シンプルな頭脳
昨日は4chでやっていた『キューティ・ブロンド』を見た。
吹き替えの映画は普段見ないんだけれどこれならいいか…となんとなく見ていたら面白かったので最後まで見てしまった。
そうしたら元気が出た。
実は見始めた時、いつキャメロン・ディアスが出てくるのかなぁと思っていた。何かと間違ってたみたい。
主役のリーズ・ウィザースプーンは何かで見ているんだけどなんだっけ。インターネットで調べてみよう。
おととい、初めてドイツ語のテキストを開いて勉強を始めてみた。
そうしたら驚き。勉強をするための集中力が全く続かない。宿題の嫌いな小学生のごとくすぐにそわそわしてしまう。
こんなすぐに勉強の癖が抜けてしまうとは(もともとそんなに勉強をする方でもないけれど)。
びっくりしたのは、ドイツ語なのにどうしてもイタリア語やフランス語読みをしてしまうこと。英語じゃない外国の言葉はこのどちらかだと脳みそが思い込んでいるのかもしれない。どちらも全然できないくせに。
まだCDを聴いていないので発音が全くわからない。なのに勝手に頭が私流ドイツ語読みになっていて、今度は英語なのにドイツ語読みをしてしまう。
あたしの頭は何故こんなに単純なのかしら。
まだ、単語の読み方のページしか読んでいない。
大丈夫だろうか。
- 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- キューティ・ブロンド〈特別編〉
コドクとジユウ
“自由と孤独は、切り離せない”
今日手に取った本に書いてあったことば。
本当に。
本当にその通りだ。
私が今感じていることはまさにそのこと。
ダンススタジオというとても閉じた場所で教えをしていて、周りの先生や生徒をみていて、よく感じたことがあった。生徒は怒ってくれる先生が好きだ、ということ。
こういう捉え方は意地悪だろうかとも思う。でもそんなつもりはなくて。
そんなに根拠がなくても怒るひと。こうすべきだ、とちゃんと限定してくれるひと。多少間違ったことでも言い切るひと。そういうひとに、半ば盲目的についてゆくひとは多かった。
ついてゆく理由はそれだけじゃないこともわかっている。ついてゆくからには別の良さもあるのだろうし(実際魅力もあったと私も思う)。
でも私はどうしてもそういう風にはなれなかった。
言い切ることは大事だ。自信を持って何かを伝える勇気は大事。
だから私はそこに批判の目を向けていたわけではない。たとえ多少間違っていても。先生が迷ったらいけないのだもの。
ただ、なんだかどうしてそこまで?と思うことがとても多かった。そして踊り以外のことで傷つきながら、何故、何を求めてその立場でいるの?とよく疑問に思ったものだ。
いや、ひとのことは本当にいいのだけれど。
(こういうところも何だか冷たい。)
そのひとが選びたいのならばそうすればいい。私が余計な口を挟むことでもないし、勿論助けを求められれば心からそのことについて一緒に悩む準備はいつでもあるけれど。でも。結局はどんなに苦しんでいても、いたいからいるのだろう、と思う。いやならなんとかするだろうから。
それは本人の自由なのだ。本当は誰にも何にも束縛なんかされるいわれはない。
それに気付かないのならば、その中でやってゆきたいのだろう。そう私は思う。
選択肢はちゃんとそこにあるんだから。
レッスンにおいても。私はもう本当に自由にさせていたし怒ることなど滅多になかった。いらいらして当たることもないし、私の言った通りに踊らなくてもよいと思っていた。レッスンにこなくても、稽古中にたとえ別のことをしていても、それが他の生徒に迷惑を及ぼすことでなければ放任した。
そのひとにはそのひとなりのやりかたがある。私は基本的に生徒の気持ちを信じているから。大人なんだから、来るからには情熱があってくるのだ。何かを探しに。楽しみに。ダイエットのためにだっていい。
私は学校の先生ではないし、生徒たちは私の思う踊りの道に沿って歩いて行くことを希望しているわけじゃない。私は私の精一杯を伝え、生徒はひとそれぞれにそれを受け取ってくれたらいい。
だからそこには怒りや束縛は生じない。
それからもうひとつ。
私は絶対じゃないから。
踊りに絶対はないと思っているそのことも勿論そうだけれど、…私にはまだまだなにもないのだ。
これは自信がないということに繋がりやしないだろうか?と思うこともある。それではいけない。先生という立場である以上、その場からはちゃんと自分を棚にあげなければいけない。
うん、だからそうではない。私は私の信じたことをすべて出しているつもり。
だからそのことは違う。
ただ…やはりこのやり方は、こんな風にしか接することのできない私の芯にある冷たさに所以しているのではないだろうかと思うこともよくあった。
私は自分がこうして何からも自由でいるから、誰に対してもその厳しさを押しつけてしまっているんじゃないだろうか、と。
間違いでもいいから、本人の意に反していてもいいから、がっちり腕をつかまえてこっちだよ、って言ってあげてもいいんじゃないだろうか。そうやって導かれたいのだと感じることはよくあったから。
でもどうしてもそれはできなくて。
ちゃんと考えて、生み出してみてほしかった。そしたらもっと楽しいから。ね、そこには踊りへの苦悩はあっても、あとは自由でしょ?って。
それでよかったと思ってる。
でも、ついてくるのには大変だったろうなぁとも思う。淋しさを感じていただろうか?
ちゃんと安心させてあげてもよかったんじゃないだろうか?
私は自由ということに、なにかを誤魔化しはしなかっただろうかとときどき考えてしまう。
ちゃんと手の内におさめておいてあげられない自分の性質を知っているから。
真面目なのか、冷たいのか。ときどき私はわからなくなるのだ。
それが自分を自由にし、もしかしたら孤独を生んでいるのかもしれない。
★ ★ ★
うまくかけない。
何だか論点が最初からずれているなぁ。たぶん自分の中ではっきりまとまっていないいくつかのことがいっしょくたになってる。
TRACKBACK
▼SONNETTEさん に素敵な詩をいただきました。
…ありがとう…!!
ドイツ行きの切符
何だか変に緊張してしまった。もちろん係のお姉さんにではない。ひとりで本当に行くのだ、もう後戻りはできないんだ(…いや、できるけど)という気持ちから。
悪いことをしてるみたいに心臓がどきどきして申込書を書く手が震えてしまうんじゃないかと深呼吸をした。
話には聞いていたけれど原油の高騰のため(戦争とハリケーンのせい)ガソリン代みたいな税をかなり取られることになる。
そんな!である。そんなやりくりは自分でやってほしい。いつもの値段にはガソリン代はどのように含まれているのか知らないけれど。
まだ仕事場にはこのことを言えない。
本当は早くきちんと言いたい。でももう1ヵ月も待ったがかかっている。
ものには順番というものがあるし、そういうことで誰かに迷惑はかけたくないのでちゃんと派遣会社の上の人を信頼して任せることにしている。
…でも。
早くしないとばたばたと今年が終わってしまうよ…。私も今の仕事を1ヵ月くらいでさらっと説明できるかしらと心配。
会社は仕事が大変で毎日頭が痛いけれど、でも本当に楽しい。本当によいひとたちに恵まれた。パートナーの女の子とも少しずつ仲良くなれたし、みんなできた子たちばかり。学ぶことばかりだ。本当はもっと仲良くなれたらよかったと思う。
私はそこに骨を埋める覚悟がないとつい、本心からそこに接することができずうわっつらになってしまう。勿論仕事としてはできるかぎりのことをしているつもりだけれど。人とも最大限の誠意を持って接しているつもりだけれど。
でもどこかに、私はここに最後まで付き合えるわけじゃない、だから深入りしてはいけない、という気持ちが絶えずある。相手のために。でも自分のためにでもある。
淋しいから?いや、たぶん責任をとれないからだろう。
でもそれは考えてみればもったいないことだ。何故100%でいないんだろう。いつもいなくなっても大丈夫なように、って身構えている。
さすらう癖がついているんだな…。誰にも何も明かさない癖がついている。
そういうことを考えると、とても淋しくなる。
私は幼稚なんだ。
義理堅いのか、ただの中途半端なのか。わからないと思っていたがやはりそれは中途半端以外の何でもないのだろう。ただすべてを引き受けられなくて臆病なだけ。
きっとドイツ行きのことを話したら応援はしてくれるだろうな…。そういう本当に素敵なひとたちなんだ。
何だか最近一緒にいると涙がでそうになる。ここを離れたくないなぁって、思ってしまう。100%のフルで働いて変化してゆく現場を覗いたり出来上がりをみんなで祝いたいと思う。
でも。
今しか、踊ることはできないから。
ごめんね。
行かせてください。
踊りたくて仕方ないんだ。私が2000%でいられる何かを感じたい。そのヒントを探しに行きたい。
ご迷惑をかけることもわかっている。私みたいにみんな、ふらっと早く帰ったり休んだり我儘を言えるわけじゃない。そんな我儘を聞いてもらいながらなお一ヵ月も!
もう、申し訳なくて。
仕方ないけど。
できるだけ仕事をまとめておこう。効率のよい方法を考えなきゃ。次の人にうまく説明のできるように頭も整理しておこう。
ああ、ほんと。
泣いちゃいそうでいやだなぁ。ばかみたい。
私がいなくてもちゃんと仕事は進むからその心配はしていない。
去ることは慣れている。
だけど…きっと今回はひとりぼっちになるから余計に淋しいのだろう。
あ、友達がいるからひとりぼっちじゃないのはわかっているんだ!
それがあるから。
くじけても大丈夫って、私は勝手に安心している。
ドイツで素敵なお手紙を書いてみなさんに送ろう。
迷惑かけた分、頑張ってますよって。
死に物狂いでなにかを得てこよう。
それだけが私の精一杯。
珈琲館
友達との待ち合わせの時間調整にこの前教えてもらった新宿西口のcafeへまた行った。閉店間際の22時すぎ。
入り口を入ると「奥へどうぞ」とカウンターを勧められた。少しどきどき。
角に座ってやわらかなコクのありそうなコーヒーを頼み(コーヒーは本当は苦手なのだ)、それからのんびりまわりを眺める。
平成じゃないみたいな店内。
素敵なカップがたくさん並んでいる。お客さんのイメージで、どのカップに注ぐのかを決めるらしい。
電球にはすべて違う、でもミルク色に統一されたかさがかかっている。
店員さんがちょっと素敵だな。
以前来たときに友達がカウンターに座るとちゃんと布でコーヒーを落としているのが見えるよ、といっていたが本当だ。ネルドリップの“ネル”ってネルシャツのネルだってその時初めて知ったのだけれど。
雰囲気を体に馴染ませていたらコーヒーができあがった。
着ていた薄いグリーンの服に合わせて、白地に細かい緑の入ったカップ。袖口を寄せてみたら本当に同じ色でうれしくなる。
マスターに話し掛けてみたかったけれど…やはりちょっと引っ込み思案になってしまった。
コーヒーの味がまだわからないけれど、また行こう。
但馬屋珈琲店 ←HPはこちら♪

