アマヤドリ -61ページ目

『真珠の耳飾りの少女』

フェルメールの魅力を私は長年わからなかったのだけれど、レンガの街角の絵を実際オランダで見てからとても好きになった。

少女役の女の子の肌と骨格がほんとうに綺麗でうっとりした。
少女らしい頬のラインも、血が透けている乾いたくちびるも、熟れる直前!みたいなつやめきがあってひそかにどきどきする。

絵の具の材料にもわくわくした。
黒は、骨を炭にしたものをすりつぶしていたんだな。とか、孔雀石とか。

たぶんこのお話はほんとうの話とか伝わっている話とかではなく、この少女はまさに謎につつまれているから、この絵のからほのかにたちのぼる情みたいなものとかつやめく瞳とかからストーリーは編まれていったのだろう。
おわり方も、その香りをただ残すだけにとどまっていた。

フェルメールの絵を思わせる構図、色彩、質感(質感…は少し薄かったけど)があらゆる場面にちりばめられていた。
とても、光やそれに透ける白、輝く色の美しい作品でした。

『トレインスポッティング』

ずいぶん前にビデオテープに録っておいたものだったから画質が不安だったけれど大丈夫だった。

つい、暴力とかドラッグとかが真ん中を貫いている話では、いつか仲間内にとんでもなくかなしいことが起こるのではないか、とどきどきひやひやしてしまう。
だって、たいていそんな映画のなかでは、そういうことが一番の仕打ち、みたいにつらいのだ。

ドラッグを断つときの悪夢はあまりつくりこまれていなかったけれどそこがいいなと思った。
ミシェル・ゴンドリーみたいに視覚も感覚も、といざなってくれるともうすべて任せて浸ってしまえばいいけれど、このくらいだと自分のほうの想像力をかきたてようとする。

でもあんなに危ないことだらけの毎日なのに、よく無事だった、と思う。
爽快ではあるけれど唯一そこだけが、病んでいるみたいに思えた。

『浮雲』

みながらずっとやるせなさと歯がゆさでじっとしていられないような気持ちだった。

何年にもわたってあんなふうに曖昧な関係を続けるなんて悪夢みたいだとも思うし、それでも会えなくなるよりはいいのかもしれない、とも思う。
あんなに黒い感情を抱えながらもどうしようもなくずるずると顔をみに行ってしまう。
信じさせることは簡単だ。
恋愛ってほんとうは、ぜんぜん美しくない。
特にバランスの崩れた恋愛は。

富岡はぜんぜんちゃらちゃらしていないのだけれどまったく悪びれもせず次々と女のひとを引き寄せてしまうほんもののプレイボーイ。
いつもはくたびれた善良・平凡そうな目をしているくせに、温泉宿で女の子を見つけたときの瞳の輝きといったらはっとさせられるものがあった。

妻と別れるから東京においでと誘ったのにやっぱり別れなかったり、一緒に温泉に行ったのにそこで別の女のひとと仲良くなってゆき子を捨てたり、まったく無責任にゆき子に子供を産んでくれとか言うし、妻の葬式代をゆき子に無心したり、もう完全に駄目なやつなのだけれどゆき子は富岡をずっと追いかけ続ける。
甘えても、いじけてみせても、昔の思い出を語っても、泣いても、全然振り向いてくれない。
女ごころをまったく分からない風なことしかいってくれない。
けれど最期までは突き放してくれない。
ほんとうはとても強いひとなのに最期まで富岡に執拗にまですがり続けたのは戦後という時代の影響もあったのだろうけれど、それほどに切り離せないなにかがあったのだろうな。富岡のほうにも、なくはなかったんだろう。

高峰秀子の、瞳の微妙な揺れやしたたかな「女」の演技がすごい。
屋久島で寝込んでいるゆき子は神々しいくらい美しかった。
号泣する富岡が思い浮かべたのはかつてお互い恋をしていた、出会った頃のゆき子だったけれど、あんな笑顔をもうずっと見せなかったゆき子のことを想ったら苦しかっただろうな。
でもあんまり富岡にはやっぱり同情できないから、死んでもなお思い出すのは可愛かった頃のことだけか!とつっこみそうにも、なった。

ザンパノを思い出す。
失くしてから後悔するのは愚かだけれど、かなしい。


すごく気になったのは、
昔は知らないひととでも男女混浴だったのかということ。
高峰秀子はそばを食べるのが早い。早いというか、ものすごく効率的に次々と吸い込んでいっていて、見とれた。


 浮雲

炭酸硝子


細いほそい月を見た。
まるで童話の挿し絵みたいに刺さりそうな月。

そのときわたしはなんだかとっても満たされていた。
満たされてもいいのだ、と自分をゆるしていることにとまどっていたのかもしれない、と考えるとからだのどこかがちくりと痛んだ。
月はささって、けれど甘くとけた。


ワインのボトルにお手紙をいれて、蝋で封をした。
海に漂っていかなくても誰かがいつか受け取ってくれるだろう。

残業のおわりに


無事に、テンソクオーディションを終えることができました。
問題はテンソクではなく、もっと基礎的なバレエの技術にあったのだけれど(まぁ、だからこそテンソクもはきこなせないわけだけれど)、まぁでも怪我もせず楽しく一日を過ごせてよかった。
仲間のみんなのおかげ。
あほうなことずっと言ってて恥ずかしい奴でごめんね。
緊張隠し。

体調もすっかりよくなったのでラストスパートかけないと。
3月末と4月のはじめに舞台があるのだけれど、ちかぢかここでも、それからアドレスなどを知っているかたには直接、本番のお知らせをしますのでぜひ!


なかなか日記がかけなくても誰かさんの書くものを読んでその感覚や思考をこくこくと飲み込んでいるとこころのどこかが解けたり、ぴしりとおしりをはたかれたりして、その動きこそがここちよくたいせつだなぁと思う。

ほんとに。
ひとと接点をもつということはふくらみを呼吸するということなんだなぁ。
ただの羅列じゃなくて。