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ねおママの毎日奮闘記!

毎日笑って泣いて怒って笑って。
ねおママの毎日奮闘記!
日々の成長と独り言をつづります。

主治医と面談した際に、

 

「緩和ケア病棟へ行くには、やはり本人の意思がないといけない。

 ただ、今日意思確認はできた。あとは緩和の医師とも話をしてその時にお父さんが緩和の医師の前でもOKを出さないといけない」

 

と、緩和ケア病棟へ行くまでも流れを説明してくれました。

また、父の意思確認ができてからまた緩和医師との面談があるから連絡を待つように言われていました。

 

ただ、面談から1日待っても2日待っても連絡は来ず。

その間に病棟へも行っていますがそんな話も出てきません。

 

どうなっているのかな?と心配していたところ病院から電話が。

 

出ると、父が入院する病棟の看護師さんからです。

 

「病棟の看護師の○○です」

 

もうこれを聞いただけでめっちゃ構えました。

 

なんかあったの?どうした??

 

もう心臓バクバクしながら話を聞きます。

 

「緩和ケア病棟のことですが、無料個室希望ですか?有料個室希望ですか?今無料個室が満床で。。。」

 

その話主治医としたわ!!!!

ホットしながら。

 

「主治医の先生と話をした際に、無料個室は満床であることは聞いています。本当は無料個室希望しますが、あくまでは有料でとお願いしてます」

 

と伝えました。

 

「そうだったんですね~。すみません、ちゃんと話できてなくて。では、緩和ケア病棟のほうと調整します。また連絡させてもらいます」

 

と話は終わりました。

 

私が病院と話をしているのを知った母も同じく何かあったのか?と心配したそうです。

そりゃそういう時期なんだから!心臓に悪いわ!!

 

主治医からも以前は無料個室が5部屋ほどあったんだけど~と聞いていました。

それを聞いて母と「お父さんがぐずぐずしょーもないことで嫌々いうからいらんお金かかるやん。人一倍お金かかるからとか言うてるくせに自分がお金かけてるやん!」と突っ込んでいました。

 

でも、背に腹は代えられません。

無料個室が開くのを待っている間に昏睡状態になって会話ができない状態で会っても、きっとあの時なんで有料でも個室で面会できるようにしなかったんだと後悔すると思います。

 

ていうか、コロナのせいでこんなことでイライラしなあかんしいらんお金も払わなあかんねん!

ほんまコロナなんかどっかいけ!!

 

と思う今日この頃です。

 

そんなこんなで、看護師さんと電話で話をした翌日また病院から連絡があり

 

「急ですが、今日の10時に有料個室ですが調整がついたので緩和ケア病棟に移ることになりました。今日来られるときは緩和ケア病棟のほうに来てください」

 

と言われました。

 

あぁ~今日からお金かかるわ~と言いながらも、やっと普通にあって話ができる。看護師さんを通じてしか話ができないなんてこともないと

思うと心置きなく病院に行けます。

一時退院から急激に悪化していった父の体調。

 

私も母も退院させたことが原因なのか?と心配していました。

妹も家に来るたびに悪くなっている父の体調を気にしていました。

 

そのことを主治医に伝えると

 

「退院してもしなくても起こっていたことに変わりはない。

 一時退院についてはほんとにギリギリ、今しかないというタイミングでOKを出した。

 だから、退院していなくても同じ経過をたどっていた」

 

と説明を受けました。

それであれば、しんどかったと思うけどにぎやかな家で過ごせた2日間、お風呂に入れてあげることもできたし

食卓を一緒に囲むこともできたのはよかったのかな?と思います。

ほんとはもっと家にいたかったのかもしれないけど。

 

一時退院前からも父からラインはちょくちょく届いていました。

でも、理解することが難しい状態。

そして、再入院後も届きますが全く意味が分からない文字が届きます。

 

何とか母と二人して難解な内容を解読して予測を立てて飲み物だったり、おにぎりを届けていました。

 

ただ、昨日になって珍しく父から電話がありました。

 

「今どこや?」

 

一時退院時はほんと通訳しないと会話ができないくらいだったのにしっかり話ができていました。

 

「今病院ついた。車止めたら病棟いくわ!」

 

すぐに病棟に向かいます。先に行っていた母に父からの電話の内容を伝えました。

そして、病棟で父がほしいものを聞いてもらって調達しました。

 

帰るときにも電話すると

「気を付けて帰りや」

 

とはっきり答えたんです。

 

家に帰ってからも母にラインで

「帰ったら温泉いこうな」

 

とはっきりと記載されて届いていました。

 

昨日はどこもの通信障害でなかなか電話がつながらなかったのですが、

そのあとも父から電話で

「電話つながらへんねん」と連絡がありました。

 

lineの内容もあったので

「温泉行こうな。また探しとくしな。ちゃんと元気にならな温泉は入れへんやん」

と私が話をしていると横からねおが

「じじ。ねお、4人でホテル行きたいねん。待ってるからな」と。

 

「わかった。じじも早く家帰りたいわ」

 

声の出にくさはあるにせよ、今までまともに会話が成立していなかったのに

普通に話もできていて、会話が成立している。

 

いつものように「家に帰りたい」ということも話ができていました。

急にこんなに良くなる?

 

 

母も、急にこんな話ができているので「これは注意しないといけない」と構えたそうです。

わたしも「中治り」の現象については知っていました。

 

亡くなる数日前に今まで食べたり、話したりできなかったが急にできるようになる。

元気になったんじゃないのか?という状態になることをいうそうです。

 

 

2~3日前までまともにごはんも食べない、飲み物も積極的に取りたがらなかったのに

おにぎり食べたい。ジュースが飲みたい。と言い出したことはいいことなんだけど、よくないことなんですよね。

 

心の準備をしっかりしないといけないんだな。

肝性脳症の診断から一夜明けて、再び朝から病院へ行きました。

 

救急で連れて行った際に処方されていた薬(医療用麻薬)を持っていくのを忘れてしまい、

持っていく必要があったからです。

 

無事渡すことができたのですが、やはり昨日の状態からも自分でトイレに行くというのは危険がある為

おむつを使用することになったと看護師さんより説明がありました。

 

おむつについてはケアマネさんからも、訪看さんからも何度も説明してもらっていましたが、

父は使用することをかたくなに拒否していました。

 

それでも、おむつを付けることになったということはよっぽどしんどいのだなぁと。

 

おむつを購入するために一度病院を出ることにしました。(病院のおむつ代は結構いいお値段するので)

その際に看護師さんから今回の病状について説明があったのか聞かれました。

 

当直の先生からの説明はあったが、主治医からはないことを伝えました。

また、今回病状から個室に入っていることを聞いていたので緩和ケア病棟へ移りたい旨も併せて伝えました。

私たちが戻るまでに確認しておくということで、病院を後にしました。

 

おむつとパットを購入して再び戻った私と母。

 

そこで、主治医と話ができることになりました。

 

面談室で待つように言われますが、なかなか主治医は来ません。

しばらく待っていると主治医登場。

 

物腰柔らかく話をしてくれる先生。

先生からは、肝性脳症が起きていること。そして今は昏睡状態ではないものの低迷状態であると聞かされました。

本人とも話をして、肝性脳症の積極的治療は行わない。行うことでよりしんどい思いをすることになるから。

それよりも自然に、自発昏睡の状態で眠るようにというのが一番良い。

そして、余命としては今月いっぱいもつかどうか。

ただ、現状終末期の状態であるからいつ何が起こってもいい状態であること。

 

という説明を受けました。

 

また、緩和ケア病棟へ行くことについて、一時退院前は渋っていた父もようやくOKを出したそうです。

なかなか来られなかった主治医は父を説得してくれていたそうです。それで時間がかかっていたみたいです。

 

もちろん、今後は緩和の専門医での対応になるが痛みなどについては飲み薬ではなく注射で対応を行うということでした。

 

隣にいる母は涙ぐみながら話を聞いていました。

かたや私は、やっとOKを出したという話を聞いて安堵して、多少談笑みたいな感じで先生と話をしていました。

 

これでいいのか?この対応間違ってない?とも思うことはあります。

でも、いくら一般病棟で個室に入っていても会えないし話もできない、顔も見れない。着替えさせてあげることもできない。

できないだらけです。

 

悔いがないようにはできないかもしれないけど少しでもという気持ちもあります。

 

 

でも、一番に思ったのは2日間家に帰ってきてからの様子を見ているともうその時がすぐ近くにあるのかな?

何とも言えない気持ちになっていたことは事実です。

分かっていたというかなんとなく感じていたということでしょうか。

うまく表現できませんが。。。