2025年3月末に「小学校教諭1種免許状」を取得しました。

もう何十年も前の事ですが、教育実習まで済ませてあったのに諸事情で免許状の取得が出来ていませんでした。

 

 ずーっと、中途半端な状態を維持していることが自分の中ではとても嫌でした。

 

 2023年4月から教員養成課程のある学部に3年次編入をしました。

最短の時間で、お金も最小限の支出で抑えたいと思い、私なりに努力しました。

4年次にあたる、2024年は特別支援学校と社会福祉施設での介護等体験や教員としての資質・能力を高める総仕上げ的な授業である教職(教諭)実践演習など、資格取得には欠かせない体験や授業があります。

介護等体験に関しては、自分で実践期間を決定出来るものではなく、提示された期間に実践しなければなりません。 

その機会を逃したら1年後・・ということになります。

 なので、おもいきって1年間休業して学業に専念していました。

結局、介護等体験は新型コロナ感染症対策のため代替措置となり、レポート提出と試験での単位修得となりました。

 2023年にこれまでの長期間に及ぶ仕事過多の影響で身体に不調が出ました。身体を休める意味でも1年間の休業を選択した事はよかったと思っています。

 

 2024年の12月末には必要な単位が揃ったので、2025年になってからはボーッとしていました。それまでは、レポート提出や試験対策の学習をひたすら続けてきた毎日だったので、急にやるべきことがなくなり力が抜けた感じでした。

 

 他の学生さんたちは4月から始まる教育現場での仕事に向けて、緊張したり、更に学びを深める期間になるのだと思いますが、私の目的は資格取得です。転職するわけでもありません。

しかし、学んできたことに無駄はひとつもないと感じています。

自分の人生の中で活かす事が出来ます。

 

 積極的に学校の教育現場に出ようとは考えていませんが、例えば学童クラブとか地域の単なる じじいとして、活動出来るかもしれません。

無限の可能性を持っている子どもたちと接することは、楽しいし好きなので何かしら教育的な視点で子どもたちと関わっていけたらいいなと考えています。

 

 

 本当であれば、この記事はここで終わりです。

あまりあれこれ書いても、読む人などいないだろうし、自己満足の域を出ることはないだろうと考えます。

 

 でも、自分の人生の記録としてちょっとだけ書き残しておきます。

 

 現在、文部科学省は学習指導に於いて、育成を目指す資質・能力の三つの柱をあげて、すべての教科に関連付けた実践をしています。

 1つ目は、「知識・技能」 何を理解しているか、何が出来るか。

   「どのように学ぶか」(学び方)を意識して「何ができるようになるか」を

   目指しています。

 2つ目は、「思考力・判断力・表現力等」

   理解している事、出来る事をどう使うか。

 3つ目は、「学びに向かう力・人間性等」

   どのように社会・世界と関わりよりよい人生を送るか。   

   という三つの柱です。

 

 私は恥ずかしながら、今の子どもたちにどんな教育が成されているかという事を

把握せずに生きていました。とても無責任な大人だと言えます。

 

 子どもたちは、いずれ日本や世界を支える人材になります。

そのためには、予測不可能な現代社会の中で強く、賢く、生きていける力を備えなければなりません。現在抱えている地球規模の環境問題の解決にしても今の子どもたちの力が必要になります。未来を見据えた教育に必要不可欠なものが、この育成を目指す資質・能力の三つの柱です。 過去を遡っても、これほどまでに分かりやすく整理され、的確な学習指導要領は他にないと思います。

 

 教育の目的はご存知の通り、人格の形成と平和で民主的な社会の形成者の育成です。

この目的を実現するために、三つの柱が存在しています。

「成長」と「自立」 普遍的な課題への時代を反映させた取り組みです。

 

 学習スタイルも時代の流れと共に大きく変わってきています。

あらかじめ用意されてある答えに向かう学習内容ではなく、答えのない、自分たちで課題を見つけて、調べて、よく考えて、仲間と話し合い、自分の考えを導き出し、合意形成し、それを他者に向けて発表するといったものです。 

こうした個々の学習のプロセスを重視したアクティブ・ラーニングという主体的で対話的な学習スタイルがこれから増えてきます。

すべては予測不可能な時代を強く生き抜くための力をつけるためです。

 

 また、初等教育は義務教育の入口という認識もありますが、同時に大きな使命を含んでいます。それは生涯に渡り学んでいくための「学びかた」を身に付ける期間であるということです。学校に通っている期間だけが学びの時間ではありません。人間は生涯に渡り学び続けなければなりません。

そうしないと、変化し続ける時代の波を越えて生きていけなくなってしまいます。

顕著な例が世の中のデジタル化です。スマートフォンやタブレット、PCなどの操作が普段の生活の中に浸透しています。私たちは必要とする操作技術やマナーやモラルを持たなければ、日常生活が立ち行かなくなってしまうのです。

生きている限り、「学び」が必要となるのです。

 

 私が今後、大切にしていこうと考えている事が次の2つです。

「省察と実践」・「自己指導能力の育成」

この2つは最も強く印象に残った学習実践方法であり、指導です。

これは子どもたちだけに向けられたことではなく、大人や全人類が肝に命じて実践していかなければならないことだと私は考えています。

 この2つの能力を全人類が持つことが出来たならば、いじめの問題は消滅します。

「そうなればいいな」と感じられた方は、ご自身でこの2つの言葉の意味を調べてみてください。

そこから、よりよい社会が始まります。

 

 「教育」とか「学び」は特別なことではありません。

普段の生活の中で誰もが無意識のうちに実践していることです。

「不思議だな」と思ったら、調べてみる。 

「もっとこうなったらいいのに」と思ったら、自然に試行錯誤していますよね。

そうした事柄が集まり、積み重なり、伝えられて、広がっているのが私たちの社会です。

たくさんの事柄や人々を結んでいるのが、教育であり学びだと私は考えています。

 

 自分の人生を豊かにしていこうと考えるとき、教育や学びは最強の力になると思います。

現代の教育活動を実践している今の子どもたちが創る未来がとても楽しみです。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

      

                    (番組宣伝写真)

 テレビ埼玉で「パパと呼ばないで」のドラマが再放送されていて、

2024年11月26日(火)は最終話の放送でした。

このドラマは1時間枠の内容で全部で40話あります。

 初めて、このドラマを見る方、そして、もう何度も何度も見ている方、たくさんの方たちが、このドラマを楽しみに見ていたことと思います。

私もそのひとりでした。これまでに何度も再放送の機会に恵まれました。

仕事仲間が家庭で収録したドラマをDVDに焼いてくれました。

いつでも、見ようと思えば見ることのできるドラマなのですが、私は再放送の期間中、毎回の放送を楽しみに過ごしていました。プロ野球中継や選挙関連、買い物チャンネルの番組で放送がない週もありましたが、毎回、右京さんやチー坊、お米屋さんのご家族、鮮魚店の金さんや春子さんと会えるのを楽しみにしていました。

 

 最終話を見ていて、涙は溢れませんでしたが、「うん、うん そうだよね」

「そんなことあるんだろうな」「チー坊がいちばん大人だな」などと考えながら、52年前に制作されたドラマに浸っていました。

 

 私は今回、このドラマは第2話から見始めました。

ちょうど1年前のことです。

2023年11月16日に私の過去記事にコメントが入り、「パパと呼ばないで」のドラマが再放送されているということを教えていただきました。

2021年の5月に<堀切駅とみゆき堂菓子店>というタイトルで「パパと呼ばないで」のロケ地での探索を地味に行い、記事にしていました。

(よくぞ、この記事を見つけてくれたものだと思います)

そんなことがあり、第2話から私も視聴に参加していました。

 

 そして、再放送を見終えた勢いも手伝い、右京さんとチー坊が暮らしていた町に行ってみたくなりました。

「行こう!」

「行かねばなるまい!目指すは月島じゃ!」

 

 ここから先は、ドラマ「パパと呼ばないで」に関する私の個人的な思いと考察です。思い入れのある、ロケ地を4箇所巡りました。(一部ネタバレ含みます)

 

 

 2024年11月30日(土)晴天

私が真っ先に向かった場所は、「相生橋(あいおいばし)」です。

隅田川を渡る清澄通りを通す橋です。

 

 

 東側は陸地側の江東区越中島、そして西側の月島とを結んでいます。

きれいで小洒落た橋です。

トラス桁橋という構造だそうです。

 

 

           (月島 ← 相生橋 → 陸地側)

 

 橋桁の上にトラスという三角形の集合体をつなげて強度を保っています。

この橋は、1998(平成10)年12月に架け替えられたものです。

ドラマの中での相生橋は関東大震災で延焼・焼失した橋に変わり、1926(大正15)年

11月に架けられた鉄鋼ゲルバー橋です。

 

 (1926年完成の旧相生橋 Wiki)

 

 私の中での相生橋はこの橋です。

相生橋は、このドラマの中で象徴的な建造物なのです。

 

       (テレビ埼玉 再放送「パパと呼ばないで」 第2話より) 

 

 チー坊が初めて右京さんを「パパ」と呼んだ第2話のラストカットはこの相生橋でした。

そして、最終話に新しいママとチー坊、右京さんの3人が歩く場所としても相生橋が登場します。

 

         (テレビ埼玉 再放送「パパと呼ばないで」 第40話より)

 

               (相生橋 月島方向)

 

 現在、相生橋はその姿を変えてしまいましたが、当時から存在しているこの丸い球体のモニュメントは残されています。この球体はすべてを見ていたはずです。

右京さんの哀しみや葛藤、そして喜び。チー坊の悲しみや思い。

 

 

 私には、右京さんとチー坊を町の人たちが見守ってくれているだけではなく、道路や建物、そして橋、町そのものが、二人を見守っているように感じられます。

その象徴が相生橋に思えるのです。

 

 (相生橋の月島寄りにある お肉屋さんでお弁当を買った)

 

        (相生橋を眺めながら お弁当を食べた)

 

 そして、明石児童公園へ向かいました。

この公園は、チー坊が自分の正直な気持ちを大人たちに伝える重要な舞台となっています。

チー坊が思い悩む時はだいたい、この公園にいます。そして苦しみ、考え、自分で出した答えを口にします。 

 チー坊が口にする劇的な言葉の終わりに、効果的な音が入ります。これをきっかけにして、ドラマの流れが陰から陽へと転換します。

(見ている私たちの、涙流出のスイッチと言えるのかも知れません)

 

     (明石児童公園 ブランコやジャングルジムは撤去されていた)

 

 第2話でのシーンです。

右京さんとチー坊が銭湯からの帰り道、この公園のブランコに乗りながら話をはじめます。

右京「なぁ、チー坊 ママがいたらなぁと思うか?」

チー坊「・・うん」

右京「パパじゃどうだ」

チー坊「・・・」(右京さんをみつめる)

右京「あのなぁ、おじちゃんをパパって呼んでいいぞ」

チー坊「・・・」(ブランコから離れて、右京さんに背を向ける) 

 

 ※) チー坊は何かを問われて、自分の答えを口にする時は、だいたい1度はその

    質問する大人に背を向けます。

    質問をした大人は、チー坊の背中を見つめながら、様々な思いを急速回転

    で巡らすことになります。「あっ、言っちゃまずかったかな」

    「どうしよう」「もっと他の言い方もあったかな」

     もちろん、見ている私たちも、この大人と同じ心境になっています。

 

右京(チー坊に近づき)

  「そりゃまぁ、急に呼べって言ったって、そりゃ無理だよな」

右京「じゃ、帰ろうか 湯冷めするといけないから」

(右京―歩き出す)

チー坊「・・・待ってよ  パパ

右京「えっ?」「もういっぺん言ってみな」

チー坊「はい、パパ

右京「ハッ、ハ、わりと上手く言えるじゃないか」

 

 初めて、チー坊が右京さんを「パパ」と呼んだシーンです。

この2人だけに注目しても、ジーンときますが、ドラマではこの一部始終を鮮魚店の

金造さんと娘さんの春子さんの2人が偶然見かけていました。

金造「おめえが泣くことねえんだよ ばか」

春子「とうちゃんこそ、目が光ってるじゃないか」

金造「てやんでぇ、光線の加減だよ」

 

 右京さんとチー坊の二人の様子を、金造さんと春子さんが見ていることで、このシーンはとても重厚になります。

エピソードを1本の糸で描くのではなく、何本もの糸が絡まることで、人間模様を多角的に描き、奥行きと厚みを増しています。

 右京さんのこころの優しさに触れ、チー坊のいじらしさを感じ、さらに金造さんと春子さんの温かいこころに私たちは接します。

当然、涙の量も増えることになります。

 

     (明石児童公園 小さなすべり台がポツンと置かれてあった)

 

          (勝鬨橋 かちどきばし → 銀座方面)

 

         (月島川水門とその奥に西仲橋)

 

                (西仲橋)

 

 そして、西仲橋です。

この橋の上で、チー坊は新しいママに、何度も何度も「ママ、ママ、ママ」と泣きながら抱きつきます。そして、「どこにも行かないで!」と言うのです。

 幼くして実母を病気で失い、実父は行方知れずで、母の弟である右京さんと暮らすことになったチー坊に新しいママが出来ました。2人がこころから信じ合い、頼れる親子の絆が固く結ばれた瞬間です。 

 

 

 佃住吉神社です。

都電廃止、住宅の建て替え、橋の架け替え。

半世紀経っているのですから、あたりまえかもしれません。

 

 

 

 ドラマの中での風景が現在の風景と完全に重なる場所は、ここだけかもしれません。

住吉神社の裏手の水路と接する場所は、当時のままのように見えました。

 

 

 私がとても印象に残っている台詞があります。

第39話でのワンシーンです。下宿先の茶の間でご主人の精さんと奥さんの時枝さんが二人でお茶を飲んでいます。精さんがしみじみと言葉を口にします。

幸せってやつは、いろんな かたち があるのかもしれないな」

奥さんは精さんを、穏やかな視線で見つめます。

 

 この精さんの言葉は「パパと呼ばないで」のメインテーマです。

登場人物たちはそれぞれが、第1話からずーっとこの「幸せ」に向かってきました。

ひとり、ひとりには違った生活背景があり、思いがあり、その中で「幸せ」を模索しながら皆が歩んできました。

 

 ついさっきまで、知らなかった人と出会い、話を聞き、互いの言動を見て、自分の中で受け止めて、考え、そして共感して、相手との絆を深めていく。

その出会いは、つらい思いや、どうにもならない現実を少しずつ変えていきます。

人を変えるのは環境です。

右京さんとチー坊は、周りの人たちの温かい支えを得て、新しい生活に馴染んでいきます。

 

 このドラマでは、見ていて知らず知らずのうちに涙がこぼれてしまう事が多々あります。

なぜでしょう。

こんな不憫なことがあるのか、なんて気の毒なんだろう、可哀想だな。

全部違います。

 涙がこぼれてくるのは、人のこころの温かさに触れるからです。

チー坊をとりまく人たちの温かい こころの動きが感じられた時、見ている私たちは、擬似的にその場に居合わせた状況になり、ついつい涙をこぼしてしまいます。

 ドラマを見ながら、その時々の状況を私たちは、自分のこととして捉えて見ていきます。

それを可能にしているのは、登場人物が丁寧に、そして細やかに描かれているからです。

役者さんの魅力ももちろんありますが、ストーリーのベースがしっかりとしているからです。

 

 原案と脚本は「葉村彰子」という共同ペンネームの作家集団が担当しています。

このドラマでの主要メンバーは松木ひろしさん、向田邦子さん、窪田篤人さんなど

「ホームドラマ」を世の中に定着させ、ひとつの時代を築いた作家さんたちです。

私はこのドラマは世の中の「多様性」に眼を向けた魁ともいえるドラマだと考えています。

人のあり様、家族の形態、人が生きることについての多様性を数多く提示しています。この後、石立ドラマは、「雑居時代」「水もれ甲介」などと他人同士でありながら、家族的な人との関わりを重視した作品へと向かいます。 

「なんだよ、今頃、気が付いたのか?」と石立さんがニヤッとする顔が目に浮かびます。

 

 私が、子供の頃にこの「パパと呼ばないで」に出会って、何度も見る機会を得て、毎回何かしら新鮮なものを見つけたり、何かを感じ取ったりという、新しい発見がその度にあります。

多くの方たちが、同じような気持ちになっているのではないかと思います。

何度も何度も再放送がされる理由はそこにあるのではないでしょうか。

 

 俳優さんという仕事は素晴らしいと思います。

時代の中にしっかりと刻まれて、その生きる姿はフィルムに焼きつけられて、いつまでも残ります。作品の中と視聴者の心の中で永遠に生き続けることが出来るのです。

 

             (相生橋からの風景)

 

 町の側に流れている水がある風景はいいなぁと思います。

水面に日差しを受け、輝き、日が落ちると赤みを含み、少しずつ闇に包まれていきます。

でも、水はずっとその流れを止めません。時間を運ぶように流れ続けます。

 

             (佃大橋と鳩)

 

 

 川には橋が架かり、人の生活を支えています。

時間の流れの上を、人は生きていきます。

 

             (相生橋 月島側から見る)

 

            (相生橋  鳩と雀)

 

「相生橋」は、私にとっては特別な橋です。

この橋は、神社で言えば鳥居の役目を果たしているように感じます。

この橋を渡り月島に入れば、そこには右京さんやチー坊たちが暮らす町があります。

時間は流れても、この場所には心の中に刻まれた、もうひとつの特別な時間と空間が、以前と同じように存在しているように感じられます。

 

           (相生橋 月島方向を見る)

 

         (テレビ埼玉 再放送「パパと呼ばないで」 第2話より)

 

「人が生きていくことは大変なこともあるけど、素敵なことだね」

どこから、ともなく聞こえたような気がしました。

 

          

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 2024年8月24日(土) 

1年に一度の祭典 アマチュア無線フェスティバル「ハムフェア2024」が開催されました。

ハムフェアはアマチュア無線界最大のイベントです。老若男女がこぞって参加する熱い催事です。

 

 

 普段、催事に縁のないような私ですら、「行ってみようかな」と思うビッグイベントです。

 

 

 

 今年の会場は有明GYM-EX  (ジメックス)展示会場が使用されました。

前回までの東京ビッグサイトとはまた違った雰囲気で楽しめました。

 

 

 ちなみにGYM-EX とは東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で

使用された有明体操場の後利用として、東京都が都内中小企業振興のために整備した展示場です。

 


 有明GYM-EX(ジメックス)は、地名(有明)と体操競技場であった経緯

(体操を示すGymnastics)と展示場であること(展示会を示すExhibition)を

表現する有明展示場の愛称からだそうです。

 

 

 開催は2日間です。

8月24日(土) 10時から17時 / 8月25日(日) 10時から15時30分 

 入場整理費(税込、※会期中有効)

 一般 2000円 / JARL会員(会員証提示)・女性・障害者手帳提示 1000円

 大学生(22歳未満)まで無料 

 

 

 会場には多くの無線機器メーカーの出展や様々な無線クラブなどが出展を

していて、懐かしい短波ラジオや無線機器、クラブ活動の紹介がされていました。

 

 

 私は携帯できるアンテナが欲しいなぁと思い、しばらく見ていましたが購入まで

には至りませんでした。

会場特価での値段設定で出ている商品も多いので、この催事に合わせて

機器やアンテナを購入するとお得な買い物が出来ると思います。

 

 

 モールス信号を打つ電鍵(でんけん)に興味があって、ちょこちょこ触っていた時に、何も考えずに隣にいた方に、

「これいいですね」と私が声を掛けてしまったら、隣の年配の人が「いいのはこっちの方だよ」と教えてくれました。

なるほどトンツートンと打ってみると確かにしっくりときます。

「これは名機なんですよ。もう売られていないけど」と解説してくれました。

 

 

 いつか、電鍵をトントンしてみたいなぁという気持ちはありますが・・自分に出来るのかなぁ。

 

 

 

 ここに来ている方々は電波に取り憑かれた方たちということなのでしょうか。

少年時代に始めて、今では大ベテランの方たちが多いように見受けられます。

 

 

 ずっと、自分の趣味を全う出来ている方たちは、自信に溢れ、自身に誇りを持って

無線機に接しているように思えました。とても素晴らしい事だと思います。

 

 

 会場をほっつき歩いていると、無線をやっている方たちの実像が見られて面白いです。

 

 

 会場の休憩場の横に珈琲店と牛タン、わらび餅のキッチンカーが並んでいました。

私は思い切って牛タン丼(1500円)を食べようと決心して並んだのですが、ご飯が

なくなってしまったということで、牛タン丼は食べられませんでした。

長蛇の列の珈琲店ではカレーがあと30皿ほど用意できるとアナウンスしていました。

時刻は12時40分でこの状態だったので食べるのであれば、少し早めに行った方がいいです。

 

 

 お腹が空いたので帰ることにしました。

 

 

 また、来年も行けたらいいなぁと思いながら、ゆりかもめに乗り、

レインボーブリッジを渡り、帰路につきました。 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 少しずつ外気温が上がり、歩くと汗ばむようになりました。

季節が変わろうとしています。

 

 

 春が遠のき、初夏がそこまできています。

 

 

 ムスカリは風に揺れ、さくらの花びらは空を舞い、梅は結実をしました。

 

 

 さくらの樹木は、淡いピンク色からみどり色へと衣替えがはじまりました。

 

 

 水も温み、生き物たちの動きが活発になってきています。

 

 

 川岸で水しぶきをあげているのは数匹の鯉たちです。

 

 

 産卵がはじまっていました。

 

 

 一度に産み落とされるタマゴの数は20万から60万粒といわれています。

 

 

 ヤマトヌマエビやメダカたちも繁殖がはじまっています。

 

 

 季節は巡りますが、

春は生命が躍動し、循環していることを最も感じられる季節だと思います。

 

 

 来年の春、自分は何をしているでしょうか。

元気にほっつき歩いていられたら、いいですけど。

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

                     (杏の花が咲きました 3月22日)

 

 2024年3月14日(水)

自宅に簡易書留郵便で新たに取得した資格の免許証が届きました。

「特定第一種圧力容器取扱作業主任者」という資格です。

「特定」と冠がついているあたりが、普通ではない感があります。

 

          ( ↑ 2024年3月 新免許証)

 

 第一種圧力容器とは、大気圧における沸点を超える温度の液体(飽和液)を

保有する容器のことです。

飽和液は大気圧以上の圧力で液体になっています。大気圧では気体になります。

仮に容器が破裂すると内圧が下がり、飽和液が蒸気となり体積が急膨張するため、

その被害は甚大になります。

そうした事が起きないように事業者は責任者を選任して安全管理に努めることが

労働安全衛生法で定められています。

 

 

 特定第一種圧力容器作業主任者免許(特一圧作業)を受けた者は、電気事業法、

高圧ガス保安法又はガス事業法の適用を受ける第一種圧力容器のうち、加熱器を

有するものにあっては内容積が5㎥超、反応器・蒸発器・アキュムレータを有する

ものにあっては内容積が1㎥超えのすべての第一圧力容器について作業主任者と

なる資格があります。

(アキュムレータ:蓄圧器 液体の圧力エネルギーを気体の圧力エネルギーに

  変換して蓄えておくものです)

 

           (杏の花 3月22日 )

 

 この資格を取得するための公認の講習や国家試験はありません。

試験による免許の取得制度はないのです。

次のいずれかの資格要件を満たす者に対して、申請に基づいて交付されます。

A―電気事業法第44条第1項第6号の第一種ボイラー・タービン主任技術者免状

又は同項第7号の第二種ボイラー・タービン主任技術者免状の交付を受けている者。

B―高圧ガス保安法第29条第1項の高圧ガス製造保安責任者免状、又は

高圧ガス販売主任者免状の交付を受けている者。

C―ガス事業法第32条第1項のガス主任技術者免状の交付を受けている者。

 

 

 私は2023年に高圧ガス製造保安責任者(第三種冷凍機械責任者)の資格を

取得したので、その資格を根拠に申請しました。

私の免許証の「特一圧作業」の上のビットが2になっています。

これは、Aでの申請であればビットが1となり、

BCでの申請であればビットが2になります。

 

 第一種圧力容器取扱作業主任者の資格は、ひとつだけではありません。

種類により、取得方法や取り扱える範囲に違いがあります。

1-普通第一種圧力容器取扱作業主任者技能講習:資格取得制限なし、講習による取得

 免除として二級ボイラー技士以上の資格があれば普通第一種圧力容器取扱主任者

 になれます。受講2日間12時間 受講料 12000円~18000円ほど(テキスト代込)

2-化学設備関係第一種圧力容器取扱作業主任者技能講習:化学設備関係の実務経験が

 5年以上であれば。講習を受講できます。受講3日21時間 

 受講料19000円~22000円ほど

 

 上記の2つは技能講習修了者となります。免許ではありません。

一般的には免許が上級の資格とされ、免許所持者に比べて技能講習修了者の権限が

狭くなることが多いのですが、第一種圧力容器取扱作業主任者に関しては、

最上位は化学設備関係第一種圧力容器取扱作業主任者技能講習です。

 

 

                       (Wikipediaより)

 

 申請にあたっては、厚生労働省のホームページで確認してください。

 

 

 通常は、必要書類を持ち、申請者の住所地を管轄する労働局へ

出向いて申請するのですが、 

東京都の場合は新型コロナ感染症対策として、

郵送での手続きとなっています。

(2024年3月時点)

申請する前に確認が必要です。

(申請に必要なもの)

◯免許申請書 (HPでダウンロード出来ます)

◯写真 24mm ✕ 30mm 

◯申請の根拠となる資格の免許証のコピー 

◯労働安全衛生法の免許証 (所有している場合)

◯収入印紙 1500円分

◯免許証の返送用封筒 

◯返送用の簡易書留郵便の切手(434円分)

 定型郵便84円 + 簡易書留料350円 = 434円 

           (2024年3月時点での料金)

 

 私が2017(平成29)年に取得した二級ボイラー技士の免許証に

特定第一種圧力容器取扱作業主任者の資格が加わりました。

 

          ( ↑ 2017年6月 旧免許証)

          

◯現在では免許証の表記が変わりました。

 性別の項目が消えました。

 旧姓や通称の併記が可能になりました。        

 

           ( ↑ 2024年3月 新免許証)

 

 二級ボイラー技士の資格は私が資格取得の挑戦をはじめて、

最初に取得した資格です。(時間が経つのは本当に早いですね)

7年目にして出発点とも言える免許証が生まれ変わりました。

個人的にはとても感慨深いことです。

 

            (杏の花 3月22日 )

 

 今すぐ、この資格を実益に結びつけることは出来ませんが、新たな資格を

取得出来たことに関しては、私が大切にしている自己肯定感を維持する上でも

単純にうれしいことです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

(参考資料―Wikipedia / 一般社団法人 日本ボイラ協会 / 資格の王道)

 

            (富士山 3月22日 )

 

 私がよく散歩に行く公園の敷地には広大な梅林があります。

先日、普段歩かない道を少し先に進むと舗道に面した場所に、

小さな白いものが見えました。

「まさかな」と思いながら、近づいて行くと、

そこには白く清楚な花が咲いていました。

梅の花です。 こぶりな可愛らしい花がたくさん咲いていました。

 

 

「きれいだなぁ」「もう春なんだなぁ」と思いながら足をとめて、

しばらく見ていたのですが、この日は12月30日(土)です。 

「12月に梅は花を付けるんだっけかなぁ」

「遂に温暖化の影響はここまで来たのか?」

 

 懸命に高級そうな1眼レフのカメラで撮影をしている人がいました。

 


 

「もう、梅の花が咲くのですね」と声をかけると

「梅の香りがすごいですよ」といいながらクンクンしていました。

ですが、この時 私は鼻が詰まっていました。(原因不明)

 

 

 

 

 12月31日(日)朝は雨でした。

雨に濡れて、しっとりとしている梅もきれいですね。

 

 

 梅の木が植えられている場所に梅の木の説明がありました。

中国の梅とありました。

 

 

 開花時期は12月から3月と書かれてあったので

この時期に花をつけるのは、異常なことではなかったようです。

本来の生きる場所では、この時期が受粉しやすい環境になるとか

花を咲かせる理由があるのでしょうね。

 

 

 2024年1月1日(月)

とても いい天気になりました。

 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 2023年の10月31日(火) 

私のポンコツ郵便受けにポロンと茶色い封筒が入っていました。

差出人は一般社団法人 日本アマチュア無線連盟(JARL)からでした。

年会費を支払うのはまだ先のはずだけどもなぁと思いながら、開封してみると中には

ハガキサイズの2枚のきれいなカードが入っていました。

 

 

 アマチュア無線家同士で、お互いの交信を証明する、QSLカードです。

QSLとは、Q符号で「交信証を送ります 送信内容を了解しました」という意味です。

アマチュア無線独特のカードで交信証とも呼ばれるものです。

 

 

 JARLの会員であれば、こうした交信証のカードの転送をお願い出来るのです。

カードに相手のコールサインと交信記録を記載して、島根県出雲市にあるJARLの

ビューロー宛に郵送すると、相手局へ転送してくれるというシステムです。

海外の局との交信証のやりとりも可能です。

 

 私は2022年の6月1日に第4級アマチュア無線技師の免許証の交付を受け、7月9日に

関東総合通信局から無線局免許状を受け取り、自分のコールサインが決定したのでQSLカードの原稿データを印刷会社に入稿して、8月20日に東京ビッグサイトで行われたハムフェア会場でJARLの正会員登録(3年分20400円)をして、会場を出た後に記念すべき初交信を行いました。

 

 「これは私の初交信の記録なのだなぁ」と思い出しながらカードを見ました。

しどろもどろに応答する私に対して、相手の大先輩からは、

「これからの無線ライフを末永く楽しまれるように」

という言葉をいただきました。

 

 

 もう一枚は、私がよく行く公園から交信をした時のものです。

相手の方も移動運用で自分の所有する軽トラックの荷台にアンテナを取り付けたばかりで、私と交信をしている間も、アンテナの調整をするので、しばらく話していてくださいと言われた記憶があります。

場所は千葉の鹿野山からの交信でした。

 

 

 実はQSLカードが届くことを楽しみにしていたのは、2023年の4月頃まででした。

昨年の段階でQSLカードの転送にかかる時間は、およそ8か月という情報がありました。

日本国内をはじめ、世界中からの膨大なQSLカードを仕分けて転送する業務は大変なものがあると思います。

多少の時間はかかりますよね。

 

 

 私が交信をして相手局へ渡すQSLカードを島根へ郵送してから8か月経っても

私の所に相手局からのQSLカードは届きませんでした。

10か月経っても、届きません。

その間にJARLの高尾 会長(代表理事)が辞任しました。

発表は2023年6月25日(日)のことでした。

高尾会長は2016年から7年に渡り会長を務めてきた方です。

正確には辞任というよりは解任ということですが、理由としてはあまり

いい話しではありませんでした。

誠実そうな方だったので、すごく残念でした。

JARLのQSLカードの転送業務にも支障が出るかもしれないなと思いつつ、

時間が経つにつれて、QSLカードのことは頭から遠ざかっていました。

 


 

 実際に届くまでに、1年近くかかったわけですね。

自分の交信は全部ログブックに記載してあるので、いつどこで誰と交信したかは把握しています。

私の場合はそれを証明するものがすぐに必要になるものでもないので、手元に届くのが8か月後でも、1年後でもいいのです。

 

 

 大空の中を電波が駆け巡り、たまたま交信できた方と交信証の交換が出来るというのは私には、ちょっとしたロマンに思えます。まったく面識もない方と偶然出会って、紳士的な会話を楽しみ、サッと気持ちよく別れる。うーん、確かに贅沢な大人の遊びです。(無線機器やアンテナに凝りだすと、お金がいくらあっても足りないと思います)

 

 

 ちょこちょこ、無線で交信をして、QSLカードを送れば、ちょこちょこ、QSLカードは届くことになります。ただ、およそ1年間のタイムラグがあるだけの話しです。

インターネットが普及した現在では、ネット経由で交信の証明をしたり、電子メールでQSLカードの画像を交換することも可能です。

 

 法的にQSLカードを発行する義務はありません。

多くの局長さんは、相手にQSLカードが必要なのかどうかを確認してきます。

その時に「ノーカードでお願いします」と言えば、「了解です」と返事が来るはずです。

 

 

 経費削減、ひたすらエコ(ecology)が重視されるこの時代に、わざわざ郵送費を

かけての、紙媒体のやりとりをする事に関して批判を受けるかもしれませんが、このQSLカードを手にすると、なんとなく ぬくもりを感じます。

                      TNK FB QSO  73   

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

 

 

  7月20日(木) 私は島根県津和野町にいました。

 

    (島根県津和野町 yahoo地図)

 

 この地に伝わる古式ゆかしい神事があるのです。

「鷺舞(さぎまい)神事」です。

 

 

 とてつもなく巨大な鯉が悠然と泳ぐ水路がある殿町通りで、

その神事は始まりました。

 

 

 横笛と太鼓、鐘と鼓のお囃子に混ざり、「パシッ、パシッ」と何かを

弾くような小気味の良い音が聞こえてきました。

 

 

 大きな鷺が2羽、舞っています。

時折、相手を見据え、羽を広げたり、閉じたりしています。

小気味の良い音は,鷺の羽の音でした。

 

 

 その後、鷺たちは弥栄(やさか)神社の境内に移動しました。

 

 

 

 鷺舞神事は五穀豊穣、災厄防除、祈願成就などを祈り、弥栄神社に奉納されます。

天文11年(1542)に津和野城主 吉見正頼が山口の祇園会から移入したと

伝えられています。

 

 

 山口で行われている「鷺の舞」は応安2年(1369)に24代目 大内弘世が

山城国八坂(現在の京都市)から勧請をして、神霊を迎えて社壇を創建したことを

機に京都から山口に入ってきたと考えられます。

 

(津和野弥栄神社境内の樹齢600年以上といわれるケヤキの樹)

 

 周防・長門の国を統一し、守護となった大内弘世は京都の文化に憧れを抱いていました。

1360年ころに政庁を山口に移し、一の坂川を鴨川に見立て、町を縦横に区画し、

通りの名前も大路・小路としたほどです。

※(永正17年(1520)に記された「高嶺両太神宮御鎮坐伝記」

 (こうのみねだいじんぐうごちんざでんき)に、鷺舞神事の記録がないことから、

  これ以降の時代に京都から山口に入ったのではないかとされています)

 

 

 鷺舞神事は京都から山口、そして津和野へと伝わりました。

なぜ、山口県から島根県の津和野へ伝わったのか。

 

 天文10年(1540)前年から、この年にかけて、大雨や洪水などがおこりました。

その影響で全国的に飢饉がおこり疫病も発生していました。

天文の飢饉(てんぶんのききん)です。

 

 

 津和野城主の吉見正頼は、この地の病魔退散を祈願するために、

鷺舞神事を取り入れたと伝えられています。

そして、もうひとつの理由があります。

 

 吉見正頼の正室 大宮姫は、山口の大内義興(15代目)の娘です。

山口から嫁いできた大宮姫の疫病除けを祈念すると同時に、山口で見てきた鷺の舞を

津和野でも見せてあげたいという、正頼の大宮姫を想う優しさがあったのではないか

と思います。

 

 

 2羽の鷺はオスとメスです。

くちばしを少し開けた方がオスで、閉じた方がメスです。

おそらく求愛のディスプレイを模している動きだと思います。

動きをぴったりと合わせて2羽は近づき、時には間合いをとり、羽を動かします。

まさに、あうんの呼吸での凛とした舞いです。

 

 

 五穀豊穣、無病息災、疫病除けを祈願する鷺舞神事ですが、私には

今でも正頼がこの神事を見つめ、さらに、その視線の先には大宮姫の

美しい姿があるように感じました。

 

 

 弥栄神社の近くのお茶屋でソフトクリームを食べながら、店の主人であろう

女将さんと少し話しをしました。

子どもたちだけで踊る、小鷺踊りがあることを教えてくれました。

なんとも可愛らしい踊りなのだろうなと思います。

 

 次世代へ、伝承の橋渡しの準備が整っているように感じます。

 

   (お茶屋のテーブルの横の壁に飾られてあった小鷺踊りの絵画)

 

 時事通信社が報道した2023年の鷺舞神事の様子です。

一時期、戦乱などで途切れたこともありましたが、481年前から行われている

歴史のある神事です。

 

 

 津和野弥栄神社の鷺舞は平成6年(1994)国の重要無形民俗文化財に

指定されています。

 

 

     (山口県下松市笠戸島 はなぐり海水浴場)

 

 ちょっと散歩するだけで、目の前に美しいありのままの自然の姿が現れます。

 

 

 

     (岩礁で食べものを探すクロダイ)

 

 

   

 

 

 ここはいいところですね。

山口県下松市笠戸島 夏の何日間かまたこの地でお世話になっていました。

 

 

 2023年7月23日(日) 

山口県周南市粭島(すくもじま)で行われる粭島 貴船神社夏祭りを間近に見る

事が出来ました。

 

     (山口県周南市粭島  yahoo地図) 

 

 

 山口県周南市(本土側)からよく見える、太華山がある大島半島の先端にあるのが粭島(すくもじま)です。

この島の発展を支えてきたのは漁業です。

島にはフク(フグ・福)のモニュメントがありました。

 

 

 

 粭島はフグの延縄漁 発祥の地です。

 

      (粭島の造船所越しに大煙突が見えている)

 

 この島を見守るかのように天空に向けて そびえ立つのは、大島の大煙突です。

赤レンガを積み上げられた煙突で、直径10m、高さ72mです。

大正5年(1916)に鈴木商店が日本金属・亜鉛精錬所として建設したもので、

亜鉛を作る際のガス排出に使われたものです。

かつては東洋一の煙突と言われていました。

現在、稼働はしていませんが、日本精蝋・徳山工場敷地内に、そのまま

残されていて、海上航路の標識としての役目を果たしています。

 

 

 新型コロナの影響で夏祭りの開催は4年ぶりでした。

祭りに登場する伝馬船は2017年の祭り以降から修理に入っていたために、

登場したのは6年ぶりです。

何か、分厚い壁をぶち破るような気合が入った祭りに感じました。

 

              (貴船神社)

 

 

 粭島の夏祭りは、貴船(貴布袮)神社から神輿が出て、5~600mほど

離れた御旅所(龍神社)まで若者たちにより担がれて移動します。

 

              (龍神社)

 

 

 お祭りで神輿を担ぐのは、よく見ることですがこの島の神輿は地上を

移動するものではありません。

 

 

 移動するのは、海上なのです。

このようなお祭りを見るのは、初めてです。

さすが、島の夏祭り。

思い切ったことをするものだなぁと思いながら、様子を見ていました。

 

 

 突然、貴船神社の上空に5発の花火がうち上がりました。始まりの合図です。 

白装束に身を包み、鉢巻きをした男たちが神輿を担いで、海に入っていきました。

 

 

 

 そして、手漕ぎの伝馬船が登場しました。

その船の先端と後部では、それぞれ男性が立ちながら踊っています。

船からは「ホーランエー」、神輿を担ぐ男たちからは「チョーサヨ―イ」と

威勢のよい掛け声があがります。

(水を打つ音と歓声で、私には明確には聞き取れませんでした)

 

          (伝馬船と大煙突)

 

 

 見ていて、すごく不思議な感じでした。

豪華に飾り付けられた神輿が海に浮かんでいます。

 

 

 今までの経験で、お祭り最中の神輿を見下ろしたことなどありません。

防波堤に座り、見ている私の眼の前を神輿が移動していきます。

 

 

 

 はじめは港の水深の浅いへりを移動していましたが、深場になると

皆で担ぎながら泳ぎ始めました。

 

 

 豊漁と海上安全を祈願して島の若者たち、年配の世話人、見守るその家族らが

一丸となって、神輿は海の上を移動していきました。

 

 

 どの仕事もそうだと思いますが、特に海での仕事は命がけです。

その安全を祈りながら、島は発展してきたのです。

 

  (休憩所として開放されていた公民館の部屋に飾られていた古い写真)

 

 この先もずっと、このお祭りが続くことを願い、なによりも

安全な操業が続いていくことを切に思いました。

 

 

 KRY山口放送が報道した貴船神社の夏祭りです。

 

 

 海の男たちの迫力のある祭りです。 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

       (はなぐり海水浴場 太華山が奥に見えている)

 

 美しく穏やかな海に囲まれた笠戸島。

島全体が瀬戸内海国立公園に含まれています。

多くの岬や入江が存在する複雑な海岸線、島を覆う濃い緑。

どこに眼を向けても、たくさんの魅力を感じる島です。

 

 2023年 春 温めていたひとつの夢を実現させる事が出来ました。

笠戸島の縦走です。

山々の稜線を歩き、笠戸島を縦断しました。

 

 

 (笠戸島ハイキングマップ 2017年3月完成)

「下松市観光ボランティアガイドの会」

「くだまつ笠戸島アイランドトレイル実行委員会」

 

 

 

 笠戸島にはハイキングコースが整備されてあります。

主な山は

尻高山(249m)、高壺山(255.6m)、白浜山(188.6m)、摺鉢山(229.0m)

登山道はスカイ1号からスカイ5号まで名前が付けられ、すべてが結ばれています。

標高200mを超える山の尾根を一気に歩くことが可能です。

 

 

 私は島の南から北へ向かうコースにしました。

バスに乗り終点の深浦漁港へ向かいます。 

 

                  (深浦漁港 バス停)

 

        (サイコロトイレ 広い敷地の駐車場がある)

 

 

 2023年3月29日

8時出発 外野山林道から入り、尻高山を目指します。(スカイ5号)

笠戸島の山には熊は生息していないと聞いています。

それだけでも相当な安心材料になります。

 

 

 しばらくはなだらかな斜面の林道を、のんびり楽しく歩きます。

途中、木々の枝葉の隙間から見える、青い海と海岸線にいやされます。

 

 

 林道から登山道に入ると傾斜がきつくなります。

ですが、そうした場所には安全を確保するためのロープが備えられてありました。

とてもありがたいことです。 ケガも未然に防げます。

 

 

 登山道は、ほとんどが自然の状態です。

人工的に作られた長い段差もありません。

足にかかる負担が全然違います。

 

 

 

 8時50分 尻高山山頂 

笠戸島で2番目に高い山です。

周りには木々の枝葉が生い茂っています。

1箇所、草木を伐採して展望スペースが作られてありました。

 

 

 周防灘に突き出ている、火振り岬が見えます。

先端部には灯台があります。

 

 

 なだらかな斜面を下ります。 

目指すは、笠戸島最高峰の高壺山です。

 

 

 

 途中、場所によっては、ほぼ平坦になっている箇所もあります。

登り道と下り坂、とてもバランスがよくて全然疲れません。

歩くことが楽しくなる登山道です。 

 

   (分岐路 左に行けばスタート地点の深浦へ 右へ行けば大浦へ)

 

 遠くの景色は見えませんが、今自分が山の尾根から尾根へ移動している事を

実感できます。 これが縦走の醍醐味なのです。

 

 

 

 途中、巨大な樹木に出会いました。

 

 

 イヌブナ?シラカシ?エノキ? 

白っぽい、ツルッとした木肌が特徴的だったので、後で調べればわかるかなと

思っていたのですが自分では同定出来ませんでした。

相当な樹齢だと思います。 

神木かもしれないなぁと思いながら、しばらく立ち止まり、見上げていました。

 

 

 (提言その1:目立つ樹木にはプレートを付けて樹木名とおおよその樹齢がわかると

         学習も出来るし、楽しいと思います)

 

 

 

 10時14分 高壺山山頂 (笠戸島最高峰)

尻高山から、ここまでは、すんなりと歩けた印象があります。

耳に入ってくる鳥のさえずりとさわやかな風が心地よかったです。

 

 

   (↓ 太華山 から見た笠戸島 右手の一番高い山が 高壺山)

   (↑ 太華山 から見た笠戸島 右手の一番高い山が 高壺山)

 

 連なる山々の稜線は、まるで巨大な生物の背中のように見えます。

私はこの背中をとことこ、転げ落ちないように歩いているわけです。

 

 

 山の樹木はスギ、ヒノキ、アカマツといった針葉樹や広葉樹のシイ、サカキ、

カエデ、などが混生しています。

ほとんどの森林は国有林として管理されていますが、現在では二次林となり、

その姿は自然林に近い状態になっています。

 

 

 高壺山山頂から25分ほど歩くと、目の前に忽然と人工物が見えてきました。

土台となっている基礎部分が壊れ、積み上げられたレンガがはがれ、かけらが

登山道の端に転がっていました。

第二次世界大戦時の戦争遺構です。

 

 

 

 

  貯水槽、高角砲の砲台、指揮所、兵員待機所、未完成の聴音機掩体(えんたい)。

 

 

 

 砲台と指揮所までの周辺には

1mほどの深さで塹壕(ざんごう)が掘られていました。

 

 

 当時、周南市の第三海軍燃料廠(しょう)や光市の光海軍工廠(兵器工場)を

米軍の攻撃から守るために建造されたものです。

高角砲を動かすには電力が必要になるため発電所も作られていたそうです。

1944(昭和19)年、10月頃の記録では、この場所に士官1人、准士官1人、

下士官兵36人がいたそうです。

 

         (高角砲台 指揮所)

 

 今、私は自然の中に身を置いて、楽しんでいます。

しかし、79年前、この同じ場所で命がけで日々を過ごしていた人たちがいたのです。

 山道の枝葉を払い、重い建築資材を担いで登り、建造し、レンガのひとつひとつを

積み上げ、いつくるかも知れぬ、敵機を察知するため耳を澄ませ、眼を凝らし、

この場所にいたのです。

 

 

 どんな気持ちで、この場所にいたのでしょうか。

 


 

 どんな覚悟で敗戦を受け入れたのでしょうか。

 


 

 (提言その2:小中学生にこの遺構を課外授業として見せられたらいいと思う)

 

 (提言その3:貴重な歴史を物語る遺構なので必要な箇所は補修して現状を

                       維持してほしい)

 

 日本が戦争をしていたこと。 この事実を決して忘れてはいけないと思います。

 

 

 

 

 スカイ4号の終盤に地蔵堂があります。

ここから先はスカイ3号になります。 

 

              (地蔵堂)

 

 

 この先は高低差が激しく、 急な斜面が多く存在しています。

 

 

 

 

 何度もロープに助けられました。

 

 

 

 12時38分 登山道の途中で木々に囲まれ、空を見上げながら昼食にしました。

 

   

 

 

        (江の浦 貯水槽)

 

 

 

 

 13時23分 スカイ2号への中継地、白浜駐車場まで来ました。

 

  (道標はスカイ3号となっていますが、ここからスカイ2号のはじまりです)

 

 (登りながら後ろを振り返ると新笠戸ドックと歩いてきた場所が見えた)

 

 

 13時40分 白浜展望岩  

向かって左手の下に 可愛らしい小島の姿が見えます。

遠くには祝島(左)と小祝島(右)が見えています。

 

 

 白浜山山頂へはけっこうな勾配があります。

 

     (本土 下松市の新日本石油越しに茶臼山が見える)

 

 

 14時10分 白浜山山頂

少し先に海原は広がっていると思うのですが、枝葉があり

ここからの眺望は望めませんでした。 

 

 

 白浜山以降、けっこう急な勾配があります。

安全第一でゆっくりと確実に歩きます。

 

 

 

 この先は摺鉢山を目指すのですが、途中の道標でどちらに進路をとるべきか

迷いました。 

 

         (スカイ2号と瀬川遊歩道の分岐点)

 

 私が行きたいのは「スカイ2号」です。 

この先、スカイ2号に入れれば、一度分かれ道を経てから瀬戸遊歩道に入り、

摺鉢山まで行けるはずです。

 

 

 この道標をじっくりと見ます。

「スカイ2号」として矢印が指してある方向は、今私が来た道(間違いはない)と

右の方向に矢印が向いています。

ちょっと下った所の道標には「垰ノ浦(たおのうら)」と「東風浦(こちうら)」へ

向かう道が示されていました。

 感覚的には左方向への道なのですが、道標はコンクリートの土台の上に堂々と

大きな矢印で「スカイ2号」は右だと主張しています。

私はこの道標を信じました。  進路を右にとり、歩き出しました。

 

 


 

 

 

 道なりに進んでいくと、海岸沿いの道に出て、すばらしい景観が見えてきました。

振り返って見ると、白い砂浜の白浜海岸が遠くに見えます。  

こういう景色もきれいだなぁ。 

 

 

 山の縦走では主に、山の中の景色で終始してしまうことが多いと思いますが、

ここ笠戸島では山と海 両方の景色を楽しむことが出来ます。

 

 

 すばらしい縦走のコースです。 

絶景に浸りながら、頭をよぎることがありました。

直前の分岐路で右に進路をとってから、斜面を登っていません。 

摺鉢山に向かっている感じがしません。

「道を間違えている」ということに気が付きました。

 

 

 私はスカイ2号の途中から「瀬川遊歩道」に入ってしまっていました。

気が付いた時点で14時45分でした。 日暮れまでおよそ3時間はあります。

引き返す事も考えましたが、今日は摺鉢山に向かうのはやめて、このまま

瀬川遊歩道を歩いて、本浦(ほんうら)を目指すことにしました。

 

 

 海岸沿いの道で景観はとても良いのですが、落石の危険のある場所や、

崖から転げ落ちないように細い道を歩いたりと、スリルも満喫しました。

 

 

      (東風浦との分岐路 瀬川遊歩道をこのまま歩き本浦へ向かいます。)

 

 15時50分 本浦にほど近い場所で赤い鳥居が目に入りました。

耕白稲荷社です。

 

 

 

 説明によると、壇ノ浦の戦(1185年)で敗れた平家の残党がこの地に逃げ隠れて

いた時に白い狐が現れて、水のある場所へ案内したとありました。

白い狐は本土の周南市の白見森(しらむがもり)にもいたし、

笠戸島にもいたのですね。

 

    ( 合流点 左:私が歩いてきた瀬川遊歩道 右:スカイ1号)

 

 説明板がありました。

笠戸島の森林について書かれていました。

 

 

 「自然休養林」という言葉を初めて知りました。

1972(昭和47)年に笠戸島と岩国の城山国有林をセットにして林野庁からの指定を

受けたとありました。

人が山に入り、自然に親しみ、ゆっくり休養出来る憩いの空間をいうのだそうです。

そこには人間が自然と共に生きていこうとする精神が宿っています。

 

   

 15時55分 本浦の港が見えました。

明るいうちに下山できて安心しました。

 

           (本浦の港町)

 

 この日の笠戸島縦走は摺鉢山があるルートの「瀬戸遊歩道」には

入れませんでしたが本浦をゴールとしました。

 

 

 本浦から笠戸大橋方面へ出て、宿へ帰りました。

 

         (本土と笠戸島を結ぶ 笠戸大橋)

 

 

 途中、尻高山と高壺山が見えた時は感無量でした。

「あそこを歩いてきたのか・・」

 

  (画面やや中央 1番高い山が高壺山 右方向 2番めに高い山が尻高山)

 

 朝からずっと、歩いていたにも関わらず足に痛みも疲れもありません。

それだけ、歩きやすい登山道だったのだなぁと思いながら帰りました。

 

 

 翌々日、3月31日 もう一度、登山道に入りました。

摺鉢山に行けなかった原因を確かめるためです。

 

 

 白浜駐車場からスカイ2号に入ります。

 

 

 白浜展望岩を経て、白浜山まで行き、途中の道標が

ある場所まで行きました。

 

 

 私はここから、道標の案内通りに右に行きました。

結果、摺鉢山へ行けずに瀬川遊歩道に出ました。

(海岸線からのとても素晴らしい景色でした)

 

 

 今回は道標が示す矢印の逆の方向、左に行きます。 

 

 

 人家の畑の横を通過したところにスカイ2号のプレートがありました。

この道で間違ってはいないようです。

 

 

 あの分岐点の道標は間違っていることになります。(※2023年3月31日付け)

(提言その4:道標は正確なものであってほしい)

 

 

 

 急な斜面をしばらく登り、スカイ2号から瀬戸遊歩道とスカイ1号

へ向かう分岐点にでます。 大城分かれです。

 

 

 摺鉢山へ行くには、左方向の瀬戸遊歩道へ(笠戸旅行村 方向)行くのですが、

時間に余裕があるので、一度スカイ1号へ入り天狗岩を目指すことにしました。

急な坂を降りて行くことになります。 

 

 

 

 道なりに、しばらく歩くととんでもない絶景がそこにありました。

断崖絶壁の上に巨大な岩が突き出していました。

 

            (天狗岩)

 

 

 広大な群青の海が目の前にひろがっています。

巨石の上に立ち、遠くに眼を向けるこの瞬間、なんとも言えない気持ちになります。

 

 

 今、この景色を直に見ているのは、自分だけ。

ここに、この場所に来なければ見られない絶景です。

 

     (風の強い日や雨の日は岩の上に立つと危険です)

 

 足元の下は80mくらいの高さの絶壁です。

この場所から離れるのがもったいないくらいの景色でした。

 

 

 大城分かれの分岐点まで戻り、瀬戸遊歩道に入ります。

歩きやすい、なだらかな登山道の先に摺鉢山山頂はありました。

 

 

 

 手前にある見晴らしの丘からは笠戸島の西方向の景色が楽しめます。

 

 

 2日間に渡り、笠戸島のハイキングコースに入り存分に楽しみました。

山だけではなく、海の景色も堪能でき、戦争遺構があるという事も

このハイキングコースの魅力と価値を持ち上げている要素だと思います。

 

 

 安全なハイキングの為に帽子を被り、長袖のシャツを着て、

手袋を身に付けましょう。

水分は多めに、自分のゴミは持ち帰りましょう。

 

        (奥に太華山が見えている)

 

 4月から10月は蛇やハチが活動的になります。

山の先住者たちです。 

敬意を払い、むやみに近づくことは避けましょう。

 

 ハイキングコース・遊歩道の整備にあたられている関係者様

安全管理のためのロープの設置・登山道の保守等ありがとうございます。

無事に下山できました。 感謝いたします。

 

          (本土側からの笠戸大橋)

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

  今年   2023年1月5日(木)

高圧ガス保安協会のホームページにて

 https://www.khk.or.jp/qualification/national_qualification/index.html 

「第三種冷凍機械責任者(三冷)」の合否結果の発表がありました。

 

 本試験は昨年 2022年11月13日(日)に行われました。

 

 私にとっては3度目の試験でした。

 

 結果は無事に合格出来ていました。(やっと)

ずいぶん時間をかけてしまったものだと思います。

 

 

 2020年4月から取り組んだこの第三種冷凍機械責任者の資格取得。

毎年、11月の第二日曜日が本試験の日に設定されています。

1年に、たった1回しか受験のチャンスはありません。

不合格になれば、次の試験は丸1年後になります。

 

 試験の問題は「法令」と「保安管理技術」の2つの科目があります。

実技試験はありません。

法令は20問、保安管理技術は15問の出題です。

それぞれ、60パーセント以上の正解で合格です。

 

 この資格があれば1日の冷凍能力が100トン未満の製造施設における

製造にかかわる保安に従事できます。

 

 例えば、冷凍冷蔵機器は工場の冷凍空調機器とか化学工場、食品工場、

冷凍倉庫などやスーパーマーケットなどの冷凍冷蔵ショーケースで

使用されています。

一定以上の冷凍設備がある事業所では冷凍機械責任者の有資格者を配置したり

冷凍保安責任者を選任しなければならない場合もあります。

保安管理者として多くの場所での活躍が期待される資格だと思います。

 

 2020年11月の本試験

私にとって、第1回目の「三冷」挑戦はみごとに失敗しました。

試験の翌日、高圧ガス保安協会ホームページで

( https://shiken.khk.or.jp/shiken.html )

問題と正解が公表されます。

自分で問題と正解を確認して自己採点をするのですが・・。

「法令」は余裕で合格点に達していました。

しかし、「保安管理技術」の科目が合格点に達していませんでした。

あいまいな知識の状態で試験に臨んでも、正解がわかるわけはありませんよね。

 

         

        近年の本試験 データ 

 

     令和3年度(2021年) 受験者数 9858人    合格者 3996人 合格率 40.5%

             

 近年の合格率をみても、難しさを感じる数字です。

おそらく「法令」はクリア出来たとしても、「保安管理技術」で

ふるい落とされているのではないかと思います。

「保安管理技術」をどうクリアするか、

これがいちばん大きな問題になります。

 

 

 機械設備に入れられた高圧ガス(冷媒)は

「膨張」→「蒸発」→「圧縮」→「凝縮」の各過程で状態変化をしながら

循環して周りの温度を上げたり、下げたりすることが可能になります。 

 

       (2度も不合格になるのが うかがえるようなメモ)

 

 その過程における原理や機能、設備の種類に応じて、保安管理のための

決まりごとが細かに多々あります。

 

 そして、内容の難しさ(私にとっては)に加えて、出題される問題への

解答の仕方が難易度をあげていると思います。

 

     (ちなみに正解は(5)です)

 

 選択式なのですが、例えば正解の候補5個のうち、その中に

正しいのは1つだけあるというものではなく、正しいものは複数あります。 

解答選択群には、正しいものと、間違っているものがごっちゃになっている

とか、正しいものだけ とか 全部間違っているものとかが用意されてあり、

その中から選びださなければなりません。

(私が今まで経験した試験で、これほどまで複雑な解答方式の

ものはありませんでした)

 

 2021年11月の本試験

 そして、1年後 2021年11月に また「三冷」の本試験を受けました。

パターンとして、夏に本試験の受験申請をして、夏の終わり頃から

思い出したように受験勉強を始めるのですが

1年前の自分の知識量がふんだんに上がるという感じはしませんでした。

多少、理解は深まっている感じはしますが、メカニズムのくっきりとした

イメージを頭の中に描けないのは変わらないままでした。   

よくわからない所は、やっぱりよく分からないし、時間だけが過ぎたという感じでした。

 

 2021年11月14日(日)に受験して、翌年 2022年1月の合否発表を待ちます。

自己採点では「法令」は合格点です。

「保安管理技術」ひょっとしたら…。 

 

  ハイ、2度目の不合格判定でした。 (ですよねぇ~。)

 

 

 このまま毎年毎年、恒例のように受験をしても合格出来る気がしなくなりました。

もう、不合格判定を背負うのはごめんです。

 

 

 何とかしなくては・・。

(自分自身の独学の限界を感じていました。)

 

      (2020年4月に手に入れたテキストと問題集)

 

 この資格を取得することは決めたことです。

途中で投げ出したくはありません。 

今までかけた時間とお金もあります。 

無駄にはしたくないのです。

諦めたくはありません。

 

 「何かいい方法はないものか…」

2回ダメだったら実行しようと考えていた奥の手を使うことにしました。

私が苦手な「保安管理技術」の科目が本試験で免除になるというもので、

協会が主催する「保安管理技術講習」への参加です。

この講習を受講して、検定試験に合格出来れば、本試験では「保安管理技術」の

科目が免除になり、受験するのは「法令」だけになります。

「法令」だけであれば、合格点に到達できる可能性は大きくなるはずです。

 

 通常、講習は年に2回行われます。 

3日間の予定で朝から夕方までびっしりと学習するわけですが、自分 

ひとりだけではありません。(新型コロナの影響で変更になりました)

周りには同じゴールを目指す、仲間たちがいるはずです。

仲間がいるって、こころ強いですよね。  

 

 2017年に参加した「第二級ボイラー技士」の講習を思い出します。

あの時は、他の参加者からアドバイスをいただいたり、

その後の私自身の資格取得の未来構想を築くことが出来ました。

 

 受講費用がかかりますが、もう ぎりぎりのところまで来ている感じがしました。

資格取得にはモチベーションや勢い、その時のタイミングもあります。

今、なんとかしてこの壁を打破しなければ、一生 この資格は取れないかもしれない

と思えていました。

 

 2022年4月11日(月)受講申請 

受講申請受付開始 初日 に申し込みました。 

受講は定員制で東京都は190人です。 

 

 

受講日   5月27(金)~ 6月17日(金)(期間中有効)

受講費用  19500円(税込み)

 

 受講申請が無事に済んで、ほっと出来たのですが、新型コロナの影響もあり

今回から、対面式の講義ではなく、オンライン受講に変更になりました。

ひとりで、パソコンのモニターに映る講義の動画を見るのです。 

このことは、部屋でひとりでテキストを読むことから動画を見ることで

効果的な勉強方法へのステップアップが出来たということなのでしょうか?

(いずれにせよ、独りでの学習形態に変わりはありません・・)

「法令(7時間以上)」と「保安管理技術(14時間以上)」

動画の内容時間は全部で21時間以上ありました。

受講期間は3日間ではなく、3週間の有効期間が用意されていました。

 

 全日をかけて、対面式で一気に講義を受けた方が理解は進む感じがします。

分からなければ、その場で教えてもらえるはずです。

動画を見れば、分からない部分がなくなるわけではありません。

いつでも、動画は見られるからと思うと、なかなか進まないし、ダラダラして

見ていると、いつのまにか動画を再生したまま眠っているし・・。

 

 なんとか、がんばって動画を見て解説の写真や図、イラストの説明は

パソコン画面をキャプチャーして全部保存しました。

有効期間中の視聴は何度でも可能です。

私は3回視聴しました。

(ただ単に、見ればいいというものではないと思いますけど…)

すべての動画視聴を終え、講習受講証明を出して検定試験に申し込みます。

 

 講習を終えて、検定試験は、その1か月後にあります。

この微妙な空白期間は何なのでしょうか。

良く考えれば、じっくりと更に勉強して十分な準備をしてから

検定試験に臨めるということなのでしょうね・・。

 

 2022年7月3日(日)講習検定試験 

ものすごく気温が上がり歩くだけでも

息苦しくなるようなうだる暑さの中、御茶ノ水駅から歩き、検定試験会場の

全国家電会館へ向かいました。

 

 試験会場にいる方々は、皆同じように21時間以上の動画を見て、

勉強をしてきたはずです。

新型コロナの問題が起きなかったら、同じ教室で共に勉強が出来た

仲間だったかもしれません。 

 

 仕事で徹夜して、検定試験に落ちたくなくて徹夜で勉強して、検定試験が

終わった足で仕事場へ戻り、また仕事をして・・徹夜ばっかり。

今、振り返れば楽しい思い出ですが、正直 一番つらかった時期でした。

1回の受験ですんなり合格出来ていれば、こんなことになりませんでした。

出来が悪いとこういう面で苦労しますよね。

 

 正直なところ、私は講習を受講すれば「保安管理技術」の検定試験は

比較的簡単な問題が出題されると勝手に思っていました。

誰でも合格できると思っていたのです。 しかし…。

 

 検定試験の合格率は60%です。 100%ではありません。

若干のやさしさは感じましたが、出題された問題の難易度は本試験と

それほどの差はないように思えました。(あくまでも個人的な見解です)

 

 2022年8月1日(月)検定試験合否発表 

 高圧ガス保安協会のホームページで検定試験の合格を確認出来ました。

今までは保安管理技術の過去問、模擬試験をやっても、ほとんどが

落第点しかとれませんでした。 

正式に本番で及第点をとれたことがとてもうれしかったです。

 

 

 高圧ガス保安協会には毅然とした厳しさを感じます。 

もちろん、そうであるべきだと思います。

もし、実際の保安管理で間違いを犯してしまったら

大爆発を引き起こして工場ごと吹き飛ばしても不思議ではありません。

事故を起こしてからでは遅いのです。

身の危険を感じるし、責任も重い資格だと思います。

 

 2020年から始めて、2023年の1月末にやっと「第三種冷凍機械責任者」

の資格を取得することが出来ました。

 

 2022年5月~6月にオンラインの講義を受講して、7月に検定試験を受験して、

8月の検定合否発表を待ち、11月に本試験(法令のみ)を受験してと

2022年の後半は「第三種冷凍機械責任者」の資格取得に集中しました。

本来、これ以上の学習をするべきなのだろうなと思います。

 

 

 

 設備管理業界で「ビルメンテナンス4点セット」 

と言われているものがあります。

設備管理業界で仕事をする上で取得した方が望ましい

とされる国家資格の総称です。

 

二級ボイラー技士      (二級ボイラー)

危険物取扱者 乙種四類 (危険物 乙四)

第二種電気工事士    (電工 二種)

第三種冷凍機械責任者  (冷凍三種 三冷)です。

 

 二級ボイラー技士の講習の後から、この4つはいつか必ず揃えようと

こころに決めていました。

 

 関連資格として、消防設備士 乙種四類 も2019年に取得しました。

 

 二級ボイラー技士の資格取得は2017年です。

6年がかりで、やっと揃えることが出来ました。

だからといって、私の仕事上で何かが変わるものでもありませんが、

自分の中ではひとつの大きな区切りがつきました。

 

 私が「第三種冷凍機械責任者」の資格を取得するまでにかけた費用です。

 

2020年   テキスト       949円(送料込み        /     949円    

                          (オークションで落札) 

       問題集       2300円(送料込み)       /  3249円  

                          (オークションで落札)

            本試験受験申請        8200円           / 11449円 

2021年         本試験受験申請    8200円           / 19649円 

2022年         保安管理 技術講習  19500円           / 39140円 

                                         (検定試験料含む)  

     技術講習 初級受験テキスト   2900円  / 42049円 

     技術講習 冷凍関係法規集    1800円  / 43849円 

     技術講習 高圧ガス保安法概要   710円   / 44559円 

              本試験受験申請      9800円  / 54359円 

2023年  免状 交付申請             3400円  / 57759円 

 

  これらの他に必要に応じて写真代、交通費、切手代、

振込手数料などが加算されます。

 

 資格取得のためには、時間もお金もかかります。

例え、資格を手に入れたとしてもそこから実益を生み出さなければ

意味がないことかもしれません。

 

 けれども、未知の世界を知ることは単純に愉しいことです。

不合格の判定は自分自身が全否定され、奈落の底に落ちたように

思えて、悔しくて、情けなくて、涙が出そうになりますが、

合格出来た時は、達成感に満たされて、今までの苦労が吹き飛び、

精神が解き放たれ、身体が軽くなるような感覚になります。

 

 結果が良くても、そうでなくても、すべて自分で決めたことです。

自分の責任に於いて興味のあるものに向き合って生きていけることは

とても幸せなことだと思います。

 

 資格取得に向けた時間の中で、多少の専門知識を得たり、特殊な工具を

使えるようになったという点では眼に見える私自身の進歩だと思っています。

 

 

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。