アマヤドリ -358ページ目

撤収!!大作戦。

何回もなんかいも想うところを伝えたのに、毎日さみしいことを通り過ぎてきたのに、そんなのちっとも通じていなかったみたいな気がした。だからこれは不可抗力みたいな、意地のようなところもあるけれどついに、やっぱりかあという感じで起きてしまった。

最後の最後、少しでいいから会いたいと言ったのに会社の大事な話に負けてしまった。それでなんだか本当に、よくわかったよ、と思った。そんなつもりはなかったって分かってる。でも。最後くらい嘘をついたりしてでも帰ってきて欲しかったこんな気持ちはあなたにはわからないよね。

スーパーからダンボールを3つもらってきて荷物を全部詰めた。
足りなくて大きな紙袋を4つ追加した。
こんだけたくさんあったら、そりゃあたんす一段じゃあ片付かないよなあとつぶやいたり。
途中たくさん電話がかかってきたけれど、じゃあどうしてそれを、もうちょっとはやくしてくれなかったんだろう。きっと、ただ私が猫みたいにふらふら迷っていて、いつかその柔らかい胴体をひゅって捕まえればいいと思っていたのね。

混乱したり、どうしたらいいかわからないとあなたはいうけれど、そんなふうに言い訳をしていなさい、と私は思う。そんなふうに、取り返しのつかなくなることはいっぱいあるんだから。



タクシーの運転手さんはなんだか感づいたみたいだけれど、私は引越しですぐ使う荷物だけ運びたくてと見栄を張った。

多分私よりも母や、父が傷ついただろう。今ごろ泣いているんじゃないかしら。

あ~あ、ふたりの心を思うと、ちょっと涙が出る。


そうしたら、「同僚がやめちゃったよ」と、あなたはメールをくれた。

ほんとうに、なにもわかってないひと。
多分明日も普通にメールをくれるんだろう。

どんなにどんなに、話したかったのかちっとも知らないままなのね。
どれだけ私が遠くまできてしまって、どれだけ引き止めて欲しかったのか。

迷宮に棲む

全部が繋がっていて
時は縮まったりのびたりする
平気で忘れたり
ずうっと覚えていたり
変化したり
綿に包まれたり
くっきり輪郭を持ったり

いつもの私はとっくにその迷宮から忘れられてしまったけれど
糸を放した風船のように
その空気を吸いに上昇することがある
ほんのたまに

逆さまに何も零れず
あるその迷宮に
私は
旅をしにゆこう
あなたたちのいる処に
目覚めぬまま
眠りの中でだけ
そこにいくことを許して

そっと額を寄せて
あなたの棲む処に
私を連れていって
瞳にうつるものをみせて

時がくるまでは


空ばかりみていたから
輝く瞳は色を失った
あまりにも長い間耳を澄ませていたから
既に何事も聞こえないことに気付かなくなった
心の中ばかり探っていたから
指先は細かく鋭い傷で埋まっている

小さく美しい庭を持つあなた
私はそれを
ものすごくものすごく愛しているけれど

手を引っ込めないで
どんなに空気がその指先に痛くても
息ができなくても

指先が血にまみれてもいい
ひとつひとつ痛みを刻み付けて
1ミリでもいいから進んで

盲目のままでいい
ぶつかってあざをつくっても構わない
立ちすくんで泣き叫びたくなったら泣きなさい
いつでも名前を呼んであげる

どんなに哀れに見えたってちゃんと見届けてあげるから

終わりがあると信じて

あなたの…私の愛しい庭は消えたりしないから

やどり木

栄養をくれるのは
友達とかこいびととか
景色とか大事な本とか
ちょっとした出来事だったりするけど
最後のほんとうにそれを奮い立たせるのは
自分のこころ以外のなんでもない

触れられてももう
視界にはただ壁がいっぱいに広がって
あたたかい指先から伝わる熱は
虚しくひえてゆく

ひとの住まないおうちみたいに
そこはなかなかあたたまらなくて
夜になっても灯ることはない

音も
匂いも
確かなはずのこの床も
穴のように


でも
この栄養は
きっと私のどこかに
ちょっとずつちょっとずつ根を下ろして
いまに
ぷるぷるの双葉を咲かすだろう


信じよう
どんなに
みるみるそれが枯れて冷えても

今は頑なに目を閉じていても
その闇に甘んじてもいいから

『ドライビング・ミス・デイジー』


タイトル: ドライビング・ミス・デイジー

デイジー婦人はある日ちょっとした運転ミスをしたことから以前から心配をしていた息子に運転手を雇われてしまう。
はじめはそれを疎ましがっていたが、徐々に打ち解けてゆく。



頑固なほどに厳格なデイジー婦人を演じたジェシカ・タンディの凛とした口調が小気味よかった。おそらく、徐々に年を取ってゆくのを際立たせる為のシーンであったであろう車に乗らずひとりですたすた歩く姿は、さすが女優と思わせる背中だった。
運転手ホープを演じたモーガン・フリーマンの演技もさすが。訛りから笑い方、自分の発散する空気の色までちゃんと変える。でもその奥底にある年輪は温かくて分厚い。

二人は劇的に仲良くなったり、デイジー夫人の頑固さが簡単に和らいだりはしない。でもそれぞれの人生で積もったものを持ち寄って辛抱強くお互いの存在をなくてはならないものにしてゆく。
『春にして君を想う』を見たときにも感じたが、そこには本当に深い深い絆があるように思う。

この作品はアカデミー賞でメーキャップ部門で賞を取っている。老いがとても自然で、年月の展開の速さを必要以上に感じずに済みよかったと思う。
『バグダッド・カフェ』のような温かい気持ちの中に、ほのかで、でも拭えない哀しみが漂った。