HIROのホリスティックヘルス探究記

HIROのホリスティックヘルス探究記

人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。


1月からほぼ毎週、メディテーションクラスでお話した内容をブログにしてきましたが、本日のブログをもって一旦お休みしたいと思います。

また何か発信したいと思った時には書くと思いますが、今は、今後の自分の人生に向き合う時間が来ていると感じているので、それに必要なことに時間を回すことにします。

ヨガにはまるで宗教のような「教え」があり、柱となるものは「8支則」と言われているもので、ブログに書いたこともありましたが、じゃあそれを本を見ないですべて言いなさい、と言われても、いくつかは忘れています。それが正直なところです。

ただ、私の根本には、このヨガの「教え」のようなものが小さい時から根付いていて、特別ヨガの教えとして勉強したり修行したりしなくても、それが当たり前の考え方であったため、もしかしたら、前世でも私は「ヨギ」であったのかもな、と、思ったことはありますね。

いわゆる「ヨガの先生」って、割と緩い、優しい言葉を掛けてくれることが多かったりすると思いますが、「なんちゃってヨガ先生」の言葉は、後付けの、ティーチャーズトレーニングなどで学んだことから出てくる言葉なので、言葉に重さが感じられません。

しかし、ヨガの先生の中には、厳しい人生を送ってきている方がいることも確かです。そのような先生から出てくる言葉は、その人の人生と経験を通じて発せられる言葉なので、力強く、時に厳しいものが含まれています。が、パワーがあり、うわべだけの言葉とは全く違う強さが感じられるものです。

過去の経験や、現状に、目を向けられず

「あの過去を忘れたい」とか

「なぜ私はこんな目に合わないといけないのだろう」と思っている方もいるのではないかと思いますが、

その経験はあなたの宝になるんだよ、という話を、今回の〆として、したいと思います。

 

私には15歳も年上の兄がいます。姉も11歳年上です。

兄は早稲田大学 法学部に入学しました。もちろんもう何十年も前の話です。

父は自分が3歳の時に父親を亡くし、その後母一人、子一人で、暮らしは貧乏。お弁当におかずはなく、ご飯に梅干し1個のお弁当しか持って行けず、周りのみんなに馬鹿にされたようです。こいつらをいつか見返す、そういう強い怒りが根付いていったようです。

その「見返す」の一つとして、自分の子供をエリートに仕立てたい、という気持ちがあり、兄に対して、父が思うように線路を引き、その上を走らせてきました。兄もまた従順だったようで、踏み外さず線路の上を走っていたようです。本当はそんな力もないのに、出来が悪い宿題は父が手直しし、完璧に近くして提出させたり、手直し出来ないものは、良いと思えるまで何回もやり直しをさせたりしたそうです。

兄本人が弁護士になりたいと思ったのかどうかは分かりませんが、父は兄を弁護士という、エリート中のエリートに「見栄」もしくは「エゴ」でならせたかったのだと思います。

入学はしました。実家は浜松です。早稲田は東京です。昭和40年代の東京では「下宿」というものがあり、何人かの学生を一つの家で預かり、そこの家のおかみさんがご飯を作ってくれたり、何かと面倒を見たりしてくれる、そういう制度なのですが、兄も東京で下宿することになりました。そのころ実家はまだ裕福ではなく、下宿先の兄の部屋は「窓のない4畳半」でした。父が引いていた線路は、早稲田に入学するところで途切れていたのです。窓のない狭い部屋=独房 です。独房に一人急に放り出され、走る線路がなくなった兄は、何をどうしてよいのかわからなくなったのでしょう。そのころ私は幼稚園児。しかし、頭の回転はよかったので、下宿先のおかみさんから時折かかってくる電話と父が話している会話内容をそばで聞き、「何か変だな」と、感じていたのを覚えています。学校に行かなくなった・・・。閉じこもりがち・・・。そんな内容だったように思います。そんなことが1年ほど続いたのかな?ある日両親が洗面所で「困ったね。入院だって。このことはひろみ(私の名前)には内緒にしておこう」と話しているのを耳にしました。その時私は幼稚園の年長か、小学校1年生だったと思います。が、その言葉だけですべてを理解しました。そして、私はこのことを聞いて知ってしまったけど、それも知らなかったふりをしなくてはいけないのね、とも思いました。

兄は、精神を病みました。今ではいろんな病名がありますが、45年以上前の時代では「ノイローゼ」という診断だったようです。

精神を病むとはどんなものなのか、それは言葉で説明できるものではありません。

45年以上前ではそんな人は「キチガイ」です。家の中でも外でも、急に大声で叫び出します。急に暴れ出します。

私が小学校から帰ったら、家のガラス窓のガラスが(そのころサッシなんてなかったので窓はガラスでした)全部割れていたこともありました。家の中にもガラスの扉があり、それも何度も割り、よくガラス屋さんが直しに来てくれていたのを覚えています。気分が急に荒くなり、茶碗や皿も手当たり次第に割ったり、夜中でも昼でも時間感覚がないのでわめき、怒りを父親にぶつけ、真夜中に父親の顔を腫れ上がるほどぶん殴ったり、包丁を持って人を刺そうとし、それを父親が必至で止めたり・・・

もちろん家にはおいておけない状態のこともあったので、精神病院に入院している時期もあったのですが、それにしても、なんとも普通ではない光景や状態を目の当たりにしてきました。

姉は11離れていたので、兄が一番ひどかった時期はやはり大学生で、岐阜の寮に入っていたため、このような状況の時にはいつも私一人で耐えなくてはいけませんでした。小さい心臓が、はち切れそうなほどドキドキしながら、「お父さん、殺されないかな」と心配になり、でも、自分は小さすぎて何もできずただ耐えていただけでした。

「強くなりたい」と思うこともあったけど、多くは「なんで私はこんな思いをしなくてはいけない?この兄のおかげで、友達を家に呼ぶことも出来ない。私は何も悪くないのに、なんでこんな家に生まれなきゃならなかった?」「死にたい」  そう思うことの方が多かったです。

18になり、大学を選ぶとき、両親は家から近いところに行くことを望み、また、大学生が終わったら、家に戻ってきてほしいと言いましたが、「もう戻りません」と宣言し、東京の大学に進みました。もちろん夏休みなどには顔見せに帰ったりはしましたが、それ以来言葉の通り、もう一度浜松に住むということはしていません。

 

この渦中にいる時には、嫌でしたし、何度も泣きましたし、苦しかったですが

今、その過去を振り返り思うことは・・・

 

この経験がなかったなら、私はもっと弱かった。私はもっと甘かった。私は困難から逃げる人間だったろう。

この経験が 私を強くした

と、断言します。

嫌であろうが、つらかろうが、自分から望んだわけではないのに、与えられてしまったこんな普通ではない状況。

しかも10年以上に渡る、逃げるに逃げられない状況と葛藤。それに負けることはありませんでした。

 

私が負けなかったのは、父親が強い精神力を持っていたからです。

父が原因を作ったのかもしれない。そうかもしれないけど、その状況に負けて自分も病んでしまう人だって多々いると思います。

でも、父は強かったです。まだ小さい私にも、出来る限りのことをしてくれました。

私以上に、その時期の父の気持ちを考えれば、どんなに苦しかったろうと、推し量ることも出来ないくらいだったはずなのに。

私が父の立場だったら、耐えられなかったかもしれないのに、父はどんな状況でもいつも自分の弱い気持ちを出すことなく、くらい表情をすることもなく、自分を自分で支える強さを持っていました。

その父の唯一の支えになっていたのは、さらに精神力が強かった祖母でした。

祖母は父が3歳の時に伴侶をなくし、ものすごく貧乏だったのに、働き者で女手一つで父を育ててきたので、本当に強い女性でした。

父が仕事で不在の時には、暴れ回る兄に、祖母は勇敢に対応していました。泣くことも、泣き言をいうこともなかったです。

 

父と祖母に人生を学びました。

そんな家庭だったから、旅行に行ったり、外食したりしたこともなかったですけど

芯の、真の、強さを身に着けることができました。

負けそうになる時にはいつも、この二人を思い出し、私はこの人たちの強さを受け継いでいるはずだから頑張れる!と言い聞かせます。

 

「心の強さ」は、普通の人生を送っている人には養えないものなのかもしれないなと思います。

24時間、365日、逃げることが出来ないプレッシャー下に置かれ、それに負けないように、自分の中に「何か強いもの」を芽生えさせる、ということをしないと、精神力の強さはなかなか身に着けられないのではないかと思います。

私の人生は全然普通の人生ではないし、楽しかった思い出もないし、普通の家庭ってどんなものなのか、今でもわからないし、誕生日を覚えてもらっていたことさえないけど・・・

 

望むことなく、選択の余地なく、こんな状況下に置かれ、10年以上に渡る精神修行ができたことは宝だったなと、心底思っています。

私の根底にある、ゆるぎない「強さ」は、この経験がなかったら絶対に得られなかった「宝」です。

 

私の口から出てくる言葉は厳しく、あまり優しい言葉はないけれど(自分でもわかってる)、人生通して発せられる言葉なので、適当な慰めの言葉やうわべだけの言葉なんて言えないんです。

 

もしかしたらこれを読んでくださった方の中には、ご自分の過去や現状に悩んだり悲観したりしている方がいるかもしれませんが

そういう方に言いたいです。

 

あなたは、ほかの人にはないチャンスを手に入れているんですよ!

と。

あなたは選ばれているんですよ。

「この状況に負けてしまえばただの人。勝てる強さを身に着けられたらあなたは他の人を導く立場の人になれますよ。さぁ、あなたはどちらに入るのだ?」

と、神様からの試験が与えられているんです。

神様は、乗り越えられる可能性がない人には試験も与えません。

乗り越えるのです!

どのくらい時間がかかるのかはわからないですけど。

乗り越えた先には、今のあなたと全く違う、レベルアップしたあなたが待っています。

もう「絶対」って言いきれます。

 

今までに何度も言ってきました。

普通からは普通しか生まれない。

人より優れた何かを手に入れたいのなら普通じゃダメなんです。

自分だけ蹴落とされたかのような経験、そしてそこから這い上がる経験をしなければ、人を超えることは出来ないんです!

 

失敗しないように、恥かかないように、自分だけ違うことしないように、楽しいことだけでできるように・・・

という思想はむしろ残念

まるで自分は凄い人であるかのようにうわべだけ作っても、そんなものは薄っぺらくて弱っちくて見破れちゃう。

 

アンユージュアル(普通でないもの)から凄いものが生まれる!

失敗や屈辱を避けるのは自分をレベルアップさせるチャンスを逃すのと同じこと。

 

悩んでいたり、悲観したりしている人にエールを送ります

 

あなたは凄いことができる力を持っています。

普通の人なんかの何倍も、あなたの可能性は大きいです。

あなたでなければできないことがあるんです。

そのマイナスを、プラスに変える力を出すのです。

既にあなたは持っているのだから!(^^)!

持っていない人には普通でないことは起きないんだよ。

 

ねっっ!!

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

さてそれでは、しばらくブログを書かないので、まとめてここで、「疲れた時には自分にご褒美」グッズを紹介しておきます。

過去に紹介したものばかりですが、もう一度pickしておきますね。

 

背骨の脇や骨盤周囲、お腹をマッサージするときにはこれがいいですよ!

使い方は記事に書いていますのでご参考になさってください。

 

 

 

肩や首元、腕の付け根やお尻はこちらをお勧めします。私も使っています。

 

 

お風呂の中では自分の手でこのオイルを使ってデコルテや足裏から脚をマッサージします。

大容量でお買い得。ウォーターソルブルなので、簡単に洗い流せます。

 

 

背骨の柔軟性の低下は「老化」です。

3つの直径のヨガホイールは背骨を柔軟に保つための必需品。

小と中サイズが特に効果的!

 

 

あなたが何かをやろうとした時、「そんなの〇〇じゃない?」みたいな、おせっかいともとれるようなネガティブな言葉をかけられたことはありませんか?

あなたも、「そういうように言われたんだけど、どう思う?」

と、またそれを他の誰かに相談したりしませんでしたか?

 

他の誰かが登場しない場合であっても、自分自身で似たような自問自答をしたことはありませんか?

 

失敗するかもしれないから

失敗したら嫌だから‥

 

やらない。

 

うまくできなかったから

 

やめる。

 

なぜ??

自分の奥深くに押し込めている本当の心の声をきいてみれば

その答えは

 

恥ずかしい思いをしたくない

出来ない自分を認めたくない

 

つまりは、ちっぽけなプライドが、薄っぺらな自尊心を傷つけられるかもしれない将来を予測して、新しいことにチャレンジするのを拒んでいるのではないでしょうか。

 

誰かが新しい何かにトライしようとするのを引き留める側があなただったとしたら、なんとなくそのチャレンジ精神に嫉妬する気持ちや、それをその人がやることで、自分より優れていくのが嫌だったりするのではないでしょうか?

 

本当にパワーがある人だったら、人の意見がどうであれ、やりたいことはやるんです。

失敗するかもしれない、とか、失敗したくない、と、思わ”ない”のでは”ない”のです。

そういう感情も浮かぶんです。

 

違うのは・・・

 

失敗しないと向上できない

 

ということを知っている事。

 

失敗からしか学べないし、失敗は恥ずかしいことではないし、失敗したことやうまくできなかったことをできるようにすることが楽しいし

それができるようになるために努力することで自分が向上していくことも知っているし

努力をして得たものはそうそう簡単に失われないということもわかっているし

それらすべての過程と結果が

 

自尊心

 

に繋がることを、

すでに自尊心を獲得した人は知っているのです。

 

そうして人生を積み重ねるうちに、失敗することが減っていきます。

以前は出来なかった、今の自分にとってはもう小さなことに思える何かは「努力」によって、できるようになっているわけだから、そんなに簡単にできなくはならない。

「出来ない」ことのレベルがどんどん上がっていく。

出来なかった事を出来るようにしても、また次の「出来ない」は生まれてくる。だけど、どんどん難しさのレベルも、それを習得するまでの期間の長さも増していく。

 

だけど、「出来ない」ことや「失敗したこと」があると、むしろ

あ、また、向上できるチャンスが来た!

とワクワクする。

 

ある程度何かを習得すると、それを教えられるようにもなるから、先生の立場になる人もいるでしょう。

そうなると、人によっては、そのレベルで満足してしまい、次の「出来ない」を探すのをやめてしまう。

先生なんだから、出来ないなんて格好悪い、と、思うのかもしれない。

もう教えられるようになったのだから、それで満足してしまうのかもしれない。

 

そうなのかな?

 

「魂」って、常に、向上したいと願っているもの。

なのに、あなたの何かがそれを引き留めているのかもしれません。

プライド? ネガティブ志向? ずるさ?  過去の栄光? 羞恥心?

 

ほめて育てる、という言葉があるけれど、これも見当違いなやり方をすると違う方向に行きますよね。

本当はそれほどでもないのに、「おだてる」・・・・✖

ほめられたいから頑張る・・・・✖

 

見え透いたおだては本当の向上にはつながりません。

褒めの言葉が欲しくて、その言葉によって自分を認めてもらったように感じたくて、つまり「言葉」を「もらう」ために頑張るのは一種の依存。目的がその「言葉」や「褒められること」になってはいけないです。

褒められないと、落ち込みますし、やめたくなりますし、やっぱり自分はダメなんじゃないかと思い始めます。

結局、弱い自分のまま変われません。

おだての言葉は見破られますし、響きません。

 

同じ「褒めの言葉」でも、普段は厳しくそんな言葉をかけないような人に、本当に自分が何かを達成できたときに掛けられたのだったら、その時の達成感と喜びは、自尊心に直結します。

その時には、自分自身でも相当な努力を重ねたうえで、その言葉を掛けられたのが分かっているので、自信をつけているはずです。

 

先ほど書いたように、だんだん出来ないことが減っていき、出来ないことのレベルが上がっていくけれども、そんな自分をさらに向上させるために導いてくれる人がいたのだとしたら、その鎖は離してはいけません。

そんな人はそうそう現れないものですし、現れても、縁がないことも多々あります。

 

逆に、自分はまだまだだなぁ、と思うようであれば、

もう一度言いますけど、あなたの顕在意識はどう思っているかはわかりませんが

あなたの「魂」は、常に向上を求めているんだよ

ということをお伝えしておきます。

 

失敗してもいいんです。

失敗をするのが嫌で何もやらないのが一番の失敗です。

 

「失敗しなくちゃ成功はしないわよ」 ココ・シャネル

 

「失敗したところで止めてしまうから失敗になる。成功するまで続ければ、それは成功になる」

「失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい」  松下幸之助

 

なんでもいいんです。

努力してみましょうよ。

凡人でもいいんですよ。

でも最高の凡人を目指しましょう。

 

凡人から抜け出した時、あなたはそれを感じます。

はっきり自分はもう凡人ではないと分かります。

それがどんな感覚なのかを知りたいのなら

失敗を恐れず、努力するしかありません。

 

ふぁいと~!!

 

今日はちょっとスピリチュアル系の話も混じるかもしれませんが、私はそんなにスピ系の人間ではありません。

ただ、そんな感覚もちょっと持ち合わせているとは思います

というか、人生切磋琢磨するうちに、そういう能力って誰しも備わってくるものだと思います。

備わってくる?も違うような気がします?

もともとそういう力はみんな持っているけど、あまりに自分を守りたくて鎧を着せすぎていて、その力が出てこないんじゃないかなと思います。

普通と違う人生を歩みながら、なんでこんな人生なんだろうと思ったことも何度もあったし、また一方では、でも私なら乗りこえられる、とも思ってここまで過ごしてきたけれど・・・

52歳になって徐々に、今までの人生で起こったこと(点)が線としてつながってきていて

あの時には、やりたいことにまっすぐ行きたいのに、回り道ばかり、無駄な事ばかりして、無駄なお金ばかり使っている

と思ってみたり

なんで私はこんな家庭に生まれてしまったのだろう

と、15歳も年上の精神病の兄がいる家庭で、自分が小1の時に発症し、その後暴れまわる兄や、DVを目の当たりにしながら過ごし、そこから逃げるように家を出て東京の大学に入った時の事など

を、思い出し・・・

 

今やっと、それが自分の決して負けない強い精神を作ってきたことや、回り道と思ってやっていたことは一つ一つが大事な知識と経験であったのだと分かってきました。

家庭環境が円満で、何も問題のない家庭に育つのは羨ましいし

そういう家庭を作るように努力している方々も沢山いらっしゃると思いますし

それが普通なんですけど・・・

 

「普通」からは「普通」しか生まれないです。

大多数、全体の約8割

「あの人もやっている」 「あの人も持っている」 「あの人も言っている」 etc.

をやっているのが「普通」です。

 

でも、もう時代は変わりました。

私たちの生活を実質的に変えたのは「コロナ」。

この事態が起こってすぐから、「必要があって起こった」と、私は言ってきました。

スピリチュアルな世界ではすでにもうよく言われている言葉で、耳にしたことがある人も多いと思いますが

「風の時代」に入っています。

2020年の12月下旬からと言われています。

それまでは「地(土)の時代」でした。

物質中心の時代が地の時代です。

「モノ」の時代は、終わりました。

 

風は「風」なんです。

実体のないもの、目に見えないもの、知性や情報が重要になる時代なんです。

 

物を手放す「断捨離」

物質から離れた「電子マネー」「電子書籍」

働き方も変わって「オンライン」や「テレワーク」

 

コロナが起こったことによって、これらの変化は急激に加速しましたよね。

 

そしてもう一つ、よく言われるようになった言葉は

 

「自分軸」

 

誰それさんと同じものを持っているだとか、どのブランドがどうだとか、あの人も行っているから自分も行くとか・・・

もうそういうのは手放す時代です。

 

自分軸とは「自己中」とは違います。

自分軸は、自分に自信を持たないと、決して養えない「軸」です。

自分の考え、自分の意思、自分の夢などをはっきり持ち、ブレずにそれに沿って生きていくのが

「自分軸」を持った生き方です。

 

精神的に、時には経済的にも「自立」しないと持てない軸でもあります。

独りで生きる、のではありません。

ただ、誰かに依存したり期待したりする生き方はNGです。

自分の軸、パートナーの軸、子供の軸など、それぞれがしっかりした軸を持ち、それぞれの人生を自分らしく生きていきつつ、歩調が同じであれば寄り添うように一緒にその軸を伸ばしていくようなイメージの関係性。

そんな関係が育まれる時代になっていくのではないでしょうか。

その関係性の最高峰は「ツインレイ」。

この言葉も、最近は頻繁に聞くようになりました。

風の時代に入るまで私は全く聞いたことはありませんでした。

不思議なことに、風の時代に入った頃、自然とこの言葉に巡り合いました。

自分の人生の「点」が「線」になってきているのを感じた、また別の瞬間でもありました。

面白いものです。

どんな困難でも、逃げずに向かっていき、時間はかかっても克服すると、次なるレベルの幕開けがちゃんとそこには待っていて、「ああ、次のステージが始まったな」と、ちゃんと自分で感じられるのだから、本当に人生って面白いです。

「風の時代」「ツインレイ」については、検索すればいくつでも情報が出てきますから興味があったら調べてみてください。

 

話を「自分軸」に戻します。

自分軸って何でしょう?

ブレない自分でいることです。

ブレないって、何から??

 

分かりそうで分からないと思いませんか?

そもそも「自分って何?」 じゃないですか?

 

それも最近になってやっとわかってきました。

残念ながら、私の人生から得た感覚から言うと、みんながみんな「自分軸」で生きることは出来ないと思います。

先ほど書きました「普通」に属する8割の方は、出来ない方に入ると思います。

が、

風の時代とともに「8割が普通」という割合も崩れると思います。

風の時代は200年続くと言われていますが、今後数十年のうちに4~5割くらいはきっと自分軸をもって生きられるようになってくると思います。

「普通」の概念自体が崩れるのではないかと思います。

 

自分軸をもって生きるとは

手っ取り早く簡単に言うと、

自尊心と信念を持ち、自立して生きること

だと思います。

 

が、それが難しいですね。

まず、信念とは・・・

自分はなぜ、なんのために、何をしたくて、何をテーマに生まれてきたのか

に対する信念なんです。

自分の人生の目的を知ることができないと、信念が・・・まず持てない(=_=)

人生の目的を知るためには、降りかかってくる困難を自分の力で克服していかないといけなくて、小さい困難から始まり、それを克服するとレベルアップした次の困難がまたやってきて、を何度も繰り返す必要があるんですよ。

私の場合は、それが、小さい時から分かっていて、この問題を終えたらまた次が来るな、とか、あ・やっぱりこの前より大きな問題が降りかかってきたな、とか、神様にレベルアップの試験をされているなとか、ちゃんと理解していたのが、自分でも不思議です。

なので、現在も、「デカいの来てるな」って、わかってます・・・( ̄▽ ̄)

でも、そういう感覚自体が普通は無い?みたいなんですよね??

だからちょっと、自分の人生の目的を知り、信念を持つって難しいのかもな、と、思います。

ちなみに、そういう感覚を持つもの同士は、それを口で言わなくても、あ・この人そういうの分かる人だなって、気付くものでもあるので~す!

 

さて次の自立とは

まずは精神的な自立。誰かに良く見てもらいたいからこれを着るとか、良い人って思われたいから何かを我慢する、とか、これをするとか・・・。

そういう他人目線で物事を判断していることは、自分で思うより多いと思います。

繰り返しますが、自己中とは全く異なるけれど、他人の言葉や状況に左右されない精神を持つことが精神的自立です。

時に経済的自立も必要になることがあるでしょう。

経済的自立がない場合、常にだれかにお伺いを立てないといけないのかもしれませんね。

その場合、なかなか自分だけの判断で行動するのが難しいのかもしれません。

が、そういう物質的な事以外は経済的なものは関係がないので

例えば、何かをやろうと思った時に、友達に「え~。そんなのやめなよ~」って言われても、自分がよいと思ったものは誰がなんと言おうとやる、人の意見に左右されない、という精神力を持つ、ということは可能ですよね。

 

そして自尊心。

これは、自分の人生の目的が分かり、自分の生き方に信念を持ち、精神的に自立出来て初めて持てるものなのかもしれません。

そのためには、先ほどの「経済的自立」もできないと、難しいのかもなと、思います。

が、

時代は変わっています。

私が今書いた「自尊心」は最高レベルの「自尊心」。

それは、人生が波乱万丈である人(あった人)が、それらを克服したうえでやっと身に着けていく「自尊心」。

そこまでの状態を求めなくても、少しずつでも自分に自信を持ちたいと思うのが当たり前だと思うんですよね。

自己中の人はいっぱいいても、自尊心が高い人ってあんまりいませんもん。

でしょ??

そこがまた、コロナでいろんなことの状況が変わってきたところでもあるのですが

オンラインでなく、対面の場合は、時代はなんでも「パーソナル」の時代。

もちろん”一般的”には、その理由は

接触を避けるため

ビジネス的裏事情では

その方が1回の利益が大きいから

なのだと思いますが・・・

 

パーソナルって自尊心を養いやすいの分かります?

人と比べなくていいんです。

自分が、以前の自分と比較して成長していくのを感じれば、それは自信になるでしょう?

自分しかいないんだから他の人がどれだけできるかなんて全く分かりませんよ。

比較は常に自分自身。

もちろんその分厳しいですよね。

自分がやらなければ、逆にできない自分を感じて落ち込むし。

でも、やればちゃんと成果も現れるんです。

その小さな変化、それを続けることだけが「自尊心」を養う方法です。

 

裏事情があるにせよ、やはり、もっと深い理由があってパーソナルの時代になっているんだと思いますよ。

お金はかかりますよね。

でも、もう「物質」にお金をかける時代は終わったって、最初に言いましたでしょ?

自分に、経験に、知識に、見えないものにお金をかける時代でもあるのでしょう。

これが風の時代の生き方なのかもしれません。

またその流れに自然に乗れている人は、うまく自分の環境を新しい時代に適合させることができている人なのではないでしょうか。

 

ここから先はあなたがどう思うか、どうするのか、それ次第ではないでしょうか。

でも、大事な事なので、もう一度言います。

夢は大きくてもいいんです。 希望を持つのも悪くないです。

でも変化と成長は大きくはないのが現実です。

それはもうはっきり、「そう」です。

思っている通りにはなりませんが、あなたがやった通りにはなります。

自尊心を持つためのたった一つの方法は

小さな小さな、本当に小さな成長を、続けること

のみ、です。

 

あなたが風の時代に乗り遅れないといいなと思いつつ、今日のブログを終わりにしたいと思います。

コロナで動くことが減り、体力、筋力、持久力の低下が、私のヨガのグループレッスンに通ってくださっている方にさえも、顕著に現れてきていることに気付きます。

負けてはいけません!

動きましょう!!

是非トライを