姐の部屋 -69ページ目

だいじょうぶ、きっと。

きのうは東京文化会館小ホールで、イヴリー・ギトリスのソロリサイタルがあった。
 
他にオケとのプログラムの日もあったが、やはり行くならソロのほう、と思っていたから迷わず買ったチケット。
一応2枚買ったものの、夫は交響曲とオペラしか興味がないので室内楽はパス、といわれ、
13歳のころから懇意にしているN氏と行ってきた。 

N氏は当時、塾の先生として知り合ったけど、文学、音楽、芸術すべてに造詣が深い素敵なインテリで、現在はある私立高校の管理職をしつつ文芸評論で名をなしている。
いわば、私の理想のひと、生涯の心の恋人である。
 
  
メールではやりとりしていたが会うのは1年半ぶりだったので、コンサートの前に会場近くのビストロでワイン片手にお食事しながらあれこれお話した。
 
4年ぐらい前にN氏と会ったとき、私はある事件の後遺症で相当深刻な精神状態におちいっていて、N氏は私が今にも死ぬかと思って本気で心配したそうだ。彼は弟さんを自殺で亡くしてらっしゃるから。
 
私がその後、音楽を再開したことを誰よりも喜んで、安堵してくれたのも彼だった。
 
私が自分の音楽につぎ込みすぎなことを語りつつ「こんなつぎこんで、いったい何になるのか、っていわれたら、アレなんだけどね」と笑ったら、 「芸事ってのは、そういうもんだよ」とあの独特の笑顔でいなされた。
 
そっか。
 
「ゲイゴト」。
 
そういう言葉があったね。
 
うん。そっか…。 なんとなくストンと気が楽になったような気がする。
アマの自分が馬鹿みたいに時間も乏しいお金もキリギリスのように音楽につぎこんで、なんだか滑稽に思えてときどき落ち込んだりしてたから。
  

 
いつもそうだ。N氏と(メールでも実際の会話でも)言葉をかわすと、
言葉がストンときれいに心におさまる。
たぶん向こうにとってもそうだから、こういう長い時間、ずっと心を通じ合える存在として生きてこられたのだろう。
 
そういう相手は人生で滅多に会えるものではない。


N氏はちょうど10歳年上で 1年半前に会ったときよりもだいぶ年配然としていた。
向き合って会話していてふと、その年代の頃の父(故人)と会話しているような気分になった。
 
そうか。
だんだん父に似てきたんだ。
というか、もともと父とどこか被るひとなんだ。
今まで意識してなかったけど。
 
父も私から見たら巨大な知識人だった。
どうしてこんなに質と量を伴った読書や芸術鑑賞がこなせるのか、驚くしかない、そんな人だ。
私はいつも「門前の小僧」でしかなかった。
 
 
「書斎」の香りのする人たち。
 
N氏の書斎は、その昔、公団の狭い四畳半だった。
底が抜けないかと心配するほどの蔵書が詰まっていた。
父の書斎も同じだった。
 
フランス文学。日本文学。 イギリス文学。…
綺麗な蒼い表紙の小ぶりな逍遥の訳のシェイクスピア本や、
アンドレ・ブルトン、ランボォ、T.S.エリオット。
鮎川信夫に吉本隆明、大岡信。
わたしはその中で育った。
 
 
同じ匂いがするんだ。
だからだったのか…
 

やっぱり私はファザコンだ。
 
くすりと笑ってしまった。
  
去年から、ある事件が原因でずっと抱え込んでいた、かなり深刻な精神状況から抜けだせず、ずっと苦しいままだった自分。
手に負えぬ、たちの悪い亡霊に心が囚われて、にっちもさっちも行かなかった自分。
どうしようもなく孤立した気分で救いがない闇にいた自分。
  
その閉塞した闇に突然 空気が流れこんで一筋の光が差したようなそんな気分になった。
 
ああ。
私は立ち上がれるかもしれない。
 
居場所がどこにもない気持ちに追い詰められていたけれど、
「居場所」は、ちゃんと、あったかもしれない。
  

そういう気分。
 


ついでに書けば、昨夜のギトリスのリサイタルは素敵だった。
1922年生まれの、最後の「巨匠」。 

クロイツェルの出だしはハラハラしたけど、それも毎度のこと。
じきに調子が出てきて、すっかり彼の世界に聴衆を引きずり込んだ。
 
会場にみなぎる一体感。 ライブの良さそのものがそこにあった。
 
願わくば もう一度 来日して またこんな時間が持てますように。
 

わたしがそういう気持ちになったのは、シューラ・チェルカスキとギトリスの2人かな。
 
チェルカスキの訃報には、取り返しのつかぬ喪失感を味わった。
ほんとうに悲しかった。
 
ギトリスももう90歳近いのだから、そもそも昨夜のようなライブができていること自体が奇跡なのだろうけれど。
それでも魔法がいつまでも続くことを願わずにいられない。
ありえないこととわかっていても。
 

筋力も当然衰えたろう。
若手の気力と体力と現代の高度なテクニックのみなぎる素晴らしい演奏ばかり最近は聴いていたが、
ギトリスの演奏を聴くと、一夜が永遠のような気持ちにさせられる。
 

N氏も初めて知り合った頃は大学を出たての素敵な青年だった。
私もぴちぴちの少女だったんだからね。
彼もいまは頭も随分白くなって髪も減って、糖尿の治療に通っている初老のおじさんだ。
でも身にまとう空気はかわらない。
歳をって 随所で「弱気」を身につけて、それが、とてもいい感じだ。
 
いつか どちらかの葬式でお別れになるんだろうけれど…
 


人生、ということを思うと、ふと涙が出そうになる。 


「最近、涙もろいんだよ」と照れたような笑顔で言い訳しながら、
おすすめの映画や本の話をする。
その彼の顔を思い出しながら、 胸に満ちてくるいろいろな思いを噛みしめていてる。

 

 





 

江の島

久々の「海」

今年の前半は配偶者が入院したりリハビリで、家にこもってた。
夏以降は私が自分の音楽関係で休日も夏休みも潰した。

土日にレッスン、発表会、練習会、私だけ聴きにいくコンサート等々、予定がなければないで、日がな楽器の練習。

夏から怒涛のように続いたそういう生活が、10月下旬の本番が終わって「脱け殻」になって、かっくんと来てました。


美しい季節が窓の外を通りすぎてゆく。



で 二人でささやかな小旅行が、江の島、鎌倉。

音楽のことを封印した1日。



でも明日からまた「壁」と向き合うんだよな


しんど。
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ある人への私信

今朝は肌寒くて薄暗くて淋しい朝です。
辛いことだらけの秋です。
 

19歳の老猫がこのあいだ、大粒のカリカリみたいなものを喉につまらせ死ぬ目にあいました。
たった3粒、サンプルで貰ったおやつ。

人並外れて小柄で、人間でいったら100歳のおばあちゃんみたいなもの…
よろこんで3粒たいらげて、さて隣の水を飲もうと数歩歩いたところで、
いきなりバタンと横倒れになって、目を開いたまま、ただひくひくと手足を痙攣させるのです
毒でも飲んだかと思うような反応で真っ青になりました。
とにかく喉に指をつっこんで吐き出させようとしたけど出てこず、そうしているうちも、声も出ずただ時々大きく手足をびくつかせるだけ 。
このまま死んでしまうと恐怖に陥り、頭もぼさぼさのまま服をひっかぶって車を飛ばして獣医に。
ケージも出す暇なく、裸で私の膝にのせて。
そのあいだも鳴きもせずぐったり動かないんですよ。
獣医につくころ、やっと鳴き始め、診察台にのったときは、もう胃に落ちてくれていたようでした。
ついでに血液検査をして腎臓の値が3桁になってるし脱水気味というから、皮下輸液もしてもらって帰りました。

若い猫はのどにものを詰まらせても、あんな反応ではありません。
確実に簡単に死んでしまう状態になっているのを感じ、おそろしくなりました。


この猫はいまの夫よりも長く人生をわかちあっているのです。
愛した父もこの世にいない今、心理的に遠い母と姉弟よりも、この猫のほうが私にとってはかけがえのない家族です。
母親であり姉であり、娘であり、友達です。
並々ならぬ因縁を最初から感じていた猫です。
きっと前世でもつながっていたような猫です。
母が死ぬより、この猫と別れるほうが何倍も辛いことと今から確信しています。
いつか別れはくるけれど。

皮下輸液をすると楽になって食欲も上がるのが如実にわかったから、これからは月に3,4回でも連れてゆこうと思いました。
できることをしないであとで後悔するのだけはつらいことです。


猫となら言葉もないのに心があたたかく通じ合うのに、なぜ人とはそうなれないのでしょう。
言葉があるからいけないのでしょうか?
 

猫には音楽もなければ文学もありません。いらないのです。
なぜ人にはそれらが必要なのでしょうか?
 

猫も人も 心を通わせ合いたい感情はおなじにおもいます。
「つたえたい」という本能なのでしょうか
おなじように さみしいのでしょうか
猫はなにもなくても それができるのに ひとは ことばや他のものを使おうとするから かえって いけないのでしょうか?



ひとは、かなしいとき 泣きます。
猫はどうするのでしょうか。
 






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