アマヤドリ -337ページ目

呼吸や食べること、書くこと

休みだというのに2日連続で早起きしてしまった。
今日はジムとヨガに。10時半に友達と待ち合わせ。昔スポーツジムで教えをしていた頃、何故かジムでバイトに入ることがあったからその時以来のトレーニング。バイクを15分こいで、ストレッチや器具をまんべんなく。久々にやったけど楽しかった。
ヨガは本当にいい体験だった。年配の方が多いし先生も多分60才を過ぎた感じの方。だから全然無理なことはしない。呼吸と、体を感じること。それを学べたらと思っていたがそれ以上の収穫があった。
先生が言うには体が固いのは防衛本能が高いということだから有り難いことなのよ、とのこと。私は自分の体をわかっているし解放しているからすごく柔らかい。でもそれは自分の体に目を向けるふとしたきっかけがあったからに過ぎない。柔軟性は勿論個人差はあるけれど目覚めさせることで体が変わる、というのは私の何となく感じていたことでもあったから…それをはっきりと言葉にして伝えてもらって確信になった。またこの先生の言葉には自然に体や心に染み込んでくる力があるのだ。自分の可能性を信じて楽しく、とか、自分のペースで、とか…体を本当にリラックスさせたりおいしいものを食べたりすることが体の栄養になる。そしてそこで発する「楽しいね」とか「美味しいね」という言葉は心の栄養になる。
何だかすごくいい時間を過ごした。呼吸についてのチラシも貰って、先生に挨拶をして帰った。本当に心地よい疲れ。
自転車に二人乗りし久々に地元を走る。中学時代みたいに楽しかった。

もう一人のお友達と合流し大久保の韓国料理屋へ。3種類のランチを頼んでシェアした。初めて韓国のお餅を食べた。お薦めの小豆のお粥も本当に美味しかった。じんわりお腹から体中に染み込む温かさと元気。
この3人でいるといつも美味しいものを食べてる気がする。特に込み入った話をしなくても、何だかそれで心が通じるみたい。心を許してのんびり食事ができる仲って有り難い。

これからどうしよう、とか私も考える。意外と(自分自身意外だったけど)本当にひとりではいられない私だからきっと自分の好きなことだけして気ままに生きてゆくことは難しそう。
でも今はひとつずつ積んでゆこう。ううん、今までだってちゃんと積んできている。それを認めてあげなきゃ。
そんなことを、感じてやさしい気持ちになれた。

「Rosas danst Rosas 」/ローザ ス

ローザスは舞台でも見たことがなかった。4月始めの「ビッチェズ・ブリュー…」は観たくてチェックしていたのだけれど旅行前の気持ちの浮つきですっかり忘れていたから…。

始めの床で4人の動きが揃うパートでは、コンテンポラリーの基本がすごく忠実に振りに反映されてるように感じた。弧を描くこと…空間をなぞって繋げること…このカンパニーのレッスンのメソッドが見えるような。音もなく4人の呼吸とお互いの空気だけで静と動を繰り返すスリルがとてもいい。
音楽が入ってきて同じ4人が椅子に座って踊る。私は今までオレンジのセシルカットの人を観ていたのだがその振りになってからいい動きをする人を見つけた。
私がダンサーを観ていていいな、と思う基準は何だろうと動く彼女を観ながら考えた。目線だろうか。それもある。でも多分踊り手にきちんとビジョンがあるかどうか…頭の中でその人が強い目線を持っているかどうかかな、と思った。それが見えた時、足元から伸びる影さえ他の人より確かに見える。
でもダンサーにそれはすごく重要なことで舞台であれ映像であれ、その絵全体の中で自分が(自分の影や軌跡まで)どんな効果をもたらしているかを意識できなくてはならない。空間の中の自分を俯瞰したり、とても限定された部分を際立たせたり…3次元だけじゃない気がする。時間のなかの自分も意識しているから。
だから本当に集中した時…眉間に詰めるみたいにじゃなくて拡大した自分や時間を見つめた自分にまで集中した時、すごく脳みその知らない部分を使った気がする。

振付けはパーツの繰り返し。音楽もずっと同じ繰り返し。でも何だかどんどん高まってゆくものはある。ダンサーはこの振付け物足りなくないだろうかと思ったけれどこれは結末に向かう単調さだったのか…でも最初からこのラストの盛り上がりでいてほしいなとも思う。そこから上が観たかった。
映像としてはきれいだった。廃校の雰囲気も良かったし雨から晴れて光が差すのもよくあることだと思いつつも美しいと思ったから。
楕円や円の動きと直線の動きを遠近感が切る。手前のカメラの動くスピードのスリルの遥か向こうで黙々と繰り返しを続けるダンサー。
ピロティに走り込んでくる景色でタルコフスキーを思いだした。スローモーションじゃないのにゆっくりダンサーたちが降ってくるような映像に感じた。きっとそれは私の中のできごとだったのだろう。

もう少し他の作品も観てみたいな。もっとダンサーが踊り切ったものも観てみたい。
次の舞台は観にいこうと思う。

タイトル: ローザス・ダンス・ローザス
渋谷ユーロスペース で6日まで。(演目は日替わり)


渋谷~原宿散策

今朝はローザスの『Rosas danst Rosas』を渋谷ユーロスペースに観にいった。やっぱり南側は坂が多いなぁとぼやきながら坂を上がり、劇場ではしばらく待つ。
ローザスは初めてだったがなかなか面白かった。こちらの感想はまた改めて。

映画館を出て近くのネパール料理屋さんへ。マトンカレーとサラダを食べた。ナンが熱くて甘くて美味しかった。インドカレーより少しまろやか。食べながら映画の感想や恋愛のことを色々話す。
お店を出て渋谷をウロウロしようか、とロフトをめざす。やっぱりすごい人。途中芸能人でもいたのか歓声が上がって人が集まっていた。高いところに登って眺めたけれど誰がいたのかは分からなかった。でもおっかけていたのがビジュアルバンドぽい子だったのできっとそんな人だろう。
ロフトで癒されグッズをいくつか買った。いい匂いのハンドクリームと(カサカサじゃ誰も手を繋いでくれないもんねとか言いながら)部屋をリフレッシュするマグノリアの香りのスプレー。あまり香りがキツいのは嫌いなのだけれどこれはほのかだったので。癒されグッズでも買わなきゃやってられないよね、とまた笑ったり。

表参道まで歩こうか、とてくてく歩く。誰かと散歩なんて久しぶり。日差しが強くて夏になるんだねということを話しながら歩いた。夏の終わりに鳴くひぐらしのことを話した。一年で一番好きな風景。気持ちがあふれてしまって思わず立ち尽くしちゃう、あの秋のはじまりのこと。

途中少し気になったバッグ屋さんがあったけれどまぁ、あまり贅沢するまいと通り過ぎる。

原宿に着きラフォーレで買い物。私は黒いシャツとベルト(使えうほどにいい風合いになりそうだったのでつい)と綺麗なグリーンのボレロっぽいカーディガン、それからターコイズブルーの長いキャミソールのようなものを買った。贅沢しちゃったじゃない、と思うがまぁいいか。
ラフォーレの近くのcafeで一服。結構落ち着けるところ。長く原宿で働いていてそのうち来ようと思っていたのに入ったことがなかった。そんな場所がたくさんある。
GAPに寄って、それから以前の職場の前を通る。思い出のありすぎるところ。でもその気持ちを無視したりはしない。見上げながら反芻する。だって嫌でも時間が薄れさせてしまうんだから。
脇道の雑貨やさんを見たり以前行ったブラウンライスカフェを教えてあげたり小さな硝子の展覧会をひやかしたり。
友達はパンが好きで素敵なパン屋さんがないかなと探していたんだけれどそれらしきものがなくて青山通りのアンデルセンでパンを買って、そうして今日は別れた。

歩いた一日。
久しぶりに足がだるくなった。

天秤の重さ

久しぶりに昔可愛がっていた?というか手を焼いていた生徒からメール。レッスンのことで悩んでいるらしい。レッスン内容や踊りのことで悩んでいるのではない。先生や他の生徒さんの手前、本当は出たくないレッスンに出るべきかという悩み。
今の私はしょうもない悩みだなぁ、それよりもっと悩むべきことはあるんじゃないの?もっとほかのことを考えたほうがいいんじゃないの?と思う。でもそんな悩みが確かに存在するのだ、生徒の間には。私はこれは先生に大方の責任があると思うのだがどうなのだろう。
好きな先生につき、好きなレッスンを受け、自分の選びとったものを吸収する。その選択を他人がごちゃごちゃいうのは筋違いなのだからそんな意見は放っておけばいいのに…しかしなかなかそうはいかないのがその渦中にいる彼女達の状況なのだ。
私は強かったのかもしれないな。自分を信じていたから。自分の選んだことだから後悔もしないし責任も取る、と思っていた。だから自分の教え子にも色んな世界を見なさいと毎日言ったと思う。
可能性のまだいっぱいある彼女達だから、余計な悩みにつぶされてほしくない。

早く気付いて。
踊ることはもっともっと自由だし苦しくて楽しいってことを。

枇杷の木

大切な人の好物をひそかに覚えているのは素敵な心持ちがする。
大切な友達でもこいびとでも尊敬するひとでも。
食べさせてあげたい、食べている幸せの中に一緒にいたい、と思えるもしかしたら一番幸福なことのひとつ。

 * * *

まあるくて確かな重み。水を弾いてしまうような手触り。
子供の頃枇杷は高くてなかなか口にできなかったもののように思う。透明のパックにきれいに揃って並んでいるそのさらさらした実を、そっと指でつついてみたいという衝動に駆られた。

あんな乾いた皮につつまれながら枇杷は驚くくらい瑞々しくて甘い。
そしてあんなに固いように見えて枇杷の種は案外簡単に芽を出して育つらしい。

いつか庭を持つことがあったなら、食べるそばから種を植えて実を待とう。
いつも私の傍にいたひとが枇杷の木をみるたびにそう言ったのを思い出す。