2025年3月末に「小学校教諭1種免許状」を取得しました。
もう何十年も前の事ですが、教育実習まで済ませてあったのに諸事情で免許状の取得が出来ていませんでした。
ずーっと、中途半端な状態を維持していることが自分の中ではとても嫌でした。
2023年4月から教員養成課程のある学部に3年次編入をしました。
最短の時間で、お金も最小限の支出で抑えたいと思い、私なりに努力しました。
4年次にあたる、2024年は特別支援学校と社会福祉施設での介護等体験や教員としての資質・能力を高める総仕上げ的な授業である教職(教諭)実践演習など、資格取得には欠かせない体験や授業があります。
介護等体験に関しては、自分で実践期間を決定出来るものではなく、提示された期間に実践しなければなりません。
その機会を逃したら1年後・・ということになります。
なので、おもいきって1年間休業して学業に専念していました。
結局、介護等体験は新型コロナ感染症対策のため代替措置となり、レポート提出と試験での単位修得となりました。
2023年にこれまでの長期間に及ぶ仕事過多の影響で身体に不調が出ました。身体を休める意味でも1年間の休業を選択した事はよかったと思っています。
2024年の12月末には必要な単位が揃ったので、2025年になってからはボーッとしていました。それまでは、レポート提出や試験対策の学習をひたすら続けてきた毎日だったので、急にやるべきことがなくなり力が抜けた感じでした。
他の学生さんたちは4月から始まる教育現場での仕事に向けて、緊張したり、更に学びを深める期間になるのだと思いますが、私の目的は資格取得です。転職するわけでもありません。
しかし、学んできたことに無駄はひとつもないと感じています。
自分の人生の中で活かす事が出来ます。
積極的に学校の教育現場に出ようとは考えていませんが、例えば学童クラブとか地域の単なる じじいとして、活動出来るかもしれません。
無限の可能性を持っている子どもたちと接することは、楽しいし好きなので何かしら教育的な視点で子どもたちと関わっていけたらいいなと考えています。
本当であれば、この記事はここで終わりです。
あまりあれこれ書いても、読む人などいないだろうし、自己満足の域を出ることはないだろうと考えます。
でも、自分の人生の記録としてちょっとだけ書き残しておきます。
現在、文部科学省は学習指導に於いて、育成を目指す資質・能力の三つの柱をあげて、すべての教科に関連付けた実践をしています。
1つ目は、「知識・技能」 何を理解しているか、何が出来るか。
「どのように学ぶか」(学び方)を意識して「何ができるようになるか」を
目指しています。
2つ目は、「思考力・判断力・表現力等」
理解している事、出来る事をどう使うか。
3つ目は、「学びに向かう力・人間性等」
どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るか。
という三つの柱です。
私は恥ずかしながら、今の子どもたちにどんな教育が成されているかという事を
把握せずに生きていました。とても無責任な大人だと言えます。
子どもたちは、いずれ日本や世界を支える人材になります。
そのためには、予測不可能な現代社会の中で強く、賢く、生きていける力を備えなければなりません。現在抱えている地球規模の環境問題の解決にしても今の子どもたちの力が必要になります。未来を見据えた教育に必要不可欠なものが、この育成を目指す資質・能力の三つの柱です。 過去を遡っても、これほどまでに分かりやすく整理され、的確な学習指導要領は他にないと思います。
教育の目的はご存知の通り、人格の形成と平和で民主的な社会の形成者の育成です。
この目的を実現するために、三つの柱が存在しています。
「成長」と「自立」 普遍的な課題への時代を反映させた取り組みです。
学習スタイルも時代の流れと共に大きく変わってきています。
あらかじめ用意されてある答えに向かう学習内容ではなく、答えのない、自分たちで課題を見つけて、調べて、よく考えて、仲間と話し合い、自分の考えを導き出し、合意形成し、それを他者に向けて発表するといったものです。
こうした個々の学習のプロセスを重視したアクティブ・ラーニングという主体的で対話的な学習スタイルがこれから増えてきます。
すべては予測不可能な時代を強く生き抜くための力をつけるためです。
また、初等教育は義務教育の入口という認識もありますが、同時に大きな使命を含んでいます。それは生涯に渡り学んでいくための「学びかた」を身に付ける期間であるということです。学校に通っている期間だけが学びの時間ではありません。人間は生涯に渡り学び続けなければなりません。
そうしないと、変化し続ける時代の波を越えて生きていけなくなってしまいます。
顕著な例が世の中のデジタル化です。スマートフォンやタブレット、PCなどの操作が普段の生活の中に浸透しています。私たちは必要とする操作技術やマナーやモラルを持たなければ、日常生活が立ち行かなくなってしまうのです。
生きている限り、「学び」が必要となるのです。
私が今後、大切にしていこうと考えている事が次の2つです。
「省察と実践」・「自己指導能力の育成」
この2つは最も強く印象に残った学習実践方法であり、指導です。
これは子どもたちだけに向けられたことではなく、大人や全人類が肝に命じて実践していかなければならないことだと私は考えています。
この2つの能力を全人類が持つことが出来たならば、いじめの問題は消滅します。
「そうなればいいな」と感じられた方は、ご自身でこの2つの言葉の意味を調べてみてください。
そこから、よりよい社会が始まります。
「教育」とか「学び」は特別なことではありません。
普段の生活の中で誰もが無意識のうちに実践していることです。
「不思議だな」と思ったら、調べてみる。
「もっとこうなったらいいのに」と思ったら、自然に試行錯誤していますよね。
そうした事柄が集まり、積み重なり、伝えられて、広がっているのが私たちの社会です。
たくさんの事柄や人々を結んでいるのが、教育であり学びだと私は考えています。
自分の人生を豊かにしていこうと考えるとき、教育や学びは最強の力になると思います。
現代の教育活動を実践している今の子どもたちが創る未来がとても楽しみです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。