アマヤドリ -305ページ目

『停電の夜に』ジュンパ・ラヒリ

ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義
停電の夜に

お友達の感想を見て、これは読みたい!と思った本。

そんな本はたくさんあるんだけれど、運良くその日は夕方空いていてふらりと立ち寄った小さな本屋さんにその本があったから。すぐに手にとった。

ピューリッツァー賞を取った(ピューリッツァー賞には思い入れがある)というこの作品。
買ってすぐ、家のそばのcafeに入り表題になっている『停電の夜に』を読む。

あぁ、もう顔をしかめちゃうくらい胸が苦しくなった。
思わずぱたん、と本を閉じてしまいたくなったくらいに。
お願いだから、とふたりの幸せな結末を願ってしまったくらいに。


いつのまにか、どうして色んな事をあきらめていっちゃうんだろう?そうして、諦めたあとでもどうして胸に残る風景はあんなにきらきらしてるんだろう。まるで、余計に今との色合いの差を際立たせようとするかのように。
なんにも忘れるわけにはいかない。
だから苦しいし、幸せだし…なんだけど。だから捨てたいとは思わないんだけど。

意識にのぼらないくらいのほんのほんのかすかな疵が、耐えずなにかをほろほろ零してゆく。
いつのまにかこころのどこかを空っぽにするまで。

つらいな。
私は、永遠を求めすぎだろうか。
夢でしかないの?

たんたんとむかってゆくその先が恐い。
時間が恐い。
自分がこわい。


変わっていってしまったそのあとも、ちゃんとこのつらさはみずみずしく心に刻まれる。
平気なふりをしながら、本当はずっしりとやりきれないたくさんの時間を抱えてる。

ちゃんとそこに立ち向かえるかな。
泣いたりぼろぼろになることは、いつかおわるとわかっていてもやっぱり身構えてしまう。やめて、って。待ってほしい、とそのきらきらの時間だけが止まって永遠でいてほしい、と子供みたいにぐずる。

想いは完璧に吹き飛ばされることはない。いつでもなにかがちくちくと胸を刺す。
時には形を変えて。
残像のようにフラッシュバックする。


完全になにもかもを共有することはできない。
うん、わかってるんだ。


闇がみつめたお話。
優しくて、そして苦い。




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▼この本との出会いをくれたあいちゃん に。

kikuさん のブログで『その名にちなんで』を知りました。これも、読みたいな。


ジュンパ・ラヒリ, 小川 高義
その名にちなんで

ブランコおして

会いたいなあと思っていた人とやっと会えそうだ。なんだか話していると心があったかくなってファイトが沸く友達。頑張れよ、って励ましているうちにいつのまにか自分が頑張る気持ちになれる友達。

どうしても誰にも会いたくなかった時期がある。その時にはただのずぼらだと思っていたのだがあれは確かに、人に会いたくなかったのだ。

理由もわかっている。

でもそんなものごとをいつのまにか意識しないうちに超えて、今がある。友達に会ったり、本を読んでその感想を誰かに話す。一緒に映画に行く。面倒くさがらずに食事にいく。会社の人たちの夜に付き合う。

そんなことがあたりまえに楽しくて、億劫じゃなくなってきた。


そうして私は、今までの色んな自分に思い当たる。

あの時私は嬉しかったんだな、って締め付けられるほどに思うし、あの時本当に私は寂しかったんだな、って。
砂丘から見下ろすような気持ちでそう思う。

あれは言い訳だったな、あれは助けを求めてたんだ、あれは、あれはって…。
たくさん。


そのさなかにいる時には必死すぎて、あんなに時間があったのに気がつかなかったよ。

うん、そりゃあ後悔もする。なくしたものもたくさんあるから。たくさんの大事な時間をふいにした。人も。そして、自分を一番。


でも大丈夫。

取り戻せるから。

まだきちんとこうやって、自分で見放さない限り。




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sirasuikababyさん へ。そうそう、なかなか友達にこんな気持ちを素直に伝えることはできないけどね。

 気恥ずかしくて。

人肌の文章

全然知られてなくても素敵な文章を書く人がいる。

もしかしたら私だけにぴったりくるのかもしれないけどとっても素敵なの。
読むだけできりきりさせられたり甘い匂いを胸イッパイに吸い込んだように潤ったり。

私は毎日の日記を、なんとなく自分の心を漠然ととらえて抽象的な景色を与え、ぽつりぽつりと書いてゆく。
メモにすらならないような。
本当にそのことを心から取り出しているのかたまに疑わしくなる。
今、日記を書いているたった今瞳に映ったものごとから私は何かを創作してはいないか。引き出すんじゃなくて粘土でぺたぺた付け足して…しまいには核を覆ってしまうような。

大丈夫かな。
とときどき思う。


だから、その人の書く文章には救われる気さえする。おかしなものだけど。そして勿論そのために読むわけでもない。
何回も読み返して、その幸せの大きさだったり締め付ける思い出だったりに頭までどっぷり浸かる。
何か乗り移ってこないかな?って。


不思議だけど、知らないはずのひとの想いに自分を重ねて初めて気付くこともある。
忍者屋敷の扉みたいにぱたん、と裏っかわが見えるその時の瞬間。
ショックをうけることもあるけれどそうして毎日毎日泳いでゆくことができるのは幸せ。


おきあみみたいにちっちゃいことでも、くぷくぷわたしのなかにはいきている。

狂う磁石、墜ちてきた王子さま

やーっぱり舞台は楽しい。

7日は埼玉芸術劇場で子供の舞台があったんだけど…いいないいな。私もここで踊ったことないのに。
前回来た時はローザスの写真がたくさん飾ってあってうれしかった。
今日は東欧の音楽の関係の写真だった。

もう少し近ければなあ、埼玉芸術劇場。
良い公演もたくさんやってる。音楽堂もあるし…

小ホールも使い易そうだし、あの平たい形が好き。

確かここは劇場の建設計画に誰かダンスで有名な人がかかわっているんじゃなかったっけ?
違ったかな。
調べてみよう。


キャパは750くらい。
思ったよりは大きくない。1000あると思い込んでいたから。
そして劇場は往々にしてそうなんだけれど、方向感覚を狂わされる。
特に上手の袖にいる時。
ここには何度も来てるのに何故か正面を反対だと思い込んでしまう(つまりもしそのまま舞台にでたらお客さんにお尻を向けてしまうことになる)。
どうしてかな。
いつも方向音痴になる、不思議な場所。


今日は行けなかったけれど友達が新国立劇場の『星の王子さま』に出ている。
振付けが近藤良平さんだから(たけしの誰でもピカソに出たりしたこともある、コンドルズのひと。学ランを着て踊るひと)面白いはず。


蛇の役は大好きな森山開次さん。

この役、以前はannaさんがやったんだった。

うん、なるほど。



いつ、いこうかな。


星の王子さま公式HP


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裸馬木枯 さんにTBさせていただきました。

波に揺られて

また地震。
ぐらぐらと長かったな。
でも不思議とそんなに恐くない。パソコンですぐにyahoo地震情報を見る。茨城県、震度3。
よかった、そんなに大したことはない。

なぜこんなに落ち着いているのかな。
家族がいるからだろうか。

前、彼の家にひとりでいた時に地震があって、その時は恐かった。
恐い、という意識よりも先に心臓がぎゅっと縮んで苦しいみたいだった。
別に「ひとりだから」ととっさに思ったわけでもない。家族のことを考えたわけでも。ただいきなりどきんとしてそれから心臓がおさまるまでしばらく地震の揺れなのか自分の揺れなのかわからなかった。

今回も、そう。
家族と一緒にいることを意識したわけではないのに。
不思議だな。

もしかして…今あんまりものごとに執着がないからだろうか。もしかして生きることへの執着が。

…うん、そうかも。
と言ってもいつ死んでもいい、というような悪い意味じゃなくて。
私は今とっても身軽なのかもしれないな。
色んなことから解放されて…自分で自分を縛り付けもせず。
だから、強い。
どうにでもできるから、守るものがないから、強い。

ん~、守るものがある時の強さより、もうちょっと大胆な感じ。
ほらよって、まぐろを放り投げる漁師さんみたいな。


そうだそうだ、今の私は海の男だな。

遠いとおい、見たことのない空や波間を瞳に映してる。