アマヤドリ -193ページ目

べんごではぽんな会合

まさかあんな雨が降っているとは。

原宿に着いた途端ホームにまで霧雨が吹き込んできていてびっくり。

雷もがんがんなってるし。

ほんとにびっくりだよ、アナタの雨女っぷりには…。

毎度まいど伝説更新をまのあたりにできてありがたき幸せかも。



ずぶ濡れになりつつ集合しぱしゃぱしゃとお店へ。

洞窟をくだり異国の地で会合。

ちょっとボリューム大きすぎない??のマリアッチをBGMに。

ひさびさなのに、ひさびさでないこの感じ。

一緒に舞台やるとどうしてこんなに仲良くなっちゃうんだろ。だから好きだな。


ずっともっと話していたかったな。

夜通し。

もうそれは色んな方向から。


聞いたことも語ったことも全部がちょっとずつ自分を変えてゆく。変えたいと目覚めさせる。

リラックスしてただ、そこにいればいい。

この感触がただ、自分にしみこんで行けばいいんだなあ。美味しいものを食べるみたいにじわじわと効いてくる。


なにかをそこにつくっちゃう必要はないんだ。

うけとり、感じ、それがどこかにおりていくのを待つ。

なにかしらの形になろうと、なるまいと、存在している、このなにか。

発することでまた自分に戻ってきて、あらためて、気づく。

なんかすごい。

このちからって。


ふかく考えることはない。

笑って、話して、考えて、ひらめいて、

そのことがただただ楽しいんだから。



もー。

寂しい。

ちょこっとだけど。


おいかけなきゃな。


 


人魚姫

コペンハーゲンはアンデルセンの国で、人魚姫の像があることも知っていた。

でもホテルで小冊子を読むまで、アンデルセンが不遇の人生を送ったということは知らなかった。

以前日記に頂いたコメントで、


《みにくいアヒルの子》は、役者やオペラ歌手を目指しながら、なかなか芽が出なかったアンデルセン自身を投影しているといわれています。

彼は極度の心配性であったらしく、眠っている間に死んだと勘違いされて、埋葬されてしまった男の噂話を聞いて以来、眠るときは枕元に「死んでません」という書置きを残していたそうです。


というものがあり、もし私がアンデルセンをよく知らずにこのエピソードを聞いていたらもっと笑っちゃったんだろうなと思った。(まあ、笑ったことは笑ったんだけど)



人魚姫の像はすごく寂しいところにぽつんとあって、しかも小さいから見たらがっかりするよ、と友達に言われていた。

確かにこの像を探すのにとても苦労をした。

日本みたいに名所だからって「○○はアチラ」とかいう看板がないから(…あったのかな。あったとしても私には読めなかった)本当に苦労する。日本って親切だなあ、と感心する。そういう看板が素敵かどうかは別として。

でもこのときの私には、そんな看板が懐かしかった。


寒いからちょっとトイレにも行きたくなるし、全然人魚姫いないし、気づいたら歩道じゃないところ歩いてて危ないし、もう引き返しちゃおうかなと思ったあたりに人魚姫はいた。


ちっちゃい!たしかに。

でも私はこれでいいと思った。

ふと見下ろしたところにほぼ等身大の人魚姫がひっそりと横座りしているさまはすごく自然だったから。

フリードリヒさんの像みたいに陸とかにどしんとあるよりも、こうしてちょっと波打ち際でぼんやりしてたらみつかっちゃったよ、というかんじの方がずっといい。(フリードリヒさんは陸のひとだからこんな感じで構わないんだけど)

フリードリヒさん



でも私がとても気になったのは、この人魚姫には膝があるということ。

もしかしたらこれは、人魚から人間になる途中なのかな。

この人魚姫像についてパンフレットなどには「波打ち際で王子様を想い悲しげにうなだれる人魚姫」みたいなことが書いてあるけれど、もし人魚から人間になるところだとしたらもう悲しげではないし、まだ悲痛な表情でもないはずだけど。

私にはちょっと、もといた海の底の世界を見つめているみたいな表情に見える。水面を瞳に映しながら。

それにもし人魚から人間になる途中だったらすごく足が痛かったはずなんだけどな。私の読んだ本にはそう書いてあった。こんなぼんやりした顔はしていられないはず。


…まあでも物語どおりに造ってあるわけじゃ、ないよね。




小さいとき人魚姫をたいそう立腹しながら読んだなあ。

人魚姫がふがいなくて。

どうして人間になる勇気があって、王子様にちゃんと本当のことを言う勇気がないんだろう。ばかだ。綺麗に消えちゃうなんて全然素敵じゃないのに、と。

王子様はいくらおぼっちゃんとは言えあの鈍さはもう罪だし、隣国のお姫様もひとの手柄を掠め取るなんてひどいやつ、と思うけれど一番駄目なのは人魚姫だもん。

私だったらね、私だったら、とでしゃばって妄想した気がする。


あともうひとつ立腹していたことがあって、それはその本が古本だったのだけれど肝心なシーンのページがびり、と破けていたこと。

読むたびに何回もそのページをぱたぱたした。

破けてるところが現れるわけでもないのに。



→NextA early afternoon

XXX...

photo.jpg とおく離れていても
たましいはここにあって
けっして途切れないひとつながりのなかにある

あたしはそんなことを恥ずかしげもなく平気で口にし、
そして平気で信じてる


そのことがすこしでもあなたをやわらげてくれる瞬間があるのなら。
どこかにしみ込んで、ぎりぎりで留めてくれるのなら。




だからそんなときにはいつも、

空を見て。

線路を叩くオト

200608151306001.jpg ぼんやりおばあちゃんと畳でごろごろ。
今年はまだ涼しいね、とか、お休みいつまでなの?
とか。

みんなが帰っちゃうと淋しいよね、とおばあちゃんがつぶやく。
おばあちゃんはいつも別れ際に涙ぐむから、私もかなしくなる。
またすぐに遊びにくるのにさ。


ベランダの遥か下の方から電車が通る音がする。
ちょうど駅から出た電車が線路の切り替えをする部分があってガタゴト大きな音をさせる。

この音が、気持ちによって色々に聞こえるんだよね、とおばあちゃんが言う。
楽しいときにはおもちゃを引っ繰り返したみたいな騒がしさだし、腹が立っていたら電車が八つ当りしてわざと音をたててるようだし、
かなしいときにはやっぱりさみしいみたいに聞こえるよ、
と。




私のいちにちとおばあちゃんのいちにちとは、どっちがながいんだろう。


おばあちゃん、

またすぐ遊びにいくよ。



★    ★    ★



おばあちゃんちからの夜景。

笑っちゃう夢

どうしてそんな夢を見たのかわからないけれど、そしてちょっと書くのが恥ずかしいんだけど、あくまでも夢ということで、書きます。
…って宣言するほどのことじゃぜんぜんないんだけど。

おばあちゃんちで昼寝をしていて見た夢。



私はお風呂にお母さんと入っている。もう大人なのに。
お風呂は洗い場もゆぶねになっている。

その湯槽にはお湯が入っていない。栓はしっかりとされていて抜けていないんだけど何故か今日は水がないね、という感じ。
私がそこにしゃがむと隣にいたお母さんがあっ、と私の下を指差して大笑い。
私は鳩みたいに、白とか灰色とかふかみどりとかのさまざまな色のそそうをしている。
恥ずかしいんだけれどいつのまにかそんなことになってしまった可笑しさのほうが勝って、笑いがとまらなくなる。


実際の私も吹き出していたみたいで、ぐうぐう寝ていたのに急に爆笑しだしたから家族はびっくりしたみたい。

でもほんと、変な夢。


現実の私はもちろん、こんなそそうは今はしてません。
ずっと昔と、たぶんずっと未来の記憶です。