寝起きしている家から90歩ほど歩くと、目の前に海が広がっています。
水面下にクロダイが泳いでいる姿を見つけました。
砂地から岩場の方へ移動して食べ物を探しているようでした。
(画面中央にクロダイ と それを見ている私)
私は40分ほど、クロダイの動きをじっと見ていました。
その周りに1匹、もう1匹と姿を現しました。
(食べ物を探す クロダイ)
クロダイは私が一度釣りあげたい憧れの魚です。
チヌとも呼ばれ、野性味のあふれる魚です。
船に乗り、海上に出なくても堤防からも狙える魚です。
いつか釣り上げたいなぁと思っていた魚が眼下に悠然と泳いでいます。
海水が澄んでいるので頭部が見えて、眼も確認出来ました。
右目の上に2センチほどの白い傷あとがありました。
持ってきている釣り道具で釣れるのかもしれません。
でも、試すことはしませんでした。
ずっと、このままクロダイの泳ぐ姿を見ている方が心地よかったからです。
(尾郷地区)
使用されていない家を借りて年末から2週間ほど生活をしていました。
電気と水道は使えます。
友人が幼少の頃に暮らしていた家、じいちゃんとばあちゃんが
この島で仕事をして、お金を貯めて建てた家です。
私が使っていた部屋はじいちゃんとばあちゃんの部屋です。
古い和箪笥が置かれたままの部屋で私は眠り、風の音を聞き、
鳥のさえずりを聞いていました。
(冬のヒマラヤでも使えるという寝袋を友人から借りた)
じいちゃんはボイラー技士として、ばあちゃんは医療に従事して
この島の人々の生活を支えていたそうです。
(小深浦地区)
私は今まで、海に囲まれた地域で生活をしたことはありません。
私にとっては夢のような日々でした。
(はなぐり岬とはなぐり岩)
この島はとても美しい島です。
瀬戸内海の澄んだ海、岬と入り江が多く存在し、岩場と白砂の浜辺が
島の輪郭を形作っています。
(はなぐり海水浴場 奥に太崋山が見えている)
島全体が瀬戸内海国立公園に指定されています。
山は最低限の開発に留まり、原生林がそのまま残っているように見えました。
標高200m級の山々が連なり、縦走できるハイキングコースも整備
されています。
(深浦漁港)
海を見ながら散歩が出来るのです。
海面は太陽の光を反射して輝き、まるで海面の上に1本の道が
あるかのように見えます。
(白浜展望岩より 小島が見えている)
濃淡の差がついた群青の海水は白砂の浜で砂を動かし、
波間に白色の模様を作っています。
(はなぐり海水浴場)
同じ風景のように見えても、一瞬、一瞬 景色に違いが生まれます。
生きている景色であり、静物のように見えても、それは全体が動的な
生き物であると感じられます。
(深淵地区)
海原に大型船や漁船が見えます。
その先に見える島、そして もっと遠くに見える陸地。
今までに見たことのない世界、知らなかった世界。
私にとっては、すべてが別世界でした。
(江の浦地区 新笠戸ドッグ)
島は漁業と造船業で栄えてきました。
島の中央部には新笠戸ドッグがあります。
巨大なクレーンが大型船組み立てのため、大きな鋼板を
持ち上げている様は壮観です。
(島側から見た笠戸大橋)
この島は本土と笠戸大橋で結ばれています。
1970年(昭和45年)11月に赤いきれいなアーチが架かりました。
(笠戸大橋から本土を見る)
それまでは、島内での移動や本土との行き来は船しかありませんでした。
島の生活は大きく変わり、便利に、豊かになりました。
笠戸大橋の完成をどれだけ多くの島民が待ち望んだことでしょう。
赤い橋は、それこそ本土と島とを結ぶ夢の懸け橋そのものです。
(深浦地区の手前にあった笠戸大橋の絵)
かつて、島には中学校1校がありましたが、2013年に閉校し、
3校あった小学校は2014年に閉校して島から小中学校が消滅しました。
(旧 下松市立深浦中学校)
深浦中学校のグラウンドの向こうは海です。
潮風の中で子供たちは学び、身体を鍛え、成長しました。
誰もいないグラウンドでは首輪の付けていない犬が1匹いて、
自由に走り回っていました。
毎日のように島のあちらこちらを歩き回りました。
誰もいない白浜海岸、はなぐり海水浴場の堤防、釣り桟橋、
深浦漁港の堤防・・島の魚を釣り上げたくて、仕掛けを変えて
釣り方を変えて、複数の場所でやってみたのですが…。
(江の浦地区 白浜海水浴場)
(白浜海水浴場)
私には1匹も釣り上げることは出来ませんでした。
(深浦漁港)
(深浦漁港)
堤防から魚の群れが見えています。
(黒っぽい魚が群れていた)
ルアーや、ジグヘッドを外して、サビキ釣りに変えても
私の仕掛けに魚が騙されることはありませんでした。
この島の魚たちは、「みごと」と言ってもいいくらい
私よりも頭がいいのです。
(はなぐり海岸 海上遊歩道へ)
(はなぐり海岸 海上遊歩道)
(海上遊歩道にある釣り桟橋)
「水温が急に下がったけぇ 魚はおらんよ」と散歩しながら
釣り人たちを見てまわる年配の人が口にしていました。
ひょっとしたら、釣り人に対しての「やさしさ」かもしれません。
「誰も傷つけない」そんな「言い方」もあるのだなぁと思いました。
(リョーユーパンはどれもおいしい)
(はなぐり海岸 海上遊歩道)
(はなぐり海岸 海上遊歩道から見た崖 トンビが旋回していた)
私は3日間にわたり、右目の上に傷あとが残るクロダイの泳ぐ姿を確認しました。
仲間たちは最大で5匹になることもありました。
ずっと、何か食べ物を探しながら砂地と岩場の間を行き来していました。
(画面中央 下を向き食べ物を探すクロダイ)
食べなければ生き続けられません。
これは魚も人間も同じです。
目の前にある、偽りのごちそうを口にしようとした瞬間、魚の生命は
終わりに向かいます。
(友人が差し入れてくれた甘酒 うれしかった)
(かなり熟成されていたが健康被害はなかった)
人間の世界にもたくさんの偽りのごちそうが存在していると思います。
物事を考える能力は人間の方が上かもしれません。
しかし、魚は剝き出しの野生で生きている分、日々の生活の中で多くを
学習し、慎重に行動をするのではないでしょうか。
ひとつひとつの所作が命にかかわるのです。
そうしなければ、子孫を残せないのです。
種を絶やさず、生息域を広げ、繁栄を目指すのです。
そうさせる能力が野生の本能の中に組み込まれているのだと思います。
(友人からの差し入れ タコの足をかじって食べた おいしかった)
(自由に生きる 犬たち)
(はなぐり海岸 海上遊歩道)
この島は美しい夕陽が見られることで有名です。
太陽は地球のどこから見ても同じものであるはずですが、
海原と島があると、太陽は景色を美しい絵画のように描きだします。
(夕日岬 はなぐり岩)
「美しい」という表現が付く場所は世の中にたくさんあります。
普段、自分が暮らす場所や遠く離れた場所、自分のまだ知り得ない場所。
いろんな場所を自分の眼で見てみたいです。
だから、人は旅に出るのかもしれません。
(落 地区のあたり)
島での生活の最終日、残っていたサビキ釣り用に使ったアミ(小さなエビ)
を全部クロダイにあげる事にしました。
喜んで食べるかな? と思ったのですが、アミに近づきもしません。
じーっと見ていても、平然と何事もなかったように泳いでいました。
(太陽が笠戸島を照らしだした 2023年の始まりだ 太華山 山頂より )
(笠戸島の赤いアーチの橋が見えている)
美しい島、じいちゃんとばあちゃんが生きたこの島。
ふたりが生きたこの島の景観は少しづつ変わってきていると
思いますが、「美しさ」はずっと変わっていないと思います。
(笠戸島 太華山 山頂より)
(太華山登山道の途中にいるおじぞうさん)
いつでも、ふたりの姿の背景には海がありました。
海が穏やかな日も、曇りの日も、嵐の日も決して海から
離れることはなく、この家で暮らしていました。
(深浦漁港と深浦八幡宮がある森)
(深浦漁港の先にあるサイコロ型公衆トイレ)
(厳島明神の鳥居)
(厳島明神の鳥居)
多くの方々がこの島に魅力を感じて訪れます。
私も、そのひとりです。
よそ者だからこそ、余計この島が美しく尊く、特別なものに
見えているのかもしれません。
(江の浦地区 新笠戸ドッグ)
(国民宿舎 大城のすぐ近く 長岡外史公園)
(国民宿舎 大城のすぐ近く 長岡外史公園)
(国民宿舎にはレストランと温泉がある)
また、この場所に来ることが出来るといいなぁと思いながら
海が見えない私の日常の場所へ向かいました。
(家の近くでよく見かけた白い犬 食パン1枚をくわえて走っていた)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。