昨日の記事 「『食』と『性』と『生』(5)」 の続きです。
今日紹介する中東氏の連載コラムは、「第4回 出来損ないの野菜の味」。
連載は、どうもこれが最後。記事の最後に、9月30日に行われる 「出版記念」 の催しが紹介されていますが、今までの記事はどうやら、この催しに向けて掲載されたもののようです。
今回の話は、近所の小学校での 「食育」 に絡む話。
その小学校では毎年、「食育」 の一環として学校で大根を栽培し、その大根を使って調理実習みたいなことをしているようなのですが、その年は天候不順で思うように大根が育ってくれない上、大根が霜にあたって凍ってしまい、皮がずる剥けするなど散々な状況だったようです。
ところが、その霜にあたった 「大根の甘さ」 には本人も驚いたとのこと。
野菜の種類にもよりますが、確かに寒い環境で野菜を保存すると、野菜はその寒さに耐えようと糖質を蓄えます。
これは、雪中キャベツもそうですし、沢庵を漬けるのに寒晒しにするのも、植物が寒さに備えて糖を蓄える仕組みの応用したもの。
しかし、この霜で凍った 「大根の甘さ」 は、「偶然の産物」 だったのか、その貧相な見掛けからは想像もつかないほどだったのでしょう。だからこそ、「逸話」 として紹介したかったのだと思います。
しかしそれで、「野菜に力があれば、出汁はむしろ邪魔になる」 とは、かなり乱暴な言い方。(苦笑)
「京料理」 は、出汁と素材のバランスをとても大切にします。
しかし、大根が出汁に打ち勝つほどの自然の甘味を持つ場合は、その出汁が逆に中途半端に感じられてしまうということなのでしょう。
砂糖などの甘味は、甘味が感じられないように 「隠し味」 として使うか、あるいは、ある程度しっかりと甘味を出すようにするかのいずれかで、はっきりしない中途半端な 「甘み」 にはむしろ不快感を覚えます。
その素材の美味しさに着目し、美味しく食べるためには、敢えて 「京料理」 の枠を崩しても構わない。
自ら力のある野菜を求め、自ら京料理のバランスを崩し、それを自分の味、自分の店の売りにしているのであれば、それこそが中東氏が伝えたかった、彼が到達した料理の真髄なのかも知れません。
音楽で言うとジャズや最近のラップみたいな感覚。
どこか 「郷愁」 を感じさせる、素材そのものの味。
氏は、食材から引き出した 「滋味」 こそが、「活力のもと」 とでも言いたいのでしょうか。
***
中東氏は文筆家ではないので致し方ないのですが、そこで上手く真意を読み取れないと、この氏の文章は実に誤解されやすい。
手の早い料理人(女?喧嘩?)はたくさんいますが、口の立つ料理人なんているかと考えていると、ああ、この人がいました。(笑)
土井善晴氏です。
今日のお勧めは、むしろコチラの記事。
「料理研究家・土井善晴が初めて語った『料理する』ことの本当の意味」
五感は、「生きているうちに使わな損」
キャッチコピーからして、もう秀逸過ぎます。(笑)
チ〇コもマ〇コも、使えるうちに、使わな損!損!(^0^)/
失礼いたしました。続けます。
レシピとは 「台本」 だ
このフレーズもとても良いです。(笑)
こういう感覚でレシピを捉えてみたことは一度もありませんでしたが、確かに言われてみるとその通りです。きちんと 「割り」 を守ることは守りますが、最後に頼るのは自分の感覚で、微妙な加減を調整します。「割り」 自体は材料や調味料で作り上げる一種のハーモニー。和音です。
「作り手」 としての五感もあれば、「受け手」 の五感もある。
難しいのは、「作り手」 としての五感と、「受け手」 の五感には乖離があるということ。
特に料理の場合は、口に含む量によっても、提供時の温度によっても味が変わります。
そして 「作り手」 は、「受け手」 を観察し、「受け手」 の受けとる感覚に立って、その乖離を埋めていくわけです。
そういう意味では、「レシピ」 も 「楽譜」 も、どちらも 「台本」 なのかも知れません。
家庭料理の実現は、お金持ちがお金を積んでも、そう簡単にはできない。愛する家族のために作る、また、一人暮らしで自分のために作るのもいいんです。自炊は一人二役を演じることになりますから、それでいいんです。一人暮らしの学生が、自炊すれば、しっかり生きてるって自信が持てるんです。
家族のありようは違っても、家族のためになんて思わなくても、料理することはすでに愛情。食べる人を考えるようになっているんです。手料理を食べる人はすでに愛されています。そういう意味では料理することのほうが食べることより大事だと言ってもいい。
良いことを言ってます。(笑)
そして、上記記事に続く後編がコチラ。
こちらの方の記事も、「『食事のマナー』 の本当の意味」 にある 「型があるから自由がある」 的な発想なんて、「基本は大事」 という意味なんでしょうが、目から鱗です。
味の濃い薄いは、家庭でもいろいろと難しいところでしょう。
何故なら、「塩梅(あんばい)」 というのは、プロでもなかなか難しいもの。
焼き物の振り塩なども、ちょっとした加減で変わります。
また、塩味は温度が高いと弱く感じ、冷めると強く感じます。なので 「吸い物」 などは味見をし、丁度いいと感じる一歩手前、出汁の旨味が強く感じられるところで止めます。
「減塩」 も、高血圧や腎臓病、循環器疾患等の患者には必要ですが、それ以外には摂り過ぎないようにすれば良いわけです。青森のように塩味の強い味付けや、長野のように塩蔵の漬物を常備菜的に食べる習慣が問題視されているわけで、そういう意味で、最低限の塩味で、出汁や素材の旨味を引き出す 「京料理」 のような味付けが推奨されているに過ぎません。
しかし多くの人達が勘違いするのは、「京料理」 であっても、こまめに塩をして、素材に微妙な加減の下味を付けたり、余計な水分を出したり、しているということ。
素材の味が全く感じられないような 「濃い味」 は、論外ですが、そもそも、味付けをちょっと薄くしたからと言って、山のように食べていたら、トータルでの塩分摂取は多くなってしまいますし、味付けを薄くして、「減塩」 している気分になっただけでは、全く意味ありません。
振り塩も、薄ければ良いというものではありません。
先に振っても後に振っても、塩味自体は同じです。しかし、素材に含まれるアミノ酸が塩と結び付き加熱されることで、旨味に変わるのです。後に塩を振りかけた場合では、旨味は補われません。
肉でも魚でも、適度な塩分がないと 「熟成肉」 であっても、人は旨味として感じられませんし、たくさん運動する育ち盛りの子供であれば、身体は多くの熱量(カロリー)と塩分を欲します。
ボケた味の 「家庭料理」 を作るお母さんは、もしかしたら 「味覚障害」 かなと思うこともあるのですが、特に、「旨味」 を上手く感じることが出来ていないのかも知れません。
摂り過ぎは問題ですが、摂らな過ぎも問題で、そのような偏った食習慣を続けていると、塩味に過剰に反応し、旨味には反応しない舌になってきます。
セ/ックスも、使っていなければ退化するのと同じです。
「うま味最高!!『Umami』『うま味』『旨味』と味覚障害」
男性の性欲減退には、「亜鉛」 が良いそうですが、味覚障害の治療にも、「亜鉛」 が使われるそうです。
「食」 も 「性」 も、機能性ばかりに目を向けるのではなく、「生きる活力」 を生み出す要素、「官能性」 に目を向けることも、とても大切だと思っています。
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