HIROのホリスティックヘルス探究記 -19ページ目

HIROのホリスティックヘルス探究記

人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。

時々思います。
人生っておもしろいなって。
辛い事も苦しい事もいっぱいあるけど、そういう「今どうなのか」じゃなくて、全体を見ると、色んな事が色んな風に関連していて面白いと思う事無いですか?
全体って言っても、どこまでが全体なのか寿命が分かるわけではないですけれど。


今それは必要ない、と思う事であっても、一生懸命やってみると、そこから新たな道が伸びる事、ありますよね。
10数年前にパソコンスクールに行きました。何十万の費用を払ってwardやexcelを習いました。ずーっとそんなの使わないで10年以上が経ちました。あんなにお金を使って無駄だったかな?と思う事もありました。でも、それがあったから、今年、看板のデザインが出来ました。HPが作れました。給料計算も簡単に出来てます。そう、全て10年以上たった今年やっと役に立ちました。ああ、あの時の事はこの為にあったんだな、あれが意味がある事だったって分かるまで長くかかったなって思うとおかしくなりました。あの時にスクールに通っていなかったら、きっと「あーわかんない」と思って終わりだったでしょう。


私の親、兄弟、親戚は教師が多いです。
なので小さいときから「おおきくなったら先生になるといいよ」と言われ続けていました。
でも、子どもながらにそんなの違うな、と思ってはいるものの、じゃあ何なのか?全く分かりませんでした。
そんな感じのまま高校に行きました。進学校です。何に進むのか決めなくてはいけません。
先生は違う、でもこれというものが無い。言いかえると、色んなものに興味があったし、将来をバシッと決められていたわけでもなかったので、色んな選択肢がありました。
デザイン系、音楽系、建築系、バイオテクノロジー系、医療系あたりで、曖昧模糊(あいまいもこ)とした日々を過ごしていました。
父親は時々心配して、この先どうするのかを聞きました。
その度返事が出来ずにいましたが・・・

そんな時に、事が起こりました。
中3の時から歯の矯正をしていたのですが、最初は50代位の先生しかいなかったその医院に、大卒の若い先生が新しくやってきましたその時私は「女子高」に通う「女子高生」。その先生にほのかな恋心を抱いたわけです そしてまた父親に「将来どうするんだ?」と、聞かれた時に、その先生の事で占められた乙女心は「歯医者になる」と、言ってしまいました。
さて、父親は初耳です。でもなぜでしょう?それまでも行きたい大学の名前を言ったり、やりたい事を言ったりした事はあったのに、大きな反応はなかったんですが、この時にはその言葉を本気にして一生懸命色々調べてくれたり、学費の工面をしてくれたりしたので・・・何も言えなくなってしまい・・・・・今に至ってます
私が歯医者になったきっかけは、
コレだけです。
高い志も何もあったもんじゃない!


でもね、歯医者になってからは「天職だ」と言われるし、私もこれで良かったと思います。
まあ、導かれたわけです



歯医者じゃなかったら多分ヨガもteateもやっていなかったでしょうし。
歯医者だからこそ身体の事を考えるようになったと思いますし、「真の健康」について考えるようになりましたしね。
痛みも大きかったですが。
ヨガをやるきっかけは、ダンスで膝の脱臼をしてダンスが出来なくなりヨガを始めたという経歴で、脱臼から回復するまでは痛かったですよ。片足引きずりながら電車で立っているのも、駅の階段を下りるのもつらかったなぁ。
teateに巡り合うまでには、辛ーい別れがあって、でもその別れがあったからこそ、次の巡り合いがありteateに繋がっていったわけなのですが、その時にはかなり心が痛かったですよ。思いだせば今でも痛むわ・・・。


次につながる事には、共通点があるようにも思います。
それは「一生懸命やる事」。
なんでも一生懸命になってしまう性分なので疲れちゃう事もあるし、一生懸命な半面、別のものには無関心だったりするのですが、適当に中途半端にやってきたものは、なーんにも次に繋がってこないと思ってます。
そのときには、こんなことやってどうなるんだろう?と思う事でも、一生懸命やっていると、不思議といつかそれが自分の人生において次につなげるための要になるものとして出てきたりして、気付けばDNAのらせん構造のように次から次につながる鎖の沢山の絡みが見えてきていて「人生っておもしろい」と思わずにいられなくなっています。

だから今日の一生懸命もいつかこの先の人生につながる可能性は大きいわけです。
こんなのくだらない、と思う事も、そう言わずにやってみると、数年後に、アレ?これって・・・みたいに思う事があるかもしれません。


と、私は思っています

そんな風に思う事、ありませんか?





12月3日から始まった6時~10時までの診療も2週目に入りました。
HPの修正もしてもらい、医院の外壁にも張り紙をしたりしていましたが、なかなか夜間診療の事を知ってもらえていないような感じの始まりでした。
患者さんも4時間で2人とか。
でも、私は暇ではないですよ! 新しい「チームHIRO(夜間診療スタッフ)」のスタッフ達にあれこれ教えなくてはいけないのですから。
正直言って新メンバーのスタッフ5人はみーんな未経験者です。だからイチから全て教えなくてはいけないわけで・・・だから大変?? いいえ、だから良いんです。 素直に覚えていってくれます。
実はこの1週間のうちにスタッフは一人入れ替わりました。 人間対人間としてはそんな事したくなかったのですが、仕事は医療なので、問題が起こってからでは遅い、と、心を鬼にして決断しました。あとから入ったメンバーも、覚えが早く問題なく仕事をこなしてくれています。
夜間診療スタッフの平均年齢は、(すみませんが私も含めて)22.1才です

2週目に入り、徐々に初診の患者さんが来院してくれるようになって来ています。
多くはうちの歯医者を知らなかった方です。
夜までやっているところを探して・・・とおっしゃる方が多いです。

近隣にも9時までやっている歯医者はあるけれど、10時まではないですから。(だから作ったんですけどね。)
池袋で10時までの仕事をやってきていたので、私にとっては「別にふつー」な診療時間だし、いつもの勤務時間なんですよ。
「夜なんて大変じゃない!」と、言われる事もありますが、「いやいや、朝、早起きの方が出来ませんから」と言いたい。朝4時に起きなさいと言われたら、そのまま徹夜するタイプだわ。


日中の診療時間帯に以前から来て下さっている患者さんには 「夜は何をするの?ダイヤでも入れるの?」 と言われたりして、 何って・・・「10時まで診療」って書いてあるじゃん診療をするんですけど・・・。と思いつつも、ダイヤかぁ。そういえば以前池袋で、患者さんが歯にダイヤ入れたいって言ったから色々調べたのに、結局その患者さんはやらなかったってことがあったなぁ。あの時にやっていれば「ダイヤも入れますよ」って言えたのに・・・なーんていう事も考えちゃったりする自分がいてね、何とも楽しいわけです。


池袋で約10年。
ユニット(診療台)が5台しかないのにその頃の1日来院患者数は100人を毎日超えていて、スタッフ数もタイムカードで25枚ほどあった、そのころが全盛期だった歯医者に勤めていたわけですから、大概の事は経験済みですよ。新しいスタッフは何が出来ないのかとか、どう教えるかとか、何をしでかしちゃうのかとか。
池袋では20分に1人のアポイントで、その間にも急患がバンバン入るわけなので結局一人15分ほどの診察時間で、かつ、ちゃんと内容のある事をやらなくてはいけなかったわけですから、いかに効率よく事を運ぶかを常に考えながら診療していました。現在の夜間診療は40分に1人。スタッフがまだ動けないので、教えながら自分で動く為時間はかかります。でも、さすがチーム!まだ2週間足らずなのに、どうしたら効率が良いかを、私から言わなくても、スタッフ自ら考えるようになってきています。2か月後には20分に1人のアポにもっていくつもりです。それも、どうすれば効率が上がる動きが出来るのか、は経験上分かってます・・・が、資格のある衛生士さんがいないので少々苦しいかもシレマセン。


同じ診療室でも、朝~6時までの診療室と、6時から後の診療室とでは、スタッフの雰囲気も、患者さんの層も、処置内容もガラッと変わる事は最初から予測済みで、やってみたらやっぱりそうよね、と、予測通りになってます。


池袋では右耳にインカムをしてそこからは受付からの指示を聞き、面と向かって患者さんとのやり取りをして、かつ自分についいてくれているアシスタントとのやり取りもあり、さらに5台のユニットの動きも見て指示をだし、と、最低常に4つの大きなアンテナを立てて仕事をしてきていました。その他に自分ひとりで考えながらやらなくてはいけない事もあり、しかも秒単位、分単位の回転で治療をこなして・・・というのは、まあ、大変でしたよでも、経験しておいてよかったです。やれば出来るんだ!っていうのを身を持って体験し続けてきたって感じです。
(そんな診療を支えてくれたのはそれこそ良く気をきかせてくれていたアシスタントがいたからだな、と、この状況におかれて実感するとともに過去のスタッフ達に感謝している最近です。中でも一番凄かったのは、衛生士ではなく、資格を持たないアシスタントなのに、なーんにも言わなくても、目で合図するだけでほとんどの事を読みとってくれていた、読者のリーちゃん!間違いなくあなたNo.1だったよ



池袋で夜間来院のピークは7時~8時台だったから、ここでのピークは8~9時台になりそうな傾向があります。9:20が最終受付とは書いてあるけれど、私を必要としてくれる方がいてくださるならば、遅くなっても喜んでお待ちしますよ!の精神です
残念ながら、若いアシスタントは先に帰しちゃいますので、あくまでもお待ちしているのはワタシですのでお間違いなく!


時が経ち、場所が変わっても、診療となると右耳にインカムがある感覚がよみがえり、本当はないのについ触ってしまったりして、いかに10年が自分スタイルを形成するのに重要な意味のある時期だったかを思い知ったこの頃ですが、私の人生では、きっと過去の10年と同じような感じで仕事をする時がもう一度来るような気がしています。
このメンバーならそこまで行けるとも思っています。


未来なんてどうなるか分からないけど。


やることはいつも一つ。
常に目の前にある事を一生懸命に頑張る。


すると不思議と次が導かれるから。


一つ一つ頑張っていこうと思います。

診療室と自宅をリフォームしてくれた職人さんたちと3カ月ぶりに会って忘年会(ただの飲み会?)をしました!
お客さんから友達になるのは、多分相当な特例だと思いますが、運命とか人生ってそんなもんだと思います。なぜか知らないけどそうなっていくものだと。何か通じるものがあったのでしょう。

参加者は ①大工の棟梁 しみちゃん、②大工の伸ちゃん、③クロスを貼ってくれてた「クロス新井」さん、④床を張ってくれた床(ゆか)屋さん・・だけど、「床や」は「トコヤ」って読めるから、つけさせて頂きました呼び名は「バーバー山下」さん、あと職人さんではなく⑤リフォーム会社の監督植村さん ⑥ワタシ ⑦途中参加で「クロス武井」さんも来てくれました。 電気工事をやってくれた「ダウンライト熊」さんと「関口さん」、水道屋さんの「DJ金沢」さん、設計担当の「石黒さん」は残念ながら欠席でした。

1次会は居酒屋さんでやりましたが、職人さんの飲みっぷりは素晴らしかったです(職人さんにとっては普通だったのでしょうが

歯医者もどちらかというと男社会なので、男性の中に女が一人状態の飲み会はちょくちょくありますが、飲みっぷりが違いました!しかもみんな強かった。
飲んでいる途中の話は「職に対するこだわり」がメインで、同じ職人として(歯医者だって職人!)尊敬する事が沢山ありました

終電が無くなってしまったけど2次会はカラオケで。
これもびっくり
みなさんと~っても上手でした

帰りは唯一お酒の入っていない(飲めない体質の)リフォーム会社の監督さんが、終電が無くなる事を予測して車で来てくれていたので、家まで送ってもらえて無事帰宅となりました。

リフォームは、今年の初めから計画を開始して、5月に着工 9月初旬に終了でした。
単なる「工事」「仕事の依頼」で終わる事も多いのではないかと思いますが、その枠を超えて、人と人として会ってみて、あらためて「本当に素敵な方々と出会えてよかった」と思いました。

この出会いは間違いなく今年1番の宝物です。

素敵な素敵な出会いがあって良かった。大切な繋がりが出来て良かった。

今後もずっと大事にしたい宝物です