グアム1日目②
飛行機は滑走路を移動し始める。
遠くで離陸する飛行機を見た。
ものすごい勢いで水しぶきをあげていて美しかった。
飛行場を走れどなかなか浮き上がる様子はない。
いつ飛び立つんだろう。
エコノミークラスのはずだったのだが、多分あれはビジネスに近いところに乗れたのだ。手元に個人的なモニターはついているし、シートは真横にできるくらいに広い。
私たちの前に乗っているのはどうやらパイロットみたいで、スチュワーデスさんたちと顔見知りのようだった。子供がいる。
子供の時、初めて乗った飛行機は怖かった。多分大気の状態が悪かったんだと思う。気持ち悪くて、上がったり下がったりが耐えられなかった。
スチュワーデスさんに絵本を持ってきてもらったり気を紛らわすために色々してもらったのを覚えている。
だから、ちょっと離陸に対する緊張があった。
しかし実際の離陸は怖くなかった。今までの移動の走りじゃない本気の走りを飛行機が見せ、あ、これが滑走か、とテンションがあがる。
友人は何度も海外に行っている。一人旅もしているからもう離陸なんて珍しくない。しらあっと毛布などを被っている。
窓際の私は仕方ないから一人でどきどき。
浮き上がって少しの間地上が見えた。
東京の上を通るのかな。もしかして、飛行機の音を聞いて、あの人は私を思ってくれるだろうか。
馬鹿な事を思う。
ほんとうにばかだ。
すぐ白い靄の中に入り、しばらく窓の外は真っ白だった。
10分くらいそんな状態だっただろうか…だんだん白が明るくなり、目に耐えられないような眩しさに近づく。

かなりたった頃その白が層になっていることに気づいた。するといきなり雲の上に出た。
上空にはまだ薄い雲があり、雲と雲に挟まれて空の隙間を飛んでいるような感じだった。
なんて綺麗なんだろう。

誰にも踏まれていない雪の上にいるみたいだった。滑らかでどこまでも続く雪景色。雪山は高くなったり、見下ろしたり。飛行機が左右に揺れているのだ。旋回だろうか。
思ったよりは揺れない。ずっとエンジン音がしているだけ。

雲が途切れて海が見えた。
あまりにもスケールが大きくて最初雲と分からなかったが、あの低い海の近くにへばりついているのもやはり雲なのだ。もし浮き輪で人が泳いでいたらどのくらいに見えるのだろうか。
遠く黒く見えたのは島だろうか?雲はこんなに何層にもなっていて、風の強さが違うのか速度が全然違う。ナウシカを思い出す。
ナウシカは空を飛ぶとき、空気のかたまりを見たりしていたから。
グアム1日目①
明日からグアム、という10日の夜。
張り切って色んな人に報告しようと携帯片手にお布団に入る。
「起きなくていいの?」
という父の声。
今お布団に入ったばかりだった気がしていた私は面倒くさそうに返事をする。そうして時計を見ると、5時。
何と携帯は目覚まし時計をセットされる事もなく、そしてグアム報告もされる事もなく私の体の下敷きになっていた。
5時半の電車に乗らなければならないのに、と急いで飛び起き準備をする。朝ご飯なんて食べている暇はない。とにかく準備。
何とか電車に間に合う。
朝の蒼い風景の中に桜を見る。
ああ、4日後日本に帰ってきたときにはもうこの桜は散っているんだ。
私を待っていてはくれないんだ。
そう思ったら寂しくなった。
池袋で友達と合流し、日暮里へ。
京成スカイライナーの切符売り場にいくと、思いがけず沢山の行列ができている。今日は月曜日だから旅立つ人など少ないと思っていたのにとんだ誤算だった。
旅行会社のパンフレットに載っている待ち合わせ時間に間に合うようにつけるはずのスカイライナーは、何と満席で乗れないことが分かる。
そんなことがあるってことを知らなかった。立って乗ることもできないのだ。呆然とするが、もう遅刻は仕方がない。6:50の特急に乗って30分ほどの遅刻を覚悟。
しかしハプニングは続き、成田で震度5の地震が起きる。電車はノロノロ運転になってしまう。さすがに旅慣れている友人も、困ったね、という顔をしだす。
成田に着いたのは8:30。
地震のため混乱は空港内にも勿論及んでおり、たくさんの人だかり。
走ったり呼び出されたりしながら荷物検査、出国審査。
今回はノースウエスト航空だったのでとても荷物検査が慎重で、友人はランダムな検査にひっかかっていた。
最終搭乗時刻の15分前に全てが終わり、円をドルに代えてやっと飛行機へ。
ギリギリで焦りはしたけれど、最初からのハプニングは楽しくもあった。

成田には雨が降り始めていた。
遠くに見える公園に沢山桜が咲いている。
多分あれは彼が飛行機を観に連れて来てくれた公園だ。
その桜。
もう帰ってくるときには待っていてくれないんだ。
雨の向うに霞んだ桜を観て、再度そう思う。
日本を出てゆくことに、急に胸が痛くなった。
車からの風景や、運転する時の横顔を見ると何故かいつもおいてきぼりの気持ちになる、あのことを思い出した。
墜落の風景
漆喰の壁が
長年の湿気で中から少しずつ崩壊してゆくように
この私の見ている世界も
ちょっとずつかたんかたんと音を立てて
何かが外れてゆく
とめどもなくぼろぼろと
大きな海に飲み込まれてゆくその瓦礫を
私は呆然と見下ろすことしか出来ない
「待って」とはもう言える筈もなく
開いた手をまた握る
これは私の涙の代わりなのだろうか
涙を零せない私への、せめてもの慰め?
それとも仕返しだろうか
新風
力仕事は苦にならないのだけれどさすがに帰国してから休んでないのできつかった。今までより奥まった場所に机が移動したので自分の場所を作れそう。
今まで私はレッスンや教えの仕事が主で、このバイト先は仮の居場所でしかなかった。だから自分のデスク周りやPCにも愛がなく、とてもそっけなかった。ただ出社して慌ただしく働き、文房具や書類を詰めるだけのそんな環境。殺風景だし片付いていればよい、というくらいの。
でもちゃんとここに居つくことも楽しいかもしれないと最近思い始めた。
きっとこれも、私が狭い対象にしか心を注げなかった時期からの変化なのだろう。
帰りにほとんど初めてと言ってもいいくらいなのだが、上司と飲みに行った。
私はこんな大企業を動かしている人のそのことばの重みを本当の意味でわかっているわけはないかもしれない。でもものを創ることに携わっていて、人を育てる(私が育ててるという意識はないけれど。育ってる場に関わっているというか)という仕事をしていて、なんだかすごくよく分かるなぁと思う感情ばかり。そこにあるのはごくごく当たり前な、常識的な、努力や人間味や思いやりの世界なのだ。基本は常にそこにあって、それを逸脱したり軽く通過してしまうとそれ以上の成長はない。何故ならまず人から見離されてしまうからだ。人の繋がりなしにうまくいくことってやっぱりないような気がする。
才能がふんだんにあって(またはあると信じることができて)俺一人でなんでもできるよ、なにも恐くないしどこにでも飛び出てゆける、という人だって、まったく誰にも関わりをもたずに成功するなんてことありえない。あると思っていたらそれは気付いていないだけだ。たぶんきちんと積むべきものを積む段階で、だれしもが気付くそれを気付かないようではダメなのだ。
それとかそのこととか分かりにくい書き方だな。でもとにかく。
熱くないとだめだ、と思う。クールに構えていたって格好つけてたっていい。内面に何かを秘めていれば。その人をのばそうとする人には周りでその人をみている人には…その時期をちゃんと経過してきた人にはそれが本物かどうかなんてすぐにわかってしまう。
子供の頃お母さんには嘘が通じなかったように。
人間はいつでも成長するんだなぁと思う。色んなかたちで。色んなスピードで。
その風を感じることはものすごくスリリングだし、私がその風に乗れたとしたら素敵なことだと思う。
おんなのひとのめいろ
最後の3行が、とても好きだ。
いつも、なんて大人なひとなのに少女のような透明な文章だろうかと思う。
こんな風な、きちんとした思考のひとになりたいと思う。
きちんと。
でも白い雪の上をふらふら歩くような。
こんなような気持ちをたいせつなひとに持っていても、
なかなか伝わらないことってやっぱりある。
それは私の表現力の稚拙さも影響しているかもしれないけれど、
やっぱり求めているものが違うのかもしれないとも思う。
あがいても首を傾げられるだけで、
私のこころがどんどんがらんどうになるだけ…
どうなんだろう。
それを大切な領域みたいにしている私は子供みたいだろうか。
このまっすぐなこころが、おかしくて、でも少しほっとしたりもする。
ちゃんとまだあったね、って。
なくしたくなかったもの。
まだむきたてのライチみたいに柔らかくて
手で包んであげないと乾いちゃうように頼りなさげだけれど。
そばにいても、遠くにいても。
間 違っちゃった時でもゆがんだ時でも。
そのときのために、思い出や幸せで好きになる時間はあたためられているのかな。