宿屋のおやじ日記 -87ページ目

274.楊貴館 山口調理長 下関出店

じゃらん という旅行雑誌の 宿泊アンケートで いつも上位にランクイン

される 油谷湾温泉のホテル楊貴館の 調理長 山口氏が 奥様を

社長にされて、下関市の 垢田町に 垢田の杜 桂月 というレストランを

オープンされた。


昨夜はそのオープン披露で 長門市地元の 山口氏のご縁のものが

呼んで頂いて 美味しい食事を頂いてまいりました。


わが宿の 深澤調理長とのあれこれのご縁で 大変にお世話になって

いる方です。


以前 お医者様がお持ちだったお宅を改装されたらしい、とか閑静な住宅街に

あるらしい、と行きの車の中では  ・・・らしい ・・・らしい の連発で到着

しました。 が、なんともその作りに 多分全員が 唖然 ボーゼン。


大きくなられた 三人のお子様が 地元を離れられたので 人に貸すことに

されたそうで 山口氏のお人柄に納得されたからとか。


それにしても こんな自宅で成長される機会のある人って どんな育ち方を

されるんだろうって こそこそ ヒソヒソ話。


小高い山の上半分を造成された形で フロントまでちょっと 階段がありまして   

一部 三階 また 一部は 四階、オーディオルームは これまた ゴウジャス

な機材と サイモンとガーファンクル や 当然 ビートルズ の LP。周りの

透明の包みが少しシワになったものが さりげなくおいてあり、中には 

ショパンのものも見えまして・・。なかなか 中々・・・・。


駐車場も三十台は入りそうで ゆったりユッタリ。 


下関の 一つの名所が誕生したみたいでした。


調理長にも奥様にも スタッフの方にも面の割れている僕は 家内以外の

女性とは 多分 いや 絶対にいけないけれど 大人の隠れ家みたいで 

どうぞ どうぞご訪問して見られて下さい。


ただ あと二日 オープン披露だそうで 八日が正式な開店だそうです

ので 念のため。エッと 午前11時の部と夕方のオープン。駐車場は

今日 五日 全面舗装工事とか。


下関市垢田町2―6―8 下関の方でも 多分地図がいるはず。

 

黙秘用 いえ 目標になる大きな建物はありません。垢田神社のとなり

ではありました。


電話は 0832―53―9000 だったはずです。

273.春の カラオケまつり 3月30日

名物フロントマンの木曽君の縁で 今月30日に


堺 正章のソックリさんと 長渕 剛のそっくりさんを お呼びして


ちんすい 春のカラオケまつり を開催いたします。


宿泊頂いた方に参加して頂いて にぎやかに開催予定です。


詳細は ホームページでご案内いたします。が とりあえずここでも


ご案内。場所 一階 カラオケホール DEJA VIEW。


まず予選会。


15時からずっと20時まで受付。 会場入口に時間を書いた紙を掲示。


出場希望の方は 歌いたい希望時間の蘭に部屋番号 名前( 芸名可 )を


書いて頂き お好きな歌で カラオケ機の採点評価。フロントマンが


点数を記入。締め切りまで 高得点の方 上位10名で 決勝戦。


その間に お二人の モノマネショウ。


堺氏は 先日の YAB テレビ さんの番組企画で らっきょさんと 木曽君


とのライブを拝見しました。本人の ディナーショウに そのまま


出られて歌われても 誰一人として 別人であることに気付かれなかった・・・


という実力が よく理解できるほど 似てる。正に太鼓判。 


長渕氏も 以前から アチコチの ショウにでられている正統派。


                               どうぞお楽しみに。


追加


早くこられて 自分の得点に納得できない方、 その後の時間に余裕があれば


何曲でも チャレンジ 可です。


お問合せは 0837-25-3211 までどうぞ。


司会は 木曽 寛 君が担当いたします。お楽しみに・・・・・・・。

272. 八代目 太郎と花子

ホームページのスタッフ紹介の蘭にも出ている わが宿のお風呂の

脱衣室に 太郎と花子という金魚のつがいがいる。


数日前に 体調をくずして死んでしまった七代目に替わって 

八代目が登場してくれた。昨日はその準備をしながら、常務と思い出

話。


初代は元気が良くて随分長生きをしてくれたこと。あの頃は まだ 

お湯の番 という役が決まっていなくて ロビーの入口に水槽を置いて

飼っていた。その年の初冬 夜、急に冷え込んできて 二人で覗きに

行ったら 随分と動きは鈍くなってはいたものの ゆったり二匹で底に

いたから 「 よかった。よかった 」ととりあえず帰宅。翌朝は 一面雪

景色で 二人が驚いて まだ玄関脇にいる筈の二匹を見に出社したら

水面が厚く凍っている。しまった、やられたか。と僕はすぐにあきらめた。


ずっと 覗きこんでいた家内が ううん まだ生きてるみたいよ。と言った

のは しばらく後の事。えっ、とジックリ見させてもらってら確かにピクリ

ともしないけれど 死んではいない様子。その時 家内が 「 そうだ

湯番にしよう 」と一言。配属先が 決まった一瞬。


あれから何年になるのだろう。メンバーチェンジをしつつ 時には相方が

いなくなって一人になったりしながら 皆様のお湯入りを見守っています。

ただ なんとなく こちらの勝手な経験として 温かい場所では あまり

長生きは出来ないようではあります。


271. 義理チョコのお返し

ここ数十年 正確には 24年間 義理チョコばかり 頂いている。

お返しは 妻に頼んで用意してもらったりしていたが 時に誰からの

品だったか分からなくなることも多く 大変失礼している。


そんな僕に今年はスイスから 彼の地の 美味いチョコが届いた。


何回か登場してもらっている 高校の同級生の 塩瀬佳代子ちゃん 

カーコの長女 木綿佳・ゆうか・さんからのものだった。


先日の 地元「 ショアーズ 」での 山口日仏協会 設立の記念

ピアノコンサートでも 素敵な音色で多くの参加者を魅了して頂いた。


年に何回か 御家族でおいで頂いていて 数日後にスイスに出発

される時にもおいでいただいた。


わがお宿のお風呂には シャボン玉石鹸本舗の EM入りの ボディ

ソープを始め シャンプー リンス を 置いていて 御存知の方には

喜んで頂いているのだけれど 彼女も このお品のファンだったそうで

スイスに持って行きたい とおっしゃる。係に在庫を見てもらったら

なんとも申し訳ない事ながら 一個づつしかないとの事。とりあえず

あるだけ お渡ししたけれど もう一ヶ月。そろそろお品薄かな・・

チョイと目立ってみようかなと、考えている。 フェデラルエクスプレス

なんて会社が そもそもこの山口にあるのかどうか 分からない

のだけれど 探してみます。


何回か書いたけれども この家族 みんな 仲良しで うらやましい

限り。パリの音楽院を主席で卒業して この長門の 小中から高校まで

ピアノを通じて 素敵な情操教育に貢献してもらっている。


高校を卒業してほぼ20年後。 わが宿に御家族でこられた時に 

おばあ様の車椅子を押してらっしゃった彼女の妹さん つまりカーコの

次女さんと カーコ本人を僕が見間違えて 「 よー シオセー、ひっさし

ぶりじゃノー。それにしても お前、歳をとらんノー。 」とあわてさせた

事は これまた書きました。今でも 時々 よく似てると感心している。


「 ショアーズ 」の講演会当日にもおいでいただいてた小郡の合唱隊の

ハーブの先生、エーッとお名前失念、ゆうこさんと言われましたっけ、

違っていたらごめんなさい、を始め四名の皆様、翌日に開催された 

新山口駅での ジョイントコンサートには残念ながら 参加できません

でしたが いつか又の機会に この長門ででも 素敵な企画を考えて

おくれませ。楽しみにお待ちししちょります。


追伸


それと ゆうかさん。フランス語もどきの日本語のレパートリーが

増えましたぞ。今までは 「 ジュウ( 10 )とジュウで ニジュウ

(  20  )、ニジュウとジュウでサンジュ( 30 )」 一本やりだったのが、

「 女医 ずっと 鼻炎 」他 数フレーズ追加完了。

どうぞ 次をお楽しみに。

270. 10時から大寧寺で カマボコ板絵馬の護摩だき御供養祭

社員とお客様と お参りしてまいります。

良い天気に恵まれて 感謝です。有難う御座います。


絵馬に願いを込められた方にも 参列者の全ての皆様にも


「 あふれる程の 幸せが 訪れますように・・・・。 」


                    精一杯お祈りしてまいります。


M輪市議会議員にも M本先輩にも I 藤社長にも・・・・・。

そして この僕にも・・・。


そして、そして本日も多くの方のお役に立てますように。


とにもかくにも ありがとうございました。( 9時20分)


只今 帰りました。( 10時45分 )


今年は一年で1600枚の絵馬でした。昨年は 二年間で2500枚


でした( 「 49 」に書いていました )から 随分 熱心に御協力


いただいたようです。


快晴に恵まれ ぜんざいも美味しく頂きました。


今は 我社のみの企画ですが 春を呼ぶ何らかの行事になれば


と思っています。重ねて ありがとうございました。


269. ゆっくり ぺタ とやらを体験( 一部追加 2―28.7時)

いつもは自分のページに書きっぱなしで そのまま ほうりっぱなし

なのに つい今朝は ぺタ というシステムを利用して 数人の方に

ぺタ の印をつけてみました。


相手が女性なのか 男性なのか どの地域におられるのか まるで

分からない方が殆んど、と言うのが何とも奇妙な感じですが 大好き

だった秋田犬の アキ(  亡き父の命名・本人も20数年前に死亡 )の

マーキングよろしく ぺタ マークを体験。


ただ 記入することの題材が 思いつかない 少し悲しい作業では

ありましたが どうぞ 気長にお付き合いを。


八代目か九代目のザウルスを使っていて 昨夜 何の脈絡もなしに

数代前のフォトメモリーを覗いてみました。全てのデータを新機種に

落とし込んで使用しているはずなのに 写真は使用する記憶容量が

多くて 何枚か削除していた事が判明。 突然に記憶が復活しました。


M輪殿、ニューハーフのお店だった事だけは 確かなはずなのだ

けれど 困った顔と ニヤニヤした貴殿の顔が出てまいりましたぞ。

日付をみたら 1997年でした。デシタルカメラもまだ無い時代、

ましてや 今程 携帯電話にカメラ付きが普及する以前の事ですので

意外と貴重な資料かも知れませぬ。

古い機種にて SDカードにうまく落としてプリント出来たら プレゼント

いたします。どうぞ気ままにお待ち下さい。


268. 長門商工会議所 藤田光久会頭 旭日双光章 受賞祝賀式

昨日 上記祝賀の宴が 大谷山荘さんで開催され出席しました。

二井関成県知事始め 400名程の参加者にて にぎやかに和やかに

すすみました。近松門左衛門、また金子みすずさん生誕の地としての

情報発信から 長門市を全国区に広められ 八百名収容の

古典芸能専用劇場を備えた 長門ルネッサという施設を 全額県費で

作って頂くという手腕を発揮して頂いたお陰で 現在 多くの市民が 

歌舞伎や文楽 を始めとする各種古典芸能や また 大規模スポーツ

大会でも 胸を張ってお迎えできるようになりました。


この会場で 現在 長門市の市議で 時々このコーナーにも参加して

もらっている Mのつく 高校の一級後輩が ニコニコと背中をたたいて

くれました。


時々 楽しく見てますが この最近 訳のわからない文章が増えた事と

かなり思い違いをされている部分があるようで、と さり気ない かつ

ありがたい御忠告。


過去に何回か書いていますが いつも書いた後には 一度チョイの

読み返す程度で すぐ公開ボタンを押してしまうので 気にはなっていた

ので すぐに 正確なところを教えて欲しい と頼みました。


とにかく 記憶力のすごい男で 商工会議所青年部の会報を含めて

会員家族のフルネームから誕生日、メモの必要が無いほど 細かい事

まで覚えている。あきれるくらい・・・。いや すまん M輪 殿。


彼に精査してもらって 僕の勘違いのはなはだしい部分がありましたら

おいおい訂正いたします。

267. 三月一日 10時から大寧寺で カマボコ板絵馬の護摩だき御供養祭

昨年の三月一日に 湯本温泉を発見してくださった 名刹 大寧寺で

第一回目 つまり初めての 「 カマボコ板絵馬の 護摩だき供養祭 」

を実施して頂きました。


毎朝 お客様にお出しする朝食で 焼きぬきである仙崎蒲鉾の板が

ものすごく大量に発生します。随分前から もったいないなぁ、何か

いいアイディアが無いものかと悩んでおりました。数年前に 常務が

その板に穴をあけたり 紐を通したりして 絵馬に衣替えさせて お客様

に 様々な願いを書いてもらっていたのですが 二、三年の間で 何とも

三千枚ほどの量にもなり 粗末には出来ないし 方丈様に相談したのです。


たどたどしい字で 「 ○○君の病気を治してください 」 あるいは「 仕事が

やっと軌道にのって 家族で旅行が出来ました。来年も是非に旅行が

出来ますように 」 とか 「 ○○高校合格のお礼に来ました。今年は是非 

○○君を 」 等々 それぞれに真剣なご様子の書面に お預りした者として 

精一杯の応援がしたいという思いもありましたから 早速にお願いしました。


ホームページ、最初のページの かまぼこ板絵馬 の部分をクリックして

頂ければ 昨年の様子を載せております。


そしたら 「 二月が立春のおまつり 四月には人形堂のご供養祭があり

その後一年間ずっと行事が続きますし 三月の一日に 護摩たき供養 と

して実施しましょうか 」 とのお返事を頂きました。


当日は良い天気に恵まれ 我が宿で滞在されていたお客様や スタッフ

また地元の方にもおいで頂き、 フロントの女の子の手作りの おしるこ を

味わった後 方丈様の御説明を聞いてからスタート。 流石に 三千枚も

焼却するとなると かなりの時間も必要でしたが 心の温まる一時を

過ごさせていただきました。


「 宝くじが当たりますように 」というものも 随分とありましたし 一昨年の

冬に 旅館組合青年部で実施したクリスマスのハンドベル演奏会の感想が

書かれていたものもありましたが そこはそれ、それなりに 皆様がお元気に

お過ごしになられるように 合掌させて頂きました。


今年も 十時に開始です。ホームページの十四時は間違いですので 

御注意下さいませ。 正直なところ 自分以外の人の幸せを たとえ その

時間だけであったとしても お祈りするって 結構うれしいものですよ。

いや本当。自分自身を褒めてあげたいって感覚は こんな感じなのかと思って

しまいました。


266. 車窓から鹿児島の山々

前回の続き


大住御夫妻が 熱川から鹿児島まで帰られる途中に わが宿に一泊

されて 翌朝僕と一緒に 鹿児島に向けて出発。あの頃には まだ

九州自動車道も 部分開通が多くて 高速に入ってから 僕に運転を

譲ってもらった。


鹿児島に入る時には また助手席で 山々をボンヤリ見ていた。

緑のプレートに 鹿児島県 と書かれたものを見かけてしばらく 

何となく感じたこと。が、その山々の風景だった。その後仕事で何度と

なく かの地を訪問したが このときほどの思いはわかなかった。


「 大住さん、何か違う。何か分からないけれども 景色が違いますね。」


「 ふーん、何が・・・。」 「 それが分からんのですよ。家の形かなぁ。

なんだろう。 」 国語の、というか ものごとを表現する力がパワー不足

なのは何度となく触れているけれど このときも まったくそのとおりで

原因不明ながら 何かを探ろうという気持ちだけは すごく強かった。


ホテルで知り合って本当に多くのいろんな事を学んだ人だったが

仲良くなってすぐの事、フロントカウンターで 「 『 企てる 』も読めない

の・・・・。」 と僕の漢字に対する熱意に火をつけてくださって その後の

山岡荘八氏の一連の歴史小説読破の功労者みたいな人ではある。


結局 しばらく眺めてるうちに 山の風景が違うようだと気がついて それを

話した。「 へー そうかなぁ。 」 といわれて さりとて 僕も どこがどう

違うという指摘も出来ない。 やっといえたのが 「 確かに山が原因だとは

思います。その違いが 表現できたら 俳句や小説になったり 音楽好き

なひとだったら歌にでもなるような気がします。」とだけ返答できた。


その後 旅先で 何度と無く 素晴らしい景色に出会ったことも 何度と無く

あるのだけれど 残念ながら 写真も含めて なんの物的なものになって

残っていない。 残念な事ではある。


265. 日の出が早くなりました

六時頃には うっすらと山の稜線が識別できるくらいになりました。

山の稜線で思い出すのは 15年ほど前に、 地元のO石油 専務(

当時。 現 社長 )の 日本J○の特別委員会「 こんな規制・もの・

 いらない 」委員会 副委員長のセクレタリーとして 全国周りをして

いた頃の事。 札幌での 当時の大流行の マッハラジャ でチョイと

飲みすぎて お宿の 定山渓温泉まで帰る途中、夜食の為に寄った

ラーメンやさんから出た瞬間に この明るくなった美しい稜線に出会

った。


市内を出てかなりのスピードで30分くらい移動しているのに 

まだ札幌市内なんだ・・・・というドライバーさんの説明にびっくりしつつ

山の形状が この山口とははっきりと違っていて 見晴らしのいい

場所まで移動してもらって しばらく見入っていたことがある。

車内で 「 おーい 早く帰るべさ 」と覚えたての北海道弁を

のたまわる 副委員長をほったらかしにして・・・・。


高校のときのテニスの先輩 というか なかなか厳しいキャプテンで

あったものの 大学がこれまた一緒で ただ 入学年度と卒業年度の

誤差が僕と都合四年間ある事から こういう場面で ついつい僕自身の

ペースを大切にしてしまう クセが強くなる。


この出向時も 僕より 随分歳下の委員から 「 水津さん あなたは

O副委員長のセクとしての自覚をお持ちですか 」と何度と無く指摘

されたのはご案内の通り・・・・。


山の稜線と言う事では 熱川温泉で大変お世話になった 大住さんが

結婚式で鹿児島に帰られる事になり それに呼んで頂いた僕も その

日時にあわせて我が宿に帰省。


すみません。チョイと ドタバタし始めました。また 書きます。