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雲と地面をつなぐ雨を見た。
先日ともだちに雨と晴れのさかいめの話をしたばかりだった。
ちょっとずつ、ものごとはつながってゆく。
とても好きな写真を載せたブログを見つけた。過去に遡って一枚いちまいにどきどきする。
たまらなく自分も写真を撮りたくなった。もしくは、絵か。
けれどもちょうどカメラは、昨日の雷をとらえようとつけっぱなしだったせいで電池切れ。
気持ちをこぼさないように、もう少し先まで、と写真をたどった。
自分がかんじたこと、見いだしたこと、呼吸、がそこにはあって、それを見つめる深い輝きのひとみが感じられるようだった。
ふと、こないだ私の似顔絵を描いてくれたともだちのまなざしを思い出した。
観るひとをみつめかえす、そのあてどのない気持ちのことも。
今日も私はあの写真を好きだろうか。
確かめたい。
ゆうだち

突然のものすごい雹。
ちょうど私がたてものに入ったあと、滝のように。
しばらく真っ白になった視界と氷の粒がそこかしこにあたる音に包まれて茫然とする。
はっとしてカメラを取り出すけれど上手にとらえられない。
ちょうど下校時間で、子供たちが心配になったけれど、外をみたらきゃあきゃあと喜んでいた。
よかった。
ベルリンですごい雹を体験したことを思い出した。
私は寝坊してひとりうちにいて、友達はレッスンのあとネットカフェにいた。
雷が激しく鳴ってじゃんじゃん雹が落ちてきて、やっと緑になってきていた家の周りの景色が一瞬で真っ白になった。
屋根からは積もった雹がざらざら落ちて、玄関にちいさな山を作った。
なつかしい。
少し、きゅうっとするくらいに。
ashes and snow
動物のラインは、なんて無駄がなくて美しいんだろう。
毛の先までみなぎらせているのは、生きているというまさにそのこと、なのかな。
骨が、好きなのは何故だろう。
肉体のなかに収まっている骨のことを考えたり、感じたりすることが好きだ。
静かにものも言わず。
グレゴリー・コルベールのashes and snowの写真集を見て、またそのことを思った。
目を閉じたひとびとはまるで一瞬のうちに時を止められてしまった骨のよう。眠っているというよりも、時を与えてしまったみたい。
動物たちはその夢の間も目を醒まし、背にりんといっぽんを張っている。
おどるときに、と、私の頭はまたおどることにつながる。
おどるとき発するあの頭の中が拡がるかんじ、骨と骨の隙間すべてにひかりや空気や温度がすべりこむかんじ。
あれは、この、毛の一本一本、背中、ライン、に含まれるものに近いのかもしれない。
生きているかんじ。
あと1ヶ月で終わっちゃう、移動式美術館。
お台場に行く機会があったら行ってみてください。



