姐の部屋 -55ページ目

ひとりごと

自分はGMAILの下書き機能を使って、よく備忘にメモを残す。
たまった下書きを見ていたらずっと昔の裏日記のURLが。
非公開の日記サイトで 心の中を吐き出していたんだよな
もうサービスをやめたサイトだったはずなんだけど、サーバーはそのまま放置なのかな。
 
2年前の1月から6月 そうして11月ごろの日記を思わず読み返した
胸がちりちりして身悶えた
鮮やかに再現される想い。
 
何一つ心の中の状況は変わってないじゃないか、と思う。
 

言葉にしたものは心に定着してしまうのだなと思う
言葉にせずに流れて消えるに任せればいいものを
私は言葉にして残さずにいられない病気を持っている
 
自分の心の中を覗きこんでは 言葉にしようとしてしまうんだな。
 

このブログは他人には宣伝してない。知り合いには伝えない。
顔も知らない他人に何を読まれようが まあ ある程度はかまわないから。
 

それに比べると、自分の心にしまうつもりで書いていた
その裏日記は 墓まで持っていくような内容だから   どきりとするよ
 

ネットのなかった大学時代は、ノートに同じように 大量に言葉を吐き出してたよなぁ私。
あのノート 死ぬ前に燃やさなきゃなぁ。
 



あれこれ

人生なんて 行き当たりばったりだ
 
気が付いときは チェロやってた それが生活だった
小学3年のころ、遊んでても 窓に黄色い旗が立ったら家に帰って練習時間、とか。
親は 「芸大は国立なんだから お勉強もできなきゃだめなのよ」とか抜かして 勉強もクラスで1番でなきゃならなかった
 
今思えば 音楽学校の偏差値なんて 底辺なのに(--)

小学3年 そういえば額の生え際の毛を無意識にむしって血が出たり、
チック症にもなってた。
 
「見張ってないと練習さぼる」って濡れ衣着せられては衝突し 抗議のプチ家出もしたことあるな
夜 小学校まで家出して(ここが笑える。小学生の考えることの限界!) 宿直の先生に発見されて
父親が迎えに来てくれた
父は 叱らずに 「星がきれいだなぁ」なんていってた。
まあ 帰宅した途端 ママゴンの頭ごなしの怒鳴り声にみまわれたけど。
 
小学5年のころ 日記に 母親 死ねばいい って書いてた
 
チェロが好きとか嫌いとか、なかった。 弾くのがあたりまえだった。
練習自体やレッスンが嫌いだったという記憶もない。
小野崎先生 今思えばめっちゃこわくて厳しかったけど 母親にくらべりゃ何とも思わなかった。
斎藤先生とこも厳しかったろうけど、べつにどうとも思わなかった。
 

母親はわたしを潰すモンスターだった。
否定し続け 飲み込み続け 自分の人生の恨みつらみと歪みをすべて 娘に投影してた。
メビウスの輪のような 心理的罠。
 
私と母親との関係は 過去に随想にまとめたことがある
            「蜘蛛の巣」
            父よ。母よ。弟よ。
 
(その母は 去年 肝臓癌になって なんか治療中らしい。
  それから連絡を絶ってしまったから どうなってるか知らない。
  死んだら感慨は深いだろうが 父親の時とは天と地ほどに自分のスタンスが違うのに自分で驚く)
 


極限に達した大爆発で 命がけの闘争の成り行き上 チェロをやめたのが14歳。
 

幸か不幸か 勉強ができたのもいけなかったのかもしれない。
選択肢がほかにあったから。
学校でも1番だった。
偏差値72とかだった。
 
高校ではクラシックなんか近寄らず ロックばかりだった。
芸術科目は音楽と美術の二者択一で両方はさせてもらえなかったから
悩んだ末 美術を選択して 絵ばかり描いてた。
まあ ママゴンが高校入学とともに受験させた駿台予備校には放課後に通ったけど 
それも勉強したいかどうかってより  毎日予備校に行ってると 嫌いな自宅に遅くまで近寄らないで良かったから好きだった。
 
学校では放送委員長だったから、暇があれば放送室でレコード聴いてた。
放課後、予備校があるお茶の水に向かって、授業開始まで町をぶらつく。
DISK UNION, AUDIO UNION, 書店、 画材屋、 楽器屋。
 
私にとっては宝箱のような場所。 飽きなかった。
授業に遅刻しそうだとさぼってふらふらしていた。 
 
逢魔が刻のニコライ堂の緑の屋根は幻想的だった。 
校舎の屋上で眺めてた。
 
駿台は成績別クラス構成だったけどいつも一番上のクラスだった。
 
恋もたくさんした。
 
チェロ以外のいろんなこと。
インドア型だから、スポーツはしないけどね。
 
難なく いわゆる有名私大に入った。
 
でも   希望の学部じゃないから  さぼってばかりいた。
 

大学時代は  瞑想して  ジャズ喫茶と日本茶喫茶(!)に入り浸って たくさん恋して  
夢のように非現実、非日常な4年間を過ごした。
でも 単位は落とさなかった。
  
高校でも大学でも いっぱい 日記みたいなノート書いてたな。 その中から 詩作に結晶したのが たくさん。
 
 
なんとなく 苦労もせずに 上場企業に就職した。
 
なんとなく、なんだ。 いつも。
ほんとにやりたかったことじゃなかったんだろう。
でも なんとなく、で  みんな出来ちゃったから いけなかった。
 

家が大嫌いで(父親は大好きだったけど父親は母親のモノだったからね)
就職した途端に極端な貯金を初めて 1年で 勝手に部屋を借りて出た。
環境変わって 不安定になったからだろう。
あっという間に熱烈な社内恋愛で 結婚した。
で 2年で 別れた。  まあ 痛い経験だった。
でも若いってエネルギーあるよな。
飛び降りたらどうなるか、っていうのを知らないと、飛び降りることが出来るんだな。
 
知らないって強いんだ。
 
で、たいていの場合、「跳んでしまえば がむしゃらに事後処理して乗り切る」 んだよね。人間て。
跳ぶ前に悩んだら絶対跳べないくせに。
 

これが懲りないから 大恋愛しちゃぁ 痛い目に遭い続けるわけだ。
恋愛なんて脳内の妄想、って人3倍ぐらい理解したくせに、
「もう枯れた。もうないわ」って思ってたくせに、 やったりね。
結局のところ  人生のすべては 本人にとっては「妄想」なんだろう。
だから、妄想こそがリアルで、妄想がとても大事なんだろう。
 

でも、そんな私の人生も半ばは過ぎちゃって(たぶんね) 先はそんなにないのよね、って最近思う。
 
人間、 頭では「人生一度きり」とか「いつか必ず死ぬ」って思ってるはずなのに、
実際 主観的には自分っていう主体が消えること、 本当には考えてないだろう。 
 

我、思う、ゆえに我あり。

でもって、世界はすべて 自分の脳による知覚と通してのみ、そこにあると感じるイメージに過ぎない。
自分にとっての世界、は。
 
だから、知覚の主体である 本人が死ぬと、世界も消えるわけ。
これは たぶん誰にとってもかなりの恐ろしいことなんじゃないか。
 「主観」以外に ほんとうは 何も存在しない。

(こういう感覚が最初に宿ったのは 小学5年生ぐらいだ。
  それからずっと自分のテーマみたいに中にある。)
 

人間、だれも、「まだ時間がある まだチャンスがある」って思いながら生きてるんじゃないか。
今年 桜をゆっくり見られなかったら、「来年は見に行こう」、みたいに。
 

父親は2004年の年末に癌で緊急入院して2005年の秋に死んだ。
「これが最後の正月」と確信してはいなかったろう。
2月に梅の鉢植えをプレゼントした。
それが最後の観梅になったけど、それも確信はしてなかったろう。
そして、桜。
最後の夏。 秋が本当に訪れるより前に 終わってしまった。
入院する前の秋が最後になった。
 

何度も何度もそのことを考える。 もう7年もたつけれど 想いは鮮やかだ。 
  

去年の12月に猫が死んだ。
 
2日前まで 弱りながらも ごはんを食べようとした。
死ぬ前日までは よろけながらトイレに歩いていった。
死ぬ日は すべてを諦めた目をしていた。 

死ぬ3時間前から 急激に 「終わり」に向かう変化がおこった。
 
腎臓が壊れた以外は、心臓も胃腸もぜんぶ機能に問題はなかった。
だけど腎臓が壊れて血がつくれなくなって、
まるで 水をもらえない鉢植えのように、組織が殺されていった。
 
死ぬ瞬間がスローモーションのように 何度も何度もフラッシュバックする。
 

命は まだ こちらがわにいたいと必死なのだけれど、
それは 最後に 「もぎとられる」 のだ。
  
そうして その運命に「負けて」  あらがいながら終わってゆく。
 

命は…   ある日  外から こちらがわに「与えられる」。
そうして
あるとき、 強引に「もぎとられる」。
 


I was born  なのだ。   受動態。
 



私は いなかった。
私は 今 いる。
私は いなくなる。
 

あなたも。
 




先刻まではいた。今はいない。
ひとの一生はただそれだけだと思う。
ここにいた。もうここにはいない。
死とはもうここにはいないということである

         こんな静かな夜 (長田 弘 )




百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう

       朝 (谷川俊太郎)


---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。

       I was born (吉野弘)

朝から疲れてます

連日 深夜に、月末にやる仕事の準備でパソコンに何時間もかじりつくので
肩はこる、腰は痛い、目は疲れきってだんだん使い物にならなくなる、
その状態で2時近くに寝て
朝は 夫が6時に目覚ましなので グロッキー
 
ただ起きているのならいいのだけど PC仕事は運動とは違うイヤ~な疲れ方をするんですよね。
神経のそこらじゅうがトゲトゲ痛むような。
横になってもなかなか寝付けないし。
 
入眠剤(レンドルミン)は飲んでいるけれど、薬がなかったらアウトでしょうね
 
でも、このところ、夫には申し訳ないけど朝食時に起きられない!
 

昼間 楽器やめてビッチリ仕事をし続けたらいいんでしょうけど 
どうしても音出しできる時間帯に 音を出しておこうと思ってしまうでしょ。
仕事に入る月末一週間は、1日30分ぐらいしか楽器をさわれないだろうし。


夜も、夕飯の支度および、夕飯そのものという中断なしで仕事していられれば、こんなに深夜にならずにすむけど・
 
ああ、今月だけは、かわりに家事やってくれる人がほしい
 
月末までは続くなこの生活。
 
眼の下にクマができちゃうよ。