迷子、分析
コンタクトを入れずに街の明かりをやわらかく間接的に目のはしにとらえながら。誰かの会話と近づきすぎることなく頭のなかの音だけを胸におとして。
バスで一度だけしか行ったことのない稽古場に、どうして地図もなしに辿り着けると思ったんだろう。
それも、住宅街を通ってみたりしちゃって。
案の定道に迷った。
迷子になるのは好きだ。
たまにわざと迷子になる遊びをしていたくらいに。
だけど稽古前に迷子になるわけにはいかない。いかなかったのに。まんまと1時間もぐるぐる歩いてしまった。
やっと大きなとおりに出てタクシーをつかまえて場所に連れていってもらう。とてもやさしい運転手さんで迷子になったんです、って言ったら笑ってくれた。短い距離なのに嫌な顔ひとつせず。
迷惑をかけちゃいけないときに私ったらいったいどうしたんだろ。
今、すごく頭が鈍ってる。勘も鈍い。昨日とおとといの区別がつかない。寝てないわけでもないのにな。
絶えず変なかたまりが後頭部か呼吸のつきあたりらへんにあって、自分が今ぎゅうぎゅうなんだか空虚なんだかよくわからない。
焦りなのか、疲れなのか、テンションがおかしな方向に走っちゃってるのか、だとしたら原因は何なのか。
理由が見当たらない。ただただ心なのか頭なのかにノイズが混ざっている感じがするだけ。TVの砂嵐。
いらいら?落ち着かない?種もないのに。
悩むことこそあれ稽古は楽しいし仕事のことがそんなに重くのしかかっているとも思えない。大事な友達たちも仲間たちもちゃんと元気だし憂うことはない。
もしかしたら脱皮の前の窮屈さ、
かもしれないとも思ってみている。
勝手に前向き。
だとしたらだとしたら、スランプの時に苦しんで詰め込むことの効果を私はよぉく知っているから、逆にこのあとが楽しみかもしれない。
がさがさに紛れてもっとぎちぎちにしちゃおうかな。
メモ。
みせることじゃなくて、まず何を感じたいか。
一度そこにかえろう。
後戻りじゃない重複が、ぽん!と思いがけないふくらみを生むはずだから。
迷子の収穫。
とても青白くて綺麗なツリーだった。
熱海/みずいろ、マフラー
冬の日本海。
小学校の終わりごろ福岡に1年半だけ住んでいた。今福岡タワーがあるあたりだから海岸沿い。
川にはいつもうみねことカモメが飛んでいて、学校から帰る時に汽笛が空気に溶け込んで流れてきたりしていた。
日本海。
なのだけれど、私の日本海のイメージはもっと松とかがぎりぎりなかんじでしがみついている断崖絶壁に波が白く砕けているイメージで、あんなふうなコンクリートのむこうに見えるものではない。
だから、私は日本海を見たことがない。と思っている。
ごめんね、玄界灘。
海で若いお母さんとみずいろのつなぎを着た赤ちゃんが水際でたわむれていた。
あのくらいの時の記憶って、どのくらいの年まで残るんだろう。
水が押し寄せてきた感触とか、砂で手がざらざらした感触とか、舟に群がるうみねこの声とかお母さんのマフラーのかおりとか。
★ ★ ★
私はお母さんが編んだマフラーをしている。
お母さんが成人式の着物のために編んだ、花のかぎ編みの真っ白なマフラー。
毎日まいにちぐるぐる巻きにしているのですぐ灰色になってしまうのだけれど、私はこのマフラーが好き。
どんなに一日で私のにおいになったとしても、一晩たって朝になると、ほんのり、すずしいお母さんのにおいになっている気がする。
熱海/鶯、さくら、ヒヨドリ

うぐいすを何羽も見た。
ちいさい丸い体でびろうどのようにすべすべしていて、当たり前だけれどうぐいす色。
冷たい白灰色の空の下を春の鳥(だと思っていたのだけれど違うのかな)がかさこそ動いているのが不思議な気がした。

うぐいすが遊んでいたのはさくらの樹で、11月から12月にかけて咲くさくらだった。とおくから見てあれ、さくらじゃないかなぁ?と近寄ったらやっぱりそうで、このうぐいすを見つけた。
鳥のことも花のことも何にも知らない。
ちゅんと暮らすようになってからヒヨドリの鳴く声を判別できるようになった。
きぃきぃひときわきかんぼうな声をたてて素早く飛んでいるのがヒヨドリ。
泊まったところは中庭がとても素敵で、月見台と呼ばれる縁側のようなものがついていた。部屋を離れると熱海湾を見渡せる高台もあって、夜はそこから月と星を見たのだけれど、朝も日の出を見ようね、と言っていて私はずいぶん早くから目覚まし時計をかけていた。
だけど夜更かしと日頃の疲れがたたって、目覚まし時計が鳴っても意識は半分しか起きてくれなかった。
障子越しに赤い光がはいってきたり、開けっ放しのふすまから冷たい空気が流れ込んできて肩が冷たくなっていたことを覚えている。
そんな意識の中、ヒヨドリがきぃ、と鳴く声を聴いた。
私は寝呆けていて「ちゅん、どうしたの?ここにいるよー」と返事をしてしまって友達をびっくりさせた。
★ ★ ★

中庭で淋しそうに鳴いていた白灰色の猫。
やわらかそうなからだがちくちくの植え込みの間でもぞもぞしていた。
熱海/こだま
日本の鉄道はなんて親切なんだろうなあ、って思う。
遅れないし、アナウンスはばっちりしてくれるし、なんと言っても当たり前だけれど表示が日本語なんだもん。どこにでもいける。
新幹線に乗ると斜め後ろの席のおばあちゃんが「富士山はどっちに見えますか」と駅員さんに訊ねていた。ちょうど私が座っている右側の座席の窓から見えるみたいだったからよかった、と思った。
おばあちゃんはいつの間にか私の真後ろに移動してきていた。
新幹線はとても空いていたから私とおばあちゃんがこんなに近くに座っていること、ふたりして富士山をこころまちにしていることがなんだかちょっとあたたかかった。
チョコレートを食べたり音楽を聴いたり。
携帯を見たり。
すれ違う新幹線の顔がかものはしみたいでびっくりしたり。
早く走るためにそう作ったというよりは早く走りすぎてあんな風に顔が削れてしまったみたい。
空いている電車で光に包まれてうとうとするのが好きだ。
その間に遠くにとおくに連れてゆかれる。
ゆらゆら、夢と平行して。
★ ★ ★
熱海駅前の足湯につかった。
みんなブーツや靴下を脱ぎ捨ててぬくぬくしていた。
私はタオルを持っていないことに気づいて、しばらく靴を履けなかった。
海を打つ雨
細かい雨が続いている。
線路を濡らし電車を濡らし、外国から旅してきたタンカーを濡らしている。
海に雨が降っているところを想像するのが好きだ。
水面を角立たせる嵐の強い雨もいいけどこんな細かい静かな雨がさらさらと無駄みたいに消えてゆくさまを頭に浮かべる。
音もなく広い海面にひたすら降り続く。
私も辛抱強くその音を聞き取ろうとする。とても深いところまで降りていって体の中を探る。
顕微鏡の倍率をあげてゆくみたいにそれは限りなく分解されてゆく。
望遠鏡で穹の果てを眺めるように遥かまで。
その音を見つけてぎりぎりのところで掴む。
そしてそれを離さないようにゆっくりと顔を少し真水の溶け込んだ海中に浸ける。
そこにはどんな音も存在しない。
きっとたくさんの生きものはみんな深くふかく潜ってそのえらで雨音を聴いているのだろう。
息をひそめた音のする静けさを湛えた海。
今もその水面を、無数の雨が静かに叩いている。



