宿屋のおやじ日記 -97ページ目

173. ツクツクホウシとのバイバイ

一昨日の夕方が 今年最後のツクツクホウシの一鳴きだった模様。

平成7年に湯本ハイランドホテル ふじ の藤井専務に シャープのザウルスを

紹介してもらって バージョンアップしながら 今9台目の製品を使用している。

当初はモバイル系で90パーセント程のシェアを持っていた商品も 次第に

占有率が下がってしまい、ここ数年は新製品の開発をやめたらしくて いつ別の

物に移し替えるべきか思案しながら 使い慣れたものをそのまま使用している。

何せ記憶力については パソコンと同じだから天下一品。とても重宝している。


でここ数年、九月になったらツクツクホウシの鳴いた日を記入し続けているの

だけれど今年の9月14日という日は 昨年の二日後で 一昨年の三日後に

なった様です。時に聞きながら記入のし忘れもあるでしょうし、何かの用事で

大寧寺に行った折りに あれっ、まだ鳴いている・・・何て事がありましたから 

かなり不安定な情報ではありますが とりあえず その日から いや その日

前後から 夜になると我が家の周りは コオロギやスズムシの鳴き声だらけに

なります。


紫外線のアレコレでめだかが消えたとか、時に聞くとぞっとすることもありますし

実際にめだかを目にしなくなったようですが( というかあえて探そうとしていない

事もあるとは思いますが ) とりあえず この辺りの昆虫達はそれなりに元気に

成長しているようではあります。


172. 無事に ゆけむりピンポン終了

172名のご参加を頂いた 「 ゆけむりピンポン IN 湯本温泉 」が無事に

終了いたしました。今年は 競技そのものより お客様同士の親睦を深めて

頂きたいという思いで ダブルスのみの大会にしましたが やはりシングルの

試合の希望が時々聞かれたそうです。これは昨年まで確かにありました。ただ

何せ競技時間が長くなり 特に昨年は 同じグループに 負けて早く宿に着かれ

た方と 勝ち続けて準決勝などにすすまれた方が 懇親会の時間に間に合わ

ないから 途中で棄権させてくれ・・・だとか いろいろな事があったのも 今年の

ダブルス一本になった事の一因になっています。 こちらの反省会の意見と

お客様のご意見を調整しながら 毎年あれこれと工夫しているのですが 

なかなか全ての方々のご満足というわけには行かないようです。一方で

 表彰状をお渡しする時に また来ますからね、と多くの方に言って頂いた事は

非常にありがたい事でした。


とにもかくにも 事故もなく無事に皆様をお送りできた事をこころより 感謝申し

あげます。是非 又 来年も皆様でおいで下さいませ。重ねて ありがとう

ございました。まだ暑い日が続くそうです。どうぞ お体お大切にお過ごし下さい

ませ。


171. ゆけむりピンポン一日目 無事終了

ゆけむりピンポン IN 湯本温泉 の第一日目が無事終わりました。

毎年思うのが 皆さんのユニフォームの艶やかさ・あでやかさ・です。

何度か書いた気もしますが 第一回目の大会で 皆様の練習風景を拝見

しようと少し早目に出席して 会場内の色とりどりの服にビックリした事を思い

出します。 今回は 細かい年齢制限をしていないので お年は一切分から

ないのですが その頃は60歳から6段階くらいの階級がありましたから 

中には「 今 89歳です 」とか 「 この前92歳になりました。で、この春 世界

大会に出たばかりです 」等というプロフィールがあったりして 当時の体育課の

課長が別に特別賞を準備されたりしておりました。その方達が 皆 他の方と

同系列のお召し物ですから ( いやー 卓球というスポーツは スゴイモノだ )

あらためて見直した次第。


昔 代々木のとある施設を探すために その界隈をブラブラしていた時、 

卓球の・・・大会という看板を目にして 話の種にと会場に入ったはいいものの 

カーテンが全部閉められていて オマケにクーラーも効いていない。こちらは 

夏日のような暑い日で( クーラーでもあたれれば )という下心そのままだった

から 当然のお願いとして場内の係りの方に質問したら 風が卓球の球を変化

させますから通常 このような大会では使われないんですよ・・・。と これまた 

こんなことも知らないの??みたいな対応でもなくすこぶる親切なお返事で

あった。


折角 御丁寧に教えてもらったんで お付き合いに出来るだけと 努力はした

ものの すぐ滝の汗・・どう思っても そこまでの義理は無い・・と思い直して

退散した。 20歳頃の思い出である。ユニフォームもあまり多くの色の

使用されていないイメージしかないのだけれど違ったかなぁ・・・・・。

 


170. 今日から二日間 ゆけむりピンポン

はやくも第八回目をむかえた「 ゆけむりピンポン イン 湯本温泉 」が今日

から二日間 ながと ルネッサで開催されます。 

どういう巡り会わせか 第一回から 実行委員長の立場のままです。


八年前に当時の体育課課長から企画を持ち込んでいただいて 勝ち負けに

こだわられずに ゆっくりと温泉に浸かっていただいて・・・・などとスタートした

はずなのですが どうしても そうとばかりは言っていられないという雰囲気も

あり 毎年熱戦が繰り広げられています。今年は 湯本温泉の12件の

いずれかのお宿に泊まっていただくことが 競技参加の第一条件ということに

なりまして 近隣のチームの方の一部からは「 何でわざわざ湯本に宿泊する

必要が・・・」という声も出たらしいのですが、とにかく原点に返ろうと この点は

譲らずに進めさせて頂きました。遠くは神奈川県から また 意外と市内の方も

それなりにお泊り頂くようになったようで ホッとしております。


それにしても第一回目の大会で 参加者のみなさんのあまりに色鮮やかな

ユニホームのお姿におもわず たじろいでしまった事、そして ある知っていた

方のそのユニフォーム姿が素敵で別の意味で たじろいだことを楽しく思い

出します。



169. 湯本温泉のテーマ曲「 湯本あかりみち 」配信中

湯本温泉のテーマ曲

「 湯本あかりみち 」配信中


まだ 湯本温泉旅館組合の最終で最高の決定機関である総会での可決成立

をしている状態ではありませんので 公式な報告にはならないのかも知れま

せぬが素敵な曲が出来ましたので 湯本のテーマ曲として我が宿のホーム

ページに掲載させて頂きました。「 湯本 あかりみち 」といいます。


このブログに何度も登場して頂いている きらきら橋アコースティックライブの

チャーターメンバーであり 長門市教育委員会の いえ 今は どこぞの中学

校の先生・・・・・?・・・。確認しようと ロペのマスターに連絡しましたら 

「 あののー、萩ののー、のー( と奥さんに質問らしい )どこじゃったかいの。

おーそれか。第一中かどこかじゃ。 」と微妙な回答。でご本人に電話しまし

たら 授業中だったのか 少し後で お返事がありました。聞きはしましたが

今、流行の個人情報云々で 書いていいものかどうか 不案内にて ボカして

言いますと 東西南北のどれかが頭についた萩の中学校の国語の先生です。

湯本の納涼祭にも長いこと お付き合い頂いている「 Fストリートのボーカル 」

でもある 白沢 氏の作です。


湯本温泉の雰囲気にとても合った いいメロディと 素敵な歌詞で 仕上がって

います。 妻に聞いてもらいましたら なかなか素敵じゃない・・・・と 好評価

で安心した作品です。どうぞ ゆっくりご鑑賞ください。

 

168. 無事に南条踊りの奉納 終了

昨日 大寧護国禅寺 並びに 飯山八幡宮様への奉納が終了しました。

10時30分に旅館組合の2階に集まって 早めの食事 衣装を着て いや

着せていただきか・・・、13時に大寧寺様、 移動後 14時30分に 八幡様前

の県の重要民族文化財 楽桟敷( ギリシャの野外円形劇場風の施設で ここ

に入ると 近松門左殿か シェイクスピア殿に観てもらっている俳優になった様

な気がして いつもつい「 キチンと踊らねば 」と 考えてしまう )、その後

お宮の境内で そして最後に 湯本温泉を作って戴いた 住吉神社の 計4

ステージに登場。大将の白木君も無事努めを果たして 直会・なおらい・では 

ゆったり ほっかり飲んでいました。


午前、早めの食事場所に遅れて着いて 場内グルッっと見回して思ったこと。


湯本に帰って 昭和30年生まれ というだけで  「 若いなぁ 」 と皆さんに

ビックリしてもらって重宝がられていたのも 正に 今は昔だなぁ・・・って事

でした。学年は違うものの 一級上の六角堂の秋山さんも30年生まれで 花形

同士も28年ほどが経過して 白髪も増え 中堅どころで さりとて 張り切って

はおります。


「 ちょっと聞くけど 平成生まれは まだおらんじゃろ ・・いないんだろ・・・」と

聞こうとして 結局 チョイと口が動かなかった 宿屋のおやじ・・・・でした。


167. 運動会の思い出・つらい2着と笑いの1着

この界隈では 昨日が小中学校の運動会のピークだったようです。

少しつらい思い出と 楽しい思い出をひとつづつ。


つらかったのは 小学六年生の時。勉強はそれなりに出来ていたけれども

スポーツは所謂 得意ではなかった。さりとて苦手とか嫌いというわけでもなく

そこそこのレベルにはいた。で 小学校最後の運動会。開会式では 一番先頭

の校旗の旗手をつとめ それなりに花形だったのだが、頭の中は最終種目の

地区別の対抗リレーの事で一杯だった。湯本地域は 総合では五分団のうち 

あまり目立つ位置にはいなかったのだが リレーだけは 荒川君 納富君という

飛びぬけて早い二人がいて例年花形の競技であった。そのうちの納富君が

風邪で休みになりそうだという連絡が荒川君にあったらしい。で急遽 その次の

スピードだった僕に連絡があった。僕は中学校に入学するまで20時には寝て

いた事はすでに書いたが この時もグッスリ寝ていた為に 翌朝 母から聞か

された。もし前の晩聞いていたら 恐怖で眠れなかったかも知れない・・・・。

どうしよう・・・と悩みつつ 次の速さの同級生に代わることも出来ない。「 気に

するな。お前の精一杯の速さで走ればなんとかなる 」と励ましてくれるアンカー

も心なしか落ち込んでいるように見えて なかなか その他の種目に楽しめない

一日だった。 で 結局 第三コーナーで 忘れもしない 河原地区の岡田君に

抜かれて荒川君にバトン。彼のスピードでも一位は無理で二着。ある意味で

リレー種目は僕に縁のないものと信じていたから いい記念にはなったのだが

とにかく 悪夢みたいなもので その後長い期間 僕の唯一のトラウマだった。


で、リレーは 楽しい。素晴らしい。と正反対の体験になったのが高校のクラブ

別対抗リレー。二年から水泳部に入り チャランポランな練習に明け暮れて

いたが秋の体育祭で選手になった。大津の場合 水泳は室内競技扱いで

剣道 柔道部の仲間と走るわけである。で 足の速いバスケットやバレー部が

陸上部やラグビー部と同じ組のスタート。考えてもみていただきたい。

剣道や柔道の胴着を着た奴らなら どう考えたって たとえ二度三度コロン

だって負けるわけが無い。強いて言えば卓球部だったがその時の走者には

絶対の自信があった。


それとそれと その時の快感。繰り出しから入場の時にはジャージ姿で出るの

だが 忘れもしない クジで引いた僕のコースは 第一コース。選手紹介で 

「 第一コース 水泳部 」と放送されたら 高校生らしく野太い声で「 はい 」。

おもむろに起立して そのジャージを脱ぎ始めて 海パン一枚になるのである。

その時にグランド全体におこる 「 オー 」というドヨメキ。今思い出しても 鳥肌

が立つくらい・・・・・・。最高 さいこー すげー 青春のきらめき ここに極めり・・

・・・ってな感じだった。で やっぱり 一位で次の田中のノブにバトンタッチ。

生まれて初めて、 それこそ 最初で最後 リレーで一番前を走った思い出で

ある。


荒川君はその後水泳の道を選び中学を転校 県の記録を何度か塗り替えて

いたが 「いやー あの時は 本当に申し訳なかった。でもね あの時悔しくて

申し訳なくて 泣いた僕も 今はしっかり立ち直っているからね、安心して頂戴。」


166. 深川中と大津高校の 来年度の同窓会案内

まずは 深川中から・・・・

ロペのマスター 境田君はじめ数人の幹事会のアイディアで オリンピックの

ある年に開催しようという事に傾いております。先日 岡本君( ソフトテニスの

オカポン )も同意してくれました。ですから 来年に実施ということになります。

季節的にいつ頃がいいのかまた検討しながら 大井のかなえチャンに連絡して

葉書にて連絡させてもらいますんで期待してお待ち下さい。


そして大津高校・・・・

このお盆に それも湯本温泉納涼盆踊り大会の日に ロペのラーメンが

食べたいと いや 食べさせろ、と寄ってくれて その後 おけい 卯月 とつき

合わさせられた顛末は 随分前のコーナーに書かせてもらいました。その

二人とは 尾崎と塩瀬のカコちゃんでした。彼女達に なんとなく 宿泊付きの

同窓会についてサグリをいれましたら 比較的に好意的に同意してくれました。

あと数人 地元の女性陣に聞いてみて 可能なら 来年でも企画 開催させて

下さい。勿論 全員がというわけにもいかないでしょうし 長門を離れることも

当初は無理でしょうから 長門市内というか 我が宿にて検討します。

以前から 我が宿で開催される僕達年配の浴衣での一泊同窓会( 結構 ある

んだよ )を いつもうらやましく思っていたから この数年の希望がやっと叶い

そうでホッとしてます。


いずれ 深川中の幹事方も前向きに考えておくれませ。


165. 南条踊りの練習に NHK様生中継 感謝

前回の部分で 白木君は「 総 」大将ではなくて 大将でした。総大将は 昨年

まで大将を勤めあげた 湯本温泉のワッフル で有名な吉冨幸進堂の吉冨君

でした。訂正させていただきます。お詫びはいたしません。あしからず・・・。

ゆうゆうワイドのひとつのコーナーで 練習風景を生で取り上げたいとのご要望

から河川公園においで頂きました。 妻には言わずに出ていたのですが 偶然

に観たらしく 「 背中が見えた 」と報告がありました。今宵が 「 花揃え 」

だったかなぁ・・・という名の練習最後の日でしたので近くの公会堂で 直会を

して最後の一踊り後、皆帰りました。 有難いことに 飲酒運転の習慣は ここ

にはありませぬ。皆 ジュースやウーロン茶で弁当を食べております。


そういえば 今から25年くらい前の消防団に入りたての頃の事。近隣の三地域

がお互いの水利の確認をするという行事があって 無事点検後 同じ公会堂で

打ち上げをしていた時のことです。 ほとんどベロベロ・・・僕だけじゃありません、

ほぼ全員が・・・・突然サイレンが鳴り始めました。「 誰だ ふざけたイタズラを

するな 」と数人の先輩が怒鳴りましたが 勿論そんな人はいませんし 第一 

サイレンを鳴らすスイッチの場所まで まるで離れています。すぐに これまた

数人の先輩が「 こりゃ ホンモンじゃ 急げ 」と立ち上がり 公会堂を全員が

飛び出しました。外には 地域別の三台の消防車。「 どれでもかまわん。

急いで乗れ 」と指示がでたものの さぁ運転手・・。偶然に飲まない二人がいて

二台はカッコよく出発したものの僕らの飛び乗った車には赤い顔した消防団員

のみ。ただこういう時には知恵も出るもので そういえば すぐ近くの家にいる・・

先輩を連れてこようと誰かが叫んだら その先輩が サイレン聞いて出てこられ

た。さぁと飛び乗ってもらって行き先も分からず急発進。途中で 大寧寺の裏山

と聞いて駆けつけた。

降りたところに 交通整理のおまわりさんがおふたり。全員が帽子を目深に

かぶり直していたが 僕なんかそれこそ 赤鬼状態。 大丈夫ですかと声を

かけられて 「 あっ はい、運転手は飲んでません・・」と 正に禅問答。・・・と 

そして千鳥足。で 湯本地区の車は川にホースをいれて給水するタイプで

あったから何の問題もないのだけれど 僕の乗った隣の地域の車は 河畔

仕様のタイプで 設備を車から下ろして運ばなければならない。おまけに僕は

若手の一人。  よーし 四人で持て。行くぞ。の号令一過、よいしょ ヨイショ

と運び始める。始めの内は 一杯景気で異性が いや 威勢がよかったがすぐ

にフラフラ。早めに代われよ・・・。と言っては頂けるものの なかなか実行して

もらえない。そのうち 誰かが もどして しまった。だーから 言ったろ。早く

代われって・・・と後ろでは ケリも入っているようで それから急に回転が速く

なった。・・・・で やっと やっと まもなく頂上だという頃 上の方から顔色変え

た団員が 「 一山 違う。隣の山じゃ。」 本当にあの時は大声を出したかった。

・・・・・・・・・あーあ。 

 

164. 南条踊りの練習

今月10日に 湯本 大寧寺様 また 長門の氏神様 飯山八幡宮に奉納

される県の無形文化財指定 湯本南条踊り の練習が進んでおります。


今年は 白木屋グランドホテルの専務 白木浩一郎君が総大将で 総員40名

程の登場です。僕は 昨年のドタバタから 踊り子を外れて 弓の担当に

なりました。330年という長い間 こういう芸能が継続されてきたことに 心底

感動いたします。全国各地にあった このような郷土の祭が 途絶えたりした話

なんかも聞くことがありますが やはりここでも そんなことがあったらしい。


僕が子供の頃の話で 僕が帰省してすぐに地元の方からメンバーに推薦されて

参加することになった事を父に報告したら その父から思い出話を聞いただけ

ですので 詳しいことは今となっては不明です。 

「 若い者は少なくなるし 時間もとられるから 中止したい 」という申し入れが

あった時に父は烈火のごとく声を荒げたということでした。「 おう わかった。

やめたきゃ やめろ。その代わり あらゆる 公文書を使って 『 どこの誰と 

どこの誰々が 300年続いた伝統ある 南条踊りを中止させました 』と発表

して記録に残してやるから そのつもりでいろ。」とこたえたということでした。

相手が誰であったかを 彼は一言もしゃべらなかったからその部分は分かりま

せんが 確かに 本当のボランティアというか奉仕ですから 強いての補助が

あるわけではありません。

これを自分が踊り継いで いずれこの地域に住むであろう 子供やその

子供達に 継続させられる事のありがたさは 本当にうれしいもの・・・・・・・・・

ただそれだけです。


 お陰で 若いメンバー達もそれなりに熱心で どうせ習うなら昔からの作法に

のっとったしっかりしたものを覚えたいと 長老等に聞きながら練習しています。

若者の携帯電話のマナーウンヌンを聞くことがありますが 僕が新幹線で

移動中に見かけるのは 中高年の礼儀作法の低さの方で しっかりした若い人

も多いと感じているのは僕だけではないと思いますが いかがですか。