宿屋のおやじ日記 -98ページ目

163. またまた あっという間の九月初旬です

いやはや もう 九月の四日の夜中です。

まだ暑い日が続くようで 夏が嫌いでない僕には 有難い数日になります。

 

最近の わが宿関連のニュースでは 以前よりチョコチョコ登場してくれていた

木曽君が地元のエフエム局にデビューしそうです。「 エフエム アクア 」と

いいまして長門市一帯をカバーしている地方のFM局です。


確かに 井手らっきょさんとの事を手始めに 野球 プロレス 芸能といろんな

引き出しを持っていますので 楽しい 月曜の夜 19時から20時になると

思います。

地元の皆様 どうぞ お楽しみに。


本日 ここまで書くのがやっとの 宿屋のおやじです。

そういえば 友達とどこぞの旅に行って 夜中の川遊びで 足を滑らせた

友人が 男としてもっとも大切なコカンの部分を骨折させた昔話なんかもする

のかね。   まっ お任せ。  おまかせ。

 

162. 早くも八月下旬. 久しぶりのブログ

今年は一度も泳がずに夏が過ぎそうです。

例年 八月初旬には 地元で言う イラ という小さなとげを持ったクラゲの

一種が出た・・等といううわさが流れるのだけれど 今年はそんな事もなく 

久しぶりに長期間 海を楽しまれた方も多かったようです。 例年以上にお盆

ウィークが長くてドタバタとしているうちに今日になってしまいました。


久しぶりにこのページを開いています。

昨日には 湯本温泉旅館協同組合組合 青年部の企画「 川辺の小さな

音楽祭 」で ハワイアン、ドラム缶を金槌でドラムにしたトリニダードトバコの

何とかいう楽器の演奏と そしてベンチャーズの楽曲を楽しみました。

18歳で上京して 初めてコンサートという代物に触れたのが 中野サンプラザ

ホールでの彼らの演奏でした。数年前に 彼らが来日したという スポーツ紙の

報道を ロペのマスターにしたら 「 知ってるか。演奏する彼らの後ろに 黒子

がいてコッソリ 彼らの体をを支えているんだぞ・・・ 。」という わけしり話を

ホンの数秒ほどですが信じてしまった事がありました。 18歳の青年が もう

51歳でしょう。いったい彼らはいくつになられているのでしょうか。

ただこれは知らない方がいいのかも知れない。年取った オードリー

ヘップバーンともう一人 天地真理を雑誌で見たときの衝撃を思い出しました。

学生時代には 当時発行されたばかりの「 ピア 」が映画情報ばかりで

購入したらすぐに「 ローマの休日 」を探し出して 横浜や 埼玉 時に千葉の

もうこれから先絶対に行く事もない駅で降りて あまりキレイでもない映画館に

何度通ったことやら・・・・・・・。卒業まで 40回は鑑賞したはずです。 髪を

カットした彼女がまぶしい太陽の下 目をキョロキョロさせるシーンを楽しみに

通ったものでした。


161. YAB「 青い空が 好き 」 放映 いかがでしたか?

それなりに笑ってしまいましたが・・・・いかがでしたでしょうか?


しばらく ひたすら 皆様からの反応を待ちたいと思っています。ロケ後の

打ち上げ会でも 井手らっきょ氏はひたすら謙虚でお静かで わが社にも

随分とファンが増えました。


さてさて この夏というか お盆休みに帰ってきた娘が 僕のノートブックに

仕掛けた お気に入り が 「 YouTube 」でございました。

早速 小島よしお と 北の国から のページにのめり込んでいます。

以前の酔える自分であれば すぐに真似していたであろうなぁ と 近所に

お家がないので たまに声を出して遠慮なく笑っています。


チャップリンのような奥のある笑いより 例え品がなくともハザマカンペイや 

トロカデロモンテカルロのような ただ笑える 何も 深読みをせず 笑える

対象を望むようになった 宿屋のおやじです。


160. 本日10時 YAB 「 青い空が好き 」を御覧ください

本日10時 YAB 「 青い空が好き 」を御覧ください


どんな番組に仕上がっているのか まるで分かりませんが いずれにしても

わははワハハでお過し頂けると確信しております。

オンステージ終了後 アーモンドチョコとカレールーの CMソングをリクエスト

すればよかった・・・と悔やんだ 宿屋のおやじでした。


さてブログから離れてドタバタしている間に お盆シーズン真っ盛り、今年は

期間が長くなった様でまだまだ続いております。子供三人が同じ日に突然

帰ってきて日頃のおやじの部屋掃除の成果を気にするでもなく 寝て起きて

食べて 散らかして 寝て起きて、じゃあね、バイバイとすでに二人は勤務先

とアパートにご帰還。

オイオイ、あのな とにもかくにもお墓掃除くらいはと思ったものの その

時点では ご先祖様が自宅においでの期間でお迎えの墓掃除には早すぎる。 

「 いずれにしても ご仏壇でご先祖様に じっくりと感謝とお礼の御挨拶を

してから出発しなさい。」 と半ば懇願状態。お墓にご先祖様がお帰りの16日に 

やっと 末娘 母 妻との四人でお参りに出かけられた。

 

子供達が元気で健康でいてくれる。それだけで ただただ ありがたい。

そして そういう思想というか 考え方を植えつけてくれた 母や 今はない父に

感謝 感謝の 宿屋のおやじでもありました。 

   

159. 納涼祭の片付け無事終了

11時に8時から始まった片づけが無事終了いたしました。まいど毎度の事

ながら、多くのごみが出てきます。ただ 分別ごみに対する理解度も年々

深まっているようで それなりに分けて捨てられているので 作業上は楽に

なりました。数年前には ペットボトルも焼きイカの油ベットリの油紙もビールも

ピーナツの菓子袋も ぜーんぶ 一緒くたで それを分ける為だけの別動隊が

必要な様な状態で 12時をはるかに超える時間が必要でしたが それだけでも

随分と早くなりました。


思えば 5年くらい前には 踊りの前のイベントとして 水中綱引き大会なんて

のを企画していて 秋芳町から ゼッケンを100枚ばかり借りてきたことが

あります。翌朝、深く考えもせず 洗濯機に入れたのがドラマのスタート。終了

のベルにフタを開けて ギエー ギョエー シエー・・。 見なかった事にして 

ふたをするか・・・・。もし もう一度 洗濯したら 元にもどっているかも・・・・。と

ある子が思ったらしい・・・・。もし僕だったら 旅に出ていたかも・・・・・・。

そうなんです。数字の書かれた縦横30センチ程の布の 四隅から出ている

細い紐が絡み合って からみあって クンズホグレツで 一つの おカタマリに

なっていたのでした。その後 どのような罵詈雑言 オンドレスンドレ があった

のか知るよしもないのですが 表での作業も ゴミ騒動も一段落着いて

「 お疲れさん お先に 」と ふらりと事務所を覗いたのがウンのつき・・・。 

あっ 用事を思い出した。と 企画委員長として帰るに帰れず お付き合い

しました。 まず10分チャレンジ。見事 ひも一本はずせず・・・。 ひもをとり

あえず全部ハサミで切って 後で取り付けたらどうだ・・・・などなど 思いつく

ありとあらゆるアイディアを出しましたが いずれにしてもとにかく手を動かし

ましょうという結論。当時の次長と 職員三人で悪戦苦闘2時間 さすがの僕

にも二枚ほどがはがれて 頭にあったのは ( とりあえず これで 義理は

果たした )。  お盆の真最中でホテルにも帰らないと、と、失礼した事がある。

翌朝 恐る恐る事務所をのぞいたら 皆 笑顔でお出迎え。そんな事も

ありました。


158. 湯本温泉納涼盆踊り大会 無事 終了

少し強い風がふきながらも 星空のもと 湯本温泉納涼盆踊り大会が無事に

終了いたしました。

確か40年近く続く大会ですが 生まれて初めて一周も踊りの輪に参加せぬ

まま お開きになってしまいました。初めて踊りに加わったのは 中学校の

一年生くらい。子供の頃から 恥ずかしいとかいう感覚が希薄で 人の目が

さほど気にならないタイプだったから 友人の様子を見て 何で嫌がるのだろう

・・・照れずに踊ればいいものを、と 何 不満に思うでなく 自然に踊りの輪に

加わっていた。中学生にもなって と当時も思う方が多かったようで 両親とも

いろんな友人から お宅の子供さんは・・・・いい意味で感心した・・・と話された

とまんざらでもない顔をしていたことを思い出す。

父兄参観日でも 父とも母とも 横並びに歩きながら あれこれ会話する姿に

驚かれた保護者の方も多かったと これは 卒業して随分後に 学校の先生

から教えていただいた。


お陰で この数年間継続している納涼祭の三つの曲も いつ どの箇所から

スタートしても対応できる自信はあるのだけれど 昨夜ばかりは つい ふたり

の同級生のことが気になって 失礼をしてしまった。焼き鳥の おけい の

マスター そして そのマスターのママが始められたスナックをまわって ロペ

に帰ったのだけれど 気持ちはずっと片付けをされてる皆様への お詫び

ばかりで落ち着かない時間だった。今朝の最後の片付けで 必ず挽回いたし

ますので どうぞ お許しください。それにしても 今年は 市の方からも大勢の

方々がお手伝い部隊として参加してくださり 本当に有難う御座いました。


今日もまた 暑そうな一日になりそうで 強い日差しが事務所に刺さっています。

 

 

157. 納涼祭の準備と 同窓会幹事の役得。

たいてい時間通りに出かけるのが 今朝はついドタバタして遅刻をしてしまいま

した。旅館組合青年部全員と地域の役員の皆さんと テントを張り F-ストリート

という納涼祭最後を飾るバンドのライブ用ステージも出来上がりました。

 このステージ作りも 池永さんという素晴らしい大工の棟梁がおられて 次々

と矢継ぎ早に指示が出て これがまた的確な説明をもらえるので 日頃は

金槌やニッパや木槌なんてさわる事もないのに 見る間にそれなりの大きさの

ステージがたちまちに出来上がる。  毎年見ていて人に対する指導とかリード

の仕方とか本当に勉強になる 頼もしい先輩である。 ほぼ完成の

ところで少し早目に帰して頂いた。


アレコレしているうちに東京の同級生から連絡。実家に帰ってしばらく ゆっくり

のんびりしたいけれど 新山口から送ってくれる子( と言っても彼女も同級生 )

と あのおいしいロペのラーメンを食べてから我が家に篭りたい。六時という

比較的に早い時間だけれど なんとか手配を・・・・。とのご命令。明日は 湯本

の納涼祭で僕もマスターも時間が取りにくいから 日にちを替えてくれないか、

とも頼んだが おうちの都合で無理だという。数年前に 大津の25期の同窓会

でキレイどころを3から40人集めてあげるから 水津君はいい男を同数集めて

よ・・・。とご指示を頂き 久しぶりに60名の25期会にしてくれた立役者である

からして無碍には断れない。( この辺りの事は随分前に書いたとおり )

ラーメンはなんとかマスターが願いを聞いてくれてホッとした。


福岡のとあるラーメン店のおやじさんが そのうまさに 食前のウンチク

たらたらのオタクから大変身。ひたすら 食べ続けて 汁も残さず吸い尽くして

帰られたと言う噂があるくらい うまい。何かの機会を是非に作って頂いて

必ず御賞味されてみてくださいませ ませ。


彼女が帰省中とと聞くと コンパ希望のアポイントがあるかもなぁ・・・と考えて

いたら それを感じたのかどうか あのねチンスイ 私はゆっくり家に居たい

んだからね・・・。分かってるよね。 なんて念押し。 先を越されてしまった。

156. 長野の思い出

高P連の長野大会では 大津高校のM野先生と二人で出席した。

当時は 体重が実際は92キロあったのに 人から聞かれたときには80キロ

と堂々と応えていた。去年のあのドタバタまでは 一般の太った方と多分同じ

様に イビキがすごかった・・・らしい。妻も娘から「 お母さん、あの騒音のそば

でよく眠れるね 」とよく言われていた事をベッドの上で聞いて笑った。20歳が

63キロで 結婚当時が70キロ 長女の胎動に感動して それっきり 煙草が

欲しくなくなった不思議な体験談は随分以前に書いたが その日の夕方から 

白米がこれほどまでに美味い事に感動してブクブク太ってしまったのでした。

僕が死んでも 線香はいらない。煙草を供えて頂戴。と笑いながら話していた

のに 忘れもしないあの五月十五日。 妻のおなか越しの 手とも足とも分から

ないが 僕の手に当たる得もいえぬ感動に その時点からプッツリ禁煙が

スタートした。

自力で禁煙した同級生もいるのだが 我慢できるようになるまで しばらくは

煙の臭いに辟易したという・・そんな事は一切なかった。その翌日の宴会で

両隣の人がヘビースモーカーだったが 何のイライラもなく過ごせた。

  と 自慢話というか 長女への感謝話はココまで。


そんなこんなで 可能なら個室を取って頂きたかったが 満室にて そのM野

先生と一緒になった次第。親同士の大騒ぎで夜中に入室。シャワーを浴びて

一休み。ふと四時頃 目が覚めて 隣を見ると カーテンの開いた窓に向かって

ペッドの上でポーゼンと 座りつくして( という言葉があるかどうか知らない

けれど )いらっしゃる。・・・・・・・しまった やってしまった・・・。勿論後の祭り・・。

「 いやー スミマセン。うるさかったでしょう 」  「 いえいえ そんな事は

ないですよ。私もかくらしいですから。 」とおっしゃったものの 事実でない

事は 夜遅く帰った僕が一番よく分かっている。


ふとこのホテルには温泉があって 24時間営業であることを思い出し とにかく

先生を一人にして差し上げねば・・・・とそれしか考えなかった。飛び起きて 

タオルをぶら下げて 早速 急ぐいそぐ。

「 先生、今日は 分科会に少し覗いて失礼しますので せめてこれからは

ゆっくりお休みください 」 「 いえ 本当です。気にしないでください 」と

何度も言われたが それを 鵜呑みにはとっても出来ない。小銭も忘れず

内ポケットに押し込んで 7時までは帰らない、と自販機とお風呂の間を

行ったりきたり。 M野先生 本当にすみませなんだ。

それにしても このホテル。田んぼの真ん中に作ったらしく 散歩にも出かけて

みたが 表も裏も長い道路があるばかり。神社仏閣もないようで 10数分後に

引き返した。


155. 154の続きから変更

旭川の事を書こうとしながら 次々と涙なみだのシーン・・・とはいえ お笑いの

涙ですので 念のため・・・が目に浮かび とても書けそうになく やはり 

つれづれコーナーに譲ります。ご寛容に。      流れとしては・・・・


帰りの車で先輩が「 このままじゃ、ココまで来たのに もったいない。」ととある

ビルに車を停めて 地元の飲み屋を探そうと、ドンドン奥に急がれる。前から

不思議なのが お酒の好きな人って何であんなに嗅覚がいいのだろう。初めて

の不案内な土地で よしっ ここ・・ って連れていかれる店がいつも大当たり。

僕はそんな芸当が出来なくって そういう人を即 尊敬する。 ここでも なにも

かもそろった食材の地元の店で 最後には おばちゃんから子供に送る為の

なんとかいう料理までごちそうになって 青森から嫁に来てからの苦労から

町並みの移り変わり 青森と違う雪の事 子供さんの事 などなど・・・・

シミジミと日本酒のあう ひと時を過ごさせてもらった。

明けて


翌朝はJRの二番電車で富良野に向かい タクシーさんと コースの検討と

値段交渉・・・・。学校への報告に必要な分科会に出る為には 限られた時間に

有効に回らねばならない。結果、五郎さんの石の家まで走っていったり 岩城

滉一扮する北村草太がトラクターで亡くなった場所を通ってもらったりと

あわただしい数時間でした。

やっぱり頭の中では ずっとあの さだまさしさんの 北の国からのテーマ

ミュージックが鳴り響き続けておりました。 駅に帰れば 本来乗るべき列車

時間まで随分と間があって駅前の資料館に寄れたのは嬉しい誤算だった。


さてさて お盆近くになり 毎日 多くのお子様連れの皆様においでいただいて

ます。 何回か続いた台風のお陰で 川もきれいになり 今は 十一日の

納涼祭を待つ 宿屋のおやじです。

154. 高P連の旭川全国大会の思い出

大津高校では 各種行事に参加した折に 必ずその報告書を提出する慣わしに

なっていて 長野でも旭川の大会の分も書面があるはずなのだけれど 手元に

見当たりません。後日出てきましたら 「 つれづれコーナー 」の方に掲載する

ことにいたします。


何の行事での参加でも 必ず 報告に差しさわりのない範囲で周りの観光地を

徘徊するのがクセで 長野では松本市を散策。戦後近くの うわさに聞いては

いた巨大な地下都市に仰天した。


旭川では ラベンダー畑の仕掛け人 というと失礼かもしれないが 富良野の

社長の体験談にこれは正直 感動した。いつもそうだが 講演中に出入りする

失礼な保護者達に

こらっ、真面目に聞かんかい・・・・と注意・・・しよう・・・とは思った・・・のは事実。


「 北の国から 」の富良野に近いことを知って帰りのバスではひたすら明日の

行程表の作成に熱中。北海道に向かう機内で 中学生時代に 素敵だな・・・と

想っていた同級生のご主人に遭遇。 時間があけば 一杯やるべ と約束して

いたから とりあえず懇親会に出て その先輩が会員を募られて10数人に膨れ

上がった皆さんと ホテル紹介のスナックで飲んでいた。

なにせ 全国大会は 初デビュー。入試と一緒で 皆さん かしこく見えて 

しばらくはひたすら目立たず静かにひそやかに 飲んでいたのだが やっぱり

というか 当然のごとく 数分後には スナックのテーブルの上に乗って踊って

いた自分に気付いた。いつでもどこでも 必ず数本携帯するペンライトに 

ミラーボール等など ポケットから取り出した各種グッズで 途方もなく盛り上が

っていた、一方で カウンターでひとりお飲みの地元の方と思しき人が 少々気に

なってはいた。 幕間みたいに静かになった時に ゆっくりと帰られたが

後でママに聞いてみたら このあたり一帯の地主みたいな方で マンションと

飲み屋さんのビルをそれぞれ 数棟お持ちの方だとか「 楽しかった。みなさん

よければ 明日は私の招待で もう一度飲みませんか 」と伝言されたとの事。


大いに気になってはいたが そちらは 御興味をお持ちになった数人の方に

お任せして 明日は明日の風と 先輩と二人で帰った。


シエー また長くなりそうです。思いつくまま 気ままに書いていきます。


本日ココまで。