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ねおママの毎日奮闘記!

毎日笑って泣いて怒って笑って。
ねおママの毎日奮闘記!
日々の成長と独り言をつづります。

救急外来についてから、問診を書き待ちます。

ただ、私たちが病院に着いた時には一組待たれているだけでした。

 

しばらくして、診察室へ呼ばれました。

 

 

対応してくれたのが研修医の先生でした。

 

夜間の救急なら仕方ないと思うものの、電子カルテに書いてある聞かなきゃいけないことを順番に一生懸命に聞いている感じでした。

父がうつらうつらしている状態もあまり見ようとせず。

 

ただ、前情報があるはず(カルテに書いてあるはず)なのである程度の状態は理解されているはずでした。

 

そのため、父に

 

「手を前に出して手のひらを私のほうに向けるような形でかざしてください」

 

と言われました。

 

私もその時点ですぐ気が付きました。はばたき振戦の有無の確認です。

この確認は「肝性脳症の有無」を確認するための一つの検査です。

 

父も何とか手を前に出して手のひらを医師に向けるようにしました。

 

すると、ふるふる手が震えます。

 

それを見た医師はすぐに隣の部屋にいた先輩医師に父の様子を見せました。

先輩医師はすぐ「はばたき振戦がみられるね」と言われました。

 

この時点で私も「肝性脳症になっていたんだ」ということを理解しました。

 

そのためすぐに血液検査とアミノレバンの点滴を開始することになりました。

もともと明日から予定入院だったのでこの日もこのまま入院することになりました。

 

父が点滴などを受けている間に、血液検査の結果も出て私たちが呼ばれました。

説明してくださったのは消化器内科の当直の先生でした。

 

そこでは肝機能は悪化しているが、今回やはりアンモニアの数値が急激に悪くなっている。

今までは75くらいだったのが今回181まで上がっている。

これは肝性脳症の状態である。

今の状態としては緩和治療、対処療法しかないので今日はアミノレバンの点滴を行って様子を見ます。

 

と言われました。

 

私たちも緩和治療については承知しているが、早い段階で緩和ケアに行ってほしいと思っていることを伝えました。

退院前に父が了承していなかったのでそれについては主治医が話をすると思うと言われました。

 

母と二人で家に帰ってきてから急に悪くなった。家に帰ってきたことが悪かったのか?

と不安でいっぱいでした。

妹も約3日間毎日顔を合わせて言いましたが、日に日に悪くなっていると言っていました。

 

ただ、下手に翌日まで待ってそれこそ救急車じゃないと病院に行けないではどうしようもなかったし

早い段階で点滴で少しでも辛いのを緩和してあげられたのであれば救急外来に連れて行ったことは間違いなかったのかな?と思うようにしています。

 

もし翌日まで待って意識なくなってとかだったら家族としても何であの時~と後悔しか残らなかったと思うので。

もちろん父は最後まで家にいたかったのかもしれません。(車いすに座りたくない!という抵抗もあったし)

 

やれることをやるしかないんですよね。


トイレ騒動からは変化はなくベットで横になる父。

 

この日は妹の仕事の都合でちびたちを夕食まで預かることになっていました。

もちろん夕食も一緒に食べます。

 

前日も妹家族が来ていたので、今日は父の好きなカレーにしようと決めていました。

 

お昼はとろろそばが食べたいと言っていたので用意しましたが、2口くらい食べられたのかな?

ただ、お箸を持つ手が震えてなかなかつかめずにいました。

薬を飲んだ後、ベット行くか?と声をかけてもリビングにいると言いますが

テーブルに手をつき下を向いて動かず。また震えだしました。

これはいかんとすぐにベットへ行きました。

 

そのあとはトイレ騒動がありましたが、夕食まで何事もありませんでした。

 

夕食前にちびたちをお風呂に入れ、父もお風呂入る?と聞くと入ると言います。

ただ動けない。

私としても明日からまた入院でお風呂に入ることもできないだろうから入れてあげるつもりでいました。

でも無理強いはできないので体ふくだけにする?というも入るというので

何とか時間をかけながらもお風呂に入れてあげることができました。

 

それから夕食です。

前回入院した時もカレーをスープジャーに入れて持っていきましたが完食していました。

今回も食べられるかな?と思っていましたが、スプーンに手が伸びることなくまたテーブルに手をうき顔を下に向けて動きません。

そして震えだしました。

 

すぐにベットへ連れて行きましたが、私としてもこのまま朝が迎えられるのか?と心配でありませんでした。

何度か病院行くか?と声をかけるも首を横に振る父。

わたし、母、妹も何度も声をかけるも首をたてに振りません。

 

そうこうしているとベットで横になっていても震えがみられたため、病院へ連れていくことにしました。

これで本当にいいのか?と判断に迷っていたので訪看さんに電話して後押ししてもらいました。

その後すぐに病院へ連絡して連れていくことにしました。

 

ちょうどこの日は妹の旦那も来てくれていたので、家のことを分担してやり汗だくになりながら車に乗せました。

救急車のほうがいいのでは?とも思いましたが、はっきりとした危険な状態という感じが見受けられなかったので

父の意向もあってくるまで連れていくことにしました。

それがもう20時30頃でした。

そのため、ねおは妹宅で預かってもらい、私と母で病院へ向かいました。

 

病院についたのが21時ごろ。

車から車いすへ移そうとしますが、ここで小さな抵抗が。

なんとか車からドアにつかまっておりましたが、車いすに座ろうとしません。必死でドアにしがみついているんです。

私も母も、早く座り!!!と言いますが、なかなか手を放さず。

ほんとしょーもない押し問答を2~3分つづけ、最後はむりくりドアから手を放し座らせました。

ほんとこんなとこで抵抗しないでほしいわ。

 

そこからまた長い時間がかかることになりました。

 

 

朝訪看さんに来てもらってから、大きな変化はありませんでした。

 

ただ、15時ごろにトイレに行ってなかなか出てこない。

排便がないので出すためにトイレにこもることは以前からありました。

 

でも、以前と違って状態は悪く正直一人での歩行もままならない状態。

私と母で何度かトイレに声をかけに行きますが「出ない」だけで、トイレから出てこようとしません。

見かねて、私と母でトイレに行き

 

「今トイレいても出ないから水のみにいこ!そしたら出るかもしれないし。とりあえずトイレからでよう」

 

そういうも、本人はまだいるという感じでした。

トイレに入ってからすでに30分は経過しており、このままトイレで倒れられても起こせないので

 

「トイレで倒れたら起こしてあげられへんからでよ」

 

と言って半ば強制的に連れ出しました。

 

本人は自分で立つ気持ちはありますが、立てず。

見ていると体がまた震え始めて、今までましだった足までむくみだしていました。

 

これはダメだとすぐに立たせてズボンをはかし、ベットまで何とか連れ出しました。

 

トイレをみてももちろん排便はなく、色の濃い今日が出ているようでした。

 

ベットに戻ると少し落ち着いたのか震えも止まっていました。

そこで梨とオロナミンCを口にすることはできました。

 

そのあとはすぐに横になっていました。

 

利尿剤を飲んでいるにもかかわらずこの日は1~2回しかトイレに行っていません。

もちろん飲水もほとんどないので体が脱水傾向になっているんでしょうね。

 

トイレ一つにしても難しくなってきました。

母ともおむつの準備が必要かもねという話が出ていました。