アマヤドリ -156ページ目

色とひかりと音のバランス



ふと、昨日お風呂に入るときに考えたこと。
私にとって「あ」は赤だけれど、緑を感じるひとも、よくいる。
それはもしかしたら反対の色だからかなぁ?強さが同じだし。

秋は、たくさんの色のなかで生きている。呼吸をするといろんな色。
ことばから色を受け取る感覚も少し今は強いみたい。
ますますひとの名前が覚えられない。


街には影もたくさんあって、そのちょっとしたすきまに朝日が潜り込んでいるとその鮮やかさにはっとする。
暗い川の表面を包んでいる空の色、なんて透明なんだろ。

音と色とがいっぺんに私のなかに入ってきているはずなのになぜか少し、ずれがあるような気がする。時差じゃなくて、ちょうどガラスを隔てているみたいに。光と音のバランスがちがう。
どちらかが、ほんとうのことではないような。


たぶん、色にこころを奪われているからだ。

memo『アレクセイと泉』

お友達が薦めてくれた映画。


私はロシアの風景を、タルコフスキーの映画でしか知らない。

タルコフスキーの目を通した、郷愁いっぱいの感情のつまった景色。

いつもわけもわからず涙ばかりがでてしまって、きっととても、私はロシアの地を美化しているのではないかと思う。


「チェルノブイリの近くにあるのに汚染されなかった泉と、そこにすむ人々」

かあ。

すごい。


昨日見にいったお堀。

タルコフスキーは水を、水以上の存在にみせてくれる。

夜の海。


水。今とても気になるキーワード。
観てみよう。


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アレクセイと泉

ウルルン滞在記-阿部サダヲさんがクレイアニメ

世界ウルルン滞在記  12/17(日)夜10:00~ TBS

阿部サダヲさんがチェコでクレイアニメに挑戦、という番組のようです。


クレイアニメやこういうタイプの絵本はとっても興味があって、引き出しにしまっておいていつか…とたくらんでいるのです。



あしあと

またお掘を見に行った。
水を見ると落ち着くし、夜のビルや信号や街灯がながく水におちてきらきらしているのを見たくなったから。
お堀には鴨みたいな鳥がいてずうっと光をのばして揺らめかせながら水をすべっていった。
こんなに暗いのに目が見えるのかな。鳥の目にはこのひかりたちはまぶしくて仕方ないものなのかな。それとも蜃気楼みたいにおぼろなんだろうか。

もう秋のはじまりの頃とは違って沈丁花は咲いていなかった。
沈丁花のいないあいだ、仲良しのくまんばちもずっと土の中に身を潜めてせっせと巣の整理をしているのかな。
くまんばちはちゃんと冬を越すのかな。それとも次の春には世代交代しているのかな。
この沈丁花の下にはもう誰もいないのかもしれない。
そんなことも何も知らない。

★   ★   ★

友達と話していてふと、去年の自分を思い出した。
なんとかして色んなことから抜け出そうとして友達のうちにふらっと行ってみたりおうちに帰らずにずっと意味もなくカフェで時間が過ぎるのを待った。
特別そのことをつらく感じていたわけじゃない。毎日ちゃんと楽しく笑っていたし。

だけど今考えると、何もかもが変わったなあと思う。
さらに(?)強くなったし、その分たくさんのことを感じることができるようになった。

一番最近ぱりーん!って生まれ変わったのは雨があがった日の夜。
帰り道ずっとなにか予感めいたものがあって電車のなかで私は走りだしたいくらいだった。どきどきして誰かと話したいような、でもきっとこれはひとりこの胸のなかでにつめてかたちにしないといけないんだということもわかってた。
感情と思考が交互にやってきて未来の立体交差みたいな複雑な編み目がからだの中でどんどんふくらんでいった。それを眩しい、遥かにおおきな空気が包んでいて、そのあたたかさは焦ったり見逃したりしても消えるものではないということもわかっていた。

地面はあますところなく黒く湿っていて、私はそれに一歩ずつ近づいた。
傘は持っていたっけ?
覚えておこうとしたのにそのことは覚えていない。さしていなかったことだけ。
靴音が響いていたことだけ。

雨が好きだ、と思った。
そして、そのことがひきがねになってすべてが裏返しにはじけた。
躰も、感じる皮膚のほんの少し上空も、視界すべても、どんな遠いところ、私のなかのきっと一生手にとって眺めることや意識することのできないすべての感覚。
それが、急にその雫のたくさんひかった夜の透明な暗やみのなかに、全部あらわになった。
なんだろう、っていう疑問はなかった。
私はなんてながいこと、気付かずにいたんだろう。でもそこには後悔のような思いもなくて、ただただつるつるの新しいその感覚をいろんなところから見て、触れて、感じた。

ふと、ドイツの北の街で友達と再会した時のことを思い出した。冷えた闇と、乱反射するオレンジの光。
100年ぶりに逢ったみたいに走ったこと。


なんてたくさんのことを経験したんだろう。この一年。
はじめてのお使いみたい。

どうして苦しかったのかもわかってる。どうして新しくなれたのかは、少ししかわからない。
でも、それでいいんだ、ということはすごくよくわかった。
何にも否定することないんだなぁって。

★  ★  ★

大切なこの一年の景色のなかに、こころの中にいつもいてくれた@mi。
私の覆いをみかんのかわみたいにもりもり剥いてくれちゃって。
ほんとにありがとう。



(24000人目のお客さんだったんだよ~☆)

まぶたの温度

道をふちどる樹の葉がだいぶ色付いてきた。
火の鳥の羽根みたい。細かな産毛が風になびいて高い空に飛び立ちそう。

地下鉄をいっぽんやりすごしてトンネルの向こうの暗やみに耳を澄ます。静かなホームにはじめに到着を告げるのは天井のつなぎ目。びりびり音をたてる。
次におそうのが空気の圧力。


舞台が終わったあとのひたひたに満ちるかんじは、だけどもしかして単なる繰り返しだったらどうしようというざわざわももたらす。
きっと淋しいだけなのだけれど。ちいさなちいさな指にみぞおちをきゅっとつねられているみたいに。
前進してないことなんてない。そのことはわかっている。

あたたかさと悲しみと、安堵とせまりくるきりきりと、ぼんやりとした幸福感と茫然自失。それがいくえにもおりかさなってこころがいつもよりもふくらんでいる。
こんな時はだから、いつもよりも多くのことに手が届く、かもしれない。

でもこれをちゃんと満たしてくれるものは私以外のところにはなくて、あれこれ想いをめぐらしてもやっぱり生み出すことしかないのだ、
と気付く。