203. 大津の25期生へ 兼谷が泊まりに来たよ
「 予約台帳 」というものがあって 御予約をお受けしたお客様の お名前
お電話番号から 御到着時間 その他 宴会の打ち合わせなどが記入
されている大切な資料である。 そこに 昨日 兼谷君と同姓同名の名が
数週間前から記入されていた。 このお仕事では 知人と同じ名に出会うことは
結構あって 最近ではあわてなくなったが 早トチリもよくやった。
「 エッ あの子が来てくれるんだ。こりゃチョイと学生時代と違う僕を見て
もらおう。」 と 長女が修学旅行のハワイのお土産にくれた素敵なネクタイを
して ロビーで心待ちにしていたら 二回りも年上の妙齢のおばチャマが登場
されて 思わずのけぞったことも 一度や二度じゃない。
そんなこともあったから 強いて何考えるでもなく ( フーン そういえば
カネヤンなにしてんのかなぁ。なかなか同窓会にも来てくれないしなぁ )と最初
に台帳で見た時に思ったまま 忘れていた。 昨日も朝見た フロント台帳で
( あぁ この方が来られる日なんだなぁ・・・ )とチラと思ったまますぐに
やっぱり忘れていた。
夕方 用があって帰社後ロビーに行ったら 抹茶をお飲みになったお二人の
お客様を係がご案内するところだった。「 いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ 」
と頭を下げたら 小さく 「 オゥ 」という声がして なにか覗き込まれている様な
気がする。クラスメイトでもあった彼は 学生時代には 走り高跳びで国体に
行ったくらいで 190センチほどの上背もあり 「 なんだろう。この圧迫感の
ある目線は 」とヒョイと見上げたら ヤッパリ精悍な顔をした おじさんの顔が
あった。 「 おう お前本人じゃったんか。久しぶりじゃのう。元気かいや 」と
そこはもう高校生のまま。
聞けば 今日はお父上とご一緒で なかなか親孝行できないから・・・・と教えて
くれた。十年前に父がいなくなった僕は こんなことを出来る同級生を
うらやましく思うと同時に さだまさし さんが 友人の話としてコンサートで
話された「 親孝行は親が 『 元気な 』 うちにしないと意味が無い・・・・」
という格言を思い出したのでした。
ちょうど 18時半から 23日に ショアーズで開催される 塩瀬佳代子チャンの
お嬢ちゃん 木綿佳さんのピアノコンサートの打ち合わせを 加藤 和田
それと神西とでやる予定だったから なんだったら 一杯やるべ とも考えたが
思えば迎え撃つこちらが ウーロン茶ばかりでは申し訳ないし 折角の 父子
水入らずの大切なシーンを壊してはいけないだろうと 賢明な選択をしたの
でした。
「 山口 日仏協会 」設立の記念にもなる このコンサート チケットを上記4人
( 僕も含めて )が扱っています。どうぞ 開催後の 同窓会にも合わせて
参加待っています。キレイな夕日を眺めつつ 思いっきり 高校時代に戻ろうや。
あの頃言えなかったセリフも たぶん言えるはず・・・・・・・・・・。
202. お飲み物お持込 の 今昔
昨日 スタッフのひとりが 近所の方と忘年会をやってくれた。御挨拶だけ
済ませて 出かけたので 後の雰囲気は何も知らず 今朝 計算書を何気なく
見てみたら 何も飲み物が出ていない。本人もいたはずだから まさか 何も
飲み物を出さずに終わったわけではないはずなのに何かあったのか、と出社
を待って聞いてみた。 何の事はない。持ち込み分を随分飲んで大いに盛り
上がりましたよ。と応えてくれた。それから ふと 「 そういえばこの最近
お飲み物お持込サービス なんて チラシにも書かないし お客様からの要請
も無いねぇ 」としばし世間話。 何時頃からだろう どこの忘新年会のチラシ
からも この案内が消えたのが・・・。
思い出すのが JRさんを まだ 国鉄 と呼んでいた頃 山口県内の瀬戸内側
のある駅の忘年会をお引受けしたした事があった。二日前に飲み物を運ばせ
ますのでよろしく、という連絡があり 勿論オーケー。 指定のお昼過ぎに
近所の酒屋さんがこられて 事務所にて「 置かせてもらっていいですかねぇ、
」 と遠慮されながら聞かれた。「 どうぞ どうぞ そこらへんに積んどいて
下さい 」と言って 何かの用で出かけた。しばらくして 帰社してビックリ。
一升瓶が十本入った木の箱十箱を含めてビール ウイスキーとそれこそ
向うの壁が見えないほど 都合20ケースくらいが積み重ねあげてあった。
確か70から80名様ほどが 2班に分かれられての御予約だったから 多分
合計での量だろう、それにしても少し事務所内の移動が不便だなあと言いつつ
当日を待った。何と一班だけでほぼ無くなってしまった。 未だにお一人がいくら
飲まれられたのか分からない。
こんな特別な事は別にしても お持込が無いのは あまり飲まれなくなったせい
かなぁ・・・・、とそれなりの結論。
確かに飲みすぎは 本人もいやだし おすすめ出来るものでもないが 一年に
一度くらい ハメを外すのも それなりに楽しいものですよ。
ねッ M本 さん、i 藤 さん、O 様、 M 輪 せんせ。
201. 客室のマッチと 出産のたらい回し
環境の事を考えれば いずれ無くなる運命なのかもしれないが 未だに
客室に 灰皿とマッチのセットを置いてある。喫煙率が20数パーセントになった
今 不快に感じられる方も多いと思うのだが それには こんな話を聞いた
ことも原因なんです。
修学旅行を多く集客されるある地域の某ホテルの社長から こんな事を聞き
ました。
ある年の暮れ そういえば オープン以来天井裏の清掃をしていないから
今年は全社員で客室全ての天井をきれいにして忘年会だ、と号令した。
4時間後に全社員が青くなって掃除がすんだ。 何と バケツ一杯3杯分の
煙草が出てきたという。 これでよく事故が起こらなかった・・・・と全社員で
何らかの解決策を考えよう・・・になった。結論として おおっぴらに 灰皿は
出せないから全室 花を入れず水だけ入れた花瓶を置く。 到着後に全体の
打ち合わせが済んだら オトコのリーダーらしき生徒を選んで次のことを
伝達するように頼む。
「 煙草を吸うなとは 言わない。先生にも言わない。吸って良いから 吸殻は
絶対花瓶の中に 必ず入れてくれ。 」 愚図る生徒の時には お小遣いを
にぎらせた事もあったとの事。
僕は煙草を吸わないから どうで゙もいい事だったが やはり気になって早速に
全スタッフで天井裏のチェックをしたが 我社でお受けする修学旅行は小学校
ばかりのせいか エッチな週刊誌が二冊出てきた以外の発見は無かった。
いろいろと自分にとっていやなことを排斥するのは簡単で 灰皿を客室から
取り除くのは簡単だが その結果として思わぬ全然別の新しい問題を引き
起こす原因になるのかもとシミジミと考えさせられた次第。
ついでに言うと 昨夜 ある病院の先生と話をしていて 以前から不思議に
思っていた 出産のお母さんのある事柄を聞いてみた。僕は 前から
出産時に何で救急車を呼ぶのかが よく分からなかったのだが この
ドクターは ある大都市で産婦人科を開業されてる同級生の事を話された。
出産は病気であるというとらえ方と そうではないという それぞれの考え方が
それぞれに存在する。 ただ必ず主治医は持っておくべきです。
そして 医者として言えるのは お一人お一人の体が皆さん違うわけだから
日頃の血圧から脈拍 日常の生活習慣までを理解した上で いい子を誕生
させたい。 突然の事故なんかと違って 予定日が大幅に狂うことは そんなに
あるものではないこと。 ある日 突然に 救急車でやってきて さぁ面倒見て
くれと要請されても責任のある対応は出来るはずが無い。それに うまくいって
当たり前。何かあったらすぐに訴訟問題では 他のキチンと待っていらっしゃる
お母さん方にご迷惑をおかけすることになる。
だから 救急の申し出は一切断っている。って言っていたよ。と言うことだった。
いろいろのマスコミの報道で どうしても たらい回しの 無責任さが印象として
記憶に残る気がするが やはり現場にいる者だけが話せることがいろいろと
あるんだなぁ。とその時に 同じテーブルにいた10数名がうなずいたのでした。
200. 続き
今日の日経新聞の最終ページには 元野村証券会長の思い出話の中に
笹川氏の話が随分出ていました。
僕の記憶違いなどが判明しましたので 訂正いたします。
日本船舶振興会 それと 日本国民音楽振興財団でした。
これまた失礼 昨日の新聞だったようです。
思い出として 御諏訪太鼓 の 小口大八宗匠も ものすごく気さくな方でした。
随分前のコーナーで長野県でPの全国大会の折 そうです 同室の先生を
僕のいびきで不眠にさせてしまった つらい思い出の全国大会。その後
コッソリ御諏訪大社にお参りし 先生の地元に行ったのですが 時間がなくて
諏訪湖だけをみて帰りました。タクシーの乗務員さんに聞いたら 「 えぇお元気
ですよ。随分お年のはずなんだけれどね。 勿論 この周りで 小口先生を
知らない人はいませんよ 」とのことだった。
日経にも 笹川氏が 中国の国賓待遇での釣魚台の迎賓館貴賓室で 朝食
時に 羽織袴でこられた氏が 「 生卵はないか 」と注文されて まぜまぜ御飯
に 「 あぁ うまかった 」と語られた思い出が書かれていたが 正直 そんな
方であったろう気はする。
ちょいと ここまで。
199. 笹川良一氏との思い出
数日前の 日経新聞の最終ページで 笹川氏の名前が ある企業の株買い
占めの仕掛け人として出ていて ふと25年 いや27年前を思い出した次第。
熱川温泉での研修中、 そこでは フロント ルーム係 調理部始め 各課の
スタッフが 「 御伊豆太鼓 」という太鼓ショーを毎晩 20時45分から
ロビーで開催していて好評を博していた。
僕も 内務係の仕事を覚えた頃に 参加要請があって しばらく練習後 その
ショーに加わっていた。 三曲 アンコール用に二曲を準備していたのだが
その全曲を作曲されたのが 御諏訪太鼓の宗匠 小口 大八・おぐち
だいはち・氏であった。太鼓全部を含めて 数百万円かかったという事だけ
聞いていた。小さい子供さんにせがまれて サインを何回かした事も楽しく
思い出される。
その小口先生のご縁で 研修終了後 我社でも 山陰の海を案内して しばらく
後に 曲を作っていただいて 8名程のスタッフで毎夜 御披露していた。
今はスタッフも入れ替わり 記念の大太鼓だけがロビーを飾っている。
日本太鼓連盟という団体を設立されて 先生が理事長に就任された。それから
少し後、昭和55年頃に 先生から連絡があって 笹川氏が会長をされている
日本郷土音楽振興財団( 正式名 不明 )という団体から 「 『全国50地区で
太鼓をしている団体に 大太鼓を贈りたい 』から 推薦状を出すよう 」に
お話があって 長州維新太鼓も推薦の一チームにしておいたから 贈呈式には
必ず出席するよう言われた。
じき 品川駅近くの 日本船舶振興財団 ( 今の 日本財団 )からご案内状が
届いた。勿論 ありがたい事として 出させて頂いたのだが その時の話。
全国から50数名が集まって 会場にいた。確かその頃から部屋は禁煙で
当時 煙草を吸っていた僕は他のヘビースモーカー達と部屋の片隅だったか
廊下だったかで いやー 寒いっすねー どちらから? などと言う世間話を
していた。じきに 「 皆様お席に御移動を 」と側近の方から御指示。
椅子に座って待っていた。眼光炯炯とはこういう目の事かと思わせる方が 凛と
した雰囲気の姿勢で入ってこられた。僕は その頃のイメージでは やはり
株や政治 経済の裏社会の主という いわゆるフィクサー的な人としての
イメージが強かったから 興味深く彼の話を待った。
担当の方から 今回の 贈呈式にいたる流れのお話があって・・・・このときに
司会の方が僕達に 着席するような案内を忘れられたのか 全員が起立した
まま拝聴していた。じきに 笹川氏も立ったままでらっしゃる事に気付いた
スタッフと思しき方が近づいて 後ろにある椅子にお座り下さい という様な
ジェスチャーをされた。説明中だった方も 右斜め後ろの雰囲気にハッとされた
ご様子で 少し言葉が途切れた。
瞬間 「 バカモン。皆さんが立っていらっしゃるのに ワシだけ座れるか 」と
どえらい大声。
これには 立ちながらも休めの姿勢でノンビリ話を伺っていた僕を始め 多分
全員が 気をつけに早替り。このときには 一種のセレモニーでもあり、短い
スピーチだったが 会場を移して レストランでの 全員で会長を囲んだ
ランチタイムで ほぼ全員がある意味のファンになったようだった。
選挙の時の ボートレース場での情報収集専門家から寄せられる
報告から本当のものを選別するテクニック。ほとんど外れたことのない選挙の
結果予想。 個性的な政治家だった方の思い出や現在進行中の政治の少し
見方を変えた読み方と考え方 捕らえ方。そして未だに記憶に残っているのは
「 名簿を拝見したら 会社の役員の方が随分いらっしゃるようだが
いいですか、お客様のトイレは小さいのを作っちゃ駄目ですよ。しゃがみ
こんだら 目の前に壁があるなんて最低だ。人生は食堂とトイレの往復だと
言ってもいいくらいなんだから とにかく大きく 立派に作りなさい。いいですか。」
これには 物好きというか すぐに確認したがる数人がパワーランチ終了後
エレベーターで何階かに分かれて観察後 ロビーに集合した。僕も何階かで
降りて用もないのにシャガミこんだ。いやー 笑ったぜ・・・・の感想が僕を
含めて4人。備品等の細かな記憶はなくしたが たしか両手を広げて手が
左右の壁に届かなかった。あはは、誰もいなかったはずだし、と声が出た。
さっき ワガ宿の4階のトイレに行って 座ったら 正に目と鼻の先が壁である
ことを確認して 笹川会長に 心でお詫びした 宿屋のおやじ でした。
198. 思い出のアンケートから
湯本に帰って 熱川でも集計していたアンケートを作って客室に配置した。
じきの事、九州の方から「 ゆっくりとお風呂に入っていたら 宴会場に遅刻して
しまった。出来たら 脱衣室にでも 時計を設置してくれないか 」 もっともだと
すぐに壁掛け用を準備したら すぐに 東京の方から 「 僕達は毎日5分、
10分に追われて仕事をしています。せっかく 骨休めに田舎の温泉地に来て
いるのだから こういう時くらいは時間を忘れたい。風呂にまで時計は置かない
で欲しい 」と真反対のアンケート。これは 僕だけでどう判断したものか不安で
当時のフロントのスタッフと話しをして 多分 多数派であろう 設置賛成の方の
為にそのまま ただし 少し小さめのものにかえて設置しました。
こちらの考えが はっきりと決まっていないと こんな事が結構あるのかもと
感じた出来事でした。
それから 数年がたって いろんな旅行雑誌に 旅館のはぶらし不用、時には
枕もいらない・・・・なんて記事を見つけるにつけ ドン゙ドン いろんなご希望が
出てくるのだろうなぁ と思った時期もありました。
数年前には お風呂に 冷水用に紙コップを置いていたら 「 この環境問題が
叫ばれている時代に 何て無駄な事をしているのですか。すぐに 紙のコップは
やめるべきです 」とお叱りのお便り。 気にしながら プラスチックにかえたら
「 ヤッパリ 紙の方が 」とアンケート。これについては 紙はやはりやめて
時間を決めて 係が回収 キレイに洗って戻す作業を何回も繰り返している。
この春に ある方から 「 枕元に冷水がなかった。 」 随分前に 殆んど
残ったままになっている体験や 酔われたお客様がひっくり返されて タタミに
大きなシミがついてしまったりしていたから 中止していた事を一部再開して
みた。すぐに 「 今は飲みたい飲料の品が それぞれに違っているから 冷水
だけがあっても残るんじゃないのかしら。欲しければ 連絡すれば いいのです
から 無駄なことはしなくていいと思いますよ 」
中には 「 客室据付の ティッシュペーパーがなくなった。 なんとサービスが
悪い。」などと言うもの。 「 トイレットペーパーがなくなった。」 予備に一つは
置いてあるはずなのですが これは私どもの置き忘れもありますから すぐに
お断りの「 お便り 」を出しました。 ただ こちらの立場からしますと
アンケートに書かれてお帰りにならなくても すぐ その時にお電話一本戴けば
たちまち解決したはずなのにと 残念に思う事も まれにあります。
いろいろなお客様 いろいろなご意見を伺いながら 宿屋の一日が過ぎていきます。
197. 196を書きながら それと 細木のおば様
随分 長い間 ( あの時の 覆面パトカーの乗務員氏は 何であんなに
不機嫌だったのだろう。いくらなんでも いきなりのあの居丈高な言葉使い
はないだろう )と思っていた。昨日 その時の事を活字にしながらふと
思い出したのが捕まるまでの数分間・・・・。一度も 覆面のパトカー という
代物を見た経験がなくて 後ろからパッシングを始めた車が一般車だと
思って つまり 天井の回転灯がバックミラーで識別できなかったために
つい振り切ろうとした事と たまたまその時に車が多くて左車線に入れなくて
どうやら 逃げようとしたと 思われたのかなぁ と やっと やっと 気がついた。
なんとも 鈍い僕の感覚に恥ずかしくなってしまうが それに気がついて
ようやく得心できた。
最近 たまにしか観ないテレビ番組でも チョクチョク 細木カズコというおば様
の番組 をみかける。話してらっしゃることは間違ってはいないと感じるし
特に女性に対する意見には同意出切る事が多々あるから ありがたい
というか今の日本に必要なご意見番、くらいにしか思っていなかった。
その おば様が 安岡正廣氏の奥様だったと聞いて がぜん 興味がわいた。
大東亜戦争 つまり第二次世界大戦の終戦の詔勅の最終の校正者 また
田中角栄 訪中の折、周恩来と対談のときの一字一句を検討 伝授されて
彼をして「 田中は すごいオトコだ。アレだけ歴史 文学 教養ともに優れた
大人物はいない 」と言わしめた張本人でいらっしゃる。
ある人は 日本最後で最高の 陽明学者 大哲人 漢文学者 歴史学者で
あった、とさえ言われる。僕は 活眼活学という本が出会いで すごい人だと
一時期この方の本ばかり読んでいた時期があったから それはそれは
ビックリした。
確か 風水や いわゆる 易 にも おくわしい方であったと記憶している。
僕は 占いや運勢を 信じないわけではないけれど そういう類の読書がすぐに
億劫になってしまうタチで それから何となく離れてしまった。 あの大哲人が
このおば様相手に どんな日々を送られていたのだろうかと興味を持った次第。
またまた長くなりそうで いずれまた。
196.交通違反切符
二章前の 割り印の指は 親指ではなく 人差し指 でした。
ふと読み返しつつ 手のひらを見ましたら 人差し指にウッスラとインクの痕が
ついていまして 間違いに気付いた次第。 生まれて初めて 九州は熊本近くで
同じように 違反同意の割り印をした20数年前には もう精神的にガックリして
それ以降 数日の営業活動がサッパリだった事がある。( 8日作成 )
15年位前には 高速道路で何キロオーバーだったか忘れたが 中期免停の
罰則を受けて この時の違反切符は 戒めの為に小さくビニール袋に入れて
ハンドルの奥のワイパーの操作スティック( ? )に下げてある。このときには
覆面パトカーに入るなり 「 あんたなぁ あんた一人が 事故で死ぬのは勝手
じゃが もし人を巻き添えにすることがあったら どうするつもりじゃ 」と
いきなりの叱責。というか ほぼ罵倒。ただでさえ頭にきているのに「 なんだと
」と反発しそうになったが 思えば確かにその通り。と感じたから グッと言葉を
飲み込んで 何とか耐えた。
罰金の十数万円も大変だったが 講習を受けても 一ヶ月間は完全に車に
乗れないのが こんなに大変だとは思ってもいなかった。
この時にも しばらくして落ち着きを取り戻した車内で 「 今回は乗用車の
運転で捕まったわけですから その資格は停止になったとしても、明日からは
大型自動車と中型バイクの免許の資格で 気を付けて運転しますから 」と
訳の分からない 当時の僕の論理を展開させて説教タイムが また法外に
伸びてしまったのもなつかしい。
195.今年の紅葉は・・・・イマイチ
湯本温泉を発見していただいた 大寧寺のライトアップがスタートしました。
全国的にどこもハッキリしない紅葉のようですが 御他聞にもれず 湯本も
スッキリしない状態です。スッキリしないというのが 葉が青いままで縮かんで
しまい 赤くなっていないので 昼間もパッとしない山の風景になっています。
何年か前にも 似た状態がありましたが そのうちに ポツポツと赤くなって
それなりの雰囲気になったので今年もそうではなかろうか・・・と比較的に
楽観視しています。新聞には12月が見ごろと書かれた所もあるらしいですね。
数年前に ライトアップがスタートして 初めてライトを設置した日に ジャンケン
で僕が負けて消灯の担当になった。 24時にお寺に着いて 入口から順番で
スイッチを消していき お寺の奥深く 最後の電気を消してから ( さぁ
終わった。 早く帰ろう )とヒョイと後ろを振り返ったら なんともかんとも
そこにあったのは 真っ暗闇の 幽玄の世界。あははは。思わず 飛び上がっ
てしまった。 まずは、今消したばかりのスイッチをオン。情けない事にスタート
した場所まで 全部の電気をつけて戻り あわてまくって 車内の懐中電灯を
探した。今度は 消灯の最終地点まで先に行き 少し青い顔をして 再び
スイッチをオフにしながら 車まで帰った事を思い出す。
194. お腹を抱えて笑うこと
どちらかって言うと 我が家は笑い声の多い方ではないかと思うのだけれど
昨日 何年ぶりかでスピード違反で捕まって 黒のインクを親指に付けて
割り印をしながら ふと思ったのが この最近 お腹を抱えて笑ったことが
少なくなった、って事でした。末娘が 学校で家を離れたって事が一番大きな
原因かもしれない。一番近くがいつだったっけ・・・で思い出したのが やはり
「 エンタの神様 」がらみの大笑い。藤原の理科 いえ ノリカ殿と結婚した
何とか言う彼が 高校かどこかの校歌を紹介するという設定で
「 我らの学校の北門に 大きな犬が すんでいる 」という歌詞を読んだ
ときには その末娘と 正直 大笑いで お腹をヨジらせて笑ってしまった。
何も知らない人に こんな事を活字にしても 馬鹿みたいで なんでもない事に
思えるに違いないけれど この時ばかりは 二人が転げまわって 「 お腹が
いたい いたい 」 と、懐かしい思い出ではある。丁度その時に帰ってきた妻が
「 なに??? その笑いは 」とすごくいぶかしがって二人の顔を覗き込めば
それが又 妙に面白くて 「 いててて 」がさらに延長された。
罰金の振込用紙をもらって自分の車に戻るときに 「 ちょうど 眠たくなって
きていて ボンヤリしていたから ある意味で救われたのかもしれません 」と
ウソ偽りのない気持ちを伝えたら 「 そう言っていただくと・・・ 」と皆さんが
起立され敬礼されて 本線に誘導していただいた。
寅さん が好きな僕と スターウォーズ なんてのがいい妻とでは 笑ってしまう
材料に違いがあって お互いが何でそんな事で、なんて妙な空間が発生する
ことが時にある。娘がいなくなってから なるべく早く家に帰らなければという
熱意がうすくなって テレビ鑑賞の時間も減って なんとか無理にでも 笑いの
時間を作らなければ・・・・と思わないでもありませぬ。
一昨年 筑波大学の名誉教授の 村上和雄 先生のご講演を聴いたときには「
最近では 吉本興業とジョイントで 笑いが 糖尿病 や 高血圧に 大変
有効に作用する 」という事を研究中であることをお話しされてました。その時に
サインを頂いた御著書にも遺伝子の事から 笑うということの素晴らしさが
書かれていました。
大きな犬 が 笑いの素材では 品格 という意味で ?マークが出そう
な気もしますが 身体には良いことであるはずだと理解しています。
母方の祖母がよく僕の寝るときに お話してくれた フレーズのひとつ。
「 喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る。 」