ガンゴートリー(Gangotri)
ウッタラカンド州(少し前までの、ウッタラーンチャル州)のヒマラヤの奥地には、4箇所のヒンドゥー教の重要な聖地があります。
それらをチャール・ダーム(chaar dhaam)と言います。
chaar(チャール)=4
dhaam(ダーム)=聖地、天国、居住地
その4つは
・ヤムナー川の始まるヤムノートリー(Yamnotri、3293m)、
・ガンジス川の始まるガンゴートリー(Gangotri、3042m)、
・ヴィシュヌの化身である、バドリナラヤナンもしくは、バドリヴィシャールを祀った寺院のあるバドリナート(Badrinath、3133m)、
・インド全土での最も重要な12のリンガ(12j yotir linga)のうちのひとつがある、シヴァ神を祭った寺院のあるケダルナート(Kedarnath、3584m)
です。
この4つ、山道をクネクネクネクネと、ひたすらのろのろと、バスで走って辿り着くんですが、この4つ全部を12日間で周ってしまえ、というような強行ツアーもあります。
でも、4つを12日間で周るなんざぁ、正気の沙汰ではありません。
「這う這うの体(ほうほうのてい)」みたいなことに、なるでしょうな。
いくら、ローカルバスよりはスムーズで快適な貸切バスだったとしても、「ほっとんどバスの中、ちょこっと滞在したら、目のクマもとれないうちに、また出発、そんでひたすらバスの中、尻に根が生えただけでなく、根腐りまでしそう」みたいなことになります。
巡礼地なので、ヒンドゥー教徒としては、4つとも周ることにこそ意味があるといえばあるのですが、
インド人観光客というのは、昔の日本人観光客に勝るとも劣らないくらいに、
「その場所に行ったことに意味がある、そこで写真を撮って何か食べれば満足、人に~へ行ったと言えるようになることが目的」みたいなところがあるので、
つまり、カメラ提げて「行った事実」を得りゃぁ、もう目的達成なのです。
ゆっくり見て周るとか、散策とか、トレッキングとか、そういうの、しないの。
バス酔いするタイプだったりしたら、たぶん、体調復活前に、次の目的地へ出発ですよ。紫色の顔で。
私は3年前に、2週間かけて、2箇所だけ周ったんですが、それでもけっこう体調的にいっぱいいっぱいでした。
もちろん、クソボロいローカルバスで苦労して行ったからっていうのもあるんですが、
トレッキングなどもするのであれば、やっぱりそのくらいはかかります。
でないと、行く意味がありません。なにしろ、移動に本当に時間がかかりますからね。
私が行ったのは、まず、ガンゴートリー。
そこは、ガンガー(ガンジス河)の始流として有名なのですが、
本当の始流は、ガンゴートリーの街(いや、村)にあるのではなく、
そこから20KMも奥にトレッキングした(車は入れません)、ゴームク(Gomukh)という場所なのです。
ガンゴートリーからゴームクまでの徒歩は、最低1泊2日かかります。
でも、あのトレッキングは、今でも私の中で、最高に輝いているトレッキングです。
あんまり体調よくなかったんですが(生理をずらすのを失敗した)、それでも今思い返すと、
「心が全開でドッぴらき、まるで鳥になったかのように、魂が自由で超上機嫌だった!」という感じで、ヒマラヤの思い出の中でも、燦々と輝いています。
その、ガンゴートリーから、ガンガーが始まる地点のゴームクへのトレッキング、次回書きまーす。
だばっ。
肉体労働:パスィーネー・カ・カーム
お昼ね②
2段式店舗
やっぱり、食べ物には感謝
乗りすぎ
荷物運び屋のおっちゃんたち
インドのおばちゃん
友達の子供って、異常なスピードで成長しますよね。
ましてや、外国なんかに住んでいると、ある一定期間をおいて、定期的に会うからか、
毎度毎度、大きくなっていて、ビビります。
それだけ、年月が経っているということが、ショック。
テレビの芸能人なんかも、毎回、帰国のたびにちゃーんと老けている。
この間は、久々に見た鶴見しんごが、いきなり8割白髪みたいになっていて、驚いた。
ついこの間まで、まだ、若めの人というイメージだった気がするんですが・・。
電車の中の、何かの広告の中村雅俊も、「初老」イメージに突入してた。
タモリだって、「おじぃさん」ぽくなってきてた。
一定のブランクを開けて見ると、みーんな、その年月分、ちゃんと老化していて、ショックですよ。
だって、「私も同様に、老けてるんだろうなー」ってことですからねぇ。
ましてや、インドでは、肉体的老化は、日本にいるよりも加速しますから・・。
で、友達の子供の話に戻るんですが。
帰国すると会うことになっている、中学時代からの友達がいるんですが、
その友達の一人娘Nちゃんは、ちょうど私がインドに旅立ったのと同時くらいに生まれたんです。
つまり、私がインドに住み始めてまる4年なので、
Nちゃんは、4歳。
いや~・・・・。
帰国のたびに、Nちゃんに会うとですねぇ
・いつのまにか立ってた
・いつのまにか、しゃべりはじめてた
・いつのまにか、着たくない服は着ない、とか主張するようになってた
などなど、
「あー、時は流れているのですなぁ・・」としみじみすることの繰り返しなのですよ・・。
で、Nちゃんのおかぁさん(私の友達)は、
Nちゃんが生まれたときから勝手に、私のことを「インドのおばちゃん」と、Nちゃんに説明してきたんです。
「インドのおばちゃんが、来るってよ」とか
「ほら、この人がインドのおばちゃんだよ、前にも会ったでしょ?」とか、
「インドのおばちゃん、またインドに帰っちゃうんだってよ」とかぁ~。
でも、これまでのNちゃんは、まだ片言をしゃべる程度だったりしたので、
私のことを「インドのおばちゃん」呼ばわりしてたのは、あくまでも私の友達だけだったわけなのです。
とぉころがぁ!
今回!
Nちゃんは、いつのまにか、「まもなく4歳」になっていたわけです。
「お嬢様風の洋服が好き」とか、言っちゃって、すっかり、まぁ、大きくなっちゃって。
で・・。
で・・、
で・・・・・!
今回・・・とうとうNちゃんの口から、聞いてしまいました。
インドのおばちゃん
イ、インドのおばちゃん・・・・。
改めて、頭の中で反芻するに、なんて怪しい響き・・・。
「おばちゃん」というと、わたしの中では
「割ぽう着を着て、髪を束ねて、小太りで、つっかけ」みたいなイメージなんですが。
わたしは、やっぱり4歳児にとっては、おばちゃんなんですかねぇ・・。
まぁでも、それだけなら、よくある話で済むんですが、
私の場合、「インドの」がつくんですよ。
「インドのおばちゃん」・・・・・・・。
絶対、あやしい。
「インドの」という言葉は、なぜこんなにも怪しいのか。
「フランスの」とかなら、そう怪しくないのに。
インドのおばちゃん・・。
しかも、4歳児にそういわれると、
私までが自分で、
「インドのおばさんはねぇ」なんて、言っちゃってる始末。
なんつーことだ。
涼しげなニルギリ
















