旅の思い出いろいろ
皆様 GWはいかがお過ごしですか?・・・・・・・・・・・・というタイトルの書き込みがあちこちに見受けられる連休。
うちはカレンダー通りのお休み。
夫は部長さんになってから どんどん忙しくなって
病欠以外で有給を使うことが殆ど不可能。
月曜は毎週会議で休めないというし
土日の道路の混む時に遊びに出るのは私がいやだしで
二人で自営やってた時代にあんなに旅行三昧していたのが嘘のように
どこにも行かなくなりましたねえ。
まあ 1992年ごろ(ってその頃はまだ今の夫とは出会ってないけど)のバブルのピークアウト時から
2004,5年ぐらいまでの「黄金時代」に、
普通の家での一生の旅行分の何倍か、旅行をしまくったので
もういいだろ、という考え方もあります。
あの頃はとにかくお金もあったし自営で自由がきいたから、
南の島好きな私は バリ10日間気ままなリゾートステイを皮切りに、
マレーシアのティオマン島リゾートや、
ボルネオ島にあるタンジュアルビーチホテル、
タヒチのキアオラソバージュという無人島プレミアムリゾートにホテルボラボラで10日間だの、
ニューカレのイル・デ・パン島9日間だの
小笠原10日間を2回だの 石垣だの
やりたい放題でした。
北海道にカーフェリーで乗り込んで10日ぐらいかけて千歳から稚内、根室から十勝とまわったりもしました。
東北秘湯巡りもしまくって、秘湯を守る会のスタンプ帳は3回ぐらい満了したものです。
一番のお気に入りだった宮城の栗駒山麓、湯の倉温泉が、
先の宮城の大地震で土砂ダムに埋もれて廃業して以来
なんとなく 東北温泉旅行から足が遠のきました。
まあ 夫が休めない立場になってきたからも大きいのですけどね。
でも、まぁ、旅行の思い出は人一倍溜め込んでいます。
死んだ父を、死ぬ3年前ぐらいに立山の室堂平の温泉(秘湯を守る会の宿です)に招待して
3日間の大名旅行をさせてあげたのですが
若いころ登山をよくしていた山好きな父には鮮烈な思い出になったようでした。
老齢だし糖尿の合併症で足が悪くなり、
もう山には来られないと諦めていたようでしたから…
到着した日は吹雪でしたが翌朝の銀世界の美しかったこと。
あの時はまさかそのあとすぐに癌で死ぬとは思っていなかった。
膵臓癌(ステージ4)で死ぬ1ケ月前の病室で
繰り返し繰り返し 「あの時の立山は綺麗だった」と思い出を語っていた父。
旅行は行ける時に借金してでも行っておいたほうがいいですね。
しみじみそう思いました。
あの時 無理をして 連れて行っておいて良かった、と。
自分に関しては 行きたいところへは、かなり行きたい放題行ったと思うので
あまり悔いは無いのですが…
普通なら新婚旅行で奮発するしか行かないような旅行を何度もしたのですから
文句を言ったらバチがあたります。
一番豪華なのはタヒチかなぁ?
まあ自分的には今の夫との遅れた新婚旅行気分だったので、奮発しましたね。
内容にこだわりまくりました。
タヒチ専門の小さなディープな旅行社を選び、
大手旅行社は取り扱わない、日本人がいないようなところを選んだり。
ミーハーにホテボラやメリディアンの水上コテージも組み入れたけど、
キアオラソバージュに4日滞在したのが一番のメインイベントでした。
ランギロアのリゾートホテルが所有している小さな無人島のリゾートで、
まるでトムソーヤの小屋みたいな電気のないバンガローが5つだけあるんです。
だから1日5組までしか泊まれないわけ。
海外のハネムーナーばかりでしたね。
時計がなくて ほら貝でご飯の合図をする。
完全に自由な時間。カヌーに乗ったりハンモックで昼寝したり
スタッフが夕飯用の魚を採りに行くボートに便乗して、サンゴ礁でシュノーケルしたり。
夕刻が近づくと現地の子供が2つの石油ランプを持ってくる。
時にはヤシの実を割ってジュースを飲ませてくれたり。
2頭の犬がかわいかった。もう死んじゃったろうけどね。
何もしないという贅沢が満ち溢れてたなぁ。
最後の一泊だけパペーテの小さな小さなビジネスホテルに泊まって
街も楽しみましたっけ。
フランス文化圏なのでレストランもワインもおいしい。
ブティックもフランス風。
楽しかったですね。
まさに「夢の時間」でした。
ニューカレも夢時間だったし
小笠原の自由気ままな旅も良かったね。時間や観光スケジュールに追われず、
すべてフリーで現地で調べて気の向くままに歩きまわるのが私の旅行スタイルですので
時にアクシデントもあり
それがまた思い出になるんですね。
まあ 一生分 たどれる思い出はため込んでいるから 恵まれているのかな。
ごみごみ混んでいるのや、スケジュールに追われる詰め込みツアーは大嫌いです。
綺麗な景色だけあれば そこでのんびり何もしないで過ごすのが楽しいですね。
名所旧跡にも興味ありません。 「非日常」にどっぷり浸れればそれで満足。
ということで関係ないけど 箱入り娘さんの画像で締めくくり。

うちはカレンダー通りのお休み。
夫は部長さんになってから どんどん忙しくなって
病欠以外で有給を使うことが殆ど不可能。
月曜は毎週会議で休めないというし
土日の道路の混む時に遊びに出るのは私がいやだしで
二人で自営やってた時代にあんなに旅行三昧していたのが嘘のように
どこにも行かなくなりましたねえ。
まあ 1992年ごろ(ってその頃はまだ今の夫とは出会ってないけど)のバブルのピークアウト時から
2004,5年ぐらいまでの「黄金時代」に、
普通の家での一生の旅行分の何倍か、旅行をしまくったので
もういいだろ、という考え方もあります。
あの頃はとにかくお金もあったし自営で自由がきいたから、
南の島好きな私は バリ10日間気ままなリゾートステイを皮切りに、
マレーシアのティオマン島リゾートや、
ボルネオ島にあるタンジュアルビーチホテル、
タヒチのキアオラソバージュという無人島プレミアムリゾートにホテルボラボラで10日間だの、
ニューカレのイル・デ・パン島9日間だの
小笠原10日間を2回だの 石垣だの
やりたい放題でした。
北海道にカーフェリーで乗り込んで10日ぐらいかけて千歳から稚内、根室から十勝とまわったりもしました。
東北秘湯巡りもしまくって、秘湯を守る会のスタンプ帳は3回ぐらい満了したものです。
一番のお気に入りだった宮城の栗駒山麓、湯の倉温泉が、
先の宮城の大地震で土砂ダムに埋もれて廃業して以来
なんとなく 東北温泉旅行から足が遠のきました。
まあ 夫が休めない立場になってきたからも大きいのですけどね。
でも、まぁ、旅行の思い出は人一倍溜め込んでいます。
死んだ父を、死ぬ3年前ぐらいに立山の室堂平の温泉(秘湯を守る会の宿です)に招待して
3日間の大名旅行をさせてあげたのですが
若いころ登山をよくしていた山好きな父には鮮烈な思い出になったようでした。
老齢だし糖尿の合併症で足が悪くなり、
もう山には来られないと諦めていたようでしたから…
到着した日は吹雪でしたが翌朝の銀世界の美しかったこと。
あの時はまさかそのあとすぐに癌で死ぬとは思っていなかった。
膵臓癌(ステージ4)で死ぬ1ケ月前の病室で
繰り返し繰り返し 「あの時の立山は綺麗だった」と思い出を語っていた父。
旅行は行ける時に借金してでも行っておいたほうがいいですね。
しみじみそう思いました。
あの時 無理をして 連れて行っておいて良かった、と。
自分に関しては 行きたいところへは、かなり行きたい放題行ったと思うので
あまり悔いは無いのですが…
普通なら新婚旅行で奮発するしか行かないような旅行を何度もしたのですから
文句を言ったらバチがあたります。
一番豪華なのはタヒチかなぁ?
まあ自分的には今の夫との遅れた新婚旅行気分だったので、奮発しましたね。
内容にこだわりまくりました。
タヒチ専門の小さなディープな旅行社を選び、
大手旅行社は取り扱わない、日本人がいないようなところを選んだり。
ミーハーにホテボラやメリディアンの水上コテージも組み入れたけど、
キアオラソバージュに4日滞在したのが一番のメインイベントでした。
ランギロアのリゾートホテルが所有している小さな無人島のリゾートで、
まるでトムソーヤの小屋みたいな電気のないバンガローが5つだけあるんです。
だから1日5組までしか泊まれないわけ。
海外のハネムーナーばかりでしたね。
時計がなくて ほら貝でご飯の合図をする。
完全に自由な時間。カヌーに乗ったりハンモックで昼寝したり
スタッフが夕飯用の魚を採りに行くボートに便乗して、サンゴ礁でシュノーケルしたり。
夕刻が近づくと現地の子供が2つの石油ランプを持ってくる。
時にはヤシの実を割ってジュースを飲ませてくれたり。
2頭の犬がかわいかった。もう死んじゃったろうけどね。
何もしないという贅沢が満ち溢れてたなぁ。
最後の一泊だけパペーテの小さな小さなビジネスホテルに泊まって
街も楽しみましたっけ。
フランス文化圏なのでレストランもワインもおいしい。
ブティックもフランス風。
楽しかったですね。
まさに「夢の時間」でした。
ニューカレも夢時間だったし
小笠原の自由気ままな旅も良かったね。時間や観光スケジュールに追われず、
すべてフリーで現地で調べて気の向くままに歩きまわるのが私の旅行スタイルですので
時にアクシデントもあり
それがまた思い出になるんですね。
まあ 一生分 たどれる思い出はため込んでいるから 恵まれているのかな。
ごみごみ混んでいるのや、スケジュールに追われる詰め込みツアーは大嫌いです。
綺麗な景色だけあれば そこでのんびり何もしないで過ごすのが楽しいですね。
名所旧跡にも興味ありません。 「非日常」にどっぷり浸れればそれで満足。
ということで関係ないけど 箱入り娘さんの画像で締めくくり。

6/27(水)「室内楽の独眼竜=モルゴーアが放つ一回限りの大特番!」
モルゴーア・クァルテット GALA
プログレッシブ・ロックとショスタコーヴィチの邂逅
詳細urlおよび申し込み★浜離宮朝日ホール
03-3267-9990
全席自由席 4000円
その他CNプレイガイド、東京文化会館チケットサービスでも取り扱い。
私は今日買いました。
まだ残席あります。
楽しめそうです
チラシ裏面より転載(荒井英治)
===================
(前略)
さて、20世紀の音楽で、重要なものの一つはロック・ミュージックであります。
何故か?
答えは「’69~'74までのロックを聴け!」です。
つまりそれはロックが一番熱かった時代であり、プログレッシブ・ロックが燦然と輝いていた時期であるからです。
大戦後の『現代音楽』が身につけたきたテクノロジーを武器にして、最も創造的でアクティブな展開をした音楽がロックであり、その最高度の結実がプログレッシブ・ロックだったと断言してはばかりません。
現実を直視した社会的意識も非常に高く、ユートピアを語り、その一方で人類の危機を予告するような作品が次々に生まれたのです。
かつてモルゴーアは借りモノではない、自分たちの音楽として、ロックアルバム=『ディストラクション』を発表しました。それは20数年を経てプログレ魂が極東で蘇った瞬間でした。
しかし私たちはまっとうな『クラシック愛』から、ロックはいわば地下活動へと潜行し、裏レパートリーとして狭いライブハウスだけに限定して数回演奏したのみです。
しかし、結成20年! 止むに止まれぬ気持ちから、ついに一回限りの大ロック大会を挙行します!
(後略)

ディストラクション ロック・ミーツ・ストリングス
