宿屋のおやじ日記 -88ページ目

264. 三つの「 しょうせいかい 」

二十いくつかで 地元 商工会議所 青年部のチャーターメンバーに

して頂いて このときに 会員から 仲間同士の呼び名として募集

したりして決めた愛称が 商青会。


父が というか 祖父が関係していて 父も入会。僕も 地元 萩焼

作家の方のお誘いで 入会した 謡の会の名称が 松声会。


大学を出て しばらく後 ゼミの後輩から 斉藤昭雄 教授のOB会を

作りたい ついては ご入会を・・・とご連絡いただいたのが 昭成会。


都合三つの しょうせいかい に所属している。

  

昨日 謡の 松声会 の「 一旦 休会 」の集まりがありました。

昭和20年代後半に 祖父が入会し 同じ30年代前半に 父が入会。

中学生時代に父に誘われて練習会場、この五十数年 我が宿の

一部屋がその場所でした、に赴いたものの 独特の 節回しについて

いけず一度に懲りて 絶対いやだ、入らないと逃げ回った事はどこかで

書きました。


観世流の 無形文化財保持者になられた 小倉先生が一昨年 

体調をくずされて 休会を余儀なくされたものの 萩焼の田原陶兵衛

先輩が ( このままでは 先生に申し訳ない。なんとか続けられる

だけ続けよう )と音頭をとられて 比較的 若い世代の10人が集まって

先生のお弟子さんのある方を先生に一年間継続してきたのだけれど 

月に一度の練習日に少数しか参加できない状態が続いて その先生

とも相談後 一旦休会することになりました。


毎月一度 美祢線というローカル線に乗ってこられて 練習後、お泊りに

なられて 翌朝一番のやっぱり美祢線でお帰りになる。観世流の

人間国宝の無形文化財保持者になられてからも この御指導風景は

変わりませんでした。


「 毎月一回の練習会場が出来なくて消滅する会が 結構多いんですよ。」


「 おじいちゃん お父さん そして あなたと もし 子供さんが取り組んで

くださったら 四代続いてのお付き合い。勿論 私も初めてだし なかなか

それほどのお付き合いは無いものですよ。」 と、僕の長男を練習に

誘った時のお話し。


結果は 僕の反応とまったく一緒で、絶対いやだ、もう誘わないでくれ。


これもいつか書きましたかね。


また大先生でも一生に一度謡えるかどうかと言う 「 神歌 」という題が

あるのですが 父が 脳梗塞から なんとか無事に生き返って 会に

復帰した時に 「 では 来年の出し物は おとうさんと一緒に 『 神歌 』

をやって頂きましょう 」とお申し出。「 はいはい 」と気楽にお受けした

ものの その後で その重さを しみじみと聞くにつれ こちらがおそれて

しまって 随分と御心痛をおかけしたこともありました。 

地元 長門ルネッサ のとてつもない広い舞台のそで で 裃を着た僕と

父を相手に 先生から 火打石 を打っていただき 「 本日は おめでとう

ございます。さぁ しっかりがんばって 」ともうお一人のお偉い先生に

お辞儀を頂いたのが 途方も無い 思い出です。


とにもかくにも そんなこんなで 一休み。いつかまたチャンスがあったら

再会したい・・・・という全会員の気持ちは 昨夜の二次会場 ロペ ででも

確認しましたんで いつかまた 活動の日があれば報告いたします。


小倉 康夫 先生。会員一同 先生との再会を心からお待ちしています。

少し寒い日が続いていますが、どうぞ お元気で。


263. 「 ショコタンのブログ 」???

ブログの女王とかいう女性がいらっしゃるそうで・・・・。


残念ながら 僕はまだ見た事がないのだけれど 「 一日に何十回も

書き込みをする女の子らしいよ。 」と週刊誌の情報として 随分前に

妻から聞いた事がありました。


今朝 このページを開いて ふとこのページのニュース欄を見ましたら

「 中川翔子 ブログ移籍に裏事情 」なんてのが見出しで出て

いました。多分この子なんだろうなと感じまして これを記入後 改めて

覗いてみます。


昨夜の事 妻が 今頃 こんなのがヒットしているらしいよ、と その

ショコタンのお菓子を買って来て 教えてくれました。 見た目は 

オカキ なんだけれど ふわっとした口当たりのよい お菓子でした。

チーズ味に キナコ味もあるとかで それなりに美味しく頂きました。


この口当たりで ふと思い出した 東京の某ホテルのレストランの女性

チーフの話。もう七、八年も前のことでしょうか。


ご朝食の時のごはんが 少し 様変わりしています。おかゆ や 雑炊

希望の方が増えています。洋食コーナーも ふつうのいわゆる固め

のパンから トーストや クロワッサン、ロールバンにかわってきて

いるようで、という話を耳にした事がありました。 


それと前後して これまたある本から 柔らかいものしか食べずにアゴ

を使わなかったら 内科的な意味からも 骨格的な観点からも 

良くない・・・なんて記事を目にしていまして、その後どちらかというと 

比較的に硬いものをあえて食べようと心がけてきたのだけれど その頃

からもう十年弱。実際のところ、何か変化らしいものが出てきている

のでしょうか。


ついブログネタから 健康管理まで。


262. 初積雪と 夏祭りと さだまさしと さかさいさん

今年初と言うか 今シーズン初めて 積雪がありました。

五時頃から降り始めて あっという間に白い世界にはや代わり。


後の片付けは別にして 見ている分には 本当にキレイな世界です。

こんな日に 露天風呂は最高ですね。


ここで 一休みしましたら あっという間に 翌朝になってしまいました。


今は14日の朝です。昨日は 雪が降ったり止んだりの寒い一日

でした。子供達が大きくなるにつけ 雪合戦をしたり、雪だるまを作って

やろうとする気持ちから遠のいて 雪が ただ寒い対象としての見方

しか出来なくなってしまいますね。残念なことなのかもしれません。


昨日 移動中の車内にて 車の内でしか聞けない FMアクアを聴いて

いましたら 何回か書いた事のある 逆井・さかさい・氏が

パーソナリティの時間でした。


一昨日のラブ花火の事はすでに書きましたが 実は その時に会場で

お会いして 少し話をしたのです。


この方は さだまさし の曲ばかりを流される 少し特異の存在で 以前

にも書きましたが 下関の ばかなー という地方誌の編集長というか

オーナーなのです。そんな事で 話題は豊富だし おしゃべりも滑らか

だし 長門市出身の話し手連とは少し雰囲気の違う番組構成にされて

います。


その方に 僕も マッさん のファンである事 楽しく聴いていることを

しゃべったのですが その事に 氏がふれられまして こんな事を

おしゃべりされたのですよ。


「 地方局ではあるけれど さだ氏の曲しかかけないというパーソナリティ

がいて もし 御本人のお耳に入り お電話での直接トークなんていう夢が

叶えば・・・・・・。なんて・・・・。 」  と。


実は 今日はこのことの 応援メッセージ。


湯本温泉の年間を通じた 一番大きなイベントに 湯本温泉納涼盆踊り

大会 ってのが あるのですが この踊りの幕間の行事の 正に精霊流し

の時に さだまさし さんの 精霊流し をBGMとして流し続けている

のですよ。えぇ 昭和49年の夏から。ずっと。小学校の低学年の頃に始ま

って もう五十年ほどになるのですが 僕が初めての帰郷で 夏前から

ヒットチャートには登場されていたから( へぇー 湯本もなかなかやる

じゃん さださんの曲がながれている・・・・・)と感心しながら 踊りの輪や

金魚つりや たこ焼き のお店を見て回ったものでした。流石に

アセチレンのニオイはもうなかったけれど それはそれで 楽しいもの

でした。

宿屋の息子として お盆という一番忙しい日に 我が家に帰った者として

お布団敷き というバイトを済ませた後ですよ。モチロンのこと。


高校時代に友人四人と 冷酒一升をあおって ベロベロになったこと。

中学生の頃から 見るよりはいっそ踊っていたほうが と自分ひとりだけで

友達から 「 お前恥ずかしくないか 」 と言われつつも ひたすら汗を

流して踊り続けたこと、数年前に青年部の内部で 「 精霊流し ももう古い 」

と言う意見に それは 勘弁してくれ、亡くなった先祖や友人を大事にする、 

思いやるという大切なメッセージを含んだ いい曲だから 少なくとも 僕が

いる間は この楽曲で通してくれ、と半ば強制的に命令して 継続を頼んだ

事、もうすでに なんページか あちらこちらに書いてますとおり 思い出の

沢山詰まった企画なんです。

 

湯本に 父の後を継ぐべく 完全に帰ってすぐの事 地元の老人会の会長

からの要請で読経のテープが流れたことが一年あったのだけれど この頃

の僕には何の権限もなくて おまけに よくお世話になっていた方だったから

所謂 内心忸怩・じくじ・たる思いで聞いた悔しい一年があるけれど やっぱり

不評であったようで 翌年から また まっさんの調べに復帰したのでした。


さかさい さん 湯本も頑張っています。さださんからの 直接メッセージ、

とにかく 気長に 明るく元気に自信を持ってまちましょうや。きっと、かない

ますよ。


それとついでに 世の まっさん 嫌いのみなさま。 解釈がむつかしい とか

つい 考え方が古そうだ・・・ 思いが理解できない・・・

そんなことを 一緒くたに  「 くらい 」という言葉にするのは やめませんか。


結構 元気が出ますよ。心のこもった あの人の歌は。


261. ラブ花火 無事 終了

昨夜 旅館組合青年部の企画、ラブ花火が開催されました。

それぞれのメッセージを添えて 30本のラブ花火が空中でハート型

に開きました。


河川公園から 皆が夜空を見上げて 真っ正面にハート型に開いた

のは10本程度で 角度がついて斜めになったり 平たくなったりの

申し訳ない花火もありましたが 五本づつ上がる間のメッセージ紹介

時間には 鍋をつついたり 旅館組合の女将さん特製の おしるこ

をほうばりながらの和やかな二時間でした。


一昨年の事 角度がついて開く花火に 「 直前の花火の開き方を観て

調整できないものですか 」と花火師の方に聞いた事がありました。

「 申し訳ないけれど、一発一発 ものすごく回転しながら上がります

から 調整は不可能ですね 」と教えて頂きました。


たしかに回転するから真っ直ぐ飛ぶ と言うのは 何となく聞いた事が

あるようですぐに納得いたしました。久しぶりに会った同級生と その

話をしましたら 「 そしたらロケットみたいな形は 」 「 数百年の

歴史のある花火の世界で まだ完成していないって事は 何か訳が

あるんじゃろ 」・・・「 そしたら 周りが回転しながら 芯の部分が動か

ないっていうものはどうだ 」 「 そりゃお前、お金に糸目をつけずに

開発をすれば出来るやろうけど 一本5000円の予算やで 」

・・・・・・ともに一応 理系クラスの仲間でもあり なんとか解決方法をと

短い間の思案でしたが 結局 「 さっむいなぁ、まあ 頑張れや 」で

おしまい。


真っ直ぐハートに開かなかったお客様 どうぞ 許しておくれませ

やっしゃ。


去年まで 「 水津さん あと○本。協力して下さいませんか 」と連絡が

毎年続いていたのだけれど 今年は 早くに完売していたようで それと

それと 年々おいでいただく皆様、 特にお若いお二人連れがかなり

増えてまいりまして 主催本体のOBとして 大変ありがたく感謝して

おります。


じゃらんじゃらん という夜市で出店して頂いている皆様の中からも 

特別に協力して頂いた方々 本当にありがとうごさいました。

来年のこの企画も また 春、四月からの

「 おとづれ 夜市 じゃらんじゃらん 」もどうぞよろしくお願いします。


260. 冷たい風の朝でした

昨夜から 強めのそれも かなり 冷たい風が 一晩中拭いていたよう

です。無事に 元気な朝でした。それと立春を過ぎて 朝が開けるのも

それなりに早くなったようですね。


四季のうちに嫌いなシーズンはないから 冬の寒さもそれなりに楽しん

でいるのだけれど やはり 次第に温かくなるであろうと 気を持たせ

るこの時期は なかなか味があっていいものですね。まもなく もんしろ

蝶が飛び始めるは、さすがに まだも少し先でしょうか。


「 サクランボ が取れる季節は ?」 「 いつでも 」。

「 桃の収穫期は ?」 「 いっつも 」 と小学校の授業中。こちらは

大真面目に答えるのだけれど 先生は それは違うといわれる。僕の

それは全部 缶詰の品のコトなんだけれど、先生は それでは困る、と

わが宿まで 両親をたずねておいでになったとか。調理場の冷蔵庫を

覗けば いつでも品がそろっていて 僕自身が季節を感じるフルーツは

みかん と スイカだけ。

そんな僕が 同じ意味の 昆虫というと モンシロチョウ と セミ と 

赤とんぼ だけだった。


冬になると あの夏の セミの鳴き声が 想像できなくなり 夏になれば

なったで 川のせせらぎの音しか聞こえない 冬の静けさを忘れて

しまう。 基本的に 想像力が力不足というか欠如しているのかも

しれない。


とにもかくにも 湯本温泉の 宿屋のおやじ 元気に明るく過ごして

おります。


259. JTBの山口支店長 歓送迎会

湯田の ホテル松田屋 さんで上記の会が開催され参加しました。

僕もそうでしたが 隣に座られた 同じ湯田の某旅館の社長も 「せ

っかく 松田屋 さんに行くのだから、と昼食をとった後は間食もせず

に楽しみに待ってたよ。」とボソリ。

松田社長が JTBさんの旅館ホテル連盟の県の理事長である事から

お世話されたのでした。心のこもった素晴らしいお料理で 参加者

一同至福のひと時でした。 コッソリとお風呂にでも・・・と思わない

わけでも無かったけれど 流石に会の内容からもそれは遠慮すべき

である事くらいは 理解できる 宿屋のおやじですからしませんでした。


この旅館の会は それぞれに個性の強い方が多くて なにより各連盟で 

いろんな旅行を体験されている為に 失敗談も多くて 全員の大笑いが

連続することがあります。


昨日もいろいろありましたが 活字にするのが大変ですし 第一 

訴えられたら コト ですので これから内容を吟味しつつ 小出しに

提供致します。


思えば 遠い昔 僕のバンジージャンプやスカイダイブ、にバイクでの

勝手旅行も そして、スキューバダイビングの レスキューダイバーの資格

習得も全部この旅連のツアーがらみですし 恩のある会ではあります。


昨夜のひとつのビッグサプライズは 会員のみなさんがよく話しをされる

ある女性が 大阪万博の時のコンパニオンだった事がバクロされた事で

一同 「 オー 」 「 そりゃすごい あの時は スチュワーデス( 現 CA)

になるか コンパニオンになるか 世の女性を悩ませたくらい人気が

あったよ。 」という長老の一言に 今度は若手が 「 へーっ 」。


258. ひな飾り

ロビーに お雛様が飾られました。

子供の頃から各種催し物の区別がつかなくて 3月が お雛様

5月が こいのぼり というのがキチンと把握できたのは 随分大きく

なってからなのだけれど とにもかくにも ロビーにお雛様が飾られ

ました。 ( どうやら ホームページにも載せたらしい )


ありがたいことに子供が一男二女である事から 諸行事にお誘いが

かかって 楽しい子育て体験ではありました。


セピア色と言っては本人が怒るだろうが 赤いべべ着た妹が どういう

状態だったか分からないが 右手の袖で顔を覆い隠す形のポーズで

撮影されていた一枚の写真を思い出す。


それを見た親戚のおば全てが 「 まぁ かぐや姫がお月様に帰るとき

みたい 」 「 まぁぁ ほんとー 」と笑いながら話していた場所に

出くわして ( どーこが かぐや姫じゃ )と心で反論しながら遊びに

出かけたワンシーンは 僕の頭の中で 完全なセピア色になっている。


昨日は わが講の 講のまつり というおまつりの中の 地鎮祭の日 

でご近所に呼ばれて御馳走を頂いてきました。


数百年続いている 御近所の皆様との集まりで 湯本では一番古い

らしい事は かなり前に書きましたが 昨日の担当の方のご自宅では

我が家でのこいのぼりの棒の穴掘りから、木を取りに それも 

五本ほども長い木を切りに行って頂いた時のことなどの思い出が

出ました。


いつかまた ゆっくり思い出しながら 記入します。

                          では では。



 

257. 三月の企画。

山口新聞でも じゃらんのクチコミでも 素敵な人物として登場して

くれる 木曽君とそのご友人による イベントを考えています。


カラオケ大会か どうなるのか まだよく分からないのですが 三月の

最終日曜か 四月の頭頃になりそうです。


堺 正章氏のソックリさんとか 長淵つよし氏のそっくりさんとかの

コネクションもあるようで 楽しい催しになればと期待しております。


詳細が決まりましたら 連絡いたします。


またまた 話のたねに。

 最近は 女性のお客様が多くって ルーム係さんの対極の仕事として

男の子にお運びさんをしてもらうところがあるようで それなりに楽しい

様ですね。大学の大先輩の嬉野温泉のあるホテルの社長から 随分前

に 大学生のバイトの子を その日の 御婦人客の接待係りに仕立てて

様子をみた なんて話しを聞いた事があります。

なんとなんと というか ヤッパリというか 大好評で 夜中の三時頃

まで付き合わされて 翌朝には 髪はばさばさ ヘトヘトで大変だった

らしいのですが チップは 十万円を超える額をもらっていて 大喜び

だったとの発表でした。ついでに言うとだな、そいつは 間違いなく

イケメンだったという 一言に 小さいため息が出ましたが・・・・・。


少し歳のいった僕達にも出来る モノマネではない なにかしらの企画は

考えられないものでしょうか・・・・。


ご婦人方と騒げるのなら 張り切って取り組んでみたいような・・・・・・・・・

                   ・・・・・・・・・・・・宿屋のおやじ でした。





256. 体重 少し増

ドタバタ時に91キロあった体重が あっという間に71キロになり その後

ずっと その重さを維持してきたのに 22ヶ月が過ぎて最近 少し上昇気味で

ホンの少しあせっている。


健康時・・・という表現も微妙だが・・・・には 4キロの体重減を目標にしながら

何回 返り討ちにあったやら。シミジミと食べなきゃ痩せる、という貴重な体験を

しながら ここしばらく少し食べすぎではある。


以前勤務していたルームさんが体調をくずして 自宅で療養中。随分スマート

な彼女であったのだが 体重が40キロに戻ったら 職場復帰も可、と先生から

言われたと報告に来てくれたのだが まだ少し 時間要との事。


最初の報告を 妻である常務から聞いた時に 「 なんだ、簡単じゃん。ドンドン

食べればいいよ。」と応答したら それは 違う、と反論された。

痩せた者にとって 太るというのは 意外と大変なんだから・・・・。あなたみたい

に食事をとったときと お手洗いに行った後で 体重が2キロも変わる方には 

わかんないでしょうけれど、・・・・。


僕も高校生の頃には いくら食べても太らない、とかなり食べていたのだが

28歳で煙草をやめてから 63キロからあっという間の85キロだった。


そういえば、中二のある夏の日、特別に食欲が旺盛で お茶碗にご飯18杯

食べた事がある。夜遅く帰った母に自慢したら 「 無茶はせんことでね。

( 実家である )美祢の大食い大会で優勝した人が 『 やった、勝った 』

と万歳した途端に胃袋が破裂して 腹膜炎で死んだ人がいた 」と聞か

されて驚いた、事があったなぁ。


255. 一昨日の朝

高校の同級の女の子から電話が入り 急だけれど今日家族と行くから

頼むね と連絡。ありがたい事です。


夕食の時には 御挨拶・・・と張り切っていたのだけれど 丁度 ある作業が

続いていて 持ち場を離れられず いけず仕舞い。


翌朝お詫びを言ったら ううん ゆっくりしたよ、これから又 お風呂に行く との

事で安心しました。お子さんも もう立派な青年で 自分の歳を改めて感じた

次第。


時々 かわいい赤ちゃんを抱っこさせられそうになる事がある。母や妻は 「まぁ

かわいい  」なんて平気で抱っこをしているのだけれど いつの頃からか 僕は

おっかなくて 手が出せなくなった。

病気体験ばかりではなく それ以前からこうで 万が一でも手を滑らせたら

なんて恐れているばかりではないのだけれど 何故か 遠慮している。


結婚した時の妻の歳に長女が近づいて いずれ おじいちゃん と呼ばれる日も

来るのだろうと思いながら とにもかくにも この一日 おいでいただいた皆様に

くつろいで頂かねばと考えている 宿屋のおやじ でした。