり、次第に参拝者が増えたそうです。

 

 

 この白きつねの夫婦は福徳稲荷として法静寺の境内に祀られました。

これが花岡福徳稲荷社のはじまりです。

 

 

 

 毎年11月3日は稲穂祭りが行われて、遠くからもたくさんの人々が参詣に

訪れるようになりました。

 

 1950年(昭和25年)から「きつねの嫁入り 行列」が行われるようになり

さらに知名度を上げました。

 

 

※     お断り

 これ以降の記述は「きつねの嫁入り」に関して私が思うことであり、

 すべてが史実に基づいた内容ではありません。

 想像を含めた考察です。

 

 しらむが森は実存する森です。

「白見が森」と書きます。

 

         (現在:野球場とその周辺に広がる森)

 

 現在の遠石八幡宮、周南市野球場(津田恒美メモリアルスタジアム)、

大迫田墓地公園、このあたりにかつては森が広がっていました。 

 

 

 住職が数珠を失くしたことに気が付いた場所は、おそらく

「弥生時代のしらむが祭祀遺跡」があるあたりではないかと思います。

 

 理由あって命を落としたという白きつね夫婦ですが、一体どんな理由が

あったのでしょう。

 

 1724年(享保九年)この年の大きな出来事として「干ばつ」がありました。

松山市の歴史資料の中に、「伊予各地に干ばつ被害多く、雨ごいの千人踊りが

盛んに行われる」とあります。 

愛媛県と山口県、その間に瀬戸内海がありますがこの年、中国・四国地方は

雨が少なく収穫物に大きな影響が出たのではないでしょうか。

 

 

 きつねの食性は肉食です。 

鳥や田畑を荒らし穀物を食べる小動物を主食としますが、食べるものが少なくなると

雑食性になり、人里に近づき残飯やニワトリなどを狙います。

干ばつともなると動植物全体の生態系そのものに影響を及ぼすはずです。 

森で暮らすきつねも例外ではないはずです。

しらむが森の白きつね夫婦の死因は「餓死」ではないかと思います。

 

 

 花岡に伝わる、この白きつね夫婦と住職とのお話しには妙な説得力を

感じます。

不思議なお話しではありますが、どこか現実味を帯びています。

それは、里に生きる人々と森に生きる きつねとの距離感の近さだと考えます。

 

 

 里の人々は、田畑を耕しながら よく きつねの姿を見かけていました。

きつねは穀物を狙う小動物を主食とします。

里の人にすれば、きつねは野菜や稲を守ってくれる有難い存在です。

次第に人ときつねの関係性は深まり、人にとってきつねは特別な存在に

成り得ていたと思います。

 

 

 「お天気雨」の事をいう「きつねの嫁入り」とても不思議な言葉だと思います。

動物たちも結婚式を挙げたりするものなのでしょうか。

この言葉が生まれる背景にきつねは大きく関係しています。

 

 

 かつて、里での婚礼は夕闇が迫る頃に、提灯を持った人を先頭にして

祝い樽・仲人・花嫁・付き添い・両親・親戚の順に列を作り、唄を歌いながら

田んぼ道を歩き、新郎宅へ新婦が嫁入りしました。

暗闇の中で提灯が連なるように見える現象は、婚礼事以外にも起きていました。

 

 地中から「りん」が地上へ出て自然発火する現象です。

液状であれば空気に触れると発火します。

暗闇の山野で「怪火」が揺らめくさまを「狐火」とも呼び、里からみると

まるで嫁入りの行列に見えたそうです。 しかし、実際には嫁入りの行列は

存在せず、おそらくきつねが人を化かしているのだろうと考えられました。

 

 

 この狐火が多く見られた年は豊作になり、少ない年は不作になると言われました。

「りん」は農作物の育成に必要なものであり、土中に生成された「りん」の量が

関係していると思われます。

 

 

 「お天気雨」も同じように不思議な現象です。

上空で雨を降らせた雲が風により移動したり、雲が消滅すれば、地上で雨を

受けた時に頭上を見上げても雲はすでにそこにはなく、晴れ上がった空が見えます。

お天気雨の現象はこうして生まれます。

 

 

 また、山できつねが嫁入りしている様子を里の人たちに見られないように

行列の際に雨を降らせて、人々を家屋に入らせているのだという説もあります。

まさに、お天気雨=きつねの嫁入り を説明できる内容です。

 

 農村部では人ときつねはとても近い関係を持って、それぞれが生きていました。

お互いの生活の中で認め合い、共に暮らしてきたのです。

不思議な現象や神がかりな説明のし難い出来事はおそらく、きつねによるものだ

と考えて、帳尻を合わせてきました。

 

 

 花岡のきつねの嫁入りの行列を見て、改めて人と自然の深い結びつきを

考えさせられます。 

生物が地球上で生き続けるために必要なものは、「自然」であり、

同じ命を持つ者は互いに「認め合う」ものである と

この御神幸は伝えているのです。

 

 

 

 このきつねの嫁入りの行列を初めて見て、真っ先に疑問に思った事は

なぜ、「葬式」ではなく「嫁入り」なのだろうか? ということでした。

白きつねの夫婦は「祝言を挙げさせてほしい」とは言っていません。

 

 里の人は探し物が見つかり、災いから守られて生活出来るのはすべて

白きつね夫婦のおかげだと考えました。

人々は白きつね夫婦に深く感謝をして、慈愛を持って祀ってきました。

手厚く葬り、戒名をつけ、白きつね夫婦が望むように人と同じ供養を

しました。  立派な葬式も行われたはずです。

 

 そうした中、住職や里の人々はもっと白きつね夫婦に感謝を伝えたい

と思ったのではないでしょうか。

 多くの人たちが皆一緒に、白きつね夫婦と豊作を願い、災いを避けて

安全に、楽しく生きていけるように、ずっとこの幸せが続きますように。

という思いが「きつねの嫁入り 行列」という形におさまったのでは

ないかと考えます。

 

 

 歴史に残る、伝承には慣習、風俗、信仰、伝説、知識、技術などが

詰まっていて、文化的に価値があるものだと思います。

とても魅力的でもあります。

 

 「きつねの嫁入り 行列」はこの先も廃れることはなく、いつまでも

この花岡で語り継がれ、ずっと続いていくことでしょう。

 

 

 

 いろいろと調べている中で面白いことを知りました。

「お天気雨」のことを「きつねの嫁入り」というのはいかにも日本的だなぁ

と思っていたのですが、実は海外でも似たような表現が存在するようです。

 

 マレーシア → 「きつねの嫁入り」 

 スリランカ → 「きつねの結婚式」 

 韓国 → 「きつねの雨」又は「トラの結婚」

 インド →「ジャッカルの結婚」又は「サルの結婚」

 フランス →「オオカミの結婚」

 

 不思議な現象を動物と結び付けて考えることは万国共通のようです。

事象の根底には、土地の人たちのどんな思いがあるのでしょうか。

すごく興味深いことです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 2022年10月1日(土) 新幹線に乗り、また仙台に向かいました。

今回は短期間の滞在で済む仕事なので気が楽です。

 

 新幹線は「はやぶさ」に乗れば目的地に早く着くのですが、この日は

急ぐこともなく、のんびり出来るので「やまびこ」の自由席にしました。

20分ほど到着が遅くなるだけです。 料金も安くなりますからね。

(「はやぶさ」は満席に近くても、自由席だと意外に空席もあります。)

 

 大宮駅から、おばちゃんグループが乗車してきました。

4人くらいかな、大きなリュックを背負って、各自空いている席に着きました。

2列席の私の隣にもひとりの方が座りました。

赤い30リットルほどのリュックを足元に置き、周りをキョロキョロして仲間が

座れたかを確認しているようです。  

 私と眼が合いました。

メガネの奥で、まん丸い眼がよく動く、人懐こそうな方でした。

70歳くらいの方なのかなぁ。 登山用の靴とズボン、シャツに帽子、

「山ガール」そのものです。

「山に行かれるのですね」つい言葉が出てしまいました。

隣の方は、気さくに答え始めました。

「山というほどでもないですけど、ハイキングみたいなものです…」

「どこまで行くんですか?」

「今回はね、福島の安達太良山、吾妻小富士、五色沼、あと水族館…」

予定を書いた、小さなノートを広げながら私に教えてくれました。

「吾妻小富士は福島駅に入る時に進行方向左手に見えてきますよ」

「そうなの?」 「種まきウサギ」の民話はご存じですか?

春先に吾妻小富士の雪渓がウサギの形になって、里の人々に

種まきのタイミングを知らせてくれる ことを話しました。

スマホで検索してウサギの姿の画像をみせたら、しきりに「かわいい」

連発していました。

おばさんは、私の話を聞いてメモ帳を開き、吾妻小富士の項目の所に

「種まきウサギ」と小さく書きました。

この方が元気でいられる秘訣を垣間見たような気がしました。

おそらくですが、いろんな事に興味を持って現地に行って、体験して、

その経験を糧に日々の生活を楽しんでいるように思えました。

 

「いいですねぇ、いろんな場所に行けて…」

「年金生活で時間があるしね、あなたもお金をたくさん貯めときなさい」

「…そうですね。」

 

 話しをしていると、おばちゃんはコンパクトカメラを取り出して、この夏に行った

北海道旅行の画像を見せてくれました。 網走刑務所、釧路の湿原の花々、

民族博物館の展示されているキタキツネ、ぼんやりと映っている丸いものが見えました。

「これは…?」「満月がきれいだったの」 

 

 話しを聞いているうちに、このおばちゃん(他のおばちゃんたちも含めて)は

とんでもなく、すごい方(たち)だと気がつきました。

ピレネー山脈(フランス・スペイン)の麓のトレッキングに参加していました。

娘さんの結婚式の出席の際にハワイに行って、マウナケア

(日本のすばる望遠鏡がある山)に行っていました。

コロナの影響で3年間分のパスポートが損したとしきりに言っていました。

日本、国内でもあちこち行っているようで、富山の立山連峰、埼玉の武甲山、

私が知っている山の名前を挙げるとだいたいは、行ったことのある山でした。

もちろん、高尾山や陣馬山には何度も行かれていました。

驚いたのは、高尾山から陣馬山まで縦走して、高原下のバス停からバスに乗ると

お金がかかるので、そのまま高尾山に戻ってきたと言っていました。

 私は高尾山から陣馬山まで歩いただけで足が痛くなって帰り道が大変に

なりました。 

ですが、このおばちゃんはあの片道17キロ弱の縦走路を往復したと言うのです…!

いくらお手軽なハイキングコースとは言え、余程、丈夫な足と精神力がなければ

往復など出来ないと思います。  

恐ろしく強靭な足です。 すごいことだと思います。 

 

 話しを聞くと、トレーニングがてら10階のマンションの階段を歩いて

登るようにしていると言っていました。 地道な努力があるからこそ、健康体を

維持できているのですね。  すごく立派な方だと思います。

 

       (2022年10月1日 福島 吾妻小富士)

 

 郡山を抜けて、福島に到着する時に、吾妻小富士が見えてきました。

デッキにいるおばちゃんと手をあげてお別れしました。

 

         (2022年10月1日 福島 吾妻小富士)

 

 仲間たちと一緒に新幹線を降りていきました。

5泊6日の旅だそうです。

天気がいいといいですね。 きっと紅葉もきれいでしょうね。

 

           (2022年10月1日 仙台駅)

 

 仙台に着いてからは晴れの日が続いています。

 

 食事はコンビニのお弁当か、仕事場の食堂です。

 

 

 仕事場からちょっと歩いて、生協のスーパーに行ってみました。

ここで見つけたお弁当です。  牛タン重弁当 580円  意外に安いですね。

ご飯は麦飯でした。 牛タンはうすーく切られてあります。 

「何年かぶりの牛タンだなぁ」 かみしめながら食べました。  

 

 

 ちくわパン(ちくわの中にツナとマヨネーズ入り)というのを食べてみましたが

パンにはちくわよりもソーセージが入っている方が好きだな という感想です。

 

           (2022年10月5日 仙台)

 

 東京に戻る 10月5日(水) ホテルをチェックアウトしてから向かったのは

青葉山公園です。 この日は、あいにくの雨になりました。

 

         (2022年10月5日 仙台 広瀬川)

 

 それほど重くはありませんが、荷物を全部持って傘をさして雨の中を歩くのは

大変でした。 

 

 

 でも、気温が下がってきているおかげで坂道を歩いていても、それほど

苦にはなりませんでした。 

(前回は日差しが強く、気温も上がり大汗をかき、坂道の途中で気持ちが悪くなりました)

 

 

 

 

 

 で、また CQを出してみました。 

(無線で話している方はいますが、終わりそうにない会話が延々と続いています)

周波数を変えて、再度コールをしたらうっすらとノイズと共に反応がありましたが

感度がよくなくて、交信には至りませんでした。 

 

 

 9月と10月、二度に渡り青葉山公園からCQを出しましたが空振りでした。

伊達政宗騎馬像がない城跡でのCQの実践練習となりました。 

 

 

 元気に、健康に過ごしていれば、また次の機会が巡って来るかもしれません。

 

 

 青葉山公園の三の丸・堀跡にある沼の名前は「五色沼」です。

 

 

 

 

 福島の「五色沼」にも行ってみたいなぁと思いながら、東京に戻りました。

 

         (2022年10月5日 仙台 広瀬川)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

 

 

 

 

 

 

         (2022年8月20日 東京ビッグサイト)

 

 2022年8月20日(土) 予定通り、この日開催されていた

「2022 ハムフェア」に行きました。 

会場は東京ビッグサイトです。 

 

 

 けっこう混み合うのかなぁと思いながら会場へ向かいます。

まずは入り口前の受付でJARLへの入会手続きを済ませます。

3年分の会費を納入しました。 (20400円) 

催事での入会手続きには特典があります。

JARLへの入会金(1000円)ハムフェアへの入場料(会員1000円・一般2000円)

は免除です。 

正会員になれたので、これで交信をした相手局もJARLに入会していれば

交信証明証(QSLカード)をJARL経由で転送してもらえます。

 

 よかったなぁ、これで自分の電波を出せる準備が整いました。

 

 

 ハムフェアってどんな感じなのでしょう? 

私はあまりオタク系ではないので、こういう何かに特別な関心を持っているとか

特別に好きな対象とかの集まりごとには参加したことがありません。

 

 

 会場内には多くの企業や団体・個人のブースが並んでいます。

出店されて並べられている商品は最新の無線機器、過去に活躍していた

中古無線機、無線機用の部品、関連する周辺機材が展示・販売されていました。

そして私からすれば、会場内にいるほとんどの方々がハムの世界の先輩たちです。

年齢層は高めですね。 

大人と一緒に来ている子供たちが、いずれアマチュア無線界を支えるのでしょうね。

 

         (アンテナと一体化した方がいました) 

 

 

 早めの時間に来たということと、新型コロナの影響もあるのか、あまり会場内は

混みあっている印象は受けませんでした。

 

 

 見覚えのある企業名の看板を見つけました。

QCQ企画です。

私は第二級陸上特殊無線技士の資格をQCQ企画の講習を受けて取得しました。

ひょっとしたら、その時の講師の方がいるかな? と思いブースに行ってみました。

知っている講師の方はいませんでしたが、質問コーナーを開設していて

参加するとオリジナルバッグをいただけるというので、バッグ欲しさに

参加しました。  

 私の質問:まだ、交信をしたことがないのですが、何を話せばいいのでしょうか?

 講師の方の答え:世間話です。(笑) 何でもいいんですよ。 

 私の質問:お互いのコールサイン、電波の感度、明瞭度、周波数、交信の場所、

      時間をチェックすれば、交信は成立したことになるのでしょうか?

 講師の方の答え:その通りです。 

  ハンディー機の無線機しか持っていないこと、家が賃貸(しかも1階)なので

屋根にアンテナを出せないこと、など些細な疑問に丁寧なアドバイスを

いただきました。

 講師の方:今、無線機をお持ちですよね? CQ出してみましょうか?

 今日、会場に来ている方々はけっこうな割合で無線機を持ってきているはずですよ!

 私:無理ですよ。 こころの準備が整っていません。

 講師の方:大丈夫ですよ。 思い切ってやればいいんです! 

 

  うーん、せっかく、交信の準備が出来たのですから実践してみたい気持ちも

あるのですが、たくさんの方々が聞いているだろうし、うまく話せるはずもないし、

恥ずかしいし…。 

 

 という気持ちが正直なところですが、初交信のために今までYoutubeで交信の

様子を見たり、時間があるときに公園に行って他の方々の交信のやりとりを聞いて

勉強してきたのも事実です。 出来ればこの日に初交信をしようと思って

来ていました。

でもなぁ…。 なんかなぁ…。 

 

 

 とりあえず、バッグをもらえたから帰るか…。

今日のいい記念になるなぁ 来てよかったなぁ 楽しかったなぁ)

 

 会場を出て、ベンチに座りパンを食べながら無線機の電源を入れるとガンガン

電波が出ています。  みなさん、すごい熱気で交信しています。

 

 

 今日はアマチュア無線家の祭典だものな…。 

自分がこの中に入っていけるのだろうか…。 

 

 ポツポツと小雨が降ってきました。

無線機は防水だけど、濡らしたくないな…、帰ろう。 

 

 駅に向かう途中、なんか弱気な自分が嫌になってきました。

このまま、帰ってしまったら初交信は出来ずじまいです。

人気のないベンチに座り、もう一度無線機を取りだしました。

このまま帰ったら、自分の負けです。 

 

 勝ち負けの勝負ではないのでしょうが、思い切って、

私のアマチュア無線家としての扉をこじ開ける事にしました。

 

 たくさんの無線家たちの会話が聞こえてきます。

誰のところに応答すればいいのだろう?

なるべく、早口ではない方(早口だと私にはコールサインが聞き取れません)、

やさしそうな方、初心者に対してマウントしてこないような紳士的な会話を

している方を探しました。

 

 よさげな方がいたので、前の方との交信を終えて、続けて他の誰かを

呼んでいるタイミングで、思い切って自分の無線機の送信ボタンを押しました。

(あっ、押しちまった!)

 

 「JH1〇〇〇/1 こちらはJK1NRW/1 ジュリエット キロ ワン ノベンバー 

  ロミオ ウイスキー ポータブル ワン JK1NRW/1です とれますか?」

 (噛まずに言えた)

 「JK1NRW 早速の応答ありがとうございます… 」

 相手局の方も同じ会場付近からの交信でした。

感度、明瞭度 抜群です。(おそらく500mくらいしか離れていないと思います)

 

 この交信が初めての交信であること、今日 JARLに入会したこと、を伝えました。

相手の局長さんは、ハムフェアに合わせて記念QSLカードを発行しているそうで

お互いのQSLカードの交換も約束できました。 

 

「これからの無線ライフを末永く楽しまれるように」と言っていただきました。

こういう、さりげない一言が言えるのはさすが、大先輩だと思います。

 

 初交信は、しどろもどろになりながらも、なんとか無事に成立させることが出来ました。

 

 いずれ、この交信を証明するQSLカードがJARL経由で届くはずです。

 

 そして…。

 

      (2022年9月5日 仙台駅 小雨)

 

 出張で9月5日(月)から仙台に3週間滞在していました。

 

    (仕事場にある自販機でみつけた 餅入りのアンパン)

 

 なぜか、やたら忙しくて休みもなく連日仕事です。

(働き改革って、私にはあまり関係はないようです。)

 

 

 

 9月18日(日)午前中だけ時間をもらって青葉山公園へ行きました。

 

          (巨大な鳴子こけし  西公園)       

 

                      (西公園からの広瀬川)

 

 

 是非とも、エリア7で交信が出来たらいいなぁと思いながら坂道をのぼります。

 

 

 

 

              (仙台城跡)

 

 せっかくなので、初CQ(自分から電波を出して相手局を探すこと)を出して

みることにしました。

ちょっと、吹っ切れてきました。 

 

 (伊達政宗 騎馬像は2022年3月の震度6強の地震で傾いたために現在修復中)

 

         (修復完了予定は2023年3月だそうです)

 

 

 まずは呼び出し周波数 145.00 MHZからだな。 

「Hello CQ CQ CQ こちらはJK1NRW/7  2メーター です。

 どちらかのステーションで入感がございましたら応答願います。

 145.080 で再度コールいたします…。」

 

 再度コールしても…。

 

 

   … し~ん …。 

 

 時間帯が悪いのか反応はありませんでした。

残念ですが、タイミングもありますからね。

 

 

 全国、各地のQSLカードを揃えられたら楽しいだろうなと思います。

頻繁に電波を出すことは出来ませんが、のんびりと楽しんでいきたいと思います。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

※  エリアナンバーというのは(地域番号)です。

日本の場合は、各地方総合通信局の管轄地域を表しています。

 

エリア1は 東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、群馬県、

      栃木県、山梨県 

エリア7は 青森県、秋田県、岩手県、宮城県、山形県、福島県 です。

 

 

 

            (2022年9月18日 広瀬川)

 

 

 

 

 7月27日(水)から8月9日(火)まで私は山間(やまあい)の

地域で生活していました。

 

 

 

 友人が別荘を使わせてくれたのです。

山間部の集落を抜け、そこから更に奥へ入った場所にその建物はあります。

 

 

 立派でしっかりとした作りのログハウスです。

日常の生活では味わえない特別な時間を過ごすことが出来ました。

 

 

 周りはみごとに山に囲まれています。

近くには高速道路が山を貫き、民家があり、田んぼもあり、のどかな場所です。

聞こえてくるのは、清流の音と鳥の鳴き声とセミの鳴き声くらいです。

 

 

 

 いつもの自分の生活スタイルは通用しません。

あって、当然と思えるものがここにはありません。

上下水道ありません。 ガスないです。 

当然、インターネット回線ありません。

ありがたいことに電気はあります。 

掃除機と扇風機と小型のラジオがあります。

 

 

 生活しているうちに、なければなくても生きていけることを実感できます。

欲を言ったらキリはないのです。 ないものはないのです。

 

 その代わりといっては変ですが、ここの環境ならではのものが存在します。

熊、毒ヘビ、スズメバチ。 

なんとにぎやかなのでしょうか。 

 

 

 、お腹をすかせた熊は時折、人里に顔を出すようです。

山道ではよく見かける、熊出没の注意勧告のプレートですが

人の生活圏で、このプレートを見たのは初めてでした。

大きな体を維持するために食事は大切ですからね。

 

 

 毒ヘビ、ヘビは自らが生き残るために毒を持ち進化してきたのです。

すばらしい生命の力を感じます。

 

 スズメバチ、人の手が届かない高い場所に立派な巣を作ります。

その巣の模様はもはや芸術です。 

人間が作り出すことが出来ないものをスズメバチは作れるのです。

 

 ログハウスの中にいれば危険はありません。

問題は外に出る時です。

ドアを開けて、左右、上下、足元前方、キョロキョロ見渡します。

目の前の草むらに山の仲間たちがいるかもしれません。

 

 

 歩くときに毒ヘビに噛まれることを前提に長靴を買いました。

雨や雪が降っていなくても長靴は活躍してくれます。

 

 滞在中、毎日外気温は上昇し、携帯電話には熱中症アラートが届きました。

汗もかきます。 とても健康的です。 

汗をかき体温を調節できる私の身体は健全に機能しています。

 

 

 食器を洗うのと衣服の洗濯は川を利用します。

外に出るとすぐに、スズメバチが近くに飛んできます。

帽子をかぶり、首にはタオルを巻いて防御しますが、ブーンという

大きな羽音が近づくと生きた心地がしません。

ハチは私がどんな生き物なのか偵察しているのでしょうね。

 


 

 清流はふんだんな水量で流れも速いです。

周囲の山々には膨大な水が蓄えられているようです。

熊やヘビが水浴びをしていないだろうなとか、大きな桃が流れてこないかなとか

思いながら、常にキョロキョロ警戒しながら行動します。

 

 

 友人が車で周辺の施設を案内してくれました。

温泉、スーパーマーケット、図書館。 

どこの道を通り、どの方向に進むのか、必死で頭の中に入れます。

 

 温泉があるのはとても有難いことです。 翌日、さっそく行ってみました。

温泉は山をひとつ越えた場所にあります。      

ちょっと距離がありますね。  

 

 

 私の移動手段は徒歩です。 

車で走っている分には恐怖心はなかったのですが、徒歩だと恐怖心に

押しつぶされそうになります。

私を守ってくれるのはこの熊避けの鈴だけです。

 

 

 友人は鈴をガンガン鳴らして、手をたたき、歌いながら歩けばいい 

と教えてくれました。  

相手の立場になって考えてくれる、とても優しい人です。

 

 

 田んぼを越え、民家の前を通り過ぎ、くねくねとした細い山道を登ります。

歩く人も、走る車もありません。 

今日は武器となる枝も棒も持っていません。 丸腰です。 

もし、私の身に何か起こったら…。  

この場所を歩いている自分が悪いのでしょうね。

自己責任だよな…。 

 

 

 振り返ってみれば、それなりに愉快な人生だったな。 

この先の仕事や資格取得の予定も入っているけど…。

まぁいいか…  よくないか…。

 

 

 小一時間ほど歩き、私は無事に温泉に着くことが出来ました。

 

 

 

 石船温泉 : アルカリ性単純温泉、無色透明においもありません。

        適応症 神経痛、関節痛、筋肉痛、冷え性など 

 

 

 内風呂と露天風呂があります。

露天風呂の湯船は石を積み上げて作られています。 

かわいいカエルくんがいる温泉です。 

 

 

 温泉の中で肌に触れると、滑らかにすべることはなくキュッと抵抗を

感じます。 今までに体験したことのないやわらかな温泉でした。 

 

 

 火曜日と年末年始は定休日です。

露天風呂は奇数日は男性、偶数日は女性が利用できます。

 

 食事も出来ます。

メニューの中から野菜炒め定食を選びました。

 

 

 汁物はうどん・そば 温かいものか冷たいものを選べます。

「おいしいな、命がけでここまで来たかいがあったぞ」

 

 滞在中、この温泉には何度もお世話になりました。

ただ、通う道は山の中の危険そうな最短距離の道は避けて、2時間ほど歩く

事になりますが、走る車となるべく遭遇する安全そうな県道の峠道にしました。

 

 

 温泉で働く年配の女性は、私が肌身離さず身に付けている熊避けの鈴の音を

「いい音ですね」と褒めてくれました。 

 

 

 地元の人たちは鈴を付けていません。(主に移動は車でしょうから)

散歩中の犬は私を不審がり、二度見、三度見します。

熊と出会ってからでは遅いのです。 鈴は必要なのです。 

 

 

 とんかつ定食です。

安全に健康でごちそうを食べられることほど幸せなことはないように思います。

「とんかつっておいしいなぁ、値段は高めだけどおいしいなぁ」

 

 

 途中の川で鮎釣りの方を見かけました。

おとりの鮎を使って釣る「友釣り」の仕掛けではないようでした。

仕掛けを見せてもらいました。 

 

 

 ただ釣り針がついているだけの単純な仕掛けで鮎をひっかけて釣るのだそうです。

 

 

 釣り人が使っている自分の偏光サングラスを外して、私に見せてくれました。

偏光サングラスで見ると、水の中までくっきりと見えます。

鮎が泳ぐ姿も確認出来ました。 

 

 

 仕掛けの上を鮎が通過するのをじっと待つだけです。

水面下の鮎を上から見てタイミングを計り、釣り竿をサッとあげます。

こういう釣り方が出来るほど、この川には鮎がいるということなのでしょうね。

 

 

 聞こえてくるのは清流の音と川で子供たちがはしゃぐ声、そして

セミの鳴き声と鳥のさえずり。

 

 

 電線には今年生まれたツバメがまだ生え揃わない翼で飛ぶ練習をしています。

 

 

 田んぼでは稲が実り始めて、その上をトンボが群れて飛んでいます。

 

 

 

 せせらぎには蛍が幼虫時代に食べるカワニナがいて、ハヤのような魚やドジョウが

います。 

 

 

 ここはいいところですね。

 

 

 車で走れば、海はすぐそこにあります。

遠浅のきれいな砂浜がありました。  

 

 

 澄んだ海水の中ではフグの子供や枯れ葉のように見えるツマジロオコゼ

の幼魚がいました。 実際に見たのは初めてです。

海草が茂っている場所でもない砂の上に、幼魚たちがいるのですね。

 

 

 

 ここはいいところですね。

 

 

 友人が車を走らせて、名所を案内してくれました。

ひまわりの畑、瑠璃光寺、船平山、島根県津和野の太皷谷稲成神社。

 

 

    (ひょっこりはん?)

 

  (私を守ってくれた帽子とタオル)

 

  (熊避けの鈴を付けていたバッグ)

 

       (いつ見ても美しい 瑠璃光寺 五重塔)

 

(大内の殿様にまたここに来ることが出来ますようにと祈願した)

 

                             (島根県津和野 太皷谷稲成神社)

 

                         (島根県津和野の町 太皷谷稲成神社より) 

 

             (船平山よりの眺望)

 

 山々に囲まれた場所に水田があり、川が流れ、ところどころに民家がある。

桃源郷というものがあるとしたら、こういう所にあるのかもしれないなぁ

と思えてきます。 

本当に何処かにあるのだろうか、ないのかな、あるのかな、ないのかな。

 

              (船平山にて)

 

 滞在中の楽しみはFMラジオでした。 

ログハウスにいる時はほとんど、ずっと聞いていました。

ラジオ体操、天気予報、人生相談、定時のニュース、歌謡番組、プロ野球中継。

ヤクルトスワローズのつば九郎くんが史上1羽目の2000試合出場達成イベントが

行われた8月5日の巨人戦は面白かったなぁ。

9回裏でヤクルトが大逆転するのではないかと思いました。

 

 

 普段、自分が生活している場所を離れると物事は何もかもが新鮮になります。

些細なことでも、貴重な発見になります。

 

 

 中国自動車道を走行中、野生の猿の家族と出会いました。

子供を連れて道路を横切ろうとしていました。

親は大口を開けて、何か叫びながら、眼は移動する車を凝視したままです。

私とずっと眼が合ったままです。

必死に子供を守ろうとしていました。

こんな懸命に生きている相手の邪魔だけはしてはいけないと瞬時に頭に浮かびます。

 

 ログハウスから外に出た時にシマヘビがいました。

毒ヘビではない分、こちらは冷静になれます。

ヘビと眼が合いました。 

その時に思った事が自分でも不思議なことでした。

「まん丸い眼で意外にかわいい顔をしているなぁ」と思えました。

とてもハンサムなヘビに見えました。(性別は分かりませんけど)

ヘビに対して、こんな気持ちになったことは今までありませんでした。

 

 なぜでしょうか。

ログハウスの中にこんな置物が飾られていて、それを毎日見ていたからでしょうか。

 

 

 

 人をはじめ、この地球に存在する生物はみな同じ命を持って生きています。

本来は同じ自然の摂理の中で生きていたはずなのですが、人はちょっとばかりの

賢さがあったせいで文明というものを築き、人とその他の生きものみたいに

分け隔てた考えで生きるようになっているのではないでしょうか。

 

 

 人は傲慢になり過ぎているのではないのか。

 

 

 猿に道を譲り、ヘビにも道を譲る。

熊とはなるべく出会わないように、人が気を付けて行動する。

懸命に生きている者の進路を妨害したり、動物だからとか

弱い相手だからとか一切関係がなく、相手の未来の夢や希望を

踏みつぶしてはならないのです。

これは人同士でもいえることなのです。

 

 

 もっと謙虚さを持って生きるべきではないのか。 

 

 

 きれい事なのだろうなぁ、現実的な話しではないのだろうなぁ

と思う一面もありますが、ログハウスでの生活は

私にこんな思いをもたらしたのでした。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。   

 

 

 

 

 2022年4月30日(土) 

第4級アマチュア無線技士の受験をしました。

正式な合否発表は5月6日にメールで通知が届きました。

(免許申請に必要な受験番号が記されている正式な通知がないと先へは進めません)

すぐに、免許申請をしたかったのですが、その頃は出張で静岡にいたために

東京に戻ってからの申請になりました。

 

 5月12日(木) 

無線従事者免許申請書に写真を貼り、1750円の収入印紙を貼って、免許証が同封

されてくる返信用封筒に84円の切手を貼り、それを入れて、受験地を管轄する

関東総合通信局へ郵送しました。

 

 6月1日(水) 

免許証がポロンと入れられた封筒が私の家のポストに入っていました。

免許証を確認します。 

 

 

 第二級陸上特殊無線技士の免許証とデザインは同じです。

この免許証は写真の書き換えもなく、このまま一生涯使用することになります。

容姿は時間と共に変化すると思いますが、なんとなく面影があればいいのでしょうか?

 

 受験をしてから免許証が手に入るまで1か月かかりました。

無線の免許証はなかなか時間がかかるものなのですね。

無線従事者免許証を手に入れたので次は無線の開局申請です。

開局申請のためには、自分の免許証番号と使用する無線機器の

スプリアス技適番号が必要になります。

 

 実は実践用無線機器は試験の前日に、すでに手に入れていました。

アイコムのID-51Plus2 です。 

 

 

 

 デジタル機でGPSロガーとしても使えるし、交信や音声の録音も出来ます。

ラジオを聞くこともできます。 

 

 

 ネットにつなげば遥か彼方の無線局と交信が可能になるはずです。

現行機種はこの後の上位機種が発売されていますが、無線機の大きさが

若干大きくなり、重量も増したようなので(機能は充実していると思いますが)

私はそのひとつ前の無線機にしました。

 あまり、使用されていなくて付属品が多いものを見つけることが出来ました。

さんざん迷いましたが、思い切って買ってしまいました。

(まだ資格試験を受けてもいないのに購入するのは結構勇気が要りました)

 

 

 無線の開局申請をするために、自分の免許証の番号と使用する無線機を記載して

(スプリアス技適番号)総務省へ電子申請するのですが、それを行うために事前にやること

があります。

 

 「電波利用 電子申請・届け出システム Lite」のページに入れるように

自分のユーザーIDと仮パスワードを出してもらいます。

https://www.denpa.soumu.go.jp/public2/index.html

 

 

 6月1日(水) 申請を済ませました。 

この事前申請はパソコン上で出来ますが、ユーザーIDと仮パスワードは

本人確認等の審査を経てから、ハガキで郵送されてきます。 

 

 6月7日(火) 

ユーザーIDと仮パスワードが記されたハガキが届きました。

これで、電波利用や電子申請などのページに入れるようになります。

すぐにホームページに行き、とりあえず、仮パスワードを自分のお気に入りの

記号と文字に変更しました。

 

 自分の個人情報と無線交信で使用する予定の機器の技適番号や出力ワット数

などを明記して申請しました。 申請手数料は2900円かかりました。

 

 ここからが長いです。

Liteのホームページ画面で自分が申請したものが現在どのようになっているのかを

確認できるのですが、しばーらくの間は「審査中」のまま動きがありません。

 

 だいたい3週間くらいかかるようです。

その後、審査が終了したので「開局免許状」を郵送する返信用封筒を送ってください。

との連絡が入ります。 開局免許状は横20センチ×縦14センチほどの大きさです。

定型の封筒を返信用封筒にすると折りたたまれて郵送されてきます。

(折り目を付けたくない方は大きな封筒を使用してください。)

 

 それからだいたい、1週間くらいで待ちに待った免許状が郵送されてきます。

私が手にしたのは7月9日(土)でした。 

封筒を手にしても、すぐに開ける事が出来ず、ドキドキしました。 

なぜなら、この開局免許状に私のコールサインが明記されているからです。

「どんなコールサインになったのかなぁ???」 

事前に下調べをした段階でJK1〇〇〇だろうなぁと思っていました。

「J」は日本 Japanの「J」 「K」は関東で6月の段階で使用されているらしい文字だと

いう情報がありました。 「1」は申請者を管轄する通信局のエリアを示す番号です。 

関東は「1」 になります。   

 問題は残りの3文字です。  

「言いやすく、噛まないようなものがいいなぁ」と思いながら免許状を確認しました。

 

 

 初めはどこに記載されているのか見つけられませんでした。

よーく見たら、右上の端っこにこじんまりと書かれてありました。

 

 

「うぉ!! JK1 ここまでは予想通りだ。 んっ? NRW 」

「ジェイ ケイ ワン エヌ アール ダブリュー」

「まぁ、噛まずに言えるかな?」

 この自分のコールサインは交信中、10分に1回は明らかにすると電波法で

決められています。 

実践運用が始まったら数えきれないほど言うことになると思います。

 

 「ジェイ ケイ ワン 〇〇〇」という伝え方の他にフォネティックコードでも

伝えます。  正確にコールサインを伝えるためです。

私の場合 ジュリエット キロ ワン ノベンバー ロミオ ウイスキー」

となります。 「コールサインの中にジュリエットとロミオがいる」

と友人に伝えたら、 

「Kは愛車のKei だね! Wは愛犬 whitefang のWだ!」

と、教えてくれました。  その方は通称Nです。

 

 なんか、よく分かりませんが、いいコールサインをいただきました。

世界中にたったひとつの、私だけのコールサインです。 

(基本的に免許状と同じく5年間は有効です。その後は免許状の更新と共に

継続してゆくことになります)

 

 開局免許状と共に電波使用料の支払いの振替用紙が入っていました。

電波使用料はアマチュア無線1局に対して年間300円です。

5年間分で1500円納付しました。 

 

 開局も出来たので、これで晴れて自分の電波を出すことができます。

ですが、アマチュア無線の習わしというか慣習としてお互いの交信記録証を発行する

ということがあります。 QSLカードの交換です。

もちろん、絶対やらなければならないというものではありませんが、私自身も交信した

相手方との交信記録証を手にしてみたいので、その準備が済んでから交信しようと思って

います。 

 

 この交信記録証は日本アマチュア無線連盟JARL  https://www.jarl.org/ 

に入会していれば、自分の発行した交信記録証QSLカードを相手方に

転送してくれます。(手作業なので時間がかかるらしい)

それ以外にはネットを使っての電子QSLカード交換も行われています。

こちらの準備も進めたいと思っています。

 

 現在の私の予定では8月20日(土)と21日(日)に東京ビックサイトで

2022年ハムフェアが開催されるのでそこへ行き、窓口でJARLに入会します。

 

 

 こうした催しのタイミングで入会するとクオカードのプレゼントや入会費の免除や

ハムフェアへの入場が無料になったりします。  絶好のチャンスなのです。 

https://www.jarl.org/Japanese/1_Tanoshimo/1-3_Ham-Fair/2022/Ham-Fair.htm  

その頃までに、自分のQSLカードを作ろうと思っています。

 

 今のところこんな感じにしようかなと思っています。

 

 

 交信記録用の専用ノート ログブックも用意しました。

 

 

 ものすごく、時間がかかっていますが一歩一歩 前に進んできています。

フォネティックコード、Q符号、無線機の操作 まだまだ分からないことだらけで

頭の中に入ってはいませんが、秋頃までにはハムデビューを果たしたいと思っています。

(ハムだち100人できるかな?)

 

 ちなみに、私のコールサインの前使用者は1985年に免許状を取得された方だった

ようです。  1999年にアマチュア無線を辞めたようで返納されたコールサインだと

いうことがわかりました。  

何かの縁があって、このコールサインは私の元へやってきたのだろうと思います。

大事に使っていきたいと思っています。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 静岡での仕事を終えた翌日、どうしても行ってみたいところが

あったのでそこへ向かいました。

久能山東照宮です。 徳川家康公の墓所です。

 

 久能山東照宮を実際に自分の眼で見る機会を得て本当によかったと思いました。

どうしても日光東照宮と比較して見てしまいがちですが、それぞれの場所の

歴史があるし、その形を残すに至ったいきさつや家康公の考えを知ることで

400年近く経った今でも、風化しない家康公の熱き思いを感じます。

戦国の時代を終わらせ、安寧の世を願い、実現させた家康公。

その存在はとてつもなく大きく揺るがないものだと感じました。

 

 

 これまで私は、家康公の墓所は日光東照宮だと思っていました。

広大な敷地の中に それはそれは豪華な本殿・石の間・拝殿が

一体化されたみごとな権現造りで、極彩色に彩られた たくさんの

木彫り像の装飾に眼を奪われました。

さすが、天下人ともなるとお墓も豪華なものになるのだなぁと思いながら

見たことを思い出します。

 

 

 朝の8時過ぎにホテルをチェックアウトして静岡駅南口のコインロッカーに

荷物を預けて、しずてつジャストライン石田街道線、22番のバス乗り場へ

向かいました。

静岡駅南口からバスで久能山東照宮へ向かうことにしました。

駅から歩いても2時間ほどで行ける場所のようでした。

 

 

 久能山東照宮へ向かうには静岡駅から東大谷まで行き、乗り換えて久能山下の

バス停で降りると私のgoogleナビが教えてくれました。

 

 

 東大谷(ひがしおおや)のバス停で降りて乗り換えになるのですが、時刻表を見て

みると目的のバスに乗れるのは2時間以上後でした。ずいぶんのんびりした運行です。

 

 

 私が時刻表をじーっと見ていると、停車していたバスの運転手さんが

声を掛けてくれました。

久能山東照宮は、この場所から4キロほど先になると教えてくれました。

 

 

 歩くことにしました。  

バスで30分近く走っているので半分以上 目的地へは近づいているはずです。

海岸沿いに行けば、きっとわかるでしょう。

のんびり、とことこと歩き出しました。

 

 

 

 海を右手に見ながら歩きました。

左手の住宅地側には、いちご街道とか書かれた看板がいくつか立っていました。 

いちごが特産品なのでしょうかね。

 

 

 海岸に出られる場所があったので砂浜に出てみました。

この海岸の左手方向の先に、三保の松原があります。

 

 

           (三保の松原のはちまき石の仲間)

 

 ちょっと期待をしたのですが、この場所からは富士山は見えませんでした。

2月に三保の松原に来た時は富士山がきれいに見えました。 

空を舞う天女にも出会うことが出来ました。

懐かしいな。

 

 

 約1時間ほど歩くと交差点に出ました。

久能山東照宮の看板も見えました。

 

 

 観光客用の駐車場やお土産屋さんがあり、その先の正面に大きな石鳥居が

見えました。 

そして整然とならぶ石段が見えました。 

久能山東照宮の入り口です。

 

 

 

 歩いても歩いても石段は続きます。

案内板によると全部で1159段あるようです。 結構ありますねぇ。

 

 

          (三保の松原のはちまき石の仲間)

 

          (210段目  / 1159 を示すプレート)

 

 久能山東照宮は駿河湾に隣接した標高216mの久能山の上にあります。

石段は延々と続きます。 しかし、段差は歩きやすい高さと幅です。

多少、息は切れますが無理なく歩ける参道です。

 

 

 それにしても、ずいぶんな傾斜地に東照宮を造ったものだと思います。

日光の東照宮はほとんどが平坦地です。 

この違いには、何か意味があるのでしょうか・・。

 

 

 元々、この場所はお寺だったのだそうです。

推古天皇の頃(592-628)この山の麓に久能忠仁が久能寺を建立します。

後に、永禄11年(1568年)武田信玄が駿府に進出して久能寺を矢部(静岡市清水区) 

に移します。(現在の鉄舟寺) 

そして久能城となります。 

 

 

 その後、武田氏の滅亡と共にこの地は徳川の手に渡ります。

 

 

 家康公は、大御所として駿府で暮らしていた頃に、この久能山は駿府城の

本丸である と考えていたそうです。

その時代、大阪(坂)城には豊臣家の復興を狙う 秀頼、淀君がいました。

 

 

 西に大井川、東に富士川、北に赤石山脈、南に太平洋という土地の条件は

軍事的な視点で見ても絶好の場所です。

たとえ何者かが攻めてきても急峻な山であれば防御には最適です。

 

 

 また、東海道もあるし、川もあり、海に接している駿府の地は交易の場所として

優れていると家康公は考えていたようです。  

駿府を国際交易の港としての開発も考えていました。

 

             (一ノ門  大手門跡 )

 

 久能城へ向かう石段から見える駿河湾の景色は家康公の考える未来を描くための

巨大な屏風のように映っていたかもしれません。

 

 

 家康公が駿府で亡くなったのは元和(げんな)2年4月17日(1616年)です。

亡くなる前に家康公は遺言を残していました。

 

       (駿府城公園 家康公像)

 

 元和(げんな)2年4月2日 

本多正純・南光坊天海 (なんこうぼうてんかい)・以心崇伝(いしんすうでん)に

自らの死後の対応を指示しました。

 

 

「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、

三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に

小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」   

(江戸時代初期の僧侶が記した『本光国師日記』 より)

 

 大樹寺  :家康の父親 松平家先祖代々の菩提寺 

 下野     :(しもつけ)栃木のこと 

 勧請     :(かんじょう) 神仏の霊を他の所へ移し迎えてまつること 

 関八州  :(かんはっしゅう)江戸時代、関東か国の総称

      相模 (さがみ) ・武蔵 (むさし) ・安房 (あわ) ・上総 (かずさ) ・

      下総 (しもうさ) ・常陸 (ひたち) ・上野 (こうずけ) ・下野 (しもつけ) 

 鎮守   :(ちんじゅ) その土地を抑えて、鎮めて護ること

 

 その遺言に従い、家康公の御遺骸は久能山に埋葬されました。

不思議に思うのは通夜もせず、その日のうちに棺は久能山へ埋葬されていることです。

この日は雨が降っていたという記述もありました。

 

 (久能城の築城時に掘られた井戸  山本勘介が掘ったと言われている)

 

 

 亡くなったのは4月17日 午前中のようです。

それから遺体の処置が行われ、正装の姿で座り、四角い棺におさめられます。

駿府城から久能山へは人目を避けるように最低限の少人数で運ばれたと思います。

駿府城を出たのが午後、久能山入口へ到着するのは夕方近くになるはずです。

さらに、雨の中 険しい坂道を登らなければなりません。

松明を手にして、担ぎ手たちは大汗をかきながら重い棺を運んだかもしれません。

 

 

 元和2年(1616年)5月 二代将軍秀忠公により久能山で東照社(現・久能山東照宮)が着工されます。

 

 

 元和2年(1616年)7月13日、後水尾天皇 (在位1611~29)が家康の神格化を

勅許し、権現号の宣下も容認しました。

 

               (楼門)

 

             (東照大権現の扁額)

 

 元和3年(1617年)2月21日 朝廷から神号「東照大権現」が宣下されます。

 

 

 これにより、家康公は人から神になりました。

 

 

 そして元和3年(1617年)12月 東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営されました。   

山の上という地理的に条件が厳しい土地に絢爛豪華な本殿と石の間と拝殿が

一体化した権現造りの建造物が誕生しました。

 

 

 

               (日枝神社)

 

 

                (拝殿)

 

 

 

 当時の時代の芸術・技術の粋を極めたものです。

繊細な木彫り、色使いは圧巻です。 

 

 

 後に日光東照宮をはじめ、日本各地に東照宮が建造されますが、この

久能山東照宮はいちばん初めに造られた最も歴史が古いものということになります。 

 

 

 

 正保2年(1645年)11月3日 朝廷から東照社に宮号「東照宮」が宣下されます。

以降、「久能山東照宮」の通称が成立しました。

 

 東照宮:東を照らす(東方薬師瑠璃光)如来が神となって姿を表したという意味

     東国・関八州を見守るという意味合いが込められている

 

 

 

 

 

               (廟門)

 

 拝殿・石の間・本殿の裏手に神廟があります。

廟門をくぐり、右手の石段をのぼります。

 

 

 

                (神廟)

 

 正面に灯籠が見えてきます。

そして、その後ろに静かにたたずむ宝塔があります。

高さ5.5m 外廻り8m の家康公の神廟です。 

 

 

 思っていたよりもこじんまりしているように見えました。

この宝塔の下に家康公の御遺骸が埋葬されているのか…。

 

 

 神廟は西向きに造られています。

棺の中にいる家康公も正面の西を向いています。

 

 

 神廟の正面に自分が立ち、宝塔を直視すると ちょうど家康公と

向き合う形になります。

 

 

 家康公はこっちを見ているのだな。  私も眼をそらすまい。

しばらくの間、私はこの場所に立って宝塔を見つめていました。

 

 

 東照大権現  なぜ、家康公は神になったのでしょうか…。

人として劇的な人生を送り、天下を治めました。

それだけでは物足りなかったということなのでしょうか。

 

 自分が築いた泰平の世を今度は神として見守りたかったのでしょうか。

 

 

 元和3年(1617年)3月15日

家康公の遺命に従い久能山から日光山への遷座が実行に移されます。

 

 「日光市史」の中では、家康の御霊を乗せた神輿は元和3年3月15日に

久能山を出て4月4日に日光山の座禅院に到着、儀式を経て正式に鎮座した

とあります。
改葬の行列は、よろい兜に身を包んだ武者や、やりを抱えた兵ら総勢千人に

及んだとされています。

 

 遺言の「勧請せよ」とは簡単に言うと神さまの引っ越しです。

神となった家康公は久能山から日光へ移りました。 

 

 この派手な霊遷(改葬)行列により、徳川幕府の威光を民と諸大名に知らしめた

ことになります。

 

 

 今なお、解明されていないことがあります。

それは、家康公の御遺骸はどこにあるのか? ということです。

勧請をしたので御遺骸は日光東照宮にあるという考えが一般的でした。

本当にそうでしょうか?   勧請は神さまの引っ越しです。

御遺骸は人間であった証のもの。 

神様は霊なのですから、もう御遺骸とは離れた存在になるのではないでしょうか。

 

 

 これはあくまでも私の考えですが…。 

日光への勧請では家康公の御遺骸は移動していないと思います。 

行列で運ばれた神輿の中に入れられていたものは、亡くなった時に着ていた

衣服の一部か髪の毛、爪など 別に保存していたものではなかったのかと思います。

 私なら一度埋葬した棺を掘り出して、長い時間をかけて御遺骸を移動させたいとは

思いません。

 

 久能山東照宮、日光東照宮 神廟の内部を確認しない限り、この謎は

解明されることはありません。  

解明する必要もないと思います。 

 

 神となった家康公は久能山東照宮、日光東照宮をはじめとする日本全国の

東照宮に東照大権現として祀られています。 

いつでも、どこにでも存在しているのです。

 

 

 家康公が神となるにあたり、事前に緻密な計算がなされていたことが

うかがえます。

その礎となっているのは風水の考え方です。

 

 要点となる場所と場所を結ぶと、そこに意味が浮かび上がります。

 

 

 久能山東照宮の神廟は西向きに造られ、棺の中の家康公も西を向いています。

この場所から西の方角には 家康の父母である松平広忠と正室・於大の方(伝通院)

は子授け祈願の参籠をしたという鳳来寺(愛知県新城市)があります。

 

 参篭 :(さんろう)一定の期間 昼夜こもって祈願すること。おこもり。

 

       (岡崎城 ← 鳳来寺 ← 久能山東照宮)

 

 さらにその西に松平家の菩提寺・大樹寺(愛知県岡崎市)があり、家康 誕生の地

岡崎城があります。

故郷に眼を向けていると言われていますが、朝廷のあった京や、豊臣勢の残党を

含めて大坂(現:大阪)などの西国に睨みをきかせているという説もあります。

 

            (江戸 → 日光東照宮)

 

 そして、日光の場所を地理的に見ると江戸から見てほぼ真北の方向になります。

これは不動の星 北極星とを結んでいます。

北極星は古代中国では宇宙を主宰する神にあたります。

「天子南面す」の言葉通りに君主は北極星を背にして南向きに座り、神と一体となり

国を司どるとされてきました。

 

 夜になると日光東照宮 陽明門の真上には常に北極星が見えます。

家康公は久能山で西を睨み、日光で関八州を護る権現となりました。

 

 権現 : 天台宗の山王神道で薬師如来の神格化したもの

 

 また、久能山東照宮と日光東照宮とを結ぶとその間に富士山があります。

富士山は不老長寿信仰の霊峰「不死」の山です。

 

        (久能山東照宮 → 富士山 → 日光東照宮)

 

 久能山から不死を経て日光へ結ばれる線は、あまりにも出来すぎていて

みごとです。

 

 

 久能山東照宮の拝殿は南西を向いて建てられています。

その時、私たち参拝者は北東を向いて拝むことになります。

その直線上には富士山があり、さらに日光までへと向かうよう計算されています。

 

 

 さすが、天下人、家康公だと思います。

普通の人が生きる地平の高さに目線はなく、果てしなく高い天からの目線で物事を

考えています。  もはや、この時点で神がかっていると感じます。

 

  久能山東照宮とを結ぶ線は、もうひとつ存在しています。

 

          (JR静岡駅北口 家康公像)     

 

 

           (JR静岡駅北口 竹千代君像)         

 

 静岡駅北口に置かれている、差配を持った家康公とちょっと離れた場所にある

竹千代君像を結び、そのまま伸ばしていくと…久能山東照宮へと結ばれます。

 

     (静岡駅北口 家康公像 → 竹千代君像 → 久能山東照宮)

 

(google map上ではちょっとズレがあるような…)

 この線の意味は何でしょうか。

「余を感じたければ久能山へ参れ」ということでしょうか。

 

     

 家康公がなぜ自身の遺体を久能山へ埋葬してその後に、

日光へ勧請せよとしたのか…。

その理由は「家康公が人から神となる道筋を作るため」

ということになると思います。

では、久能山東照宮と日光東照宮 

このふたつの場所をどう受け止めたらよいのでしょうか。

 

 ずっと答えが出ないまま、悶々としていましたが久能山東照宮の

宮司さんのインタビューの記事でその答えを見つけることができました。

 (現名誉宮司 第12代宮司 落合 偉洲(ひでくに)さん) 

「久能山東照宮は、いわば墓地であり」「日光東照宮は仏壇である」と。

確かに、日光東照宮は派手で豪華でとても贅沢な巨大な仏壇のように思えます。

そして、歩きやすく一度に多くの参拝者を招くには適した場所です。

 

           (三保の松原 2022年2月)

 

 家康公にとって、駿府は本当に慣れ親しんだ愛着のある土地です。

だからこそ、静かに身体を安置する場所として

久能山を選んだのではないでしょうか。

 

 

 

 久能山東照宮の神廟から出ようとして石段を降りたのですが、廟門まで行き

もう一度引き返しました。

何か、見落としているような…気がしてならなかったからです。 

 

 

 今、ここから離れたら、またこの場所に来られるかどうかはわかりません。

ひょっとしたら、これが最初で最後の参拝になる可能性もあります。

かと言って、ここにずっといるわけにも行かず、どうしたものかなぁ と

思いながら、もう一度 家康公の宝塔に眼を向けていました。

周りを歩いてみたりしていると、とんでもなくうれしくなるような物を

見つけました。  

 

 

 鋳物で作られた燈籠のレリーフです。

なんと、ここに天女が描かれていました。(個人的には大スクープです)

燈籠の周りを天女が舞っていたのです。

 

 

 

 

 刻まれた文字をみると 元和3年4月17日 とあります。

作者は 江戸鋳物師(えどいもじ)大工 椎名伊為(伊与?)とありました。

 

 

 調べてみると、「天明鋳物(てんみょういもの)」と言われるもののようでした。

下野の国 佐野天明(栃木県佐野市)の土地で作られた作品、佐野の鋳物師

(いもじ)によって作られた作品を指すようです。

おそらくこれは、家康公に召し抱えられた佐野の鋳物師がこの久能山東照宮の建造の

折にも深く関わっていることを示している証だと思います。

 

 ちなみに日光東照宮の奥宮にある家康公を祀る宝塔は天明鋳物師の椎名伊予守

(しいな いよのかみ)により制作されたものです。

 

 

 灯籠に灯りがともるとき、天女はゆらめく炎に映し出され舞を披露してくれます。

ほほえんで見ている家康公の顔が思い浮かびます。

「一 富士、二 鷹、三 茄」 家康公が愛した駿府を代表するものです。

富士山、鷹狩のできる場所、おいしい なすび。

 

       ( ロープウエイで日本平へ向かいました )

 

 

 

 

 

 日本平の巨大アンテナの下部にある展望回廊に設置されてあるベンチで

昨夜の夜にコンビニで買ったパンを食べながら家康公のことをぼんやりと

考えていました。

 

 

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

幼少期に織田家や今川家の人質となりますが、その時に培われた忍耐力や知識により

乱世を生き抜き、そして遂には 天下統一を果たしました。

倹約家・新しいものが好きといった好奇心旺盛な性格と伝えられています。

感情が豊かで人間味があふれる人だったのだろうと思います。

 

 

  ずっと、ずっと、生き続けたかったのだと思います。

生きていきたくて、そのためには人としてではなく神になれば

生き続けることが出来ると考えたのかもしれません。

人として生きた御遺骸はそのまま(久能山に)安置されていますが、

不死を選んだ家康公の魂は片時も休むことなく、この国の安泰を願い

今も、これからも護り続けていくのだと思います。 

 

 食べている横で、ふっと人の気配がしたのですが…。

そばに誰かがいるわけもなく、視線をあげるとそこには天女が舞う

澄んだ駿府の空が見えていました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 ※ JR静岡駅からしずてつバスで 日本平行き → 日本平下車 (およそ35分)

                 日本平ロープウエイ → 久能山東照宮(およそ5分)

                                                                            という行き方もあります。 

 

 参照 : 久能山東照宮 Wiki

              日光東照宮  Wiki

      後水尾天皇   Wiki 

      国立公文書館 徳川家康 将軍家所蔵からみるその生涯 

      寺社観光地域協議会 「平和の礎を築いた男」

              ニッポン旅マガジン「徳川家康の遺体はどこにある?」

      公益社 偉人たちの終日 著:歴史ソムリエ 澤村栄治 

      静岡・浜松・伊豆 情報局 

      miteco. みてきてつながる しぞ〜かネット

       Communication Board      コラム・楼蘭抄 

              まっぷる トラベルガイド 

      現身日和(うつせみびより)家康は日本を守護するために神になった 

      「徳川家康の神格化」(平凡社)著:野村 玄

            大阪大学大学院文学研究科准教授

       日光市史 /  レファレンス協同データベース 

       下野新聞 電子版

       HP  栗崎鋳工所  

               HP  刀剣ワールド 

 

 

 

 

 

 2022年4月30日(土) 

朝からいい天気になりました。

昨日までの雨のせいもあり、肌寒さはありますが洗濯日和です。

時間は11時過ぎです。 

 

 

 新宿西口に来ましたが、歩く人もまばらな感じがします。

大型連休の始まりということもあるのでしょうね。

 

 

 目指す場所は第四級アマチュア無線技士の試験会場です。

あるビルの8階フロアが試験会場になっていました。

 

 イメージ的に試験というと、どこかの大きな会場でたくさんの方たちが

決められた時間に、一斉に始めるという感じでしたが、今回はまるっきり違います。

自分の都合の良い場所と日にちと時間を事前に予約を入れて、それに合わせて

受験者がその場所へ行き、パソコンに向かい受験を済ませるというシステムです。

 

 CBT(Computer Based Testing)方式による受験システムが導入されて試験の

形態も大きく変わってきています。

 

 郵送されてくる受験票に自分の写真を貼って試験会場に持参するという

ことも必要ありません。 

ぷらーっと行って、身分証明をして、荷物・スマホ・時計・ポッケの中にあるもの

すべてをロッカーに入れて、パソコンが何台か並んでいるブースに入り

目の前のパソコン画面で試験の流れを確認してから、自分で勝手に試験を始めます。

筆記用具はA4サイズの白紙1枚とボールペンが使えます。(試験後すべて返却)

制限時間は試験で決められた時間がありますが、試験をスタートした瞬間から

タイマーがカウントダウンを始めます。 

確かにこれなら、一斉に同じ時間で始めなくてもよくなります。

 

 技能試験や口述試験は難しいかもしれませんが、回答を選択するもので

あれば、このシステムで十分事足ります。  

 

 試験を主催する側にしてみれば、受験票や合否通知の発送、問題用紙の準備・

印刷、広い試験会場の確保もなくなり、相当楽になるはずです。

 

 この日、第四級アマチュア無線技士の試験の他に、英語検定三級の試験も

同じ場所で行われていました。

 

 第四級アマチュア無線技士の資格取得の方法は2つあります。

国家試験を受験して合格するか、養成課程講習を受講して修了試験に

合格するかです。

今年の2月に、第二級陸上特殊無線技士の資格を養成課程講習を受講して

取得しました。

この資格でドローンを業務として飛行させる事ができます。

遊びで飛行させるのであれば第四級アマチュア無線技士の資格が必要です。

(資格なしで飛行可能なドローンもあります)

今、ドローンを飛ばしたいという気持ちはありませんが、せっかくなので

この資格を取得しておきたいと思いました。   

 

 養成課程講習 を受講した場合 21500円 (2日間実施、免許申請代込み)

 国家試験                5397円 (受験料のみ)

 

 料金の大きな差を感じますが、養成課程講習を受講したほうが、

確実に資格を取得できるはずです。

ですが、今回の資格取得は国家試験を受けることにしました。

 

 いろいろと考えているうちに、無線の通信に興味が湧いてきました。

資格を取得出来たら無線局を開局して、実際に運用もしてみたい

と思えてきました。

そのためには無線設備を揃えないといけないわけで、資金も必要です。

なるべく抑えられるところは抑えて、無線機や周辺機器、必要なもの

の購入に充てることにしました。 

3月末に第四級アマチュア無線技士のテキストを購入しました。

 

 

 試験項目は 無線工学 12問出題  (8問以上の正解で合格)

       法規   12問出題  (8問以上の正解で合格)

 試験で両方の得点が8問以上正解していないと合格になりません。

                (科目個別の合格はありません)

 

 

 試験の問題は基本的には過去に出題されたものからの選出です。

私が購入したテキストには、無線工学の過去問がおよそ 234問 

             法規の過去問が  およそ 114問 

 が取り上げられていました。  

 

 テキストの1巡目は時間をかけて黙読、2巡目はノートに問題と正解と

解説を書き写しながらの写経作戦、3巡目はノートとテキストを確認。

合間にネットに出ていた試験問題検定練習を続けました。

試験当日は朝の5時半に起床。 

家を出る10時半までひたすらノートで要点を確認。 

今までになく、真面目に受験勉強をしました。

(すべては必要最低限の支出で抑えるためです)

 

 試験はパソコンやスマホでのアンケート調査に答える時とほぼ一緒です。

問題の下に答えとしての候補が4つ挙げられています。

正解だと思う項目の数字をクリックして回答をします。

 

 実際に始めてみると、意外にあっさりとしたものばかりでした。

振幅変調した場合の変調度とかアンテナの固有波長とか計算するような

問題は出題されませんでした。  たまたまなのでしょうか…。  

 

 試験開始から何分間か経たないと退室出来ないという決まりもないようで

すべての問題に答えて、パソコン画面でログアウトしたらその時点で試験は

終了です。

画面にスコア表の印刷というボタンが出てきて、それを押すと試験結果が

出ます。  試験終了から結果発表まで一瞬です。

さすがコンピュータです。  

 

 自分の結果が印刷された紙をスタッフから受け取り、試験はすべてが

終了です。    

 

 

 結果として合格することができました! 

後日(3週間後くらい)、正式な合否判定の通知のメールが届くことになっています。

合格できてよかったなぁと思ったのですが、あまり実感がわきません。

 

 自分としては、行ったことのない場所で、同じ目標を持った

同士たちの中に身を置いて、共に同じ問題に取り組む というのが好みです。

しかし、このCBT方式は試験を実施する方も、受験する方も楽ですね。

新型コロナの感染対策もあるわけで、今後 この方式は増加すると思います。

 

 

 12時30分頃、試験を無事に終えたのでお昼ごはんにしました。

良い結果も出ているので、奮発してごちそうを食べに行きました。

 

 

 「新宿」から都営地下鉄新宿線で「九段下」へ、半蔵門線へ乗り継ぎ、

「水天宮前駅」で下車しました。  

 

 

 

 3番の地下通路から地上に出ると目の前にあるのは、あの「どんどん」です。

中国地方をメインに展開している、とてもおいしいうどん屋さんです。

 

 

 

 どんどんのうどんを食べるのは今回で2度目です。

前回と同じ「肉天うどん」に加え、コロッケとナスのてんぷらを食べました。

お祝いを兼ねた、とても贅沢な昼食になりました。  

 

 

 やはり、おいしいです。 

でも、ちょっとエビが小さい感じです。

確かに、味わい深い出汁です。 でも、ちょっと薄味に感じました。

(箸袋がなかったです。 経費削減でしょうか。)

 

 

 関東エリアに一軒だけしかない貴重な「どんどん」です。

この記念すべき日に、この店で食事をする事が出来て本当によかったです。

 

 

 せっかくなので、「どんどん」の近くを散策しました。

隅田川大橋を深川方向へ向けて渡ります。

 

 

 右手に見えるのは永代橋です。  

なだらかで均整のとれたアーチが美しいですね。

この先に東京湾が広がります。

 

 

 

 隅田川大橋を渡り切り、Uターンして今度は隅田川の上流側を

見ながら歩きます。

 

 

 ぴょんと立っているのは東京スカイツリーです。

それと形に特徴がある清洲橋が見えます。

 

 

 

 隅田川大橋の中央付近まで歩いて来た時に、おもしろい風景に出会いました。

 

 

 

 「こ、これはDSB(A3E)の周波数成分を示した図 そのものではないか!」

(分かってくれる人だけ分かってくれたら、それでいいです)

 

 

  DSB(A3E)電波の周波数成分:搬送波、上側波帯及び下側波帯

 

 

 「きっと、今日はいい日なんだろうなぁ」と思うのですが

あまり、達成感や実感がないまま、電車に乗り家に戻りました。

 

 

 今後は正式な第四級アマチュア無線技士合格通知を待って、

無線従事者の免許申請をします。

無線従事者免許証が手元に届いたら、次は開局申請です。

使用する無線機の無線設備に基づいて、申請をして手続きが終了したら

自局の呼出符号(コールサイン)が記載された無線局免許状を手にする

ことが出来て、これで初めて自分で電波を送信出来るようになります。

おそらく3か月近くの時間がかかると思います。

試験はあっという間に終わりましたが、これから先の行程は長そうです。

 

 テキスト代      :  1200円 

 無線従事者免許証申請 :  1750円 

 使用する無線機    :(自分の運用スタイルに合わせて) 〇〇〇〇円 

 開局免許状申請    :4級アマチュア(電子申請)       2900円

 電波使用料(年間)  ;  300円 

 

 (他に)

 JARL会員登録 年間会費      : 入会金 1000円 年会費 7200円 

 QSL (交信記録証)転送費       : 年間 3600円 

 QSL(交信記録証) カード作成  : (自分の好みに合わせて) 〇〇〇〇円 

 

 お金もそれなりにかかります。 その分、楽しまないといけませんね。

 

 電波法施行規則に規定する「アマチュア業務」の定義です。

「金銭上の利益のためではなく、もっぱら個人的な無線技術の興味によって

行う自己訓練、通信及び技術的研究の業務をいう」

 

  日本無線協会 : https://www.nichimu.or.jp/ 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

            ( 中国地方にて )

 

 移動の途中で、衝撃的なものと出会いました。

 

 これです。

 

 

 肉天うどん 570円 です。

 

 テーブル席について、ほどなくすると店の女性店員さんが運んできてくれました。

目の前に置かれたうどんの湯気から、ほんのりと甘い香りがたちこめてきます。

思っていたよりもボリュームがあります。

牛肉が器の半分の面積を占めています。

大きなエビ天がどどーんと のっかっています。

 

 割り箸を袋から取り出して、パチッと割りました。

うどんに七味唐辛子をかけます。

トレーの端に、小さめの器に入れられたネギが見えました。

全部のネギをうどんの上にのせました。

 

 

 この店は地方都市でよく見かける商業施設の中にあるお店です。

チェーン店のようですが、私は初めて入る店でした。

うどんの「どんどん」 一度聞いたら忘れない店名です。

 

 

 うどんの麺を2本ほど箸でつまんで、軽くふうふうしてから

口に運びました。 

 

            ( どんどん HPより )

 

 「おっ、こ、これは…」

口の中に深い味わいが広がります。

麺が滑らかでおいしいです。  とても上品な麺です。

麺は柔らかめに感じましたが、ふんわりとしていながらも

歯ごたえがあります。 

外側の柔らかさと麺の中心部の柔らかさが違います。

麺にコシがないように思わせておきながらの隠しコシというのか

まるで多重構造の麺のように思えました。

 

             ( どんどん HPより )

 

 つるっとして食べやすいです。  

小麦粉がいいのか、水がいいのか、塩がいいのか、作り方なのか

何をどうすれば、こんなにおいしい麺が出来上がるのでしょうか。

 

              ( どんどん HPより )

 

 出汁が絡んだ麺が口の中に入ると、舌の上に今まで見えていなかった

世界が広がります。 眼を閉じると大海原で泳ぐカツオの大群が見えます。 

鰹節の細かい粒子が舌の上で踊ります。 

使われている鰹節の量が多いです。

それと、濃厚なとろりとした感触があります。

いい昆布が使われているのはすぐに感じました。 

ぜいたくな出汁です。 栄養満点のスープです。

 

 牛肉と一緒に麺を食べると…。  うんまい! 

おいしい、完璧な肉うどんが完成されています。 

 

 エビもいましたね、大きいです。

身はプリプリしています。 鮮度が高い証拠です。

エビの衣は麺や出汁と味がぶつかり合わないように控えめです。

かなり細かく、味覚と触感が計算されている「肉天うどん」です。

 

             ( どんどん HPより )

 

 この商品が570円で採算が取れるのでしょうか。

チェーン店ならではの工夫があるのでしょうね。

 

           ( どんどん HPより )

 

 感想:「働きたくなるほどおいしい 肉天うどん」です。

私のおいしさ表現で、この「働きたくなるほどー」が付く場合は

最上級のランクになります。

 

 

 私がこの店で働き、「毎日まかないを食べ続けたい」という事です。

 (「どんどん」からすればただ、ただ迷惑な奴になると思いますが…)

 

 この店の決まりとして、食べ終えたら食器はトレーのまま自席に置いて

おくようでしたが、あまりのおいしさに感激した私は自分でテーブルを拭き

トレーを持ち、会計のカウンターにいた女性店員さんへ渡しました。

「すんごく、おいしかったです! ごちそうさまでした!」

 

 予期していなかったのか、多少 驚いた様子で笑顔をかえしてくれました。

 

 江戸に戻り、調べてみると関東に一軒だけこの系列のお店がありました。

全国制覇はこれからのようです。

この「どんどん」のうどんのおいしさは全国で受け入れられるはずです。

私が言うのですから間違いありません。 

 

            ( どんどん HPより )

 

 おいしい食べ物に出会えることは「幸せ」です。

 

 割り箸が入れられてあった袋は日付を書いて、本のしおりとして活躍しています。

                     (貧乏くさい…)

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。