アマヤドリ -356ページ目

ぴかぴかのほうせき

ただ、ひとめあいたいんだ。


なんかいも電源の入ってない電話にかけて、
すれ違う黒い車にあなたをさがして。

いま、隣にだれかがいるのではないかと。

決定的をみて、
ほらねって、責めてしまおうと思った。

でもそれが怖くもあった。

だからこうやって、
ちゃくちゃくと近づいてる私を
気づかせないように、
きづかせないように。


夕闇がしだいに藍で視界を包んで
わたしはあきらめて
ゆられながら座席に頭をうずめた

赤いテイルランプもゆれて、
とおくの薄紫の雲が雪雲のように。


そして、


ただ、ひとめあいたいんだ。


と、きづいた。


それはそれはとっても無垢で
この空の向こうまで
ただまっすぐな。


そっとすくいだして、
そのあたたかさに驚いた。



わたしは、あなたにあいたかったんだ。



気づけてよかった。

この分厚い雲の中に
埋もれさせてしまったままじゃなくてよかった。

三日月と歩く

こいびとのことばかりで生活が埋まってしまうとどうしても湿っぽくなる。幸せなときですら。
昔からあまり女の子ぽい行動が苦手だったのは、実は自分のこういうともすれば人並み以上に女の子なところを認めたくなかっただけなのかもしれない。
意外とうじうじしているんだ。

空を見たり歩きながらくるりと回ったり、自由に呼吸をすることがいつのまにかできないくらい空気は湿っていたのかもしれない。
雨をたくさん含んだ雲が頭のすぐ上まで迫っていた。首をすくめなくてもぶつかりはしないけれどどうしても息が詰まった。
動かないから風は起こらなくて雲も去らなかった。
わかっているつもりで藻掻いているのはただかき回してつむじ風を起こすだけ。

とことこバスにのって、余分な鱗を切り捨てて、ちょっと分厚い雲の切れ目から青い空気を吸えたかな。

まだ連綿と重たい雲は私の胸を濡らして冷やしているけれど、こうやって三日月を見られただけでも、いい。


一度は挫折したものの

小難しそうな本を読もう。
何年も前にそう思って手にとった一冊。
G.ガルシア=マルケスの『百年の孤独』。

この時は特になんだか小難しいものが私には欠けているような気がして、どんどん吸収したかった。
芝居をやって身近になんだか難しいことをいう人がいたり、脚本を書いたりしていた時期だったからだろう。

変な動機で手にしたせいかどうか分からないけれど結局最初の方で断念。
どうしても集中できなくて目線ばっかりがうろうろしていたことしか思い出せない。



著者: G. ガルシア=マルケス, Gabriel Garc´ia M´arques, 鼓 直
タイトル: 百年の孤独

優しい視線

bigtiger.sさんのblog

はじめに見たときから、そのくっきりした色合いの動物達の毛並みやら目線やらに心を動かされたのだけれど、なんといってもその写真ひとつひとつに添えられたコメントが可愛らしい。

とくに多摩動物公園のきりんの記事は、心をひかれた。
小さな頃からきりんがとても好き。
お母さんとおそろいのワンピースを着てどこかの動物園に行った写真がある。
私はオレンジ色の風船を持っているのだけれど、それをキリンとキャッチボールのようにやりとりしたことを覚えている。
とある時のこいびとにキリンとチーターが見たいと言って多摩動物公園に行った時にはそのキリンの多さに大喜びし、いつまでもそこを離れなかった。
ごはんを食べる時のやわらかいくちびるや、しなやかな筋肉のくびすじや、ながいまつげをずうっと見ていた。まさにこの写真の丁度反対側から飽きることなくスケッチした。

それから、あのユキヒョウも、もう多摩動物公園にはいないんだ。
と不思議な気持ちになった。

でもサファリパークの方が、広々として楽しいのかしら。
だって斜面のとっても上のほうに、憮然として座っていたから。


愛情がその写真からも、言葉からも伝わってくる。
そんなお部屋を覗いて、私もしばし素敵な時間をすごす。

ちょっと心霊じみたこと

昨日福岡で殺人事件があったけれど、それに対して母が変な事を言っていた。
朝、そのニュースが流れて被害者の顔写真が出たときに、一瞬瞳が左右に揺らいだ、というのだ。
勿論そんなの一瞬の見間違えなのだろう、と母も私も思う。
でももうひとつ、母はその朝若い女の人の声で目覚めた気がする、というのだ。
頭の上のほうで声がしたので、「え?」と聞き返そうとして目が醒め、ベッドにいるのだと気づいた時にはまだ4時過ぎだったらしい。
これもきっと夢なのだろう。
母は普段不思議な目にはあわないし勘が鋭いほうでもおそらくない。
だから、このふたつはただの勘違いと偶然なのだが、ちょっと気になって書き留めてみた。

そして一番気になったのは、私もその日、朝早く母と女の人が話している気がして目が醒めたことを思い出したことだ。
母がそんなことを言わなければ思い出しもしなかったし、これこそ夢か、TVの声だったかもしれないのだけれど。