アマヤドリ -258ページ目

長いながい24時

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こんなときだけ。
本当に身勝手なんだ。
こんな寒いときに、こんな夜遅くに。
きっと逆なら助けてくれない。

でもそれを求めてももう仕方ないから、
してあげたいようにするしか、私にはもうできないんだ。

たぶんまたこのことで苦しめられる。
でもわかっているから恐くない。
その苦しさや淋しさを抱えたうえでまた私は変われるから。そうして次の一歩を踏みしめられることがもうわかってるから。

つよいなぁ。
何にもなくすものがないと思うとこんなにも強い。
よかった。

ううん、何にもないんじゃあないや。
本当にからっぽになったり完全にゼロになることはない。自分でそうできる、って。
わかったからなんだ。


でも寒いな。

どうかあのこが風邪をひきませんように。

踊るってああいうこと

バレエのビデオをずうっと観ていた。
アレッサンドラ・フェリのロミオ&ジュリエットを観たのだけれど…もう圧巻。
しかも昔のやつ。まだ若くて子供を産む前の、妖精みたいなやつ。
ルグリと踊っているのは観たことあったんだけど…(それもすごかったけど)。もう心臓がどきどきして息がうまくできないくらいだった。すべてが螺旋だし、自由だしどうなってるのかわからないくらいこれは本当にクラシックの振り付けなんだろうか?って思うくらいに。ただのシュスなのに。ただそこからパセに抜いただけなのに。これは何?!私は今まで何を観て何を踊っていたんだろう。感覚をすべて閉じていたとしか思えない。踊っていたことなんか果たしてあるの?って…まぁそれは大げさか。でもそんな風な思いにとらわれるくらいに。
すばらしかった。

そのあとにギエムを観たのだけれど、私はフェリの方が何倍もすきだ。勿論ギエムのテクニックは文句はひとつもないのだけれど。たぶんすごいこの二人の踊りは対照的。同じ二重関節みたいな恵まれたからだであってもこうして使い方で踊りがこんなにも変わる。
しかしギエムもすごかったな…CGで描いたみたいに正確。スイス製の機械みたい。

フェリは柳みたいでとろける水のようではじける光みたいだった。
ああ、生で観たかったなぁ。そうしたら心臓が止まっていたかもしれない。踊りをやめていたかもしれない。

なんてうそ。
あんなふうになりたくて頑張る。


TRACKBACK

鈴夢さん がフェリの踊るシーンを紹介されています。

 しかし、なんて甲をしてるんだ・・

 そしてやっぱり柳みたい。

 腕の軌跡がたくさんのことを語ってる。

 スティングが体が柔らかいということにちょっと驚きました。

板橋を歩きつつ

今からAちゃんちへ手土産のクリスピーサンドを持って参上。
教え子をしばいてるビデオを観るのだ。←鬼

二重関節の話もしたいし、なんだか楽しみ。
あとちょっと彼とのことも心配で。


帰りぎわに職場の親分に本をもらった。
『無言館への旅』。

この作家さんは、私がすごく昔に芝居を打った、キッドアイラックアートホールの創始者でもある。

だから親分にこの人しってる!

って言ったら、この方の講演会からの帰りに本を買ってサインをしてもらったものをお土産にくれたのだ。

少し読んだけれど、あのホールについているミニアトリエにもこの精神が宿っているのかなあ、って、

ちょっと感慨深かった。


窪島 誠一郎
「無言館」への旅―戦没画学生巡礼記

コーンスープ

土曜日に一緒にご飯を食べに行った会社の女の子が、
私は小さな頃コーンスープが大好きだったんですよ、
と言っていた。

レストランに行くとお子様ランチとかグラタンじゃなくてコーンスープとパン。それさえあれば幸せだったんです、って。
お母さんに「もっといいもの食べてもいいのよ」って言われて、子供ながらに、私はこれで十分嬉しいのになぁ、と思いつつもお母さんに気を遣って別のものを頼んだらしい。


コーンスープって当たりはずれがない。どんな場所のどんな値段のものを飲んでも、いつもおいしい。
私もコーンスープが好きだ。
コーンスープの表面に張るまくもすき。牛乳の表面のまくは好きじゃないのに。
コーンスープにクリームがかかっているのも好き。
粉をお湯で溶かす、簡単なクルトンがのっているのも。


コーンスープが好きで、でもお母さんに気を遣っている子供なんて可愛いなぁ、
と、その大きな瞳をみつめながら思ったのでした。

異国のことば

今日は国際派(?)の友達二人と沖縄料理屋さんへ。
その会話のなかでものすごく私にとって不可思議なことがあった。

ひとりは外資系の会社で何人もの色んな国のひとを部下にしていて(インド、カナダ、ウクライナ、ドイツ、フィリピン、アメリカ、エジプト…など色とりどりのひとびと)もうひとりは観光局に勤めている。英語はぺらぺらだしフランス語やベルギー、オランダ語も話せる。

そのふたりとの会話の中でのことなんだけれど。
そのインド人の部下が自分の子供と話している会話のなかで、「その二人はたぶん英語で話していたんだと思うのだけどね、私が内容をわかったということは」と言ったのだ。

私はえ、と思ったがもうひとりはさらりと流していた。

英語“だと思う”って?!


私は日本語しか理解できないので、そんなにすんなり外国語が意識のなかに入り込んで自然と理解できるという状態がわからないのだけれど…そんなにもことばってしみ込むものなの?
今英語で話しているな、と意識しないでも済むくらいに、なじんでしまうものなの?
その感覚がすごく不思議だった。

自分が何語で話したか意識しないこともあるらしい。あとで考えて、相手との共通の言語はフランス語だからフランス語で話したんだろうな、っていうそういう意識らしいのだ。
えー!
なのだ。私にしてみたら。

もしかしてこんなことを不思議に思うのは私の英語が中学1年生レベル以下であるいことを証明しているに過ぎないのだろうか。
この二人に近いひとは結構多いの?
どのあたりからそうなれるのだろうか。


私もドイツに行ったら(勿論ちゃんと住むことになればの話)そんなふうになれるのだろうか。

あの感覚が知りたい。




TRACKBACK

SONNETTEさん の記事はまたまたとても興味深いです。

 脳のなぞ。

 単なる音として日本語を聞く。それができるようになるにはすごい集中力が要りそう。

 もしかして、そういう脳みその使い方をちゃんと習得したからこそ、

 SONNETTEさんはたくさんの外国語を理解されてるのかもしれないなあ。