アマヤドリ -334ページ目

no music

友人に素敵な新人歌手のHPを教えてもらい、あぁそうだ音楽、と思い出す。
そうだよ、うん、音楽を聴こう。
自発的にそう思えなかったということは私あまり音楽を必要としないのだろうか。仕事で音楽を探すことはあったけれど最近自分のために純粋に、というのがない。仕事と好きとを混ぜちゃったからかな。
あぁでもたぶん、感傷がわきすぎるからだ。

録画していたTV番組を見ながらホットコーヒー牛乳と生チョコをつまむ。
チョコレートが濃くて、ちょっと食べ過ぎたらしくで軽く気分が悪い。

灰色の空を見上げながら、ざあっとひと雨きてくれないかなぁと思う。一瞬でいいから大荒れに荒れて、雷も荒れ狂ってほしい。お願い。
明るいうちに、そのあとの雨のにおいを嗅ぎたい。

空き容量、一日が終わる頃の…

踊りに関して私は容赦のないほうで、それは初心者や子供に対しても変わらない。
容赦のない、というのはひたすら意識や出来上がりのレベルに対してであって、決してレッスン中恐い先生であるという意味ではない。
よく、にこにこしながらとんでもない難しい振付けや音の取り方をさらっとするよね、と言われる。そうかな?と私は首を傾げるが、何を隠そうそんなのわざとなのだった。だって。
一番いいと信じたことを与えたいんだもの。いつもぎりぎりのところに来てほしいんだもの。
実際できるんだ、可能性の幅って未知だ。

生徒には柔軟をしっかりやらせている。体の固さには勿論体の性質にも理由もあるけれど、イメージがないというのもその原因だと思う。GW中に体験したヨガの先生が言っていたけれど「防衛本能」なのかもしれない。それを認めつつ可動域を広げる。
柔軟性が増せば可能性が広がる。意識できる部分が増える。それは表現力に繋がる。
体中の筋肉と骨のつなぎ目を全部伸ばさなきゃ私は気持ちが悪くて踊れない。それこそ指の間接から、背骨の椎のひとつひとつまで伸ばす。じゃないとそこの感覚がお留守のままだから。


最近は子供にもちゃんとストレッチをやらせている。
子供だからって皆がやわらかい訳ではない。驚くほど固い子もいる。もしかしたら現代の子供はかたいのかもしれないなぁ。

ちょっとくらいずるをしていても、真面目すぎる子も、全部次の目標にちょっとずつ進ませる。いいよ、上手にできてるじゃない。できる範囲で構わないよ、と声を掛けながら。
「構わない」なんて子供は私のことばをわかってるのかな。

床に座り足の裏同士を合わせて上体を前に屈ませるストレッチの時に自分の足の裏のにおいをかいで「くさい!」と倒れるのが子供たちのブームらしい。もう半年くらい、毎週みんなで倒れている。
いい加減飽きないかなと呆れつつ、やっぱりそんな姿が可笑しくて笑ってしまう。

また舞台へのレッスンが始まる。

父はジャック・ニコルソン

父が敵の夢を見た。
母が近所にお邪魔している間の話。
弟と私は父が敵だと知っていることを父に悟られないようにうまく逃げ回る。なるべく普通の会話をし、なるべくかっとこさせないように。
それでも父のボルテージはあがってゆく。たぶん父であるということもちゃんと私の中には残っていてやっつけたり傷をつけようとは思っていない。
どうにかして弟を母のところに使いにやる。父はヒーローものにでてくるような単純な敵じゃなくてちゃんと賢いから出し抜くのが難しい。
追い掛けられている様子は今考えるとシャイニングみたいに恐い。
弟を逃がしたことがわかると同時に私もドアをあけて母の下へ逃げようとする。しかし多分これは間に合わない、大怪我覚悟で階段を落ちるしかないか…と咄嗟の判断をした。

…ここで覚醒。

こんな、訳のわからない悪意のエネルギーを父から向けられる夢をたまに見る。そんなひとじゃないのに。

血液型分布図に載ってみます

Diaries for... さんの企画に乗ってみました。

ブログを書いている人にはどんな血液型が多いのか?その分布図は?

を調べているそうです。

もしブログを書いていて面白そうだな、と思った方は参加してみてください。

ちなみに私はO型です。

よく、B型でしょうって言われるけれど。

乾かない翅

本屋に行ってもブリジット・ジョーンズが見つからず…その上私のなかでのそのゲームへの緊張の糸のはしっこが見失われつつあって…結局森博嗣の紅子シリーズに手を伸ばしてしまった。
『砂の女』とかサリンジャーだって、ちゃんと読むもの…ちゃんと読むからね(本に向かって)。


何故急激に気持ちは変わるのだろうか。全然ひとのことは責められない。なんなのだろうこの余裕。余裕…?違うな、何か中和されちゃったような。でも怯えてもいる。今までとは別のことで。ふっと視界が広がったときに恐かったのは、この感情を見つけることを予感していたからなのか…。

恋愛は勝ち負け、みたいなところがある、と友達は言う。
違うもん、そんなんじゃない。たとえそうならば私は負けたっていい。そう思ってきた。
でもなんだか友達のことばが少しわかってしまった。
いや、信じていることは変わらないけれど。
だからこそこれが本当ではないのではないかと恐いのだ。
そうだ。
かたちにしてはいけない。間違ったもやもやを確定させたらだめだ。まだ…まだわからないことばかり。

だって、撹拌されてるみたいなんだもの。それを毎日ひとつの辺から順繰りに見てるみたい。
万華鏡をのぞいているみたいに狭い視界の中で。
他人みたいに感じる。全然ついていけない、野放しな私。

昨日とは別の言い訳を探してる。
昨日は開いていた扉が、見当たらず壁をさぐるけれどこころはただ他の迷いを呟いてる。

どうしたかったの、わたし。