少しずつ外気温が上がり、歩くと汗ばむようになりました。

季節が変わろうとしています。

 

 

 春が遠のき、初夏がそこまできています。

 

 

 ムスカリは風に揺れ、さくらの花びらは空を舞い、梅は結実をしました。

 

 

 さくらの樹木は、淡いピンク色からみどり色へと衣替えがはじまりました。

 

 

 水も温み、生き物たちの動きが活発になってきています。

 

 

 川岸で水しぶきをあげているのは数匹の鯉たちです。

 

 

 産卵がはじまっていました。

 

 

 一度に産み落とされるタマゴの数は20万から60万粒といわれています。

 

 

 ヤマトヌマエビやメダカたちも繁殖がはじまっています。

 

 

 季節は巡りますが、

春は生命が躍動し、循環していることを最も感じられる季節だと思います。

 

 

 来年の春、自分は何をしているでしょうか。

元気にほっつき歩いていられたら、いいですけど。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

                     (杏の花が咲きました 3月22日)

 

 2024年3月14日(水)

自宅に簡易書留郵便で新たに取得した資格の免許証が届きました。

「特定第一種圧力容器取扱作業主任者」という資格です。

「特定」と冠がついているあたりが、普通ではない感があります。

 

          ( ↑ 2024年3月 新免許証)

 

 第一種圧力容器とは、大気圧における沸点を超える温度の液体(飽和液)を

保有する容器のことです。

飽和液は大気圧以上の圧力で液体になっています。大気圧では気体になります。

仮に容器が破裂すると内圧が下がり、飽和液が蒸気となり体積が急膨張するため、

その被害は甚大になります。

そうした事が起きないように事業者は責任者を選任して安全管理に努めることが

労働安全衛生法で定められています。

 

 

 特定第一種圧力容器作業主任者免許(特一圧作業)を受けた者は、電気事業法、

高圧ガス保安法又はガス事業法の適用を受ける第一種圧力容器のうち、加熱器を

有するものにあっては内容積が5㎥超、反応器・蒸発器・アキュムレータを有する

ものにあっては内容積が1㎥超えのすべての第一圧力容器について作業主任者と

なる資格があります。

(アキュムレータ:蓄圧器 液体の圧力エネルギーを気体の圧力エネルギーに

  変換して蓄えておくものです)

 

           (杏の花 3月22日 )

 

 この資格を取得するための公認の講習や国家試験はありません。

試験による免許の取得制度はないのです。

次のいずれかの資格要件を満たす者に対して、申請に基づいて交付されます。

A―電気事業法第44条第1項第6号の第一種ボイラー・タービン主任技術者免状

又は同項第7号の第二種ボイラー・タービン主任技術者免状の交付を受けている者。

B―高圧ガス保安法第29条第1項の高圧ガス製造保安責任者免状、又は

高圧ガス販売主任者免状の交付を受けている者。

C―ガス事業法第32条第1項のガス主任技術者免状の交付を受けている者。

 

 

 私は2023年に高圧ガス製造保安責任者(第三種冷凍機械責任者)の資格を

取得したので、その資格を根拠に申請しました。

私の免許証の「特一圧作業」の上のビットが2になっています。

これは、Aでの申請であればビットが1となり、

BCでの申請であればビットが2になります。

 

 第一種圧力容器取扱作業主任者の資格は、ひとつだけではありません。

種類により、取得方法や取り扱える範囲に違いがあります。

1-普通第一種圧力容器取扱作業主任者技能講習:資格取得制限なし、講習による取得

 免除として二級ボイラー技士以上の資格があれば普通第一種圧力容器取扱主任者

 になれます。受講2日間12時間 受講料 12000円~18000円ほど(テキスト代込)

2-化学設備関係第一種圧力容器取扱作業主任者技能講習:化学設備関係の実務経験が

 5年以上であれば。講習を受講できます。受講3日21時間 

 受講料19000円~22000円ほど

 

 上記の2つは技能講習修了者となります。免許ではありません。

一般的には免許が上級の資格とされ、免許所持者に比べて技能講習修了者の権限が

狭くなることが多いのですが、第一種圧力容器取扱作業主任者に関しては、

最上位は化学設備関係第一種圧力容器取扱作業主任者技能講習です。

 

 

                       (Wikipediaより)

 

 申請にあたっては、厚生労働省のホームページで確認してください。

 

 

 通常は、必要書類を持ち、申請者の住所地を管轄する労働局へ

出向いて申請するのですが、 

東京都の場合は新型コロナ感染症対策として、

郵送での手続きとなっています。

(2024年3月時点)

申請する前に確認が必要です。

(申請に必要なもの)

◯免許申請書 (HPでダウンロード出来ます)

◯写真 24mm ✕ 30mm 

◯申請の根拠となる資格の免許証のコピー 

◯労働安全衛生法の免許証 (所有している場合)

◯収入印紙 1500円分

◯免許証の返送用封筒 

◯返送用の簡易書留郵便の切手(434円分)

 定型郵便84円 + 簡易書留料350円 = 434円 

           (2024年3月時点での料金)

 

 私が2017(平成29)年に取得した二級ボイラー技士の免許証に

特定第一種圧力容器取扱作業主任者の資格が加わりました。

 

          ( ↑ 2017年6月 旧免許証)

          

◯現在では免許証の表記が変わりました。

 性別の項目が消えました。

 旧姓や通称の併記が可能になりました。        

 

           ( ↑ 2024年3月 新免許証)

 

 二級ボイラー技士の資格は私が資格取得の挑戦をはじめて、

最初に取得した資格です。(時間が経つのは本当に早いですね)

7年目にして出発点とも言える免許証が生まれ変わりました。

個人的にはとても感慨深いことです。

 

            (杏の花 3月22日 )

 

 今すぐ、この資格を実益に結びつけることは出来ませんが、新たな資格を

取得出来たことに関しては、私が大切にしている自己肯定感を維持する上でも

単純にうれしいことです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

(参考資料―Wikipedia / 一般社団法人 日本ボイラ協会 / 資格の王道)

 

            (富士山 3月22日 )

 

 私がよく散歩に行く公園の敷地には広大な梅林があります。

先日、普段歩かない道を少し先に進むと舗道に面した場所に、

小さな白いものが見えました。

「まさかな」と思いながら、近づいて行くと、

そこには白く清楚な花が咲いていました。

梅の花です。 こぶりな可愛らしい花がたくさん咲いていました。

 

 

「きれいだなぁ」「もう春なんだなぁ」と思いながら足をとめて、

しばらく見ていたのですが、この日は12月30日(土)です。 

「12月に梅は花を付けるんだっけかなぁ」

「遂に温暖化の影響はここまで来たのか?」

 

 懸命に高級そうな1眼レフのカメラで撮影をしている人がいました。

 


 

「もう、梅の花が咲くのですね」と声をかけると

「梅の香りがすごいですよ」といいながらクンクンしていました。

ですが、この時 私は鼻が詰まっていました。(原因不明)

 

 

 

 

 12月31日(日)朝は雨でした。

雨に濡れて、しっとりとしている梅もきれいですね。

 

 

 梅の木が植えられている場所に梅の木の説明がありました。

中国の梅とありました。

 

 

 開花時期は12月から3月と書かれてあったので

この時期に花をつけるのは、異常なことではなかったようです。

本来の生きる場所では、この時期が受粉しやすい環境になるとか

花を咲かせる理由があるのでしょうね。

 

 

 2024年1月1日(月)

とても いい天気になりました。

 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 2023年の10月31日(火) 

私のポンコツ郵便受けにポロンと茶色い封筒が入っていました。

差出人は一般社団法人 日本アマチュア無線連盟(JARL)からでした。

年会費を支払うのはまだ先のはずだけどもなぁと思いながら、開封してみると中には

ハガキサイズの2枚のきれいなカードが入っていました。

 

 

 アマチュア無線家同士で、お互いの交信を証明する、QSLカードです。

QSLとは、Q符号で「交信証を送ります 送信内容を了解しました」という意味です。

アマチュア無線独特のカードで交信証とも呼ばれるものです。

 

 

 JARLの会員であれば、こうした交信証のカードの転送をお願い出来るのです。

カードに相手のコールサインと交信記録を記載して、島根県出雲市にあるJARLの

ビューロー宛に郵送すると、相手局へ転送してくれるというシステムです。

海外の局との交信証のやりとりも可能です。

 

 私は2022年の6月1日に第4級アマチュア無線技師の免許証の交付を受け、7月9日に

関東総合通信局から無線局免許状を受け取り、自分のコールサインが決定したのでQSLカードの原稿データを印刷会社に入稿して、8月20日に東京ビッグサイトで行われたハムフェア会場でJARLの正会員登録(3年分20400円)をして、会場を出た後に記念すべき初交信を行いました。

 

 「これは私の初交信の記録なのだなぁ」と思い出しながらカードを見ました。

しどろもどろに応答する私に対して、相手の大先輩からは、

「これからの無線ライフを末永く楽しまれるように」

という言葉をいただきました。

 

 

 もう一枚は、私がよく行く公園から交信をした時のものです。

相手の方も移動運用で自分の所有する軽トラックの荷台にアンテナを取り付けたばかりで、私と交信をしている間も、アンテナの調整をするので、しばらく話していてくださいと言われた記憶があります。

場所は千葉の鹿野山からの交信でした。

 

 

 実はQSLカードが届くことを楽しみにしていたのは、2023年の4月頃まででした。

昨年の段階でQSLカードの転送にかかる時間は、およそ8か月という情報がありました。

日本国内をはじめ、世界中からの膨大なQSLカードを仕分けて転送する業務は大変なものがあると思います。

多少の時間はかかりますよね。

 

 

 私が交信をして相手局へ渡すQSLカードを島根へ郵送してから8か月経っても

私の所に相手局からのQSLカードは届きませんでした。

10か月経っても、届きません。

その間にJARLの高尾 会長(代表理事)が辞任しました。

発表は2023年6月25日(日)のことでした。

高尾会長は2016年から7年に渡り会長を務めてきた方です。

正確には辞任というよりは解任ということですが、理由としてはあまり

いい話しではありませんでした。

誠実そうな方だったので、すごく残念でした。

JARLのQSLカードの転送業務にも支障が出るかもしれないなと思いつつ、

時間が経つにつれて、QSLカードのことは頭から遠ざかっていました。

 


 

 実際に届くまでに、1年近くかかったわけですね。

自分の交信は全部ログブックに記載してあるので、いつどこで誰と交信したかは把握しています。

私の場合はそれを証明するものがすぐに必要になるものでもないので、手元に届くのが8か月後でも、1年後でもいいのです。

 

 

 大空の中を電波が駆け巡り、たまたま交信できた方と交信証の交換が出来るというのは私には、ちょっとしたロマンに思えます。まったく面識もない方と偶然出会って、紳士的な会話を楽しみ、サッと気持ちよく別れる。うーん、確かに贅沢な大人の遊びです。(無線機器やアンテナに凝りだすと、お金がいくらあっても足りないと思います)

 

 

 ちょこちょこ、無線で交信をして、QSLカードを送れば、ちょこちょこ、QSLカードは届くことになります。ただ、およそ1年間のタイムラグがあるだけの話しです。

インターネットが普及した現在では、ネット経由で交信の証明をしたり、電子メールでQSLカードの画像を交換することも可能です。

 

 法的にQSLカードを発行する義務はありません。

多くの局長さんは、相手にQSLカードが必要なのかどうかを確認してきます。

その時に「ノーカードでお願いします」と言えば、「了解です」と返事が来るはずです。

 

 

 経費削減、ひたすらエコ(ecology)が重視されるこの時代に、わざわざ郵送費を

かけての、紙媒体のやりとりをする事に関して批判を受けるかもしれませんが、このQSLカードを手にすると、なんとなく ぬくもりを感じます。

                      TNK FB QSO  73   

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

 

 

  7月20日(木) 私は島根県津和野町にいました。

 

    (島根県津和野町 yahoo地図)

 

 この地に伝わる古式ゆかしい神事があるのです。

「鷺舞(さぎまい)神事」です。

 

 

 とてつもなく巨大な鯉が悠然と泳ぐ水路がある殿町通りで、

その神事は始まりました。

 

 

 横笛と太鼓、鐘と鼓のお囃子に混ざり、「パシッ、パシッ」と何かを

弾くような小気味の良い音が聞こえてきました。

 

 

 大きな鷺が2羽、舞っています。

時折、相手を見据え、羽を広げたり、閉じたりしています。

小気味の良い音は,鷺の羽の音でした。

 

 

 その後、鷺たちは弥栄(やさか)神社の境内に移動しました。

 

 

 

 鷺舞神事は五穀豊穣、災厄防除、祈願成就などを祈り、弥栄神社に奉納されます。

天文11年(1542)に津和野城主 吉見正頼が山口の祇園会から移入したと

伝えられています。

 

 

 山口で行われている「鷺の舞」は応安2年(1369)に24代目 大内弘世が

山城国八坂(現在の京都市)から勧請をして、神霊を迎えて社壇を創建したことを

機に京都から山口に入ってきたと考えられます。

 

(津和野弥栄神社境内の樹齢600年以上といわれるケヤキの樹)

 

 周防・長門の国を統一し、守護となった大内弘世は京都の文化に憧れを抱いていました。

1360年ころに政庁を山口に移し、一の坂川を鴨川に見立て、町を縦横に区画し、

通りの名前も大路・小路としたほどです。

※(永正17年(1520)に記された「高嶺両太神宮御鎮坐伝記」

 (こうのみねだいじんぐうごちんざでんき)に、鷺舞神事の記録がないことから、

  これ以降の時代に京都から山口に入ったのではないかとされています)

 

 

 鷺舞神事は京都から山口、そして津和野へと伝わりました。

なぜ、山口県から島根県の津和野へ伝わったのか。

 

 天文10年(1540)前年から、この年にかけて、大雨や洪水などがおこりました。

その影響で全国的に飢饉がおこり疫病も発生していました。

天文の飢饉(てんぶんのききん)です。

 

 

 津和野城主の吉見正頼は、この地の病魔退散を祈願するために、

鷺舞神事を取り入れたと伝えられています。

そして、もうひとつの理由があります。

 

 吉見正頼の正室 大宮姫は、山口の大内義興(15代目)の娘です。

山口から嫁いできた大宮姫の疫病除けを祈念すると同時に、山口で見てきた鷺の舞を

津和野でも見せてあげたいという、正頼の大宮姫を想う優しさがあったのではないか

と思います。

 

 

 2羽の鷺はオスとメスです。

くちばしを少し開けた方がオスで、閉じた方がメスです。

おそらく求愛のディスプレイを模している動きだと思います。

動きをぴったりと合わせて2羽は近づき、時には間合いをとり、羽を動かします。

まさに、あうんの呼吸での凛とした舞いです。

 

 

 五穀豊穣、無病息災、疫病除けを祈願する鷺舞神事ですが、私には

今でも正頼がこの神事を見つめ、さらに、その視線の先には大宮姫の

美しい姿があるように感じました。

 

 

 弥栄神社の近くのお茶屋でソフトクリームを食べながら、店の主人であろう

女将さんと少し話しをしました。

子どもたちだけで踊る、小鷺踊りがあることを教えてくれました。

なんとも可愛らしい踊りなのだろうなと思います。

 

 次世代へ、伝承の橋渡しの準備が整っているように感じます。

 

   (お茶屋のテーブルの横の壁に飾られてあった小鷺踊りの絵画)

 

 時事通信社が報道した2023年の鷺舞神事の様子です。

一時期、戦乱などで途切れたこともありましたが、481年前から行われている

歴史のある神事です。

 

 

 津和野弥栄神社の鷺舞は平成6年(1994)国の重要無形民俗文化財に

指定されています。

 

 

     (山口県下松市笠戸島 はなぐり海水浴場)

 

 ちょっと散歩するだけで、目の前に美しいありのままの自然の姿が現れます。

 

 

 

     (岩礁で食べものを探すクロダイ)

 

 

   

 

 

 ここはいいところですね。

山口県下松市笠戸島 夏の何日間かまたこの地でお世話になっていました。

 

 

 2023年7月23日(日) 

山口県周南市粭島(すくもじま)で行われる粭島 貴船神社夏祭りを間近に見る

事が出来ました。

 

     (山口県周南市粭島  yahoo地図) 

 

 

 山口県周南市(本土側)からよく見える、太華山がある大島半島の先端にあるのが粭島(すくもじま)です。

この島の発展を支えてきたのは漁業です。

島にはフク(フグ・福)のモニュメントがありました。

 

 

 

 粭島はフグの延縄漁 発祥の地です。

 

      (粭島の造船所越しに大煙突が見えている)

 

 この島を見守るかのように天空に向けて そびえ立つのは、大島の大煙突です。

赤レンガを積み上げられた煙突で、直径10m、高さ72mです。

大正5年(1916)に鈴木商店が日本金属・亜鉛精錬所として建設したもので、

亜鉛を作る際のガス排出に使われたものです。

かつては東洋一の煙突と言われていました。

現在、稼働はしていませんが、日本精蝋・徳山工場敷地内に、そのまま

残されていて、海上航路の標識としての役目を果たしています。

 

 

 新型コロナの影響で夏祭りの開催は4年ぶりでした。

祭りに登場する伝馬船は2017年の祭り以降から修理に入っていたために、

登場したのは6年ぶりです。

何か、分厚い壁をぶち破るような気合が入った祭りに感じました。

 

              (貴船神社)

 

 

 粭島の夏祭りは、貴船(貴布袮)神社から神輿が出て、5~600mほど

離れた御旅所(龍神社)まで若者たちにより担がれて移動します。

 

              (龍神社)

 

 

 お祭りで神輿を担ぐのは、よく見ることですがこの島の神輿は地上を

移動するものではありません。

 

 

 移動するのは、海上なのです。

このようなお祭りを見るのは、初めてです。

さすが、島の夏祭り。

思い切ったことをするものだなぁと思いながら、様子を見ていました。

 

 

 突然、貴船神社の上空に5発の花火がうち上がりました。始まりの合図です。 

白装束に身を包み、鉢巻きをした男たちが神輿を担いで、海に入っていきました。

 

 

 

 そして、手漕ぎの伝馬船が登場しました。

その船の先端と後部では、それぞれ男性が立ちながら踊っています。

船からは「ホーランエー」、神輿を担ぐ男たちからは「チョーサヨ―イ」と

威勢のよい掛け声があがります。

(水を打つ音と歓声で、私には明確には聞き取れませんでした)

 

          (伝馬船と大煙突)

 

 

 見ていて、すごく不思議な感じでした。

豪華に飾り付けられた神輿が海に浮かんでいます。

 

 

 今までの経験で、お祭り最中の神輿を見下ろしたことなどありません。

防波堤に座り、見ている私の眼の前を神輿が移動していきます。

 

 

 

 はじめは港の水深の浅いへりを移動していましたが、深場になると

皆で担ぎながら泳ぎ始めました。

 

 

 豊漁と海上安全を祈願して島の若者たち、年配の世話人、見守るその家族らが

一丸となって、神輿は海の上を移動していきました。

 

 

 どの仕事もそうだと思いますが、特に海での仕事は命がけです。

その安全を祈りながら、島は発展してきたのです。

 

  (休憩所として開放されていた公民館の部屋に飾られていた古い写真)

 

 この先もずっと、このお祭りが続くことを願い、なによりも

安全な操業が続いていくことを切に思いました。

 

 

 KRY山口放送が報道した貴船神社の夏祭りです。

 

 

 海の男たちの迫力のある祭りです。 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

       (はなぐり海水浴場 太華山が奥に見えている)

 

 美しく穏やかな海に囲まれた笠戸島。

島全体が瀬戸内海国立公園に含まれています。

多くの岬や入江が存在する複雑な海岸線、島を覆う濃い緑。

どこに眼を向けても、たくさんの魅力を感じる島です。

 

 2023年 春 温めていたひとつの夢を実現させる事が出来ました。

笠戸島の縦走です。

山々の稜線を歩き、笠戸島を縦断しました。

 

 

 (笠戸島ハイキングマップ 2017年3月完成)

「下松市観光ボランティアガイドの会」

「くだまつ笠戸島アイランドトレイル実行委員会」

 

 

 

 笠戸島にはハイキングコースが整備されてあります。

主な山は

尻高山(249m)、高壺山(255.6m)、白浜山(188.6m)、摺鉢山(229.0m)

登山道はスカイ1号からスカイ5号まで名前が付けられ、すべてが結ばれています。

標高200mを超える山の尾根を一気に歩くことが可能です。

 

 

 私は島の南から北へ向かうコースにしました。

バスに乗り終点の深浦漁港へ向かいます。 

 

                  (深浦漁港 バス停)

 

        (サイコロトイレ 広い敷地の駐車場がある)

 

 

 2023年3月29日

8時出発 外野山林道から入り、尻高山を目指します。(スカイ5号)

笠戸島の山には熊は生息していないと聞いています。

それだけでも相当な安心材料になります。

 

 

 しばらくはなだらかな斜面の林道を、のんびり楽しく歩きます。

途中、木々の枝葉の隙間から見える、青い海と海岸線にいやされます。

 

 

 林道から登山道に入ると傾斜がきつくなります。

ですが、そうした場所には安全を確保するためのロープが備えられてありました。

とてもありがたいことです。 ケガも未然に防げます。

 

 

 登山道は、ほとんどが自然の状態です。

人工的に作られた長い段差もありません。

足にかかる負担が全然違います。

 

 

 

 8時50分 尻高山山頂 

笠戸島で2番目に高い山です。

周りには木々の枝葉が生い茂っています。

1箇所、草木を伐採して展望スペースが作られてありました。

 

 

 周防灘に突き出ている、火振り岬が見えます。

先端部には灯台があります。

 

 

 なだらかな斜面を下ります。 

目指すは、笠戸島最高峰の高壺山です。

 

 

 

 途中、場所によっては、ほぼ平坦になっている箇所もあります。

登り道と下り坂、とてもバランスがよくて全然疲れません。

歩くことが楽しくなる登山道です。 

 

   (分岐路 左に行けばスタート地点の深浦へ 右へ行けば大浦へ)

 

 遠くの景色は見えませんが、今自分が山の尾根から尾根へ移動している事を

実感できます。 これが縦走の醍醐味なのです。

 

 

 

 途中、巨大な樹木に出会いました。

 

 

 イヌブナ?シラカシ?エノキ? 

白っぽい、ツルッとした木肌が特徴的だったので、後で調べればわかるかなと

思っていたのですが自分では同定出来ませんでした。

相当な樹齢だと思います。 

神木かもしれないなぁと思いながら、しばらく立ち止まり、見上げていました。

 

 

 (提言その1:目立つ樹木にはプレートを付けて樹木名とおおよその樹齢がわかると

         学習も出来るし、楽しいと思います)

 

 

 

 10時14分 高壺山山頂 (笠戸島最高峰)

尻高山から、ここまでは、すんなりと歩けた印象があります。

耳に入ってくる鳥のさえずりとさわやかな風が心地よかったです。

 

 

   (↓ 太華山 から見た笠戸島 右手の一番高い山が 高壺山)

   (↑ 太華山 から見た笠戸島 右手の一番高い山が 高壺山)

 

 連なる山々の稜線は、まるで巨大な生物の背中のように見えます。

私はこの背中をとことこ、転げ落ちないように歩いているわけです。

 

 

 山の樹木はスギ、ヒノキ、アカマツといった針葉樹や広葉樹のシイ、サカキ、

カエデ、などが混生しています。

ほとんどの森林は国有林として管理されていますが、現在では二次林となり、

その姿は自然林に近い状態になっています。

 

 

 高壺山山頂から25分ほど歩くと、目の前に忽然と人工物が見えてきました。

土台となっている基礎部分が壊れ、積み上げられたレンガがはがれ、かけらが

登山道の端に転がっていました。

第二次世界大戦時の戦争遺構です。

 

 

 

 

  貯水槽、高角砲の砲台、指揮所、兵員待機所、未完成の聴音機掩体(えんたい)。

 

 

 

 砲台と指揮所までの周辺には

1mほどの深さで塹壕(ざんごう)が掘られていました。

 

 

 当時、周南市の第三海軍燃料廠(しょう)や光市の光海軍工廠(兵器工場)を

米軍の攻撃から守るために建造されたものです。

高角砲を動かすには電力が必要になるため発電所も作られていたそうです。

1944(昭和19)年、10月頃の記録では、この場所に士官1人、准士官1人、

下士官兵36人がいたそうです。

 

         (高角砲台 指揮所)

 

 今、私は自然の中に身を置いて、楽しんでいます。

しかし、79年前、この同じ場所で命がけで日々を過ごしていた人たちがいたのです。

 山道の枝葉を払い、重い建築資材を担いで登り、建造し、レンガのひとつひとつを

積み上げ、いつくるかも知れぬ、敵機を察知するため耳を澄ませ、眼を凝らし、

この場所にいたのです。

 

 

 どんな気持ちで、この場所にいたのでしょうか。

 


 

 どんな覚悟で敗戦を受け入れたのでしょうか。

 


 

 (提言その2:小中学生にこの遺構を課外授業として見せられたらいいと思う)

 

 (提言その3:貴重な歴史を物語る遺構なので必要な箇所は補修して現状を

                       維持してほしい)

 

 日本が戦争をしていたこと。 この事実を決して忘れてはいけないと思います。

 

 

 

 

 スカイ4号の終盤に地蔵堂があります。

ここから先はスカイ3号になります。 

 

              (地蔵堂)

 

 

 この先は高低差が激しく、 急な斜面が多く存在しています。

 

 

 

 

 何度もロープに助けられました。

 

 

 

 12時38分 登山道の途中で木々に囲まれ、空を見上げながら昼食にしました。

 

   

 

 

        (江の浦 貯水槽)

 

 

 

 

 13時23分 スカイ2号への中継地、白浜駐車場まで来ました。

 

  (道標はスカイ3号となっていますが、ここからスカイ2号のはじまりです)

 

 (登りながら後ろを振り返ると新笠戸ドックと歩いてきた場所が見えた)

 

 

 13時40分 白浜展望岩  

向かって左手の下に 可愛らしい小島の姿が見えます。

遠くには祝島(左)と小祝島(右)が見えています。

 

 

 白浜山山頂へはけっこうな勾配があります。

 

     (本土 下松市の新日本石油越しに茶臼山が見える)

 

 

 14時10分 白浜山山頂

少し先に海原は広がっていると思うのですが、枝葉があり

ここからの眺望は望めませんでした。 

 

 

 白浜山以降、けっこう急な勾配があります。

安全第一でゆっくりと確実に歩きます。

 

 

 

 この先は摺鉢山を目指すのですが、途中の道標でどちらに進路をとるべきか

迷いました。 

 

         (スカイ2号と瀬川遊歩道の分岐点)

 

 私が行きたいのは「スカイ2号」です。 

この先、スカイ2号に入れれば、一度分かれ道を経てから瀬戸遊歩道に入り、

摺鉢山まで行けるはずです。

 

 

 この道標をじっくりと見ます。

「スカイ2号」として矢印が指してある方向は、今私が来た道(間違いはない)と

右の方向に矢印が向いています。

ちょっと下った所の道標には「垰ノ浦(たおのうら)」と「東風浦(こちうら)」へ

向かう道が示されていました。

 感覚的には左方向への道なのですが、道標はコンクリートの土台の上に堂々と

大きな矢印で「スカイ2号」は右だと主張しています。

私はこの道標を信じました。  進路を右にとり、歩き出しました。

 

 


 

 

 

 道なりに進んでいくと、海岸沿いの道に出て、すばらしい景観が見えてきました。

振り返って見ると、白い砂浜の白浜海岸が遠くに見えます。  

こういう景色もきれいだなぁ。 

 

 

 山の縦走では主に、山の中の景色で終始してしまうことが多いと思いますが、

ここ笠戸島では山と海 両方の景色を楽しむことが出来ます。

 

 

 すばらしい縦走のコースです。 

絶景に浸りながら、頭をよぎることがありました。

直前の分岐路で右に進路をとってから、斜面を登っていません。 

摺鉢山に向かっている感じがしません。

「道を間違えている」ということに気が付きました。

 

 

 私はスカイ2号の途中から「瀬川遊歩道」に入ってしまっていました。

気が付いた時点で14時45分でした。 日暮れまでおよそ3時間はあります。

引き返す事も考えましたが、今日は摺鉢山に向かうのはやめて、このまま

瀬川遊歩道を歩いて、本浦(ほんうら)を目指すことにしました。

 

 

 海岸沿いの道で景観はとても良いのですが、落石の危険のある場所や、

崖から転げ落ちないように細い道を歩いたりと、スリルも満喫しました。

 

 

      (東風浦との分岐路 瀬川遊歩道をこのまま歩き本浦へ向かいます。)

 

 15時50分 本浦にほど近い場所で赤い鳥居が目に入りました。

耕白稲荷社です。

 

 

 

 説明によると、壇ノ浦の戦(1185年)で敗れた平家の残党がこの地に逃げ隠れて

いた時に白い狐が現れて、水のある場所へ案内したとありました。

白い狐は本土の周南市の白見森(しらむがもり)にもいたし、

笠戸島にもいたのですね。

 

    ( 合流点 左:私が歩いてきた瀬川遊歩道 右:スカイ1号)

 

 説明板がありました。

笠戸島の森林について書かれていました。

 

 

 「自然休養林」という言葉を初めて知りました。

1972(昭和47)年に笠戸島と岩国の城山国有林をセットにして林野庁からの指定を

受けたとありました。

人が山に入り、自然に親しみ、ゆっくり休養出来る憩いの空間をいうのだそうです。

そこには人間が自然と共に生きていこうとする精神が宿っています。

 

   

 15時55分 本浦の港が見えました。

明るいうちに下山できて安心しました。

 

           (本浦の港町)

 

 この日の笠戸島縦走は摺鉢山があるルートの「瀬戸遊歩道」には

入れませんでしたが本浦をゴールとしました。

 

 

 本浦から笠戸大橋方面へ出て、宿へ帰りました。

 

         (本土と笠戸島を結ぶ 笠戸大橋)

 

 

 途中、尻高山と高壺山が見えた時は感無量でした。

「あそこを歩いてきたのか・・」

 

  (画面やや中央 1番高い山が高壺山 右方向 2番めに高い山が尻高山)

 

 朝からずっと、歩いていたにも関わらず足に痛みも疲れもありません。

それだけ、歩きやすい登山道だったのだなぁと思いながら帰りました。

 

 

 翌々日、3月31日 もう一度、登山道に入りました。

摺鉢山に行けなかった原因を確かめるためです。

 

 

 白浜駐車場からスカイ2号に入ります。

 

 

 白浜展望岩を経て、白浜山まで行き、途中の道標が

ある場所まで行きました。

 

 

 私はここから、道標の案内通りに右に行きました。

結果、摺鉢山へ行けずに瀬川遊歩道に出ました。

(海岸線からのとても素晴らしい景色でした)

 

 

 今回は道標が示す矢印の逆の方向、左に行きます。 

 

 

 人家の畑の横を通過したところにスカイ2号のプレートがありました。

この道で間違ってはいないようです。

 

 

 あの分岐点の道標は間違っていることになります。(※2023年3月31日付け)

(提言その4:道標は正確なものであってほしい)

 

 

 

 急な斜面をしばらく登り、スカイ2号から瀬戸遊歩道とスカイ1号

へ向かう分岐点にでます。 大城分かれです。

 

 

 摺鉢山へ行くには、左方向の瀬戸遊歩道へ(笠戸旅行村 方向)行くのですが、

時間に余裕があるので、一度スカイ1号へ入り天狗岩を目指すことにしました。

急な坂を降りて行くことになります。 

 

 

 

 道なりに、しばらく歩くととんでもない絶景がそこにありました。

断崖絶壁の上に巨大な岩が突き出していました。

 

            (天狗岩)

 

 

 広大な群青の海が目の前にひろがっています。

巨石の上に立ち、遠くに眼を向けるこの瞬間、なんとも言えない気持ちになります。

 

 

 今、この景色を直に見ているのは、自分だけ。

ここに、この場所に来なければ見られない絶景です。

 

     (風の強い日や雨の日は岩の上に立つと危険です)

 

 足元の下は80mくらいの高さの絶壁です。

この場所から離れるのがもったいないくらいの景色でした。

 

 

 大城分かれの分岐点まで戻り、瀬戸遊歩道に入ります。

歩きやすい、なだらかな登山道の先に摺鉢山山頂はありました。

 

 

 

 手前にある見晴らしの丘からは笠戸島の西方向の景色が楽しめます。

 

 

 2日間に渡り、笠戸島のハイキングコースに入り存分に楽しみました。

山だけではなく、海の景色も堪能でき、戦争遺構があるという事も

このハイキングコースの魅力と価値を持ち上げている要素だと思います。

 

 

 安全なハイキングの為に帽子を被り、長袖のシャツを着て、

手袋を身に付けましょう。

水分は多めに、自分のゴミは持ち帰りましょう。

 

        (奥に太華山が見えている)

 

 4月から10月は蛇やハチが活動的になります。

山の先住者たちです。 

敬意を払い、むやみに近づくことは避けましょう。

 

 ハイキングコース・遊歩道の整備にあたられている関係者様

安全管理のためのロープの設置・登山道の保守等ありがとうございます。

無事に下山できました。 感謝いたします。

 

          (本土側からの笠戸大橋)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

  今年   2023年1月5日(木)

高圧ガス保安協会のホームページにて

 https://www.khk.or.jp/qualification/national_qualification/index.html 

「第三種冷凍機械責任者(三冷)」の合否結果の発表がありました。

 

 本試験は昨年 2022年11月13日(日)に行われました。

 

 私にとっては3度目の試験でした。

 

 結果は無事に合格出来ていました。(やっと)

ずいぶん時間をかけてしまったものだと思います。

 

 

 2020年4月から取り組んだこの第三種冷凍機械責任者の資格取得。

毎年、11月の第二日曜日が本試験の日に設定されています。

1年に、たった1回しか受験のチャンスはありません。

不合格になれば、次の試験は丸1年後になります。

 

 試験の問題は「法令」と「保安管理技術」の2つの科目があります。

実技試験はありません。

法令は20問、保安管理技術は15問の出題です。

それぞれ、60パーセント以上の正解で合格です。

 

 この資格があれば1日の冷凍能力が100トン未満の製造施設における

製造にかかわる保安に従事できます。

 

 例えば、冷凍冷蔵機器は工場の冷凍空調機器とか化学工場、食品工場、

冷凍倉庫などやスーパーマーケットなどの冷凍冷蔵ショーケースで

使用されています。

一定以上の冷凍設備がある事業所では冷凍機械責任者の有資格者を配置したり

冷凍保安責任者を選任しなければならない場合もあります。

保安管理者として多くの場所での活躍が期待される資格だと思います。

 

 2020年11月の本試験

私にとって、第1回目の「三冷」挑戦はみごとに失敗しました。

試験の翌日、高圧ガス保安協会ホームページで

( https://shiken.khk.or.jp/shiken.html )

問題と正解が公表されます。

自分で問題と正解を確認して自己採点をするのですが・・。

「法令」は余裕で合格点に達していました。

しかし、「保安管理技術」の科目が合格点に達していませんでした。

あいまいな知識の状態で試験に臨んでも、正解がわかるわけはありませんよね。

 

         

        近年の本試験 データ 

 

     令和3年度(2021年) 受験者数 9858人    合格者 3996人 合格率 40.5%

             

 近年の合格率をみても、難しさを感じる数字です。

おそらく「法令」はクリア出来たとしても、「保安管理技術」で

ふるい落とされているのではないかと思います。

「保安管理技術」をどうクリアするか、

これがいちばん大きな問題になります。

 

 

 機械設備に入れられた高圧ガス(冷媒)は

「膨張」→「蒸発」→「圧縮」→「凝縮」の各過程で状態変化をしながら

循環して周りの温度を上げたり、下げたりすることが可能になります。 

 

       (2度も不合格になるのが うかがえるようなメモ)

 

 その過程における原理や機能、設備の種類に応じて、保安管理のための

決まりごとが細かに多々あります。

 

 そして、内容の難しさ(私にとっては)に加えて、出題される問題への

解答の仕方が難易度をあげていると思います。

 

     (ちなみに正解は(5)です)

 

 選択式なのですが、例えば正解の候補5個のうち、その中に

正しいのは1つだけあるというものではなく、正しいものは複数あります。 

解答選択群には、正しいものと、間違っているものがごっちゃになっている

とか、正しいものだけ とか 全部間違っているものとかが用意されてあり、

その中から選びださなければなりません。

(私が今まで経験した試験で、これほどまで複雑な解答方式の

ものはありませんでした)

 

 2021年11月の本試験

 そして、1年後 2021年11月に また「三冷」の本試験を受けました。

パターンとして、夏に本試験の受験申請をして、夏の終わり頃から

思い出したように受験勉強を始めるのですが

1年前の自分の知識量がふんだんに上がるという感じはしませんでした。

多少、理解は深まっている感じはしますが、メカニズムのくっきりとした

イメージを頭の中に描けないのは変わらないままでした。   

よくわからない所は、やっぱりよく分からないし、時間だけが過ぎたという感じでした。

 

 2021年11月14日(日)に受験して、翌年 2022年1月の合否発表を待ちます。

自己採点では「法令」は合格点です。

「保安管理技術」ひょっとしたら…。 

 

  ハイ、2度目の不合格判定でした。 (ですよねぇ~。)

 

 

 このまま毎年毎年、恒例のように受験をしても合格出来る気がしなくなりました。

もう、不合格判定を背負うのはごめんです。

 

 

 何とかしなくては・・。

(自分自身の独学の限界を感じていました。)

 

      (2020年4月に手に入れたテキストと問題集)

 

 この資格を取得することは決めたことです。

途中で投げ出したくはありません。 

今までかけた時間とお金もあります。 

無駄にはしたくないのです。

諦めたくはありません。

 

 「何かいい方法はないものか…」

2回ダメだったら実行しようと考えていた奥の手を使うことにしました。

私が苦手な「保安管理技術」の科目が本試験で免除になるというもので、

協会が主催する「保安管理技術講習」への参加です。

この講習を受講して、検定試験に合格出来れば、本試験では「保安管理技術」の

科目が免除になり、受験するのは「法令」だけになります。

「法令」だけであれば、合格点に到達できる可能性は大きくなるはずです。

 

 通常、講習は年に2回行われます。 

3日間の予定で朝から夕方までびっしりと学習するわけですが、自分 

ひとりだけではありません。(新型コロナの影響で変更になりました)

周りには同じゴールを目指す、仲間たちがいるはずです。

仲間がいるって、こころ強いですよね。  

 

 2017年に参加した「第二級ボイラー技士」の講習を思い出します。

あの時は、他の参加者からアドバイスをいただいたり、

その後の私自身の資格取得の未来構想を築くことが出来ました。

 

 受講費用がかかりますが、もう ぎりぎりのところまで来ている感じがしました。

資格取得にはモチベーションや勢い、その時のタイミングもあります。

今、なんとかしてこの壁を打破しなければ、一生 この資格は取れないかもしれない

と思えていました。

 

 2022年4月11日(月)受講申請 

受講申請受付開始 初日 に申し込みました。 

受講は定員制で東京都は190人です。 

 

 

受講日   5月27(金)~ 6月17日(金)(期間中有効)

受講費用  19500円(税込み)

 

 受講申請が無事に済んで、ほっと出来たのですが、新型コロナの影響もあり

今回から、対面式の講義ではなく、オンライン受講に変更になりました。

ひとりで、パソコンのモニターに映る講義の動画を見るのです。 

このことは、部屋でひとりでテキストを読むことから動画を見ることで

効果的な勉強方法へのステップアップが出来たということなのでしょうか?

(いずれにせよ、独りでの学習形態に変わりはありません・・)

「法令(7時間以上)」と「保安管理技術(14時間以上)」

動画の内容時間は全部で21時間以上ありました。

受講期間は3日間ではなく、3週間の有効期間が用意されていました。

 

 全日をかけて、対面式で一気に講義を受けた方が理解は進む感じがします。

分からなければ、その場で教えてもらえるはずです。

動画を見れば、分からない部分がなくなるわけではありません。

いつでも、動画は見られるからと思うと、なかなか進まないし、ダラダラして

見ていると、いつのまにか動画を再生したまま眠っているし・・。

 

 なんとか、がんばって動画を見て解説の写真や図、イラストの説明は

パソコン画面をキャプチャーして全部保存しました。

有効期間中の視聴は何度でも可能です。

私は3回視聴しました。

(ただ単に、見ればいいというものではないと思いますけど…)

すべての動画視聴を終え、講習受講証明を出して検定試験に申し込みます。

 

 講習を終えて、検定試験は、その1か月後にあります。

この微妙な空白期間は何なのでしょうか。

良く考えれば、じっくりと更に勉強して十分な準備をしてから

検定試験に臨めるということなのでしょうね・・。

 

 2022年7月3日(日)講習検定試験 

ものすごく気温が上がり歩くだけでも

息苦しくなるようなうだる暑さの中、御茶ノ水駅から歩き、検定試験会場の

全国家電会館へ向かいました。

 

 試験会場にいる方々は、皆同じように21時間以上の動画を見て、

勉強をしてきたはずです。

新型コロナの問題が起きなかったら、同じ教室で共に勉強が出来た

仲間だったかもしれません。 

 

 仕事で徹夜して、検定試験に落ちたくなくて徹夜で勉強して、検定試験が

終わった足で仕事場へ戻り、また仕事をして・・徹夜ばっかり。

今、振り返れば楽しい思い出ですが、正直 一番つらかった時期でした。

1回の受験ですんなり合格出来ていれば、こんなことになりませんでした。

出来が悪いとこういう面で苦労しますよね。

 

 正直なところ、私は講習を受講すれば「保安管理技術」の検定試験は

比較的簡単な問題が出題されると勝手に思っていました。

誰でも合格できると思っていたのです。 しかし…。

 

 検定試験の合格率は60%です。 100%ではありません。

若干のやさしさは感じましたが、出題された問題の難易度は本試験と

それほどの差はないように思えました。(あくまでも個人的な見解です)

 

 2022年8月1日(月)検定試験合否発表 

 高圧ガス保安協会のホームページで検定試験の合格を確認出来ました。

今までは保安管理技術の過去問、模擬試験をやっても、ほとんどが

落第点しかとれませんでした。 

正式に本番で及第点をとれたことがとてもうれしかったです。

 

 

 高圧ガス保安協会には毅然とした厳しさを感じます。 

もちろん、そうであるべきだと思います。

もし、実際の保安管理で間違いを犯してしまったら

大爆発を引き起こして工場ごと吹き飛ばしても不思議ではありません。

事故を起こしてからでは遅いのです。

身の危険を感じるし、責任も重い資格だと思います。

 

 2020年から始めて、2023年の1月末にやっと「第三種冷凍機械責任者」

の資格を取得することが出来ました。

 

 2022年5月~6月にオンラインの講義を受講して、7月に検定試験を受験して、

8月の検定合否発表を待ち、11月に本試験(法令のみ)を受験してと

2022年の後半は「第三種冷凍機械責任者」の資格取得に集中しました。

本来、これ以上の学習をするべきなのだろうなと思います。

 

 

 

 設備管理業界で「ビルメンテナンス4点セット」 

と言われているものがあります。

設備管理業界で仕事をする上で取得した方が望ましい

とされる国家資格の総称です。

 

二級ボイラー技士      (二級ボイラー)

危険物取扱者 乙種四類 (危険物 乙四)

第二種電気工事士    (電工 二種)

第三種冷凍機械責任者  (冷凍三種 三冷)です。

 

 二級ボイラー技士の講習の後から、この4つはいつか必ず揃えようと

こころに決めていました。

 

 関連資格として、消防設備士 乙種四類 も2019年に取得しました。

 

 二級ボイラー技士の資格取得は2017年です。

6年がかりで、やっと揃えることが出来ました。

だからといって、私の仕事上で何かが変わるものでもありませんが、

自分の中ではひとつの大きな区切りがつきました。

 

 私が「第三種冷凍機械責任者」の資格を取得するまでにかけた費用です。

 

2020年   テキスト       949円(送料込み        /     949円    

                          (オークションで落札) 

       問題集       2300円(送料込み)       /  3249円  

                          (オークションで落札)

            本試験受験申請        8200円           / 11449円 

2021年         本試験受験申請    8200円           / 19649円 

2022年         保安管理 技術講習  19500円           / 39140円 

                                         (検定試験料含む)  

     技術講習 初級受験テキスト   2900円  / 42049円 

     技術講習 冷凍関係法規集    1800円  / 43849円 

     技術講習 高圧ガス保安法概要   710円   / 44559円 

              本試験受験申請      9800円  / 54359円 

2023年  免状 交付申請             3400円  / 57759円 

 

  これらの他に必要に応じて写真代、交通費、切手代、

振込手数料などが加算されます。

 

 資格取得のためには、時間もお金もかかります。

例え、資格を手に入れたとしてもそこから実益を生み出さなければ

意味がないことかもしれません。

 

 けれども、未知の世界を知ることは単純に愉しいことです。

不合格の判定は自分自身が全否定され、奈落の底に落ちたように

思えて、悔しくて、情けなくて、涙が出そうになりますが、

合格出来た時は、達成感に満たされて、今までの苦労が吹き飛び、

精神が解き放たれ、身体が軽くなるような感覚になります。

 

 結果が良くても、そうでなくても、すべて自分で決めたことです。

自分の責任に於いて興味のあるものに向き合って生きていけることは

とても幸せなことだと思います。

 

 資格取得に向けた時間の中で、多少の専門知識を得たり、特殊な工具を

使えるようになったという点では眼に見える私自身の進歩だと思っています。

 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 寝起きしている家から90歩ほど歩くと、目の前に海が広がっています。

水面下にクロダイが泳いでいる姿を見つけました。

砂地から岩場の方へ移動して食べ物を探しているようでした。

 

       (画面中央にクロダイ と それを見ている私)

 

 私は40分ほど、クロダイの動きをじっと見ていました。

その周りに1匹、もう1匹と姿を現しました。

 

         (食べ物を探す クロダイ)

 

 クロダイは私が一度釣りあげたい憧れの魚です。

チヌとも呼ばれ、野性味のあふれる魚です。

船に乗り、海上に出なくても堤防からも狙える魚です。

いつか釣り上げたいなぁと思っていた魚が眼下に悠然と泳いでいます。

海水が澄んでいるので頭部が見えて、眼も確認出来ました。

右目の上に2センチほどの白い傷あとがありました。
 

 持ってきている釣り道具で釣れるのかもしれません。

でも、試すことはしませんでした。

ずっと、このままクロダイの泳ぐ姿を見ている方が心地よかったからです。

 

             (尾郷地区)

 

 使用されていない家を借りて年末から2週間ほど生活をしていました。

電気と水道は使えます。

友人が幼少の頃に暮らしていた家、じいちゃんとばあちゃんが

この島で仕事をして、お金を貯めて建てた家です。

 

 

 私が使っていた部屋はじいちゃんとばあちゃんの部屋です。

古い和箪笥が置かれたままの部屋で私は眠り、風の音を聞き、

鳥のさえずりを聞いていました。

 

    (冬のヒマラヤでも使えるという寝袋を友人から借りた)

 

 じいちゃんはボイラー技士として、ばあちゃんは医療に従事して

この島の人々の生活を支えていたそうです。

 

           (小深浦地区)

 

 私は今まで、海に囲まれた地域で生活をしたことはありません。

私にとっては夢のような日々でした。

 

         (はなぐり岬とはなぐり岩)

 

 この島はとても美しい島です。

瀬戸内海の澄んだ海、岬と入り江が多く存在し、岩場と白砂の浜辺が

島の輪郭を形作っています。

 

       (はなぐり海水浴場 奥に太崋山が見えている)

 

 島全体が瀬戸内海国立公園に指定されています。

山は最低限の開発に留まり、原生林がそのまま残っているように見えました。

標高200m級の山々が連なり、縦走できるハイキングコースも整備

されています。

 

            (深浦漁港)    

 

 海を見ながら散歩が出来るのです。

海面は太陽の光を反射して輝き、まるで海面の上に1本の道が

あるかのように見えます。

 

       (白浜展望岩より 小島が見えている)

 

 濃淡の差がついた群青の海水は白砂の浜で砂を動かし、

波間に白色の模様を作っています。

 

          (はなぐり海水浴場)

 

 同じ風景のように見えても、一瞬、一瞬 景色に違いが生まれます。

生きている景色であり、静物のように見えても、それは全体が動的な

生き物であると感じられます。

 

           (深淵地区)

 

 海原に大型船や漁船が見えます。

その先に見える島、そして もっと遠くに見える陸地。

今までに見たことのない世界、知らなかった世界。

私にとっては、すべてが別世界でした。

 

        (江の浦地区 新笠戸ドッグ)

 

 島は漁業と造船業で栄えてきました。

島の中央部には新笠戸ドッグがあります。

巨大なクレーンが大型船組み立てのため、大きな鋼板を

持ち上げている様は壮観です。

 

         (島側から見た笠戸大橋)

 

 この島は本土と笠戸大橋で結ばれています。

1970年(昭和45年)11月に赤いきれいなアーチが架かりました。

 

         (笠戸大橋から本土を見る)

 

 それまでは、島内での移動や本土との行き来は船しかありませんでした。

島の生活は大きく変わり、便利に、豊かになりました。

 

 

 笠戸大橋の完成をどれだけ多くの島民が待ち望んだことでしょう。

赤い橋は、それこそ本土と島とを結ぶ夢の懸け橋そのものです。

 

      (深浦地区の手前にあった笠戸大橋の絵)

 

 かつて、島には中学校1校がありましたが、2013年に閉校し、

3校あった小学校は2014年に閉校して島から小中学校が消滅しました。

 

          (旧 下松市立深浦中学校)

 

 深浦中学校のグラウンドの向こうは海です。

潮風の中で子供たちは学び、身体を鍛え、成長しました。

 誰もいないグラウンドでは首輪の付けていない犬が1匹いて、

自由に走り回っていました。

 

 

 毎日のように島のあちらこちらを歩き回りました。

誰もいない白浜海岸、はなぐり海水浴場の堤防、釣り桟橋、

深浦漁港の堤防・・島の魚を釣り上げたくて、仕掛けを変えて

釣り方を変えて、複数の場所でやってみたのですが…。

 

        (江の浦地区 白浜海水浴場)

 

            (白浜海水浴場)

 

 

 

 

 私には1匹も釣り上げることは出来ませんでした。

 

            (深浦漁港)

 

            (深浦漁港)      

 

 堤防から魚の群れが見えています。

 

 

         (黒っぽい魚が群れていた) 

 

 ルアーや、ジグヘッドを外して、サビキ釣りに変えても

私の仕掛けに魚が騙されることはありませんでした。

この島の魚たちは、「みごと」と言ってもいいくらい

私よりも頭がいいのです。

 

          (はなぐり海岸 海上遊歩道へ)

 

          (はなぐり海岸 海上遊歩道)

 

         (海上遊歩道にある釣り桟橋)

 

 

 「水温が急に下がったけぇ 魚はおらんよ」と散歩しながら

釣り人たちを見てまわる年配の人が口にしていました。

ひょっとしたら、釣り人に対しての「やさしさ」かもしれません。

「誰も傷つけない」そんな「言い方」もあるのだなぁと思いました。

 

     (リョーユーパンはどれもおいしい)

 

      (はなぐり海岸 海上遊歩道)

 

   (はなぐり海岸 海上遊歩道から見た崖 トンビが旋回していた)

 

 私は3日間にわたり、右目の上に傷あとが残るクロダイの泳ぐ姿を確認しました。

仲間たちは最大で5匹になることもありました。

ずっと、何か食べ物を探しながら砂地と岩場の間を行き来していました。

 

       (画面中央 下を向き食べ物を探すクロダイ)

 

 

 食べなければ生き続けられません。

これは魚も人間も同じです。

目の前にある、偽りのごちそうを口にしようとした瞬間、魚の生命は

終わりに向かいます。

 

       (友人が差し入れてくれた甘酒 うれしかった)

 

      (かなり熟成されていたが健康被害はなかった)

 

 人間の世界にもたくさんの偽りのごちそうが存在していると思います。

物事を考える能力は人間の方が上かもしれません。

しかし、魚は剝き出しの野生で生きている分、日々の生活の中で多くを

学習し、慎重に行動をするのではないでしょうか。

 

 

 ひとつひとつの所作が命にかかわるのです。

そうしなければ、子孫を残せないのです。

種を絶やさず、生息域を広げ、繁栄を目指すのです。

そうさせる能力が野生の本能の中に組み込まれているのだと思います。

 

    (友人からの差し入れ タコの足をかじって食べた おいしかった)

 

          (自由に生きる 犬たち)

 

         (はなぐり海岸 海上遊歩道)

 

 この島は美しい夕陽が見られることで有名です。

太陽は地球のどこから見ても同じものであるはずですが、

海原と島があると、太陽は景色を美しい絵画のように描きだします。

 

 

          (夕日岬 はなぐり岩)

 

 「美しい」という表現が付く場所は世の中にたくさんあります。

普段、自分が暮らす場所や遠く離れた場所、自分のまだ知り得ない場所。

いろんな場所を自分の眼で見てみたいです。

だから、人は旅に出るのかもしれません。

 

         (落 地区のあたり)

 

 島での生活の最終日、残っていたサビキ釣り用に使ったアミ(小さなエビ)

を全部クロダイにあげる事にしました。

 

 

 喜んで食べるかな? と思ったのですが、アミに近づきもしません。

じーっと見ていても、平然と何事もなかったように泳いでいました。

 

 (太陽が笠戸島を照らしだした 2023年の始まりだ  太華山 山頂より )

 

       (笠戸島の赤いアーチの橋が見えている)

 

 美しい島、じいちゃんとばあちゃんが生きたこの島。

ふたりが生きたこの島の景観は少しづつ変わってきていると

思いますが、「美しさ」はずっと変わっていないと思います。

 

           (笠戸島 太華山 山頂より)

 

        (太華山登山道の途中にいるおじぞうさん)

 

 いつでも、ふたりの姿の背景には海がありました。

海が穏やかな日も、曇りの日も、嵐の日も決して海から

離れることはなく、この家で暮らしていました。

 

         (深浦漁港と深浦八幡宮がある森)

 

 

 

 

       (深浦漁港の先にあるサイコロ型公衆トイレ)

 

           (厳島明神の鳥居)

 

          (厳島明神の鳥居)

 

 多くの方々がこの島に魅力を感じて訪れます。

私も、そのひとりです。

よそ者だからこそ、余計この島が美しく尊く、特別なものに

見えているのかもしれません。

 

         (江の浦地区 新笠戸ドッグ)

 

     (国民宿舎 大城のすぐ近く 長岡外史公園)

 

        (国民宿舎 大城のすぐ近く 長岡外史公園)

 

    (国民宿舎にはレストランと温泉がある)

 

 また、この場所に来ることが出来るといいなぁと思いながら

海が見えない私の日常の場所へ向かいました。

 

   (家の近くでよく見かけた白い犬 食パン1枚をくわえて走っていた)

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 12月17日(土)

かねてから一度行ってみたいと思っていた場所へ向かいました。

目的地は東京湾のど真ん中、「海ほたる」です。

神奈川県の川崎市と千葉県の木更津市を結ぶ東京湾アクアラインの途中に

あるパーキングエリアです。

 

 

 本来は車で移動する際の休憩や食事に立ち寄る場所です。

私は東京では車を運転しません。

徒歩や自転車で行くことは出来ません。

でも、行ってみたいなぁとずっと思っていました。

 

 調べてみると、バスを利用すれば行けることが分かりました。

川崎駅と木更津間をバスが運行しているのです。

「海ほたる」で下車して、またバスに乗って戻ればいいのです。

 

 川崎駅前22番線で11時30発の木更津行のバスを待ちました。

15人ほどの方たちが並んでいます。 

よく知らない土地でバスに乗って移動するのはすごく楽しいです。

遠足気分でワクワクしながらバスを待ちます。

時刻表を見ると、だいたい1時間に1本の運行のようです。

 

 ですが、来ません。 バスが来ません。 5分経過しても10分経過しても

20分経過しても、30分経過してもバスは来ません。

待っている人たちの表情が少し、険しくなっているように見えました。

「何か問題が起きているのだろうか? 本当にバスはくるのだろうか?」

40分経過しました。 これまでに並んでいた2人が列から離脱しました。

バスでの移動を諦めて電車を使うのでしょうか?

 

 私が行きたい「海ほたるPA」に電車では行けません。  

厚着をしてきていますが、さすがに身体も冷えてきました。

 

 45分を経過して、やっとバスが来ました。

 

 

 川崎駅前から海ほたるPAまでの運賃は大人片道1100円です。

乗車時間は40分ほどです。

 

 

 東京湾アクアラインは川崎側から海ほたるPAまでは海底トンネルに

なっていて、その先、木更津までは海上の橋になっています。 

 

 

 ずっと、トンネルなので景観は楽しめませんが、トンネルに入るまでの

街を見ながら、何十年も前のことを思い出していました。

 

 この東京湾アクアラインが完成する1997年まで、川崎から木更津とを

フェリーが就航していました。  

車や自転車も船に載せる事が出来ました。

自転車にキャンプ道具を積んで、多摩川沿いに川崎まで走り、船に乗り

木更津の砂浜で1泊して陸路で帰宅したこともありました。 

懐かしい思い出です。

 

 

 

 海ほたるPAに到着しました。

 

 

 あたりまえですが、周りは全部海です。 

大型船に乗っているような錯覚に陥ります。

 

 

 天気はいまひとつ、パッとしませんが、やっとこの場所に来ることが

出来ました。  

 

 

 東京方面の沿岸を見ると右手にスカイツリーが見えました。

千葉方面をみると道路が見えます。  

「橋の上からの移動しながら見える景色もまたいいだろうな」

 

 

 海ほたるは陸上に造られた大型商業施設のように思えてきます。

巨大駐車場がたくさんあり、5階までのフロアーにコンビニやおみやげ屋さん

ゲームセンターやレストランが入っています。

 

 

 

 時間もお昼時になり、お腹がすきました。

最上階の5階の展望スペースの近くの木更津庵という店に入ることにしました。

 

 

 メニューをパラパラっと見ると、値段設定がだいぶ高めです。

でも、海の上にある特別な場所ですからね。

 いいものを見つけました。

「海ほたる天丼」です。 ごはんの上にドドーンと天ぷらがのっています。

エビが2匹もいます。 キス・大葉・カボチャ・ししとう・ナス それに

大きなアナゴがはみだして、今にも海へ逃げ出しそうです。 

ひょっとしたら食材は江戸前かもしれません。 

だとしたら、なおさらいいですね。

 

 

 値段は1880円 !!   8秒ほど、悩みましたがこれに決定しました。

せっかく、「海ほたる」に来たのです。  記念すべき日なのです。

 

 

 1880円の天丼は、高級感のあるおいしさです。

上品な味付けで、天ぷらの油も新鮮でサックサク、具材はふっくら、ふわふわ、

とてもおいしいお昼ごはんでした。  

(飲むヨーグルトは試供品でいただきました)

 

 

 で、ディバックから、無線機を取り出しました。

今日の目的はこれなのです。

 

 

 この場所は東京湾の真ん中にあるため、大きな障害物もなく

沿岸の土地と直線的に結ばれます。 

神奈川・東京・埼玉・千葉はすぐ目の前です。 

感度の良いたくさんの電波が出ているはずです。

 

 受信できるエリアが広範囲になるため、その分 無線交信をするチャンスが

単純に増えます。  

 

 

 栃木県宇都宮市の古賀志山(582.8m)から 強い電波が届いています。 

さっそく呼び出しに応答してみますが、こちらからの電波は届いていない

ようです。 5W出力では弱いのでしょうか。  

432.78MHz で埼玉県奥秩父からの電波を入感しました。

何度か、呼び出しに応えているうちに交信が出来ました。

埼玉県奥秩父の「皇鈴山(みすずやま)679m」展望台からでした。

この場所との距離は直線で89キロ弱あります。

 

 

 先方は空中線電力は10W、私は5W運用です。

私から先方に送ったRSレポートは5と9です。

私のRSレポートは5と2をいただきました。

(電波信号の了解度は最大5 信号の強さは最大9)

「R」は(READABILITY:了解度)「S」は(SIGNAL STRENGTH:信号強度)

よく電波が届いてくれました。

 

 先方は山の展望台からの移動運用でした。 私も移動運用です。

無線機を手にするだけで、こんな出会いが生まれるのですね。

 

 電波は眼には見えませんがこの無線機は、いろんな場所からの

電波と遭遇させてくれます。 

「無線」ならではの面白さだと思います。

 

 

 アマチュア無線従事者の免許の所有者数は300万人ほどで、実際に

稼働しているアマチュア局は37万局ほどだそうです。

今後、どれだけの局長さんたちと交信できるでしょうか。

 

 今日は「無線」を通して楽しい一日を過ごせました。

 

 

 私はハンディ機1台しか持っていませんが、時には無線機を

片手に遠出をして、どこかの誰かとつながり

例え、短い時間でもお話しが出来ることは、とてもぜいたくな遊びだなぁ

などと思いながら、日が沈みかけた「海ほたる」を後にしました。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

  

 

 頭の上に青空が広がっているのに、小雨がぱらつく時

「どこかで、きつねの嫁入りが行われている」といつも思っていました。

 

 

 とても不思議な現象です。

特別な力を持つと言われる、きつねだからこそ起こせることなのでしょう。

きつねの嫁入りの日にふさわしい天気だと思います。

 

 

 2022年11月3日(木) 

「きつねの嫁入り」を遂に見ることが出来ました。 

 

 

 

 路地は多くの人たちで埋め尽くされ、その中を厳かにきつねたちの行列が

続きます。

 

 

 

 

 

 

 そして、終盤に婚礼人力車に乗った きつねの新郎と新婦が姿を見せました。

 

 

 

 ふたり(二匹?)の新しい門出を傍らからみつめ、幸せを祈り

この行列を自分の眼で見られた事に感謝をしつつ、ふたりを見送りました。

 

 

 山口県下松市 花岡福徳稲荷社稲穂祭 きつねの嫁入り(第73回)が

3年ぶりに開催されました。

毎年、11月3日 五穀豊穣を祈願して行われる御神幸祭(ごじんこうさい)です。

 

 

 現実の世界であるにも関わらず、目の前の行列はどこか幻想的で

見えない膜のようなものに包まれて、大きくうねりながら塊が移動して

いくように感じられました。

 

 

 

 きつねたちは何故、この行列を見せてくれているのでしょうか。

それを見る里の人々は、どんな思いでこの行列を受け止めているのでしょう。

 

 

 

 下松市の観光ガイドに、この「きつねの嫁入りの行列」が行われる

ようになったいきさつが書かれてありました。

その内容は…。

 

 花岡の上市(かみいち)にある法静寺(ほうしょうじ)の住職はとても

徳の高い人として知られ、多くの人々に慕われていたそうです。

 1724年(享保九年)のある日、徳山(法静寺から8キロほど西にある場所)

出かけ、その帰り道 遠石から久米に出て坂道を越えるところで数珠がない

ことに気づきます。 

日が暮れてしまい、道は暗く、探しても見つけることは出来ませんでした。

 仕方なく寺に帰り、失った数珠のことを気にしながら床に就きました。

時間が経ち、うとうとしていると住職の枕元に何かが立って、こう話します。

「私たちは理由あって、しらむが森で死んだ白きつねの夫婦です。

数珠を届けにあがりました。 

お願いがあります。

私たちの亡骸を人様と同じように寺にひきとってはいただけないでしょうか。 

そうして下されば、お寺や里の人々を災難から守ることをお約束いたします」

という声を聞き住職は眼を覚ましました。

枕元には失くしたはずの数珠が置かれてありました。

 すぐさま、白きつねの亡骸をひきとり人間と同じように手厚く葬り、供養を

しました。 それ以後、この寺に参ると失くし物やたずね物が見つかるという

霊験が数多くおこり、次第に参拝者が増えたそうです。

 

 

 この白きつねの夫婦は福徳稲荷として法静寺の境内に祀られました。

これが花岡福徳稲荷社のはじまりです。

 

 

 

 毎年11月3日は稲穂祭りが行われて、遠くからもたくさんの人々が参詣に

訪れるようになりました。

 

 1950年(昭和25年)から「きつねの嫁入り 行列」が行われるようになり

さらに知名度を上げました。

 

 

※     お断り

 これ以降の記述は「きつねの嫁入り」に関して私が思うことであり、

 すべてが史実に基づいた内容ではありません。

 想像を含めた考察です。

 

 しらむが森は実存する森です。

「白見が森」と書きます。

 

         (現在:野球場とその周辺に広がる森)

 

 現在の遠石八幡宮、周南市野球場(津田恒美メモリアルスタジアム)、

大迫田墓地公園、このあたりにかつては森が広がっていました。 

 

 

 住職が数珠を失くしたことに気が付いた場所は、おそらく

「弥生時代のしらむが祭祀遺跡」があるあたりではないかと思います。

 

 理由あって命を落としたという白きつね夫婦ですが、一体どんな理由が

あったのでしょう。

 

 1724年(享保九年)この年の大きな出来事として「干ばつ」がありました。

松山市の歴史資料の中に、「伊予各地に干ばつ被害多く、雨ごいの千人踊りが

盛んに行われる」とあります。 

愛媛県と山口県、その間に瀬戸内海がありますがこの年、中国・四国地方は

雨が少なく収穫物に大きな影響が出たのではないでしょうか。

 

 

 きつねの食性は肉食です。 

鳥や田畑を荒らし穀物を食べる小動物を主食としますが、食べるものが少なくなると

雑食性になり、人里に近づき残飯やニワトリなどを狙います。

干ばつともなると動植物全体の生態系そのものに影響を及ぼすはずです。 

森で暮らすきつねも例外ではないはずです。

しらむが森の白きつね夫婦の死因は「餓死」ではないかと思います。

 

 

 花岡に伝わる、この白きつね夫婦と住職とのお話しには妙な説得力を

感じます。

不思議なお話しではありますが、どこか現実味を帯びています。

それは、里に生きる人々と森に生きる きつねとの距離感の近さだと考えます。

 

 

 里の人々は、田畑を耕しながら よく きつねの姿を見かけていました。

きつねは穀物を狙う小動物を主食とします。

里の人にすれば、きつねは野菜や稲を守ってくれる有難い存在です。

次第に人ときつねの関係性は深まり、人にとってきつねは特別な存在に

成り得ていたと思います。

 

 

 「お天気雨」の事をいう「きつねの嫁入り」とても不思議な言葉だと思います。

動物たちも結婚式を挙げたりするものなのでしょうか。

この言葉が生まれる背景にきつねは大きく関係しています。

 

 

 かつて、里での婚礼は夕闇が迫る頃に、提灯を持った人を先頭にして

祝い樽・仲人・花嫁・付き添い・両親・親戚の順に列を作り、唄を歌いながら

田んぼ道を歩き、新郎宅へ新婦が嫁入りしました。

暗闇の中で提灯が連なるように見える現象は、婚礼事以外にも起きていました。

 

 地中から「りん」が地上へ出て自然発火する現象です。

液状であれば空気に触れると発火します。

暗闇の山野で「怪火」が揺らめくさまを「狐火」とも呼び、里からみると

まるで嫁入りの行列に見えたそうです。 しかし、実際には嫁入りの行列は

存在せず、おそらくきつねが人を化かしているのだろうと考えられました。

 

 

 この狐火が多く見られた年は豊作になり、少ない年は不作になると言われました。

「りん」は農作物の育成に必要なものであり、土中に生成された「りん」の量が

関係していると思われます。

 

 

 「お天気雨」も同じように不思議な現象です。

上空で雨を降らせた雲が風により移動したり、雲が消滅すれば、地上で雨を

受けた時に頭上を見上げても雲はすでにそこにはなく、晴れ上がった空が見えます。

お天気雨の現象はこうして生まれます。

 

 

 また、山できつねが嫁入りしている様子を里の人たちに見られないように

行列の際に雨を降らせて、人々を家屋に入らせているのだという説もあります。

まさに、お天気雨=きつねの嫁入り を説明できる内容です。

 

 農村部では人ときつねはとても近い関係を持って、それぞれが生きていました。

お互いの生活の中で認め合い、共に暮らしてきたのです。

不思議な現象や神がかりな説明のし難い出来事はおそらく、きつねによるものだ

と考えて、帳尻を合わせてきました。

 

 

 花岡のきつねの嫁入りの行列を見て、改めて人と自然の深い結びつきを

考えさせられます。 

生物が地球上で生き続けるために必要なものは、「自然」であり、

同じ命を持つ者は互いに「認め合う」ものである と

この御神幸は伝えているのです。

 

 

 

 このきつねの嫁入りの行列を初めて見て、真っ先に疑問に思った事は

なぜ、「葬式」ではなく「嫁入り」なのだろうか? ということでした。

白きつねの夫婦は「祝言を挙げさせてほしい」とは言っていません。

 

 里の人は探し物が見つかり、災いから守られて生活出来るのはすべて

白きつね夫婦のおかげだと考えました。

人々は白きつね夫婦に深く感謝をして、慈愛を持って祀ってきました。

手厚く葬り、戒名をつけ、白きつね夫婦が望むように人と同じ供養を

しました。  立派な葬式も行われたはずです。

 

 そうした中、住職や里の人々はもっと白きつね夫婦に感謝を伝えたい

と思ったのではないでしょうか。

 多くの人たちが皆一緒に、白きつね夫婦と豊作を願い、災いを避けて

安全に、楽しく生きていけるように、ずっとこの幸せが続きますように。

という思いが「きつねの嫁入り 行列」という形におさまったのでは

ないかと考えます。

 

 

 歴史に残る、伝承には慣習、風俗、信仰、伝説、知識、技術などが

詰まっていて、文化的に価値があるものだと思います。

とても魅力的でもあります。

 

 「きつねの嫁入り 行列」はこの先も廃れることはなく、いつまでも

この花岡で語り継がれ、ずっと続いていくことでしょう。

 

 

 

 いろいろと調べている中で面白いことを知りました。

「お天気雨」のことを「きつねの嫁入り」というのはいかにも日本的だなぁ

と思っていたのですが、実は海外でも似たような表現が存在するようです。

 

 マレーシア → 「きつねの嫁入り」 

 スリランカ → 「きつねの結婚式」 

 韓国 → 「きつねの雨」又は「トラの結婚」

 インド →「ジャッカルの結婚」又は「サルの結婚」

 フランス →「オオカミの結婚」

 

 不思議な現象を動物と結び付けて考えることは万国共通のようです。

事象の根底には、土地の人たちのどんな思いがあるのでしょうか。

すごく興味深いことです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。