ぎざぎざに塗られた空
自分のまわりの世界を、そのディティールを感じろ…か…
こないだのユーリー・ノルシュテインの言葉は私のなかで小さいきっかけになりそうな気がしている。
ふとした時にそれが耳元で囁かれ、私は目を凝らしてみたり音に聞き入って毛穴を解放したりする。
涼しい時の、雨の時の、せみの声は素敵だ。
雨音が好きなのと似ているかもしれない。
空間を埋めるたくさんの声、声、声。その隙間をみようと外に目を向けるとそこにはいつもの風景があるだけ。みっちり隙間なく震えているはずのその音は見えない。
でもなにかが視界を押す。
やっぱりつまっている。
絶えず薄切りされていてその疵が迫っているように。
くりかえしくりかえし、そうして何もない、その風景の蒼さを私は飲み込む。
まだ梅雨が明けかかってせみがやっと樹に登って声を上げ始めたばかりの時。
手探りするようなその声を雨がさえぎっている、こんな夕方があった。
生まれたばかりなんだけどそのせみはもう7年も土の中で光を夢見ていて、ちっとも何も知らない訳じゃあないんだよ、と思ったら不思議だった。
強ばった羽をもう一度濡らされながらせみはこの世界の色をどんな風に観ているんだろう。
動かしているものはなんだろう。
私たちはただの現象じゃあない。
だけど理由はいらない。
あるがままを、でも漠然と、とい うばかりではなく。
摘み取るように近づいていってみよう。
こないだのユーリー・ノルシュテインの言葉は私のなかで小さいきっかけになりそうな気がしている。
ふとした時にそれが耳元で囁かれ、私は目を凝らしてみたり音に聞き入って毛穴を解放したりする。
涼しい時の、雨の時の、せみの声は素敵だ。
雨音が好きなのと似ているかもしれない。
空間を埋めるたくさんの声、声、声。その隙間をみようと外に目を向けるとそこにはいつもの風景があるだけ。みっちり隙間なく震えているはずのその音は見えない。
でもなにかが視界を押す。
やっぱりつまっている。
絶えず薄切りされていてその疵が迫っているように。
くりかえしくりかえし、そうして何もない、その風景の蒼さを私は飲み込む。
まだ梅雨が明けかかってせみがやっと樹に登って声を上げ始めたばかりの時。
手探りするようなその声を雨がさえぎっている、こんな夕方があった。
生まれたばかりなんだけどそのせみはもう7年も土の中で光を夢見ていて、ちっとも何も知らない訳じゃあないんだよ、と思ったら不思議だった。
強ばった羽をもう一度濡らされながらせみはこの世界の色をどんな風に観ているんだろう。
動かしているものはなんだろう。
私たちはただの現象じゃあない。
だけど理由はいらない。
あるがままを、でも漠然と、とい うばかりではなく。
摘み取るように近づいていってみよう。
シナプスみたいに
ついに、mixiに招待してもらった。
今までトップページを虚しく眺めてはとぼとぼ帰るだけだったミクシィ。何だか嬉しいな。
普段なかなかパソコンが使えないので…
…というかパソコン。
もうダメみたい。寿命なのか、チンプンカンプンの私の操作ミスかはわからないけれど完全にいかれてる。
インターネットで書き込みをする際に文字を変換する時、最初の候補しか選べない。2つ目以降を選ぼうとするとインターネットエクスプローラがばつん、と終わってしまう。
最初はその法則がわからず、何度も突然エラーが発生することにクビを傾げていた。
あと、特定の文字を入力すると(外国の女の人の名前が多い)ぶちんと切れてしまう。…気がする。
それからもうCドライブの容量がいっぱいらしくすぐクリーンにしていいか聞いてくる。
インターネットをしていても画像が表示されない。
私のパソコン、いったいどうしちゃったんだろうか。
そんな訳なのでとっても不自由なのだけれど、ミクシィは楽しい。
でもこうやって知らないひとの意見や情報や日記や写真をみているこの世界がすごく不思議だ。
これから生まれてくる子供たちはこれを当たり前の感覚として、私のこの不思議など想像ができないんだろうな。
人間てすごい。
そして脆い。
今までトップページを虚しく眺めてはとぼとぼ帰るだけだったミクシィ。何だか嬉しいな。
普段なかなかパソコンが使えないので…
…というかパソコン。
もうダメみたい。寿命なのか、チンプンカンプンの私の操作ミスかはわからないけれど完全にいかれてる。
インターネットで書き込みをする際に文字を変換する時、最初の候補しか選べない。2つ目以降を選ぼうとするとインターネットエクスプローラがばつん、と終わってしまう。
最初はその法則がわからず、何度も突然エラーが発生することにクビを傾げていた。
あと、特定の文字を入力すると(外国の女の人の名前が多い)ぶちんと切れてしまう。…気がする。
それからもうCドライブの容量がいっぱいらしくすぐクリーンにしていいか聞いてくる。
インターネットをしていても画像が表示されない。
私のパソコン、いったいどうしちゃったんだろうか。
そんな訳なのでとっても不自由なのだけれど、ミクシィは楽しい。
でもこうやって知らないひとの意見や情報や日記や写真をみているこの世界がすごく不思議だ。
これから生まれてくる子供たちはこれを当たり前の感覚として、私のこの不思議など想像ができないんだろうな。
人間てすごい。
そして脆い。
夏休み
夏休みにはどこか遠くにふらっと行きたい。ずうっとそう思っていた。
本当は海に行きたかったのだけれど、それはどうかな...それにはもう遅いかもしれない。
なので、とにかく小旅行!
友達を誘って、岩手に行こうよ、と言ってみた。自分の親戚の神社と寺に行きたかった。それから猊鼻渓。
中学生の頃に一度行ったきり。あの頃は寺や神社の良さも知らなかったし、渓谷のことも今よりあんまり興味がなかった。...ってことはないか。その時なりの感動や憧れは確かにあったはずなのだが...多分今のこの気持ちには勝てまい。
覚えているのは渓谷のお団子屋さんは川の向こうにあって、お団子は籠に載ってロープウェイみたいに滑ってきたこと。
ずんだ餅はおいしかったこと。
親戚の女の子が高いところに登ってしまって降りられず、私が珍しくスカートを穿いていたにもかかわらず登って助けたこと。
ちょっと不思議なおじさんがいて、無邪気にバトミントンに加わってきたこと。
懐かしい。
あの景色を観に行きたかったんだけど。
休みは1日しかない。だから、ちょっと日帰りで岩手はムリだ。勿論新幹線で行けばいいんだけれど調べた片道14000円もする。とんでもない。7000円のバスで行くとすると10時間もかかる。
なので、多分群馬あたりの温泉に落ち着きそうだ。
会社でお昼いつも文句を言いつつも見ているNHKドラマ『ファイト』の舞台にもなっている四万温泉にでもいこうかな...と今はなんとなく考えている。
四万温泉。近くには何があるんだろう。
ああ、どっかふらっといける素敵なところないかな。
探さなきゃ。
本当は海に行きたかったのだけれど、それはどうかな...それにはもう遅いかもしれない。
なので、とにかく小旅行!
友達を誘って、岩手に行こうよ、と言ってみた。自分の親戚の神社と寺に行きたかった。それから猊鼻渓。
中学生の頃に一度行ったきり。あの頃は寺や神社の良さも知らなかったし、渓谷のことも今よりあんまり興味がなかった。...ってことはないか。その時なりの感動や憧れは確かにあったはずなのだが...多分今のこの気持ちには勝てまい。
覚えているのは渓谷のお団子屋さんは川の向こうにあって、お団子は籠に載ってロープウェイみたいに滑ってきたこと。
ずんだ餅はおいしかったこと。
親戚の女の子が高いところに登ってしまって降りられず、私が珍しくスカートを穿いていたにもかかわらず登って助けたこと。
ちょっと不思議なおじさんがいて、無邪気にバトミントンに加わってきたこと。
懐かしい。
あの景色を観に行きたかったんだけど。
休みは1日しかない。だから、ちょっと日帰りで岩手はムリだ。勿論新幹線で行けばいいんだけれど調べた片道14000円もする。とんでもない。7000円のバスで行くとすると10時間もかかる。
なので、多分群馬あたりの温泉に落ち着きそうだ。
会社でお昼いつも文句を言いつつも見ているNHKドラマ『ファイト』の舞台にもなっている四万温泉にでもいこうかな...と今はなんとなく考えている。
四万温泉。近くには何があるんだろう。
ああ、どっかふらっといける素敵なところないかな。
探さなきゃ。
ユーリー・ノルシュテイン
録画しておいたNHKのユーリー・ノルシュテインの番組を観た。
アニメ界では有名なひとであるらしい。
私も名前は聞いていたし興味があって展覧会の日時もチェックしていたが無知も同然だった。
今やアニメといえばCGを駆使したものが多いが、ノルシュテインは今でも全て手作業。作業台すら旧式の手動のもので、ハンドルを回してガラス板を上下させていた。
人物はパーツが全てばらばらの福笑いのようなものから成る。作業場の木の引き出しには主人公のあらゆる表情を持った手、目、などの部品がしまわれていた。
見た目は和紙に濃い鉛筆で書き、周りをぼかしながらちぎり取り個々のパーツにしたような感じ。
本当の素材はなんだろうか?セルロイドでできた背景の人々とは明らかにちがう。
顔の部品を福笑いのようにピンセットで重ね、微妙に動かしながら撮影する。
人物と背景とは3枚の少し距離を保ったガラスの板に載せられ、それを上から撮影することで遠近感やぼやける感じを出している。
なんて奥行が深いのだろう。煙るような、重たい霧のような…
つまり決して明るい画面じゃない。
さっきも言ったように和紙に濃い鉛筆で重ね書きされたような、そして黒い箇所を指でのばしぼかされたような画面。見づいほどに、暗い。
私はふとアレクサンドル・ソクーロフの映画を思い出した。あの、ソクーロフが日本のお婆さんを映したシーンを。
暗闇にろうそくの灯りだけで浮き出ているような人物の表情の陰影。密やかなのに伸びる影によっては大げさなまでの表情がそこに彫り込まれる。
もしかして昔の日本の生活と、ロシアのそれとは色合いが似ていたのだろうか?
うん、何となく日本もロシアも隅っこをあいまいにぼかすところがある気がする。隅にまで色彩が届かないというか…
西洋のように周りから照らされていない。揺れる灯りにひとは寄せ集まり、そうして小声で話す。
そしていつか、一人ひとり夜の闇へ溶けてゆく。
実際の人間には輪郭線がない。でも空気との境目とは、違う物質としての差が歴然としてある。
ノルシュテインの描くものはその輪郭がぼやけて、全てがちょっとずつその黒い霧のような画面のひとつづきであるように感じられる。いつでもそのもやもやの中に消えてしまいそうな。明るく滑稽な表情も、いつも実際には重たい空気とにくるまれているんだ、というように。
でも逆に、その黒くて強大な世界を背にしながらもここには小さな温かみが確かにある、ともいえる。
少し不安で、少し密接。
この何とも言えない温度は一体どう表したらいいんだろう。
ノルシュテインはゴーゴリの『外套』をもう何年もかけてアニメにしていて、まだそれは完成していない。ノルシュテイン自身この作品の完成を観ることができるのか不安だ、と笑っていた。
『外套』の主人公アカーキーの小さな灯りに照らされるその瞳は生身の感情を持っている。
あの潤み。
その細かい手つきや頬の微妙な、でも確かに覚えのある動きにはただただため息が出た。人以上に人間らしい、丁寧な息遣い。繊細な毛布のひだひとつ。
ノルシュテインが日本の若い世代のアニメーターたちに説いていたのは
“とにかく世界の小さなものごとを観察しなさい”ということ。
作り手はその主人公の全てを知らなければならない。とも言っていた。何度も前日の考えを捨て、繰り返し練り直し、本当に命を持つのを見守る。
それからもっと勉強しなさい、とも。
小さな殻に閉じこもって誰にも理解されなくてもいい、どうせ伝わらない、と思っているのは勉強不足で自分に自信がないからだ、と。
身につまされる言葉。
ほんとのことを急いで理解することはできない
でもちゃんと取り入れて、それが熟成されるまで考えなければいけない。ひとりで、ではなくちゃんと世界に触れながら。
ものを作るときには特に奇をてらわなくてもいい。劇的でなくても。新しくなくても。
ちいさなさりげないなにか、命を与えたいと思った何かが重要なんだろう。そして自分の在り方。
自分の信じた世界でちゃんとふつふつ煮詰めたものならば、きっとほんものだ。
恐いな。
やはりものをつくるのは、全部、だから。
うん、私が恐いと思うこのことも、私が勉強不足だから。どこかにうまく逃げようと思ってるから。
わかってるんだ、そんな時にうまれたものがちゃんと命を持たないということは。
世界をみよう。
目を覚まして。
塞いだ耳から掌を離して。
『霧のなかのはりねずみ』という作品がものすごく可愛かった。
アニメ界では有名なひとであるらしい。
私も名前は聞いていたし興味があって展覧会の日時もチェックしていたが無知も同然だった。
今やアニメといえばCGを駆使したものが多いが、ノルシュテインは今でも全て手作業。作業台すら旧式の手動のもので、ハンドルを回してガラス板を上下させていた。
人物はパーツが全てばらばらの福笑いのようなものから成る。作業場の木の引き出しには主人公のあらゆる表情を持った手、目、などの部品がしまわれていた。
見た目は和紙に濃い鉛筆で書き、周りをぼかしながらちぎり取り個々のパーツにしたような感じ。
本当の素材はなんだろうか?セルロイドでできた背景の人々とは明らかにちがう。
顔の部品を福笑いのようにピンセットで重ね、微妙に動かしながら撮影する。
人物と背景とは3枚の少し距離を保ったガラスの板に載せられ、それを上から撮影することで遠近感やぼやける感じを出している。
なんて奥行が深いのだろう。煙るような、重たい霧のような…
つまり決して明るい画面じゃない。
さっきも言ったように和紙に濃い鉛筆で重ね書きされたような、そして黒い箇所を指でのばしぼかされたような画面。見づいほどに、暗い。
私はふとアレクサンドル・ソクーロフの映画を思い出した。あの、ソクーロフが日本のお婆さんを映したシーンを。
暗闇にろうそくの灯りだけで浮き出ているような人物の表情の陰影。密やかなのに伸びる影によっては大げさなまでの表情がそこに彫り込まれる。
もしかして昔の日本の生活と、ロシアのそれとは色合いが似ていたのだろうか?
うん、何となく日本もロシアも隅っこをあいまいにぼかすところがある気がする。隅にまで色彩が届かないというか…
西洋のように周りから照らされていない。揺れる灯りにひとは寄せ集まり、そうして小声で話す。
そしていつか、一人ひとり夜の闇へ溶けてゆく。
実際の人間には輪郭線がない。でも空気との境目とは、違う物質としての差が歴然としてある。
ノルシュテインの描くものはその輪郭がぼやけて、全てがちょっとずつその黒い霧のような画面のひとつづきであるように感じられる。いつでもそのもやもやの中に消えてしまいそうな。明るく滑稽な表情も、いつも実際には重たい空気とにくるまれているんだ、というように。
でも逆に、その黒くて強大な世界を背にしながらもここには小さな温かみが確かにある、ともいえる。
少し不安で、少し密接。
この何とも言えない温度は一体どう表したらいいんだろう。
ノルシュテインはゴーゴリの『外套』をもう何年もかけてアニメにしていて、まだそれは完成していない。ノルシュテイン自身この作品の完成を観ることができるのか不安だ、と笑っていた。
『外套』の主人公アカーキーの小さな灯りに照らされるその瞳は生身の感情を持っている。
あの潤み。
その細かい手つきや頬の微妙な、でも確かに覚えのある動きにはただただため息が出た。人以上に人間らしい、丁寧な息遣い。繊細な毛布のひだひとつ。
ノルシュテインが日本の若い世代のアニメーターたちに説いていたのは
“とにかく世界の小さなものごとを観察しなさい”ということ。
作り手はその主人公の全てを知らなければならない。とも言っていた。何度も前日の考えを捨て、繰り返し練り直し、本当に命を持つのを見守る。
それからもっと勉強しなさい、とも。
小さな殻に閉じこもって誰にも理解されなくてもいい、どうせ伝わらない、と思っているのは勉強不足で自分に自信がないからだ、と。
身につまされる言葉。
ほんとのことを急いで理解することはできない
でもちゃんと取り入れて、それが熟成されるまで考えなければいけない。ひとりで、ではなくちゃんと世界に触れながら。
ものを作るときには特に奇をてらわなくてもいい。劇的でなくても。新しくなくても。
ちいさなさりげないなにか、命を与えたいと思った何かが重要なんだろう。そして自分の在り方。
自分の信じた世界でちゃんとふつふつ煮詰めたものならば、きっとほんものだ。
恐いな。
やはりものをつくるのは、全部、だから。
うん、私が恐いと思うこのことも、私が勉強不足だから。どこかにうまく逃げようと思ってるから。
わかってるんだ、そんな時にうまれたものがちゃんと命を持たないということは。
世界をみよう。
目を覚まして。
塞いだ耳から掌を離して。
『霧のなかのはりねずみ』という作品がものすごく可愛かった。
築地へ
昨日は会社の人々と築地のしゃぶしゃぶへ。
今までしゃぶしゃぶってモーモー広場みたいな名前の1500円食べ放題しか食べたことなかった。…いや、一度だけ家族で少し高級なところに行ったかな?
でも昨日のところはすごかった~。
高層ビルの34階で、入るとずらりとお辞儀をされて、部屋にも仲居さんが4人くらいついている。うわ~。こんな格好で着てよかったの?庶民まるだし。汗かいちゃうよ。
窓の外には東京の灯りがずらり。東京タワーや六ヒルや、知らない高いビルが延々と見えてる。足元には隅田川。眺めながら、しゃぶしゃぶよりここからの景色をずっと眺めていたいなぁと思ってしまった。
総勢30名くらいで行ったのだけれど、私は親分(直属の上司のこと)に隣に座らされ、あまり若い子たちと交流することができなかった。
何だか最近すごく不思議なのだけれど、もしかして私は自分の思っている自分像と、まわりからの印象がまったく違うのだろうか。がさつで男の子ぽい、気を遣わなくても済むような親しみやすい雰囲気…と思っているのだけれど、何だかもしかしたら私は周りを緊張させているのだろうか。
親分の直属の部下だからかもしれないし、結構偉い人の秘書の息がかかっている(と言われている。実際はお世話になってはいるが私にとってもとおい存在)からかもしれない。でも…。
普段仕事の話以外あんまり話さないから?
とにかく男の子たちは私に対して一歩引く。丁寧に喋る。気を遣う。明らかに緊張している。
荷物も持ってくれるし。いやいや、こんなに力持ちだから。ドアも開けてくれるし。もぅ、いいからさ~。対等に行こうぜ、って思う。
なんでだろう。
私がそんなに年配だとでもいうのか。←ひがみ
私、恐いのかな?喋り方がキツかったりするのだろうか。
媚びた態度がいやだからサッパリ接したいだけなのだけれど…。
まぁ、そうじゃない人もいるからいいか。
でも何だか考えさせられる。
冷たいのかな…空気を読めない発言でもしてるのだろうか。不安になってくる。寒い発言とか?!顔が涼やかなのは認めるけど。
あ、こういうのが寒いのか。
あぁ。
自分が周りにどんな風に思われてるか考えちゃう小心者だ。
お肉はとってもおいしかった。
憧れの食べ物の町、築地。
自分ではあんな高級なところには行けないから、隠れ家的な手ごろな値段のお店に巡り逢いたいな。
今までしゃぶしゃぶってモーモー広場みたいな名前の1500円食べ放題しか食べたことなかった。…いや、一度だけ家族で少し高級なところに行ったかな?
でも昨日のところはすごかった~。
高層ビルの34階で、入るとずらりとお辞儀をされて、部屋にも仲居さんが4人くらいついている。うわ~。こんな格好で着てよかったの?庶民まるだし。汗かいちゃうよ。
窓の外には東京の灯りがずらり。東京タワーや六ヒルや、知らない高いビルが延々と見えてる。足元には隅田川。眺めながら、しゃぶしゃぶよりここからの景色をずっと眺めていたいなぁと思ってしまった。
総勢30名くらいで行ったのだけれど、私は親分(直属の上司のこと)に隣に座らされ、あまり若い子たちと交流することができなかった。
何だか最近すごく不思議なのだけれど、もしかして私は自分の思っている自分像と、まわりからの印象がまったく違うのだろうか。がさつで男の子ぽい、気を遣わなくても済むような親しみやすい雰囲気…と思っているのだけれど、何だかもしかしたら私は周りを緊張させているのだろうか。
親分の直属の部下だからかもしれないし、結構偉い人の秘書の息がかかっている(と言われている。実際はお世話になってはいるが私にとってもとおい存在)からかもしれない。でも…。
普段仕事の話以外あんまり話さないから?
とにかく男の子たちは私に対して一歩引く。丁寧に喋る。気を遣う。明らかに緊張している。
荷物も持ってくれるし。いやいや、こんなに力持ちだから。ドアも開けてくれるし。もぅ、いいからさ~。対等に行こうぜ、って思う。
なんでだろう。
私がそんなに年配だとでもいうのか。←ひがみ
私、恐いのかな?喋り方がキツかったりするのだろうか。
媚びた態度がいやだからサッパリ接したいだけなのだけれど…。
まぁ、そうじゃない人もいるからいいか。
でも何だか考えさせられる。
冷たいのかな…空気を読めない発言でもしてるのだろうか。不安になってくる。寒い発言とか?!顔が涼やかなのは認めるけど。
あ、こういうのが寒いのか。
あぁ。
自分が周りにどんな風に思われてるか考えちゃう小心者だ。
お肉はとってもおいしかった。
憧れの食べ物の町、築地。
自分ではあんな高級なところには行けないから、隠れ家的な手ごろな値段のお店に巡り逢いたいな。