HIROのホリスティックヘルス探究記 -20ページ目

HIROのホリスティックヘルス探究記

人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。

今日も「マンガ 仏教的生き方」の中からの一説を紹介したいと思います。

ここまでの改装、歯科医院リニューアルオープンに到るまで、そしてここからの新規夜間診療部門の開設、さらには来春からの「ホリスティックヘルスケアルームHIRO」における新規事業開始において、時々苦しくなる事があります。

呼吸が、ではありません

気持ちが、です。

過去形ではなく、今もよく苦しくなります。

私は歯医者。歯医者がYOGA? teate? そんな事やる歯医者は歯医者としてバカにされるのではないか? 歯医者としての腕を疑われるのではないか?
と、思う事もあります。
私がやりたかった事は今からやろうとしている事だったのだし、歯医者だけでは人を健康に導けないと分かったのだから、やり遂げなくては、とも思うけれど・・・そんな事をやり始めて、受け入れてもらう事が出来るのだろうかという不安に駆られる事もしばしばあります。
成功している方々の活躍ぶりを見聞きしては、うらやましく思い、自分はどうだろうかと比較しては落胆する事もあります。
正直言って準備に費用がかなりかかり、銀行通帳は紙切れ状態。やりたい事をやったらお金がなくなった。やらない方が良かったのかな・・・この先どうなるのかな。でもお金の事ばかり考えるのもイヤラシイな・・・と途方に暮れる事もあります。

頭の中はごちゃごちゃになり、顔からは表情が無くなり、「喜び」というものが感じられなくなる時があります。

そういう時、無性に、瞑想したくなります。ヨガをしたくなります。ぶれている自分が嫌で、真ん中の軸の自分になりたくなります。
ヨガをしている時、頭はほぼ空っぽです。教えるとなると次のポーズを考えたりしますからそうはいかないですけど、自分ひとりでヨガをやる時、あるいはどこかのスタジオでレッスンに参加する時には自分は何も考えなくていいので空っぽになる事が出来ます。
瞑想・・・自分がしている瞑想が正しいかどうかなんて分かりません。瞑想教室に通ったりしているわけでもないですし。ただ1回「考えない練習」で有名な「小池龍之介」さんのセッションにでた事があるくらいです。ちなみにこの時は疲れていて、半分寝てしまっていました(スミマセン)
ただ私がやっている瞑想は、空っぽになる、な~んにも考えないで座って目を閉じて自分がいなくなるような感覚のところを探しそこで漂っているだけのものです。ちなみにこの自分がいなくなる感覚のところは「軸」なんですけれど、センター、チャクラなど他にも同じものを別の言葉で言っている物は沢山あります。
センター軸の自分が本当の自分です。そこを見つけられるとなんだかホッとします。
しばらくそうしていると、「まあ、いつも通り、今目の前にある事をとにかく一生懸命やって、あとは風に乗るようにふうわりふうわりと流されていってみればいいや~」と、思えてきて、心が軽くなります。
それが良いからやってください、ということではなく、ブログで偉そうなこと書いたりしてる事もあるけれど、普通に悩み苦しんでる事も沢山あるし、そんな時にふっと楽にしてくれるお釈迦様の言葉を今日も紹介したくてこの記事を書いています。
サッカーの中田選手も、尊敬する故スティーブジョブズさんも、一線で突っ走るかのように見えている方々も多くは仏教に通じ、心を静める時間を持っているものなのだという事を、ふとした時に読んだ記事などで見かけては、ああ、やっぱりそうなんだな、と、なんだかすごく納得出来ます。

「マンガ 仏教的生き方」より一部引用します。

『縛られず』・・・学説や固定観念に縛られず、また現状や自分の立場に執着せず、己を縛る事もなく、ただその場で細心に見、聞きし、ことごとく変化に応じる。

『流されず』・・・自分の身・心を甘やかしておくと、たちまち欲望や怒り、恐れなどが渦巻く洪水に呑み込まれる。自制心を持ち、何事にも流されぬ島のようになりなさい。それでこそ百パーセントの自分というものだ。

『巌のごとく』・・・ありのままの自分を受け入れ、頑丈な岩が風に吹かれても揺るがないように、世間に振り回されず、八風(※)吹いても動じない。
※八風=人心を惑わす八つの障害。①利益②損失③影でのそしり④影での賞賛⑤面前での賞賛⑥面前でのそしり⑦苦⑧楽

『湖水のごとく』・・・外界の変化を全てうつしながらもそれに染まらず、己の浄化をし、欲・苦・楽に動じない。それゆえに心穏やかで、感情の起伏もなだらかである。



はい。そうですね。
でもなかなかそう出来ないのが人間ですよね。

ただ、日々頑張るために、縛られず、流されず、身体だけでなく心も常に軸に一致させながら生活できるよう心がけていきたいと思っています。
今はまだ色々探究中の未完成な私なので、お釈迦様の言葉は本当に救いになります。
これからもまた紹介しますので、良かったらお読みください。

私の知らないどなたかの、何かの助けになるといいですね





大地宅配で「ベジタ」という野菜のセットを注文すると、その時期に多めにとれた野菜を数品配達してくれます。
今週はその中に「白皮かぼちゃ」というのがあったので、あんかけかぼちゃを作ってみました。
私の調理は大体がその場の思いつき
レシピもないし調味料もこんなの使ったらどうかな?っていう感じで作ってしまうし材料もその時の冷蔵庫の残りものなので出来あがってみないと失敗も成功も分からない事もあります・・・
で、そんなふうに作ったのが今回はこの「あんかけかぼちゃ」です。

材料は・白皮かぼちゃ(1/4でもかなり大きかったです) ・シイタケ数枚 ・ネギ1/2本 ・ニンニク1片 ・しょうが1片 ・鶏挽肉30g ・車麩数枚

かぼちゃは適当な大きさに切り分け、残りの材料は全てみじん切りにします

車麩を使ったのは、食感が肉に似ているためよく肉の代わりに使用される物なのですが、使ってみたらどうなるかな?と思って、ちょっとやってみた、というのが正直なところです。
結論を先に行ってしまうと、無くても良かったかも、です
あってもなくても多分変わりはないと思います。

私の料理には度々少量の「ひき肉」が登場します。
これにも特に理由はなく、育ってきた家庭環境が影響しているだけです。

私は歯医者になったけれど、両親親戚含めて医者なんて他にいないし、裕福に育ってきたわけではないので、我が家では肉と言えば、細かーくなっていて少しだけ使っても全員に行き渡るひき肉か、小間切れ肉をさらに細かく切って使うのが普通だっただけです。母親は教師で働いていたので食事はおばあちゃんが作っていたし。ステーキなんてお店のディスプレイでしか見た事なかったし大体お店に食事に行く事もなかったです。牛肉を食べた事もなかったなぁ(笑)
なので、言ってみれば、日常生活が自然にマクロ食に毛が生えたようなものだったので、こういう食事が苦にならなくていいんですけどね。
東京に出て歯医者の世界に入った時にはあまりのギャップに驚きましたけど、今となっては、やっぱり静岡の田舎で過ごした昔の生活が、身体にも心にも良かったなぁという事がよーく分かります。

少量でもお肉など動物性のものを使う方が、肉をバンバン食べてきていた私以外の家族にとっては拒否感なく食べやすいので私は使用しています。
勉強して知識をつけて、動物性は良くないから動物性のものは禁止!なんてしてしまうと、周囲との調和は乱れますからね。うまく両者にとって良いようにするためには「禁止」ではなく量を減らす方法が良いと思います。
前にも書いたかもしれないけれど、マクロの最大の目的は「中庸=ニュートラル」になる事です。ニュートラルの状態は全てを寛容出来る状態です。
これが正しいから、それはダメ、は、ニュートラルではないですよね。

かぼちゃの煮物にしてしまえば、肉なんて使わなくてよいし、調味料入れて蓋して煮るだけだから調理も楽なんですけど、それでは私しか食べないから、あんかけにしてみたわけです。

ということで、かぼちゃだけを鍋に入れて浸るくらいの水を入れ火に掛けます。お酒大さじ2、みりん風調味料を大さじ1、甜菜糖を小さじ1入れてしばらく煮ます。
その間にみじん切りにした材料を少量のごま油で炒め、炒めたものをかぼちゃの鍋に移します。
しょうゆ大さじ2、米飴小さじ1をさらに加えてかぼちゃが柔らかくなるまで煮ます。

白皮かぼちゃは思ったよりも早くやわらかくなりました。
もっと水が少なめで、落とし蓋をして煮ても良かったなと思いました。

大体煮えたら、一旦冷まします。鍋のまま。

煮物は冷める時に味が染みていきますからね
すぐに食べるより一度冷まして再び温める方がおいしいですよ

食べる前にもう一度温めて、温かくなったかぼちゃを先に取り出し、残った汁に赤みそ小さじ1と塩を適量加えて味を調えます。
そして最後にくず粉でとろみ付けをしました。

出来あがりです。
緩めの”あん”になりましたが、もっととろみをつけてもいいですよね。その辺はお好みでどうぞ。なかなかいける味でした

こういうとろみ付けにはくず粉を使うのがマクロでは一般的です。
現在市販されている片栗粉は、本当の片栗の球根からとれる粉ではなく、ジャガイモ=馬鈴薯でんぷんである事がほとんどなので、葛粉の方が身体への作用がマイルドであるし身体を温める働きも強いから、というのが理由です。
しかし・・・葛ももうなかなか手に入らなくなってきていますね。価格も高いです。
くず粉、と書いてあっても馬鈴薯でんぷんにほんの少量のくず粉が混じっている物もよく見かけます。

どこまでこだわるかはお任せしますけれど、こだわり過ぎて、一番大事である「中庸」を欠かないようにしてくださいね。




「咬み合わせ」
これは歯医者泣かせの言葉です。
歳をとれば顔貌も変わるし体型も変わる。それは当り前なことで仕方ないと思っているのに、なぜか、「咬み合わせも変わる」という概念が無いようです。
しかも咬み合わせは気になりだすと止まらない事もあり・・・
以前はここがこう当たっていた。なのに当たらなくなった。
あそこで銀歯をかぶせてからこうなった。あそこでこの歯を削ったからこうなった・・・と・・・。

確かに歯を入れたり、かぶせ直したり、削ったりする歯の治療は咬み合わせが変わる事がありますね。
右の歯を抜いたから今まで右で食べていたけど左で咬むようになった、とか、しみるから、咬むと痛いから・・・などで咬み合わせが変わるのは否めない事です。
じゃあ、治療しない方が良かったの?
そうではないですよね。

私たちが扱う咬み合わせはミリ単位ではありません。ミクロン単位です。だからとても繊細。
悪くしようと思って治療に取り組むドクターなどいないんですよ。みんな何とか患者さんの為になろうと思ってやっているんだってことは忘れないでほしいです。

私はどうしているかというと、銀歯を入れる時にはその周囲の歯との調和を見て入れるようにしていますし、何本もの歯が繋がっているブリッジを入れる時には何カ月か仮付けにさせて頂き、実際に生活する上で咬み合わせに問題が無ければしっかりつけるようにしています。
歯周病で歯が伸び出してしまって反対側の歯とぶつかって痛みがあったりグラグラしたりしてしまう時には歯を削る事もあります。
でも、それ以外の「以前はここの歯よりもこっちが当たっていたから、今ぶつかっているこの歯を削ってください」と言われても、その歯が治療をしていない白いご自分の歯ならば削りません。大がかりに咬み合わせを変える事もしません。自然から与えられたものを人間が作ることは出来ないと私は考えます。


歯の治療による咬み合わせの変化もあるけれど、それ以外に自分側にも咬み合わせが変わる要因が、治療要因以上に沢山ある事を知ってください。
最初に書いたように、顔貌も変われば体型も変わります。
同じように、咬み合わせはその時の生活状況、心理状態、体重、仕事、年齢などにより、変わります
A

まずは写真A。こういうようにおしりの突き出た若い人は割と見ますが、こんな体型のおばあちゃん、いますか?

B

写真Bのように背中が曲がって、出ていたお尻も引っ込み、その過程で背骨の側弯が起きてるかもしれないし、膝でバランスをとるようになっているかもしれないけれど、とにかく姿勢が変わりますよね。

そしたら咬み合わせ、どうなりますか?

ご自分でやってみたら分かりますよ。

まずはAの姿勢。
次にBの姿勢。

当たる場所が違うでしょ?

Bの姿勢のまま顎だけ上げると、Aに近い場所で咬むようになりますよね。

だけど首の後ろ側の屈曲が強く、ものすごく首に負担が掛る事もお分かりでしょうか?
実はこうやって同じ咬み合わせを保とうとして、身体のどこかを犠牲にしている事も多々あり、そのために肩凝りや頭痛を起こしてしまう事もあります。

Bの姿勢になんて簡単になってしまうものなんです。Aの体型の人だって、ディズニーランドで歩き疲れたらBに近くなるし、心に心配事がある時にはBになってしまいますよね。仕事でずっとPC使っていたりしても同じです。
Aなら良いのかというと、それも違って、背骨の湾曲が強すぎますので顎にトラブルが良く起こるタイプです。


咬み合わせの安定のためには、姿勢が安定している事が必要になります。そのためには心も安定していなくてはいけないのですが、人間ですから完璧に安定した心っていうのは難しいですよね

姿勢を安定させるためには・・・

安定した体幹を、自分で作るしかないんです。
いつも書きますが、誰かに診てもらえば、何かに頼れば病気が治る、という考えの人は病気になりやすいです。
残念ながら安定した体幹、安定した身体は自分で作らなければ、どこからも与えられません。
自分の力で頑張ろうという強い気持ちが無ければ、安定した心をもつ事もまた難しいと思います。人に頼りがちなタイプの人は自分で頑張る事が出来ずに、「医者だったら治すのが当り前でしょ!」と、もしかしたらしまいには非難に走ってしまうかもしれません。
コレを読んでくださっている方は、そうではありませんように・・・

でもこれは咬み合わせだけの問題ではなく、身体が安定せず、どこかに負担が掛り、その部分の循環が低下してしまえば、そこから病気は発生するでしょう。血液循環不良が起これば身体を治してくれるはずの物質が運ばれてこないのだから、自然治癒が起こりにくくなるし、内臓が圧迫されていればその臓器の働きが鈍り病気に繋がりやすくなるでしょう。


体幹が安定すると、身体の中心に軸(青線)が通りやすくなります。
軸があると、気持ちも安定しやすくなります。
私は・・・まだまだ落ち込む事がありますが

電車の中で吊革につかまらなくても目を閉じて立っていられます。
ディズニーランドで一日中歩いても不思議と疲れません。

でも、まだ弱いなって思う事も多々あります。だから継続して強化するように努めます

どうやって?

それをYOGAで行ないます。

歯医者だけでは行き詰まるので、歯の為にもYOGAを取り入れようと思ったわけです。
身体は全部が繋がっているのだから。


歯医者って、部分を見る事が多いから、こんな事あまり言わないでしょうけど、最近は咬み合わせの問題から、私と同じように全身とのつながりを重視するドクターも増えてきているように思います。
大事なことは同じですもんね


体幹、大事です。
体幹の為には、肩甲骨も胸郭も骨盤も大事です。

そう
だから 「ホリスティック=全体」 が必要なんですよ

来春からは「HIRO」で一緒にYOGAしましょうね