アマヤドリ -257ページ目

ふちどり

帰りが遅くなってとても寒かったからお風呂にじっくり。
沸かし直して、その間にたくさんものを用意する。

本と、歯ブラシと、化粧水とクリーム、ペットボトルにお水、それからろうそく。

電気はつけない。
ろうそくだけ。

ペットボトルの影が壁に大きく映し出される。息をするたびに光と影が揺れるから、お風呂全体が一緒に呼吸をしているよう。

火をみつめると不思議と穏やかな気持ちになる。
なぜかな。
昔むかし、夜は真っ暗闇だったのに、火を見つけてからひとはその闇の恐怖から解き放たれた。その、安心の記憶だろうか。

その火の手前で水をかき回す。いつもより水は粘度があるように見える。
オレンジに光りながら指にまとわりつき手首を伝い、肘から落ちる。
立ちのぼる湯気はやはり私の呼吸に乱されて渦を巻く。そうして次から次へと私を包んでは去り、天井の暗がりへ消えてゆく。

大きなため息は厳禁。
火が消えてしまうから。

ゆるゆるとお湯に身を沈める。
なんて美しくて、二度とない一瞬だけのかたちなんだろう。
火は。
すべては。


そうして、まだ私がちゃんとその美しさに気付けることを再確認する。

このあらゆるものの一連の流れのなかに私もいるんだなあって。
でもその中でいろんな欲を持っていて、ただそこにいる、存在して消えて…の流れの中からぴょこんと。

私は目覚めてしまった。

ことだまのこと その弐

ことだまのこと 」を書いたときにSONNETTEさんやそこにコメントをくれたあいちゃん の言葉でまたちょっと自分の中で色々膨らんだので書いてみます。

「ことだま」のなんたるかを分かっていないのは今も同じことなのだけれど。



★    ★    ★



日本語が美しいのは、そして複雑なのは、ことばとこころがすごく近くにあるからだという気がする。
こんなにたくさんのニュアンスを駆使していて、ひとつひとつが微妙な違いを生む言語って他にあるだろうか。


ことばを発するとき、こんなに深いところまで降りてゆく。そこでなにかを両手でつかんで、選りすぐって、ちら、って見せたりおすもうさんの塩みたいに豪快に空気にむかって投げたり。
そんな深いところまで旅をするものだから拾ってきた(または捻出された)ことばは生きてきたすべてをその身に纏ってきたように感じる。そういう意味で日本語ってもうただの信号みたいな伝達手段では、すでにない。本当に魂どうしの交信をしているような気がすることがある。
だからこそあいまいに濁してみたり、全てを吐き出すのは恥ずかしかったり、危険だなと感じたりもするのかもしれない。
命を燃やしながら発しているように感じることがあるけれど、やはりそんなことばは特別に大きな力を持っている。

そういう“こころの大事な部分からうまれたものなんだよ”っていう意識。これはいつ生まれたんだろう。ことばに規制があったからだろうか?それとももっと、ことばが生まれた時から?
いつからか分からないけれどその意識は確かに日本人のなかにしっかりしみ込んでいて、言霊のなんたるかをはっきりわからない私のような人にすらそれを身の内に感じさせる。


日本はたくさんの神様が日常の中にいて、いつも体の中に神様を感じている。ことばがひとに与える苦しさとか温かみとか光とか色とか、そういう感覚と神様を感じる感覚は似ているのかもしれない。
私は日本人ってすごく霊感にあふれた国民だと思う。とってもそれが野性的なの。宗教にとらわれすぎなかったからかな?
詳しいことは勉強不足でわからないんだけれど、自分の中に流れるこの感性みたいなものってすごく根強くて、生で、猛々しい部分もある気がする。それから天を突き抜けちゃうくらい神々しかったり。だからことだまはことばが生まれた原始のころから始まっているんじゃないかなって思うのだけれど。
こころの奥に流れるそういうものを日本人はいつもとても濃く感じていて、その近くから発するものだから、なおさら神秘的であり、取り扱い注意!っていう意識があるのかもしれないなぁって。
思う。


「日本は」って書いているけれどほかの国のことばもそうなのかなぁ?話せないから私にはまったくわからない。どういうところからことばをひっぱりだしてくるのかわからないから。
少なくとも英語はそうじゃない気がするけどそれは私が本当にはことばとして操れないからという理由があるからなのかもしれない。

でももしかしたらSONNETTEさんの言う、言語によって使う脳の部位が違う、というのはこのひっぱりだす部分、深さ、の違いなのかもしれないなぁと思う。

もし外国の人が日本のことばを操れるようになったら。
やはりそこにはことばからこころにむかって根が降りてゆくのではないかなという気がする。
ことばの力ってすごいから。

なんか帝都物語とかを思い出す。うまく言えないけどこの話も、ひとの念みたいなものが大きなちからを持つ話だったから。あれって日本にはごく当たり前の感覚なんだよなぁって。
ことばとかかたちとか、日本のものに耳を傾けると、日本人ってやはりとてもスピリチュアルな民族なんだなと思う。
もしかしたらその空気は日本列島を包んでいるのかもしれないし、ただこのこころのなかにだけ存在するのかもしれないし。

でもそのふたつは、同じことなのかもしれない。

【コミュ日記】クリスマス

サンタさんからクリスマスプレゼントをもらえなくなったのはいつからだっけ。

あのファインダーがかかったみたいなクリスマスの朝が私は大好きだった。いつもクリスマスの朝は目覚めると枕元まであたたかい陽がさしていたようなきがする。

クリスマスプレゼントが枕元になかったとき、クリスマスはひょっとして明日だっただろうかと思った。クリスマスは25日だからサンタさんは26日の朝にくるのかなって。
もうサンタさんは誰なのかわかっていたけれど、それとこれとはなんだか別で。
私はプレゼントがこないことを両親には告げずにいた。

確か一週間くらい待っていたな…

今年からサンタさんはこなくなったんだと悟った時、あのクリスマスの朝がかけがえのない光を含んでいたことを思い出した。

子供なのに、それを懐かしいと思い、そっとどこかにしまったのを覚えている。


★  ★  ★


mixiの同時日記テロへ。

クリスマスは大好き。
このうきうきはいったいなんなんだろうなぁ。
今年はささやかなクリスマスプレゼントを、まわりのひとにしたいと思っている。
なにがいいかな。
小さい絵本とか…ともおもうけど。



みなさん、素敵なクリスマスをすごしてね

到達だけがすべてじゃないから

2日間、完全にさぼってしまった。
でもいいんだ。
いろんなことをおもって、笑ったり、泣いたり、悔やんだり、ほうけたり、色々したから。

どうしたらいいんだろう。っていう思いと、でも変わらず進むしかないっていう決意と。
どうにもならない。
気持ちばかりはどうにも。
私の気持ちもどうにもならないけど、苦しんでるのは私ばかりじゃないのかもしれないもの。

しばらくは苦しんでもいいや。
時間がかかることは覚悟していたし、やっぱり私はそんな簡単にひとをすきになったり忘れたりはできないんだもの。

新月

今日の0:02から新月なんだった。
お願い事をかかないと。

まず。
踊りで納得がいくまでのところまで頑張れますように。ちょっとでもフェリのあの素晴らしさが盗めますように。
大切な友達たちともっと仲良くなれますように。
周りのひとたちを幸せにできますように。
おばあちゃんを田舎につれていってあげられますように。
弟が元気になって両親の悩みが減りますように。
ドイツで手に入れる自分はとても素晴らしいものでありますように。
将来猫と暮らせますように。
戦争をすることを世界中が忘れて仲良くなりますように。
私が生きている間にもうちょっとだけ宇宙や脳みその謎がとけますように。
老後も映画や本を楽しめますように。
大切なひとと一生仲良く楽しく暮らしていけますように。


欲張りだなあ。
たくさんありすぎる。