宿屋のおやじ日記 -95ページ目

193. 今年最後の じゃらんじゃらん

今年最後の おとづれ夜市 じゃらんじゃらん が昨夜 無事終了しました。

四年ほど前でしょうか、現在の河川公園に場所を移してスタート。最初から雨

のスタートでした。この時点では 僕を含め 「 自称 晴れオトコ 」が数人いて

それぞれが 「 委員長 大丈夫、来月は晴れるから・・・ 」等と 随分なぐさめ

てもらったのだけれど 一昨年は 三勝五負 昨年は 二勝六敗 と惨憺たる

結果にて 一昨年半ばから 自称 晴れオトコはユモトオンセンから消滅した。

僕の個人的な行事では ほぼ望み通りにて まだまだ自信があるのだけれど

・・・・・・。

今年春の湯本温泉旅館協同組合の月例会にて この一年の行事予定の説明

の中で この件についてのお詫びを言い 皆様の反応を待った。

すぐに白木屋グランドホテルの白木社長が反応してくださって 「 いや それは

違うんじゃないのか?? だって 僕や 大谷君が理事長でやってた時には 

ずっと 晴れていたわけだから 実行委員長の責任というよりか やっぱり 

理事長が原因だと思うのが自然では・・・・・。」とフォローをして頂いた。これには

当の理事長ご本人 以外の皆さんが笑ってくださり 新たな目線の存在にホッと

した僕でした。

ついでにご案内しますと 先月まで雨天の場合には 一週間だけ延期開催して

いたのだけれど これも思った以上に精神的負担となり 今は その対応は

なくなって 雨天中止になっています。


同時開催の アコースティックライブも この最近は 若い出演者が増えてきて

そちらの責任者である ( 同級生からは 「 リンダ 」と呼ばれる ) ロペの

マスターも余裕を持って 登場の順番を考えたりしている様です。

昨夜の オオトリは 青二才。 ラストソングを地元出身で福岡のライブハウスで

活躍中の 素敵な女の子とデュエットで 愛燦燦 を歌ってもらいました。

途中から リンダが いや マスターのアイディアで 「 出演者 全員を

ステージに上げよう 」って事になり 調子に乗った僕までが皆さんと登場。

肩を組んで歌ってしまったのは よけい だったやも知れませぬ。


では また 来年四月の第一日曜日、六日にお会いしましょう。  ではでは。


192. 最近のブログの取り掛かり と 大学の頃

一昨日の事、ある男の携帯ナンバーが知りたくて これまた ある後輩に連絡

してみた。通常の挨拶後 すぐに「 この最近 ブログに力が入ってないんじゃ

ないですか? 」とありがたい催促。気持ちがのっていれば あらよ・・・、ですぐ

に取り掛かるのだけれど どうしよう 何書こうで もう二日が経過してしまった。

考えてみれば 毎週 雑誌の一ページのコラムでも担当されてる方ってのは

大したものですね。ましてや 新聞の毎日の四コマ漫画の仕事なんて 今の

自分にはとてもとても信じられない。頭にネタが次々に浮かんで来る時期には

書き始めるのがルンルン・・で過ごせるのに ここしばらくはウーン ウーンの

つらい日々。


そんな中で おととい、商工会議所の臨時総会があって新年度の会頭を始め

各役職者がきまりました。その後の懇親会で 同級生二人と合い世間話。

一人が随分前の同窓会で 「 お前だけ盛り上がっているけれど 考えても

みろよ。相手は40才過ぎのばあさんだぜ。自分の事は棚に上げての話だ

けれど・・・。 」と言ったことは書きましたが もう一人の男から「 まぁまぁ

アンマリ そういうな。それが全部 本心って訳じゃないからよ・・・。」と柔らかな

忠告を頂いた。まぁ 僕も 真剣に悩んでいたわけでもなく 周りの笑いを

とる為の一つのネタだったから 了解 リョウカイ と了承した。面白いもので

忠告してくれた男は 高校の同級生で大学は僕が二級上。アーチェリー部に

所属していて在学中のピロティでは 時々妙な会話があった。アーチェリーの

主将は中川君といって 僕にとっては仲のよい同級生。つまり僕にとっては

どちらも対等の立場。一方の高校の同級生 青村君にとっては僕とは対等

だけれど主将にとっては 二つも学年が下の下級生。一応体育会系クラブ

のキャプテン。 当然 A村君にとっては 一番に気をつけるべき人物。

外からは 比較的に 自由な校風にみられていた大学ではあったが それは

それ。言葉遣いには当然けじめが必要だし それなりに厳しい仕置きも

あったりした。僕の所属していたホッケー部には ありがたいことに それは

なかったが・・・。

で このA村が マイペース男で あまり細かいことに気を使わないタイプで

あったために 僕としばらく話しているうちに 自分の立場が 分からなくなる

ようで 主将に向かって 「 ・・だよなー 」等と同意を求めたりする。

自分といくら同い年でも 下級生から それも 二学年も下のオトコから 

「 なー 」といわれて 「 ハイ 」と応じる訳もない。「 オイ ナンだと。 」と

しばし教育タイム。 主将が席をはずした後で「 お前も要領の悪い奴じゃ

なぁ 」と笑いあった事も一度や二度ではない。

そんなこんなで お互いがもうじき52歳。本当に光陰矢の如し、である。


191.僕らにとって「 同窓会 」って?

数日前の 高校の同級生が集まっての 山口日仏協会 に対する会合、と言う

名の以前の飲み会風 情報交換会、書いてる本人がよく分からない・・・・、で、

つまり 酒の飲めなくなった男達の 同窓会をネタにした 思い出バカ話会。

やっぱり同級の青村君が出店した「 仙里 センリ 」で集まりました。

アレコレと思い出が続く中で つい思い出したのが 40歳過ぎた頃、まだまだ

年二回のペースで続けていた頃に I 浦君から言われた一言。「 なぁ 水津。

お前は楽しそうに過ごしているけれど、考えてもみろよ。こちらも同い年だから

強くも言えないが 相手は 四十過ぎの バアさんだぜ 」 これには あはは。

「 それを言っちゃあ、身もフタもない。でも 気持ちだけは 15 6才に帰らない

ンかぁ????」 「 フーン、そうかなぁ 」


この話をしたら この時の席の僕以外の三人が「 まったく、その通り。お前だけ 

いつも 盛り上がってるもんなぁ・・・。 」 とあっさり裏切られた。ただ これが

額面通りの意味ではなくて 中年オトコの 微妙な 照れ隠しって知っています

から・・・・。なぁ 神西 加藤 和田・・・。 楽しく飲もうぜ、いや 飲んだふりして 

騒ごうぜ。なっ  なっ。


僕達の学年には 同級生同士の 結婚カップルが 八組ある。このグループは

特に オトコが やはり イマイチ通常の飲み会より 盛り上がれないみたい

です。前々回も 二次会のロペで 二人の男が隣同士 まっすぐ前を向いた

ままボソボソ 話をしていた。「 おーい 今回 お互いの嫁さんは いないん

だからだれか踊りくらい誘えよ。」 って。 どうせ踊りったって チークしか

出来ないし その時には髄゙分と多くの 女子 がいたのだから 楽しませようと 

突っかけたが それがなぁ と一蹴された。  何か彼らを盛り上がらせられる

企画をご存知の方があけば御一報下さい。もしかすると 一泊ペアでご招待 

なんてのが送付されるかも。


随分前に 女房殿が母校の同窓会に行った事がある。楽しかっただろうと

聞いてみたら 自己紹介で 自分は 丸々会社の何々というポジションで

お客様には これこれこういう方があってと 出席者全員が話し始めて 

延々90分くらい続いたらしい。もうしばらくは辞退したい、とのご感想。

ビックリした。もし  もし 僕らの同窓会で そんな事をしゃべりだす奴が

いたら 直ちに やめろ やめろ の大ブーイングだろうな、と 校風の違い

もあるのだろうけれど あまりのギャップに 僕までなんとなく がっかり。

まぁ この県立普通高校は共学とはいえ男子の校舎と女性のそれとが

別々で 一緒の授業も限られていたというから仕方のない事かと思い 

つい同情までしてしまった。


やっぱり 同級生はいくつになっても同級生だし たとえ おエライさんに

なっていても 「 おいお前 エッらソーに。 ガタガタ言うな。 」 が基本

ですよね。いかがですか ????。


今日は 長門市の ふるさとまつり。11時から13時まで 足湯コーナーの

留守番やってます。


190. 山口日仏協会とのつながり

何回か登場してもらっている 塩瀬のかよちゃんから 加藤君に連絡があって

和田君 神西君 加藤君と僕の四人で集まりました。青村君が新しく出店した

仙里 というところで。塩瀬さんのお嬢チャンが フランスにピアノ留学されて

いてこの冬に おじ様対象のコンサートをしたいという願いからの企画委員会

でした。 

神西が専務をしている 楊貴館 でのパーティも検討したけれど会費

や おじさん ( というか われらは おぢさん ?か・・・ ) が平日 集まるで

あろうか・・・から 結局 ショアーズ を使わせてもらって 12月21日すぎの

開催に決まりました。昼から夕刻の一度か二度か また会費の2000円か

2500円か ドリンクや軽食の検討は 加藤に任せてということで お開き。

それにしても この四人。酒が飲めたのは 加藤ただ一人。神西も剣道の

しすぎかなにかで肩を痛め その痛み止めの薬からドクターストップ。和田も

昨年暮れのドタバタを体験したばかりだし、僕はもうそれこそずっとお茶

オンリー。いやー 時代が変わったなぁ、と言いながら 今浦のおじいちゃん

姿や相変わらぬ礼児夫妻の仲のよさや やっぱり 内田のシーカヤックの活躍 

大井の中央線でのつり革懸垂事件をネタに ワイガヤ の二時間を過ごした

のでした。


現在女性スタッフを募集しています。 人妻 バツいち 有閑マダム 子供の手

が離れお暇な方 どうぞドウゾ  御参加ください。


忘れてました。山口日仏協会 会員募集中です。個人2000円 法人

10000円です。詳細は 長門市立図書館の加藤君まで。


189. 歯科医師とのその後の会話

その日の夜には 先生が特注でオーダーされた ヤシガニ を頂いた。

グァムでは取れなくなって 今日はサイパンから船でもって来ましたと 地元の

猟師さんらしき方が レストランで挨拶されて 歯科医師先生のネットワークの

大きさにビックリした次第。なんとも 大きなプレゼントで皆でわいわい食べ

させてもらった。 やはりいわゆる大味ではあったものの 食べたという事

だけがニューソースにはなった。最後に 「 この油がうまいんだよ 」という

先生の言葉にだまされて 例の渋柿と同じ要領で 皿の底に流れていた油を

大さじ一杯 ガブッ と飲んでたちまちゲホッ 。正に機械油ですぐに

吐き出した。今 思い出しても 吐き気のする味で もう二度と ヤシガニを

食べる事はないであろう、と思われる。


で今回の電話の落ちは これから。 「 おーい 君の携帯の番号、徳山の彼女

から聞いたぞ。誰か分かるか? 」 なぜか すぐに 同級生のK原の直ちゃん

かと思ったが 彼女と小郡の歯科医師とがつながりそうになく 「 どこかの

コンパニオンですか 」と答えたら 「 残念でした。代わるぜ。 おーい

直ちゃん かわって・・・」・・・・・・これにはこちらがドキッ。後で聞きましたら 

徳山に越してらっしゃったそうで 直ちゃんとは六年前から歯の担当医だった

とか。いやはや世の中 狭いものですね・・・・がオチだったのでした。

188. 20数年ぶりに某歯科医師からお電話

「 ヨー ひっさしぶりじゃなー。 小郡のA木です。 」

夜の23時すぎに お元気なお声で携帯から声が入りました。


「 水津君、ココまで来て ゴルフなんてスポーツをするんじゃないぞ 」

TYSテレビの当時の褒賞で グァムにつれて行っていってもらった折 現地の

国際空港で話しかけられた。今から20数年前の思い出。

「 まぁ お礼もあるから 一日は致し方なかろうが・・・。それがすんだら 僕が

忘れられない 素晴らしい世界を体験させてやるから・・・・。」と何とも意味深な

一言が後に続いた。 出発時に 出席者の名簿から 歯医者さんとは分かって

いたが 子供の頃から 誰も一緒だとは思うけれど あのチューンという道具の

音がいやだったから 何となく離れていた。   少しギョッとしたが 何故か

人懐っこい笑顔に つい 「 そうですか よろしくお願い致します 」と頭を

下げた。この辺りは 以前にも書きましてダブリます。

当日のゴルフは「 翌日の 素晴らしい体験・・・」という言葉が 頭をめぐり 

クラブハウスの一部と カッと照りつけた太陽くらいしか記憶がない。  前の

組の誰かが ただバンカーを横切っただけの足跡をみて こんなマナー

知らずにゴルフなんかさせるなと 同じ組の四人が怒ったのもここだったと

記憶している。


で翌日につれて行ってもらったのが スキューバダイビング であった。海パン

だけ持っておいで という指示に従いロビーに集合。 ドクター以外の数人の

方も どこに行くとも言われず ニヤニヤされているだけ。 僕は僕で 朝の

9時に集まれの一声で 僕が考えている世界とは多分違う 別の 素晴らしい

場所なのだろうと半分残念には感じつつ 頭は切り替えてはいたが 想像も

出来なかった。


体験ダイブだから 15メートル以上はもぐれなかったのだが それはそれで

感動した。ただ 海に入るまでに 機材を使った長い説明と 何かのときの

為に文句は言わないという・・・かなりの数のサインには閉口したが・・・。

第一 説明しているインストラクターが ピカピカの英語しかしゃべれず 生徒は

僕だけでサッパリ分からん。 歯科医師はご友人数人と 早くも沖まで泳がれて

いつしか頭も見えなくなった。  おいおい この ヒゲもじゃおやじ と 一日

いっしょかよ・・・・と思いながら 理解もしてないのに「 オーケーオーケー。アイ

ウイル トライ 」の大安売り。レッツ・・・・・ ムービットといわれ ( やっと入れる

) とホッとした時に どこからともなく現れた 金髪の美女がお二人。後で

聞いたら インストラクターの勉強中だったそうだが このお二人の登場で 

こちらはガゼン銭湯 いや戦闘モード。目の前のインストラクターが ニヤリと 

笑ったような気がしたが勘違いだったと信じている。


こちらは初体験ではあるし 当然 過呼吸状態 だからタンクの空気の消費も

多くなるし ホンの十数分だったはずだが ( 慣れてくると40分くらいは可能に

なる ) 言葉通りの素晴らしい経験だった。 後で ドクターから「 君のすぐ

となりでしばらく泳いでいたけれど 気がついた? 」なんて聞かれたけれど 

勿論 知るわけもない。無我夢中の十数分だった。


まだありますが また長くなりそうで ここら辺で失礼。しつれいします。


187. 石見銀山 世界遺産の影響

先月の湯本温泉旅館協同組合の月例会で出たお話。

東京 大阪で 旅行エージェントさんにツアーの企画のお願いに行ったら

石見銀山をからめて何らかのコースを提案して下さい、と言われた、との事。

そのくらい銀山の世界遺産登録のインパクトがありますね。


随分以前には この湯本温泉にも 「 ひかりは西へ 」で新幹線が博多まで

開通したときや 中国自動車道が大阪から開通したときにブームがありまして

近隣の温泉地の方々にうらやましく思って頂いた事もありました。


勿論 ただうらやましがってばかりではありません。 御旅行人口そのものが

増えつつあるという報告もありましたし 旅行行程の範囲が まだまだ遠距離

ばかりになっていなる訳ではありませんので あわてず ジックリと 我社のみ

ならず 湯本温泉独特の温かさをアピールして多くの方に御支持頂けるように

努めようと話し合っています。


来年には 全国のJR6社全社をあげて 六月から九月にかけて山口県に来て

もらおうという ディスティネーション キャンペーンがスタートいたします。県内

各地でいろいろな企画が練られています。

湯本でも 今 青年部が取り組んでアレコレ開催されているイベントをある

特定の一週間なり 数日に凝縮して 納涼盆踊りでフィナーレなんてどうだろう

というプランも進行中です。どうぞどうぞお楽しみに。

当然のこと、キャンペーン以外の時期でも  じゅらんじゃらん という夜市や

若旦那ホット屋台 川辺の音楽祭 なんかは 継続開催の予定ですので 

気楽に気ままにおいで下さい。お待ちしております。


昨日の少々強い雨の影響からかホテルの前の おとづれ川がにごって流れて

います。この流れの中にも 来年の登場を期して 多くの ホタルのヤゴたちが

いるのだろうと思うと 黙っておられずに 「 頑張れよ。来年まで待ってるぞ。

元気でな。 」と声をかけて出社いたしました。

186. 朝のフルーツ と 「 佐賀のがばいばあちゃん 」 

昨年の梅雨前の退院で自宅に帰ってから 朝には必ずバナナが出てくる。

栄養士であった妻が 血圧にいいからと 大抵 ヨーグルトをかけた状態で

出てくる。僕にはもう 学力のため・・・・という大義名分はないのだが 丁度

次女が高校3年で 何かのテレビに脳の活性化に有効という報告があった

らしくその習慣が続いている。バナナ以外に最近までは 好きな なし が続き

この数日前から 御近所の方から頂いた あわせ柿にチェンジした。


小学校の頃から友達の言う事をすぐ信じる性質で 「 あの木の柿は美味い 」

に 少しかじって確認すれば すぐにわかるものを いきなり大口開けてかぶり

ついて ひどい目にあった事が何度もある。あちこちの渋柿の木の地図が

書けるくらい。

なし を食べるときには 何故か運動会のシーンや忙しい合間を縫って来て

くれた母や たまにしか来れなかった父の顔が弁当箱と合わせて目に浮かぶ。

柿を食す時には あのいたずら小僧たちの顔を思い出す。

佐賀のがばいばあちゃん を読んだ後からは その弁当箱を思い出すと同時に

作者の運動会での担任の先生とのやりとりが頭に浮かんで忘れられそうに

ならなくなった。


いずれにしても秋の味覚に感謝 感謝の毎朝である。


185. 山口市 赤れんが での作品展

数年前に 高校のPTAのお手伝いをしていた時分に知り合った岩国市の

お母様とそのご友人から山口市の「 クリエイティブ・スペース 赤れんが 」

で作品展を開催する旨の連絡を頂いていたので 最終日の昨日 チョイと

鑑賞に寄せていただきました。

子供の頃から 絵とか工作という分野が どうも苦手で 音楽も 国立音大

中退の父を持つ子とは思えない音感の持ち主で こういう芸術関連に携わって

いらっしゃる皆様が すぐに尊敬の対象になる。


「 山口アート ド・レーブ協会 作品展  -ヨーロッパへの誘い・いざない-」

と題した展覧会は 思っていたよりかなり大勢の方々で やはり女性が主たる

鑑賞者でしたが 賑わっておりました。

コーヒーを飲む間もなく 挨拶だけで失礼しましたが 我が長門市からお見えに

なった方からは 金子みすず さんのふるさとに来て頂いて 感じたままを

作品にして頂ければ というお誘いを頂いたとの事でした。

正木さんという彼女は フォークアートペインティングという分野の作品を

出されていました。


苦心惨憺 山に上って その景色に感動した時に この思いを 何かの映像か

活字に込められたらなぁ・・・という体験は随分あるので ただひたすら 

すごいなぁ  うらやましいなぁ  で会場を後にした 宿屋のおやじ でした。


184. 腹囲85センチの疑問

いつも朝の新聞は 日経と読売の一面をざっと見て 日経を裏返して「 私の

履歴書 」から 次にその下段の 今は「 望郷の道 」を読んでいる。何年か

前の「 失楽園 」の時には これは本当に日本経済新聞に書かれているの

だろうかと何度か またまた裏返して 第一ページを眺めた事がある。 

つい先日ある本で かなり前のこととして 飢える魂 という小説で 令子という

夫人が 立花という青年に誘惑されていくストーリーもあったらしいから伝統的

にこういうものを扱われているのかもしれない。


で、今日は読売新聞の 「 メタボ の腹囲85センチ を見直し 」という大きな

字がみえて そちらをジックリと読ませて頂いた。やっぱりそうですよね。体重が

92キロから72キロになったのに 腹囲だけは100から90センチに変化した

だけで 非常に恨めしく感じていたからだ。 米国の102センチまでは望まない

ものの 欧州の94か 南アジア諸国の90センチくらいにしてほしいと願った 

宿屋のおやじ でした。