199. 笹川良一氏との思い出 | 宿屋のおやじ日記

199. 笹川良一氏との思い出

数日前の 日経新聞の最終ページで 笹川氏の名前が ある企業の株買い

占めの仕掛け人として出ていて ふと25年 いや27年前を思い出した次第。


熱川温泉での研修中、 そこでは フロント ルーム係 調理部始め 各課の

スタッフが 「 御伊豆太鼓 」という太鼓ショーを毎晩 20時45分から

ロビーで開催していて好評を博していた。

僕も 内務係の仕事を覚えた頃に 参加要請があって しばらく練習後 その

ショーに加わっていた。 三曲 アンコール用に二曲を準備していたのだが 

その全曲を作曲されたのが 御諏訪太鼓の宗匠 小口 大八・おぐち 

だいはち・氏であった。太鼓全部を含めて 数百万円かかったという事だけ

聞いていた。小さい子供さんにせがまれて サインを何回かした事も楽しく

思い出される。


その小口先生のご縁で 研修終了後 我社でも 山陰の海を案内して しばらく

後に 曲を作っていただいて 8名程のスタッフで毎夜 御披露していた。

今はスタッフも入れ替わり 記念の大太鼓だけがロビーを飾っている。


日本太鼓連盟という団体を設立されて 先生が理事長に就任された。それから

少し後、昭和55年頃に 先生から連絡があって 笹川氏が会長をされている

日本郷土音楽振興財団( 正式名 不明 )という団体から 「 『全国50地区で

太鼓をしている団体に 大太鼓を贈りたい 』から 推薦状を出すよう 」に

お話があって 長州維新太鼓も推薦の一チームにしておいたから 贈呈式には

必ず出席するよう言われた。


じき 品川駅近くの 日本船舶振興財団 ( 今の 日本財団 )からご案内状が

届いた。勿論 ありがたい事として 出させて頂いたのだが その時の話。

全国から50数名が集まって 会場にいた。確かその頃から部屋は禁煙で 

当時 煙草を吸っていた僕は他のヘビースモーカー達と部屋の片隅だったか 

廊下だったかで いやー 寒いっすねー どちらから? などと言う世間話を

していた。じきに 「 皆様お席に御移動を 」と側近の方から御指示。 

椅子に座って待っていた。眼光炯炯とはこういう目の事かと思わせる方が 凛と

した雰囲気の姿勢で入ってこられた。僕は その頃のイメージでは やはり

株や政治 経済の裏社会の主という いわゆるフィクサー的な人としての

イメージが強かったから 興味深く彼の話を待った。


担当の方から 今回の 贈呈式にいたる流れのお話があって・・・・このときに 

司会の方が僕達に 着席するような案内を忘れられたのか 全員が起立した

まま拝聴していた。じきに 笹川氏も立ったままでらっしゃる事に気付いた

スタッフと思しき方が近づいて 後ろにある椅子にお座り下さい という様な

ジェスチャーをされた。説明中だった方も 右斜め後ろの雰囲気にハッとされた

ご様子で 少し言葉が途切れた。

瞬間 「 バカモン。皆さんが立っていらっしゃるのに ワシだけ座れるか 」と 

どえらい大声。

これには 立ちながらも休めの姿勢でノンビリ話を伺っていた僕を始め  多分

全員が 気をつけに早替り。このときには 一種のセレモニーでもあり、短い

スピーチだったが 会場を移して レストランでの 全員で会長を囲んだ

ランチタイムで ほぼ全員がある意味のファンになったようだった。


選挙の時の ボートレース場での情報収集専門家から寄せられる

報告から本当のものを選別するテクニック。ほとんど外れたことのない選挙の

結果予想。 個性的な政治家だった方の思い出や現在進行中の政治の少し

見方を変えた読み方と考え方 捕らえ方。そして未だに記憶に残っているのは 

「 名簿を拝見したら 会社の役員の方が随分いらっしゃるようだが 

いいですか、お客様のトイレは小さいのを作っちゃ駄目ですよ。しゃがみ

こんだら 目の前に壁があるなんて最低だ。人生は食堂とトイレの往復だと

言ってもいいくらいなんだから とにかく大きく 立派に作りなさい。いいですか。」 

これには 物好きというか すぐに確認したがる数人がパワーランチ終了後 

エレベーターで何階かに分かれて観察後 ロビーに集合した。僕も何階かで

降りて用もないのにシャガミこんだ。いやー 笑ったぜ・・・・の感想が僕を

含めて4人。備品等の細かな記憶はなくしたが たしか両手を広げて手が

左右の壁に届かなかった。あはは、誰もいなかったはずだし、と声が出た。


さっき ワガ宿の4階のトイレに行って 座ったら 正に目と鼻の先が壁である

ことを確認して 笹川会長に 心でお詫びした 宿屋のおやじ でした。