7月20日(木) 私は島根県津和野町にいました。
(島根県津和野町 yahoo地図)
この地に伝わる古式ゆかしい神事があるのです。
「鷺舞(さぎまい)神事」です。
とてつもなく巨大な鯉が悠然と泳ぐ水路がある殿町通りで、
その神事は始まりました。
横笛と太鼓、鐘と鼓のお囃子に混ざり、「パシッ、パシッ」と何かを
弾くような小気味の良い音が聞こえてきました。
大きな鷺が2羽、舞っています。
時折、相手を見据え、羽を広げたり、閉じたりしています。
小気味の良い音は,鷺の羽の音でした。
その後、鷺たちは弥栄(やさか)神社の境内に移動しました。
鷺舞神事は五穀豊穣、災厄防除、祈願成就などを祈り、弥栄神社に奉納されます。
天文11年(1542)に津和野城主 吉見正頼が山口の祇園会から移入したと
伝えられています。
山口で行われている「鷺の舞」は応安2年(1369)に24代目 大内弘世が
山城国八坂(現在の京都市)から勧請をして、神霊を迎えて社壇を創建したことを
機に京都から山口に入ってきたと考えられます。
(津和野弥栄神社境内の樹齢600年以上といわれるケヤキの樹)
周防・長門の国を統一し、守護となった大内弘世は京都の文化に憧れを抱いていました。
1360年ころに政庁を山口に移し、一の坂川を鴨川に見立て、町を縦横に区画し、
通りの名前も大路・小路としたほどです。
※(永正17年(1520)に記された「高嶺両太神宮御鎮坐伝記」
(こうのみねだいじんぐうごちんざでんき)に、鷺舞神事の記録がないことから、
これ以降の時代に京都から山口に入ったのではないかとされています)
鷺舞神事は京都から山口、そして津和野へと伝わりました。
なぜ、山口県から島根県の津和野へ伝わったのか。
天文10年(1540)前年から、この年にかけて、大雨や洪水などがおこりました。
その影響で全国的に飢饉がおこり疫病も発生していました。
天文の飢饉(てんぶんのききん)です。
津和野城主の吉見正頼は、この地の病魔退散を祈願するために、
鷺舞神事を取り入れたと伝えられています。
そして、もうひとつの理由があります。
吉見正頼の正室 大宮姫は、山口の大内義興(15代目)の娘です。
山口から嫁いできた大宮姫の疫病除けを祈念すると同時に、山口で見てきた鷺の舞を
津和野でも見せてあげたいという、正頼の大宮姫を想う優しさがあったのではないか
と思います。
2羽の鷺はオスとメスです。
くちばしを少し開けた方がオスで、閉じた方がメスです。
おそらく求愛のディスプレイを模している動きだと思います。
動きをぴったりと合わせて2羽は近づき、時には間合いをとり、羽を動かします。
まさに、あうんの呼吸での凛とした舞いです。
五穀豊穣、無病息災、疫病除けを祈願する鷺舞神事ですが、私には
今でも正頼がこの神事を見つめ、さらに、その視線の先には大宮姫の
美しい姿があるように感じました。
弥栄神社の近くのお茶屋でソフトクリームを食べながら、店の主人であろう
女将さんと少し話しをしました。
子どもたちだけで踊る、小鷺踊りがあることを教えてくれました。
なんとも可愛らしい踊りなのだろうなと思います。
次世代へ、伝承の橋渡しの準備が整っているように感じます。
(お茶屋のテーブルの横の壁に飾られてあった小鷺踊りの絵画)
時事通信社が報道した2023年の鷺舞神事の様子です。
一時期、戦乱などで途切れたこともありましたが、481年前から行われている
歴史のある神事です。
津和野弥栄神社の鷺舞は平成6年(1994)国の重要無形民俗文化財に
指定されています。
(山口県下松市笠戸島 はなぐり海水浴場)
ちょっと散歩するだけで、目の前に美しいありのままの自然の姿が現れます。
(岩礁で食べものを探すクロダイ)
ここはいいところですね。
山口県下松市笠戸島 夏の何日間かまたこの地でお世話になっていました。
2023年7月23日(日)
山口県周南市粭島(すくもじま)で行われる粭島 貴船神社夏祭りを間近に見る
事が出来ました。
(山口県周南市粭島 yahoo地図)
山口県周南市(本土側)からよく見える、太華山がある大島半島の先端にあるのが粭島(すくもじま)です。
この島の発展を支えてきたのは漁業です。
島にはフク(フグ・福)のモニュメントがありました。
粭島はフグの延縄漁 発祥の地です。
(粭島の造船所越しに大煙突が見えている)
この島を見守るかのように天空に向けて そびえ立つのは、大島の大煙突です。
赤レンガを積み上げられた煙突で、直径10m、高さ72mです。
大正5年(1916)に鈴木商店が日本金属・亜鉛精錬所として建設したもので、
亜鉛を作る際のガス排出に使われたものです。
かつては東洋一の煙突と言われていました。
現在、稼働はしていませんが、日本精蝋・徳山工場敷地内に、そのまま
残されていて、海上航路の標識としての役目を果たしています。
新型コロナの影響で夏祭りの開催は4年ぶりでした。
祭りに登場する伝馬船は2017年の祭り以降から修理に入っていたために、
登場したのは6年ぶりです。
何か、分厚い壁をぶち破るような気合が入った祭りに感じました。
(貴船神社)
粭島の夏祭りは、貴船(貴布袮)神社から神輿が出て、5~600mほど
離れた御旅所(龍神社)まで若者たちにより担がれて移動します。
(龍神社)
お祭りで神輿を担ぐのは、よく見ることですがこの島の神輿は地上を
移動するものではありません。
移動するのは、海上なのです。
このようなお祭りを見るのは、初めてです。
さすが、島の夏祭り。
思い切ったことをするものだなぁと思いながら、様子を見ていました。
突然、貴船神社の上空に5発の花火がうち上がりました。始まりの合図です。
白装束に身を包み、鉢巻きをした男たちが神輿を担いで、海に入っていきました。
そして、手漕ぎの伝馬船が登場しました。
その船の先端と後部では、それぞれ男性が立ちながら踊っています。
船からは「ホーランエー」、神輿を担ぐ男たちからは「チョーサヨ―イ」と
威勢のよい掛け声があがります。
(水を打つ音と歓声で、私には明確には聞き取れませんでした)
(伝馬船と大煙突)
見ていて、すごく不思議な感じでした。
豪華に飾り付けられた神輿が海に浮かんでいます。
今までの経験で、お祭り最中の神輿を見下ろしたことなどありません。
防波堤に座り、見ている私の眼の前を神輿が移動していきます。
はじめは港の水深の浅いへりを移動していましたが、深場になると
皆で担ぎながら泳ぎ始めました。
豊漁と海上安全を祈願して島の若者たち、年配の世話人、見守るその家族らが
一丸となって、神輿は海の上を移動していきました。
どの仕事もそうだと思いますが、特に海での仕事は命がけです。
その安全を祈りながら、島は発展してきたのです。
(休憩所として開放されていた公民館の部屋に飾られていた古い写真)
この先もずっと、このお祭りが続くことを願い、なによりも
安全な操業が続いていくことを切に思いました。
KRY山口放送が報道した貴船神社の夏祭りです。
海の男たちの迫力のある祭りです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。