ねおママの毎日奮闘記! -42ページ目

ねおママの毎日奮闘記!

毎日笑って泣いて怒って笑って。
ねおママの毎日奮闘記!
日々の成長と独り言をつづります。

昨日、母の手術が行われました。



手術しよう!となってから術前検査やなんやで2ヶ月弱ありました。



手術までまだ時間があるね。なんて思っていましたがあっという間に手術当日。



父のことがあるので、自分の不安もあるけど気丈に振る舞っていた気がしますが、時折り不安な事をこぼしていました。



手術前日に入院。

この日に麻酔科の診察がありました。私も同席して説明を受けました。


今回の手術は全身麻酔となるため、麻酔が効くと呼吸を補助する為に挿管されることなどの説明でした。



この日は清潔のためにシャワーすることと、食事可能時間、飲水可能時間の説明があって、私は帰宅しました。



手術前日、予定では13時手術開始でした。

前後する可能性があるから1時間前には病院に到着してほしいとの話があった為、間に合うように病院へ行きました。


途中病院から連絡があり手術予定時間が早まったので、病院にいつ着くのか確認がありましたが家を出る前に母に連絡していたので病院側にも通じていたみたいです。



12時に病棟に到着すると、手術開始時刻が12:20からになったと話がありました。

母と会って少し話をしましたが、点滴がなかなか入らず6箇所位針を刺されてかなり痛がってました。


そうこうしている間に、看護師さんが来られて手術室へ。

ベットで移動です。

ほんと不安いっぱいな顔をしていました。


手術前まで付き添い、頑張って!と送り出しました。


この日は父も一緒に行きました。


術前後の処置も含めて4時間から5時間弱と聞いていました。

その間父も横にならずに大丈夫かな?と心配しましたが、上手いこと椅子を並べて横になっていました。

ただやはりかなり辛いらしく、時折り辛い表情を見せてました。



15:20

待合室に看護師さんが来られて、終わったのでこれからお迎えに行きますと呼びに来られました。

思っていたより早かったので無事終わったのかな?と少し安心しました。


手術室の前に着くと担当医が出てこられて小さな部屋に通されました。

そこにはレントゲン画像があり、術前、術後の画像が映し出されていました。

術前は私も以前見たもの、術後はボルトが上手く入った画像でした。

担当医からは、軟骨がなくなって骨が剥き出しの状態になっていてかなり痛みがあったと思うと。手術は上手く行きました。

輸血もせずに終わったが、術後の状態で貧血が酷いようなら検討する事になるとはなしがありました。


ひとまず、手術が無事成功したと聞いて安心しました。


再び手術室前に移動して母が出てくるのを待ちました。

まだ麻酔が完全に覚めきっていないと聞いていました。

手術室から出てきた母は痛みで顔をしかめて、痛いいたいと唸っていました。

担当医も骨を切っているからかなり痛みはあるよと言っていましたが、それでも今まで見た事のないくらいの顔をしていました。


病棟に戻ると部屋が整うまで私たちは待合室で待っていました。

しばらくすると、部屋に入る事を許可されました。

ただ30分だけと言う短い時間でした。




部屋に入る、痛みがあるため痛み止めの座薬を入れた事をききました。


術後の確認が看護師さんによって行われていましたが、ずっと痛い痛いと言っていました。

それでも、看護師さんや私たちの問いかけにはきちんと反応していました。


ただあまりの辛そうな表情に私もつらくて涙が溢れてきました。



痛いところをさすってあげたいけどそれもできず、ただ手を握っていることしかできませんでした。



そして、これから私がもっとしっかりしないとダメなんだと改めて思った時でもありました。



30分なんてすぐにたつもので、あっという間に帰らないといけなくなりました。


でも帰る頃には、痛い痛いと言ってはいましたが痛み止めが効いてきたのか少し目がトロンとなって、顔をしかめて我慢するような表情は少し減っていたように思います。


ずっといたい所ではありましたが、なんとか帰ってきました。



きっとすぐには連絡はつかないだろうけど、少しでも痛みが無くなるように願うばかりです。


処置室に父を残して1人診察室に入りました。


時間も診察の1番最後で待合室にはもう誰もいません。


呼ばれる前になんだか嫌な予感はしてました。
だからずっとドキドキしていました。この嫌なドキドキ。


とても物腰の柔らかい医師。
告知時には一緒に居ませんでしたが、それからの話は極力一緒に付き添って一緒に診察を受けてきたので私自身も信頼を置いている医師です。


まず今の現状の説明。
血液検査の腫瘍マーカーのここ最近の数値グラフを見せて貰いました。
もう急上昇は一目瞭然。
そして最近の状態、食事が取れなくなってきている、横になる時間が増えていることが、数値からも直結して悪化している状態。

今後は寝ている時間も増えるし痛みも増してくる。
だから痛みの状態を、診察時に確認したとのこと。

痛みが増すようであればこれからは痛み止めの処方も検討するとのことでした。


また、急変する可能性も多いに考えられて、食道静脈瘤の破裂による吐血、肝臓癌の破裂など。

入院する事は簡単だけど、本人が嫌がっているのであれば今は可能な限り外来通院で様子を見た方がいい。
もし腹水があるお腹に痛みが出てくると、今度は最後の治療、腹水を抜く処置になる。

もうそれは消化器内科ではなく、緩和ケアチームによる処置になる事。
そして、急変した場合救急車で搬送される事になると思うけど
その時、医師としてはこれだけ辛いしんどい思いをしてきているのに、これ以上苦しめる事はしたくないと。
もしもうどうしようも無い状態であれば救命はしない。
でも、少しでも助かる可能性がある場合は救命する。と言う認識だけどどう?と聞かれました。

母にも妹にも聞かないままではありましたが、私も医師と同一の認識である事を伝えました。

私としては、その時がいつになるのか、あとどれくらい時間があるのか知りたかったので聞きました。
余命とははっきり決めれるものでも無いしわかるものでも無い事は分かってますが、聞きたかった。


あと3ヶ月くらい。。。

なんとなく、あぁーそうか。納得できる数字でした。

夏越せるかな?と思っていたので、その通りだと医師には言われました。


母や妹に話はどうする?と聞かれましたが、私から伝える事を話しました。

ひとりで抱えてはダメ。必ず話をしないといけないと言われました。

ここまでは泣かずに、話を聞いてました。
いつもの診察の時のようにメモも取っていましたがいつもみたいにうまくかけてなかったことも事実ではあります。


でも、そこから

ごめんな。色んな治療ためして見たんやけど。

家族に愛されてるなと。

ここからもう涙が止まらず。
今も書こうとしても涙が出てきてちゃんと書けないです。


話を終えて会計ファイルをクラークさんが持ってきてくれるのですが、そこでも
かけてもらった言葉に涙が止まらなかったです。

涙顔で父には会えないので、処置室に終わる時間をクラークさんが聞いてくれました。
終わるまでの1時間なんとか気持ちを切り替えて、点滴の終わった父を迎えに行きました。

父には、介護保険の申請をしたこと。週一で点滴をする事になったと伝えました。
細かい話はしてません。


母と妹にはLINEで伝えました。
直接話すと泣くので上手く伝えられないからです。

母と話した時に、父も薄々勘づいているとの事でした。


その日がもっと先であればいいのですが、その日までやれる事、本人がしたい事をサポートしたいと思います。



なんだかバタバタ。

早いうちに記録しておこうと思っていましたが、なかなか書くタイミングがありませんでした。



書くことを躊躇うこともあったのは事実です。



まず、血液検査の結果腫瘍マーカーは急上昇。

体重も増加。そして食欲もなくなってきていて、動くことも辛くなって横になることが増えてきました。


そう言った話をすると、医師は痛みの有無を確認。


膝と脚の付け根に痛みはあるようですが、ロキソニンテープで耐えられる位。

先日、立ち上がる時に踏ん張れずによろけて転倒しておでこを打って怪我してました。


そう言った話から、介護保険の申請をした方がいいと言われました。


介護保険??

これが介護なの??と不思議でなりませんでした。


体重が減らない、腹水が減らない事には治療はできない、だから腫瘍マーカーも上昇していると医師に言われた父。


腹水治療の為にと、この日はアルブミンの点滴をする事になりましま。

服薬で効果がないようであれば次は点滴。そう言われていたので次の治療、緩和療法なのだと思います。


点滴に2時間くらいかかるので、その間に私に介護保険の話を聞いてきて欲しいと言われました。

ソーシャルワーカーさんと面談して、申請してもデメリットはないし、認定手続きなんやらで1ヶ月くらいかかるとの事なのでその場で書類を記載し、出してもらう事にしました。

ただ出すにしても医師の意見書があるとのことで、ソーシャルワーカーさんと面談後に改めて医師に呼ばれました。



長くなるので次の記事に書きます。