頭の上に青空が広がっているのに、小雨がぱらつく時
「どこかで、きつねの嫁入りが行われている」といつも思っていました。
とても不思議な現象です。
特別な力を持つと言われる、きつねだからこそ起こせることなのでしょう。
きつねの嫁入りの日にふさわしい天気だと思います。
2022年11月3日(木)
「きつねの嫁入り」を遂に見ることが出来ました。
路地は多くの人たちで埋め尽くされ、その中を厳かにきつねたちの行列が
続きます。
そして、終盤に婚礼人力車に乗った きつねの新郎と新婦が姿を見せました。
ふたり(二匹?)の新しい門出を傍らからみつめ、幸せを祈り
この行列を自分の眼で見られた事に感謝をしつつ、ふたりを見送りました。
山口県下松市 花岡福徳稲荷社稲穂祭 きつねの嫁入り(第73回)が
3年ぶりに開催されました。
毎年、11月3日 五穀豊穣を祈願して行われる御神幸祭(ごじんこうさい)です。
現実の世界であるにも関わらず、目の前の行列はどこか幻想的で
見えない膜のようなものに包まれて、大きくうねりながら塊が移動して
いくように感じられました。
きつねたちは何故、この行列を見せてくれているのでしょうか。
それを見る里の人々は、どんな思いでこの行列を受け止めているのでしょう。
下松市の観光ガイドに、この「きつねの嫁入りの行列」が行われる
ようになったいきさつが書かれてありました。
その内容は…。
花岡の上市(かみいち)にある法静寺(ほうしょうじ)の住職はとても
徳の高い人として知られ、多くの人々に慕われていたそうです。
1724年(享保九年)のある日、徳山(法静寺から8キロほど西にある場所)へ
出かけ、その帰り道 遠石から久米に出て坂道を越えるところで数珠がない
ことに気づきます。
日が暮れてしまい、道は暗く、探しても見つけることは出来ませんでした。
仕方なく寺に帰り、失った数珠のことを気にしながら床に就きました。
時間が経ち、うとうとしていると住職の枕元に何かが立って、こう話します。
「私たちは理由あって、しらむが森で死んだ白きつねの夫婦です。
数珠を届けにあがりました。
お願いがあります。
私たちの亡骸を人様と同じように寺にひきとってはいただけないでしょうか。
そうして下されば、お寺や里の人々を災難から守ることをお約束いたします」
という声を聞き住職は眼を覚ましました。
枕元には失くしたはずの数珠が置かれてありました。
すぐさま、白きつねの亡骸をひきとり人間と同じように手厚く葬り、供養を
しました。 それ以後、この寺に参ると失くし物やたずね物が見つかるという
霊験が数多くおこり、次第に参拝者が増えたそうです。
この白きつねの夫婦は福徳稲荷として法静寺の境内に祀られました。
これが花岡福徳稲荷社のはじまりです。
毎年11月3日は稲穂祭りが行われて、遠くからもたくさんの人々が参詣に
訪れるようになりました。
1950年(昭和25年)から「きつねの嫁入り 行列」が行われるようになり
さらに知名度を上げました。
※ お断り
これ以降の記述は「きつねの嫁入り」に関して私が思うことであり、
すべてが史実に基づいた内容ではありません。
想像を含めた考察です。
しらむが森は実存する森です。
「白見が森」と書きます。
(現在:野球場とその周辺に広がる森)
現在の遠石八幡宮、周南市野球場(津田恒美メモリアルスタジアム)、
大迫田墓地公園、このあたりにかつては森が広がっていました。
住職が数珠を失くしたことに気が付いた場所は、おそらく
「弥生時代のしらむが祭祀遺跡」があるあたりではないかと思います。
理由あって命を落としたという白きつね夫婦ですが、一体どんな理由が
あったのでしょう。
1724年(享保九年)この年の大きな出来事として「干ばつ」がありました。
松山市の歴史資料の中に、「伊予各地に干ばつ被害多く、雨ごいの千人踊りが
盛んに行われる」とあります。
愛媛県と山口県、その間に瀬戸内海がありますがこの年、中国・四国地方は
雨が少なく収穫物に大きな影響が出たのではないでしょうか。
きつねの食性は肉食です。
鳥や田畑を荒らし穀物を食べる小動物を主食としますが、食べるものが少なくなると
雑食性になり、人里に近づき残飯やニワトリなどを狙います。
干ばつともなると動植物全体の生態系そのものに影響を及ぼすはずです。
森で暮らすきつねも例外ではないはずです。
しらむが森の白きつね夫婦の死因は「餓死」ではないかと思います。
花岡に伝わる、この白きつね夫婦と住職とのお話しには妙な説得力を
感じます。
不思議なお話しではありますが、どこか現実味を帯びています。
それは、里に生きる人々と森に生きる きつねとの距離感の近さだと考えます。
里の人々は、田畑を耕しながら よく きつねの姿を見かけていました。
きつねは穀物を狙う小動物を主食とします。
里の人にすれば、きつねは野菜や稲を守ってくれる有難い存在です。
次第に人ときつねの関係性は深まり、人にとってきつねは特別な存在に
成り得ていたと思います。
「お天気雨」の事をいう「きつねの嫁入り」とても不思議な言葉だと思います。
動物たちも結婚式を挙げたりするものなのでしょうか。
この言葉が生まれる背景にきつねは大きく関係しています。
かつて、里での婚礼は夕闇が迫る頃に、提灯を持った人を先頭にして
祝い樽・仲人・花嫁・付き添い・両親・親戚の順に列を作り、唄を歌いながら
田んぼ道を歩き、新郎宅へ新婦が嫁入りしました。
暗闇の中で提灯が連なるように見える現象は、婚礼事以外にも起きていました。
地中から「りん」が地上へ出て自然発火する現象です。
液状であれば空気に触れると発火します。
暗闇の山野で「怪火」が揺らめくさまを「狐火」とも呼び、里からみると
まるで嫁入りの行列に見えたそうです。 しかし、実際には嫁入りの行列は
存在せず、おそらくきつねが人を化かしているのだろうと考えられました。
この狐火が多く見られた年は豊作になり、少ない年は不作になると言われました。
「りん」は農作物の育成に必要なものであり、土中に生成された「りん」の量が
関係していると思われます。
「お天気雨」も同じように不思議な現象です。
上空で雨を降らせた雲が風により移動したり、雲が消滅すれば、地上で雨を
受けた時に頭上を見上げても雲はすでにそこにはなく、晴れ上がった空が見えます。
お天気雨の現象はこうして生まれます。
また、山できつねが嫁入りしている様子を里の人たちに見られないように
行列の際に雨を降らせて、人々を家屋に入らせているのだという説もあります。
まさに、お天気雨=きつねの嫁入り を説明できる内容です。
農村部では人ときつねはとても近い関係を持って、それぞれが生きていました。
お互いの生活の中で認め合い、共に暮らしてきたのです。
不思議な現象や神がかりな説明のし難い出来事はおそらく、きつねによるものだ
と考えて、帳尻を合わせてきました。
花岡のきつねの嫁入りの行列を見て、改めて人と自然の深い結びつきを
考えさせられます。
生物が地球上で生き続けるために必要なものは、「自然」であり、
同じ命を持つ者は互いに「認め合う」ものである と
この御神幸は伝えているのです。
このきつねの嫁入りの行列を初めて見て、真っ先に疑問に思った事は
なぜ、「葬式」ではなく「嫁入り」なのだろうか? ということでした。
白きつねの夫婦は「祝言を挙げさせてほしい」とは言っていません。
里の人は探し物が見つかり、災いから守られて生活出来るのはすべて
白きつね夫婦のおかげだと考えました。
人々は白きつね夫婦に深く感謝をして、慈愛を持って祀ってきました。
手厚く葬り、戒名をつけ、白きつね夫婦が望むように人と同じ供養を
しました。 立派な葬式も行われたはずです。
そうした中、住職や里の人々はもっと白きつね夫婦に感謝を伝えたい
と思ったのではないでしょうか。
多くの人たちが皆一緒に、白きつね夫婦と豊作を願い、災いを避けて
安全に、楽しく生きていけるように、ずっとこの幸せが続きますように。
という思いが「きつねの嫁入り 行列」という形におさまったのでは
ないかと考えます。
歴史に残る、伝承には慣習、風俗、信仰、伝説、知識、技術などが
詰まっていて、文化的に価値があるものだと思います。
とても魅力的でもあります。
「きつねの嫁入り 行列」はこの先も廃れることはなく、いつまでも
この花岡で語り継がれ、ずっと続いていくことでしょう。
いろいろと調べている中で面白いことを知りました。
「お天気雨」のことを「きつねの嫁入り」というのはいかにも日本的だなぁ
と思っていたのですが、実は海外でも似たような表現が存在するようです。
マレーシア → 「きつねの嫁入り」
スリランカ → 「きつねの結婚式」
韓国 → 「きつねの雨」又は「トラの結婚」
インド →「ジャッカルの結婚」又は「サルの結婚」
フランス →「オオカミの結婚」
不思議な現象を動物と結び付けて考えることは万国共通のようです。
事象の根底には、土地の人たちのどんな思いがあるのでしょうか。
すごく興味深いことです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。