宿屋のおやじ日記 -71ページ目

434. 夜明けが遅くなりました。

曇りのせいもあるけれど 七時半の今も まだうすくらい湯本温泉です。


子供達も登校してしまい、静かに時が流れております。


日経新聞の 甘苦上海 も二人がカウンターに座ってから こちらが期待する

ほどのスピードではなかなか事が進まないようで( まぁ、あまり急かしても

いけないのだろう、)と気持ちでは少し耐えながら 読み進んでおります。


前作、望郷への道 のあとがき みたいな形で 同じ最終面に 北方氏が

自分のご先祖の話をベースに書かれたいわれを報告されておりました。


一方で さだまさし 氏の本でも おばあ様が 満州でしたっけ 大きな旅館で

成功されていた頃のお話を書かれておりました。突然のソ連の侵攻での

くだりや おじい様との出会いの事とか、そういう我が家の歴史を 書物で書き

残しておくというのは 家系をつなぐ子供にとって大切な役目かも知れないな

と、感じ始めてます。


いずれつながっていく我が家の子供達のためにも ウソや偽りなしに 淡々と

つなげられる作文か何かが出来たら いいだろうなぁ。


勿論 まだまだ ずいぶん先でしょうが。その時まで このブログなんて企画が

あるものかどうかも分かりませんが、 昨日の 喜多方市 いや 北方氏の文を

読みながら思ったものでした。


さだ氏が コンサート三千回記念か何かの時に「 今だから よくやったなぁ、と

振り返られるけれど もし 明日から3000回分のコンサートの企画案が提出

されたら 多分 僕は旅にでる・・・・・・。」と笑わされた事がありましたっけ。


多分 そうですよね。 これからも 何とかコツコツ一ページづつ 重ねて

行きます。   

          宿屋の おやじ でした。

433. 階段利用

二年前のドタバタから 極力歩いてすごそうとひそかに決めて 館内は勿論 

出かけた先でもなるべく階段を使うように努めている。


始めた頃には 館内の階段場所で お客様とすれ違う事は めったになかった

のに この最近 特にここ数ヶ月 歩かれて上り下りされる方が随分増えた

気がする。


位置をお譲りしながら「 せっかくですから エレベーターを御利用下さい。 」と

一言お伝えするのだけれど 「 いえいえ 健康 けんこう 」と呪文のように

つぶやかれながら、 またある方は ただ黙々と歩いてすれ違われる。中には

酔われた勢いと待ちきれなさに上り始められたものの、ゼイゼイという息遣いと

ともに「 それもそうや。 」と エレベーターに移動される方もたまにあるけれど、

ほんとごくたまにというくらいの割合。 


日頃からごく自然に歩かれているようで 乱れていない息遣いに この健康志向

は本物なんだろうなぁ、と感じる事が随分と増えてきた。


そういえば かなり前の何かの食事会で お隣の 僕と同世代と思しき女性に

話の途中に 「今 何か欲しいものは。 」なんて 聞きましたら 


「 ウーンとねー、皇潤 かなー。」


これには 周りの数人が 噴き出してしまい、主催者からにらまれたことが

ありましたっけ。


ひざや腰がなんらかの都合で痛くなれば それなりの処置も必要なんでしょう

が、とりあえず 動ける時には サプリメントばかりに頼らずに 食品からの

摂取に努めて元気に過ごしましょうや。    宿屋の おやじ でした。

432. 今日は土曜日

今日もおだやかな一日のようで 観光の多くの皆様をお迎えできそうです。


高校時代の 特に三年時代の土曜日はクラブ活動も出来なくなって 帰宅後

は エフエム山口の リクエスト番組を聴くのが楽しみであった。


もう番組名も アナウンサーの方のお名前も 忘れてしまったけれど 「 

長門市の 水津 弘人 さんからのリクエストで ・・・・・・を。 」なんてのを得意

満面で、と言っても自室で一人だけで聴いている状態だったけれど。聞いてた。


聞き始めの春頃には 「 油谷町の 『 ・・ 失念 ・・   』 さんから・・・・。」

ってアナウンスが頻繁に放送されて ( どうやったら こんなに 読んでもらえ

るのか )と不思議でたまらなかった。


いつもの好奇心で 二週続けてリクエストしたが 見事無視されて なしの

つぶて・・・。 すごく 悔しかった。


で、一計を案じて 早稲田大学の数学の入試問題を 途中まで書き写して 

確か三字の苗字のアナウンサーさんだった かなぁ、児玉?? 佐々木 ??、

悔しい、思い出せません。

御記憶の方がおありでしたら 教えて下さい。昭和48年頃です。


こんな問題と毎日 格闘しています。○○○ さん助けて下さい。って書いたら

早速 採り上げていただいて 「 すいづ さん がんばって下さいネ。」という

コメントまで頂いた。


一度読んで頂いたら 後は なだれのように 読まれる。読まれる。多い日には

十を越えて読まれていた、と記憶している。


ある土曜日に 記念に録音しておこうと、 ラインアウト ラインイン の意味も

知らずに ラジオのまん前に カセットを置いて 録音してみた。

ピーピーいう雑音ばかりで なんとも聞きづらいカセットが 出来上がったものの

「 マッ、イイカ 」と サイモンとガーファンクル や 天地真理のテープと一緒に

していたが 今ではどこにあるのか分からない まんま。


大学の夏休みに ふと車内で聞こえてきた 同じ番組に 大変懐かしくなって

オマケに同じアナウンサー氏であったから 出来立ての美祢 小郡間の高速

道路に乗って おそるおそる FM山口の本社ビルまで 行った・・・たどりついた

事があったけれど、やっぱり気後れがして中に入らず帰ってしまった。


残念至極。ちょっと 僕らしくない 消極的だったある日の思い出。

431. お待たせしすぎて

昨夜、 先月に企画 実行したある催しの反省会をいたしました。


六人ほどで集まりまして 21時に終了。軽く カクテルスナック ロペ にでも

と移動いたしました。 その会の副会長の「 高校三年生 」を聞き終えた所で

当館に久しぶりにおいでになった あるお客様から 「 ちょっと お話が 」と

連絡が入ってそのお客様のお部屋に。


最近の事や 思い出話を済ませて なるたけ早く辞退したつもりだったのですが

やはり 30分くらいは 過ぎていたのでしょうか。


急いで ロペに帰りましたら なんとなんと その会長 吹くか一様 いや 

副会長がおいでになりません。


テーブル席に 学校の先輩ご夫婦が七名グループでいらっしゃってて

「 あれっ、カウンターのお二人、もしかして帰られたんでしょうか。 」と慌てて

聞きましたら 「 ウン?? お二人?? つい今しがた 出られたよ。  」と 

淡々としたお返事。


いやはや 慌てました。カウンター裏で調理をしていた マスターに 再確認

しましたら ヤッパリその通りにて、 さて どうしよう。


おこられていなかったか、とか 御不満顔ではなかったか、と 矢継ぎ早に質問

してしまいました。


一次会では ソレナリに盛り上がっていたので 大丈夫だ と確信しながら 

少々の申し訳なさもあり、今日のチェックアウト後には お詫びの御一筆でも・・

・と反省一杯の 宿屋の おやじ でした。


それにしても 昨日は 生ビール二杯と 人とに着く えっ? いや ジントニック

一杯、と少し 杯が進んでしまいました。よろこぶべきか、注意喚起するべきか。


どうも H永会長 O副会長 失礼いたしました。来年も どうぞよろしくご案内

下さい。

430. 初対面から

初めて合ったその日に いきなり借金を申し込まれ、 オーケーを言う為に

相手の男の部屋を訪問し その場の雰囲気で 結ばれてもいい、と考える女性

が はたしているものだろうか・・・という感想というか 疑問を感じつつ 

日経新聞 最終面の高樹のぶ子女史の 甘苦上海 という物語が 進んで

おります。


「 それが上海なんだと思う・・・。」なんて書かれてしまえば 彼の地での長期

滞在の経験のない僕には なんの反論も出来ないけれど、 そのお相手と 

汚いバーで 今( ストーリー上では ) 主人公がカクテルを飲み始めて

いらっしゃいます。


自宅に帰ってこの後の展開を読むのが楽しみです。


初対面の印象は ずっと後まで尾を引くとか 大体 正しく相手を判断している。

とか言う言葉を聞きますが おおむね 正しい表現なんでしょうね。


初めての事に対して どちらかというと スムースに対応を進ませる事のできる

性格は 幾分 失敗しても仕方がないとすぐに開き直れる性格からきているもの

か、ただの図々しさからかは よく分からないけれど 中学校時代に「 旺文社

の中一時代 」で読んで「 これだ。この考えだ 」と確信した 一文の

お陰ではあります。


「 おやじのつれづれコーナー 」にも書いていますが


「 二兎を追うもの 一兎をも得ず。さりとて 五兎追えば 二兎くらい手に入る。」


改めて書き込んでみますと すごいフレーズではありますねぇ。


いかがお感じですか ???。   宿屋の おやじ でした。

429. コート着用

朝の出勤時にコートを着てくるスタッフが増えました。


高校卒業まで コートなんてものは 自転車通学の雨の日に着る カッコいい

とはいえない黒か紺色のレインコートばかりであった。


ファッションとして着る事はあまり考えていなかったのだけれど 下に何を着て

いても気にならず 大学時代の四年間は非常に重宝した。


大学の二年だったか三年だったか 秋の多分今頃、広島の同級生に付き

合って わざわざ 上野駅からぶらぶらとアメ横に買いに出かけた事がある。


よくこれだけの品揃えが出来るものだと 改めて食料品から貴金属から 

ファッション迄 乱雑に並んだ店を冷やかしながら歩いた。


これはどうだ。これもいいなぁ。おい ちょっと見てくれ。が何度も続くと こちら

も面倒くさくなって イイジャン。カッコいいよ。とおざなりな答えしか出てこなく

なった。


もうちょっと 真剣に、親身になって 見てくれんかのぉ、と広島独特の方言を 

周りを気にしつつ さりとて本気の小声で 発しつつ 彼は真面目にショー

ウインドゥを覗き続けた。


終わり頃には「 考えたらお前も ファッションセンスがあるほうじゃない

ケーノー。」と半ばののしられてしまい、「 そんなこたぁ、知っちょったろーがー。」

と応戦するにいたっては 彼もさっぱりあきらめた様子だった。


結局その時に購入した、なんと僕もつられて買ってしまって、ナンと言うタイプ

なのか未だに知らないけれど そのコートを お互い卒業するまで着続けた。


ダッフルコートのうりちゃん、トレンチの花野、僕達二人と同じタイプながら

少々高そうなのを着ていた よう君、学内では そのコートの後姿で かなりの

同級生を判別できるようになってたなぁ。


アノ頃のコート姿で集合してみたいねぇ。S大学経済学部 一年時 B組の

皆さん。


お元気ですか。

428. 日中は暑いのに

日中は暑くて 半そでで充分なのに 朝夕は 本当に寒くなりました。


昨日も 御夕食時のお客様へのお礼の御挨拶の合間に カクテルスナック 

ロペに15分ほど寄りました。


一昨日もそうでしたが、以前は 人気コンパニオンとして この辺りを席巻した

ある女性、M加 ちゃんという女性が 今は独立して 数十人の女の子を

抱えてがんばっていまして、彼女が途中から合流してくれました。


住んでいるのが 山口市ですから いろいろ聞いた各地の世間話や 湯本温泉

界隈の情報を おもしろおかしく 話してもらいました。


以前みたいに 僕もお酒が飲めて 時間があったら マスターと ワッハッハ

ワッハッハと楽しく飲めたのでしょうが まさか赤い顔で お酒のニオイをさせて

お客様のお部屋には行けません。グッとこらえて お店を退散いたしました。


とはいえ 時々、特に御宴会会場で どうにもお断り出来なくなって 一、二杯

頂いて 真っ赤な顔でお伺いしたことも 何度かありますが、 突然に 乱心した

酔っ払いが乱入した風情になって 皆様一様にびっくりなさいますので ここ

数ヶ月は 一切頂いておりません。


そんなこんなの 体育の日、皆様 どうぞ お元気に。宿屋の おやじ でした。

427. カクテルスナック ロペのママの思い出話

カクテルスナック ロペのママとひょんな事から 随分前に入院されていた

マスターのお父上の思い出話から 病院内での笑い話に花が咲いた。


マスターのお父上が 入院されている頃に あまりしゃべれなかったお父上が

ママの、 つまり マスターの でもある お嬢ちゃんと話がしたいと言う事を

伝える為に「 小さい女の子を 呼んで欲しい 」という手製の手話をされた

らしい。


僕達も時々使用する 「 背が低い 」という意味での 水平にした手を 下げる

しぐさをされた後で 小指を立てられた との事。


たまたま その時に部屋にいたのが ママと 義理のお母さんだけで、

その二人が解釈したのは 「 女は 姿勢を低くしろ 」であろう・・・だったらしくて

何の意味があるのか 分からないままに 二人で ベッドに手を掛けながら 

腰をかがめていたとの事。


何をさせたいのかネェ、とわけが分からないまま、しばらくして これでいいん

ですか。と話しかけたものの お父さんは 何やってるんだという怪訝な顔で

目配せをされるだけであったとの事。

さりとて 他の解釈も出来ずに しばらく しゃがんだままでいらっしゃった

らしい。


ちょうど その時に 病室に入ってきたのが マスターその人。


早速に お父様が 同じしぐさをされたらしいが マスターの解釈は 「 うん

うん、( お嬢ちゃんの名前 )に合いたい って事か????」と ずばりその

ままの間違いのない理解。


満面の笑顔で お父上がうなずいて応えられたらしいが 取り残された

かたちのママとお母さん・・・。


しゃがんでいた ベッド脇に立ち上がって「 なあんだぁ 」と 皆で 大笑いした

との事。


「 さすが 実子。実の子と 嫁では 理解の度合いが まるで違うんじゃネェ。」

と今でも 時々 その時の話をするとの事。


つられて僕も 大笑いしてしまったが、こんなおもしろい 勘違いは 人生の

潤滑油になるなぁ、とつい活字にしてしまいました。


すまん マスターと 素敵な ママ。お詫びは ノチホド・・・。宿屋の おやじ

でした。

426. 昨夜の激しい雨降り と さだまさし 氏への思い

昨夕 18時頃からポツポツと降り始めた雨でしたが 時々 かなり強い雨脚に

なって 折角の週末のお天気を気にしていました。


今朝は 雨ではあるものの 静かな降り方に変わってきております。


数日前に ひょんな事から さだまさし さんの「 時のながれに 」という

単行本を読み返しています。随分前から もうすでに二度読み返していて

今度は三度目の機会になるのだけれど 文章の巧みさから 大変に 楽しく

読み進んでいます。


ヒットした曲から 随分と 世間から 色眼鏡で見られて ヘンな苦労をされた

と解釈している僕だけれど ひとつ一つの文章での心の表現の仕方は 

素敵だなぁ、と まね出来ない自分が歯がゆいばかり。


二週間くらい前に カラオケスナック ではない カクテルスナック ロペ で

誰もいないのをいい事に 「 しいの実のママに 」という曲にチャレンジして

みた。


精霊流し という大ヒット曲の モデルというのもヘンな表現かも知れないが

事故でなくなった 彼の従兄のお母さん、 つまり 佐田氏のおばさんが

長崎で開いていらっしゃったジャズのお店の名前が その しいの実 という

名前だったらしい。


長崎の原爆が飛行機から投下されるのを見ながら 工場に入ったところに

被爆されて 何度も手術や投薬で 随分御苦労されたらしいが さだ氏が

精霊流し を作られるまでの流れが 静かな 語り口調でつづられた素敵な

曲なんだけれど・・・・。


でてきた画面をみてびっくり・・・。なんと ゼロ戦から 空母や駆逐艦の白黒

映像。歌いも出来ず あきれてしまった。しばらくして普通の映像に変わったが

勝手なイメージで作り上げた 頭の御不自由な方のアイディアなのだろうと

驚いた。


関白宣言 とか 防人の詩 とか 確かにセンセーショナルな曲名と 一度

聞いただけでは 誤解されそうな歌詞も確かにあった。


あったけれど、  あの当時 訳の分からない感想、右翼だ、帝国主義者だ、

男尊女卑だ、なんぞという意見を採り上げた 一部のマスコミ と いわゆる

進歩的文化人 という人種のレベルの低さにはあきれ返った。


ただ、どうやらそんな心持になったのは 僕だけではなかったらしくて、その

後のいわゆる 「 さだまさしについての一考察 」的な本を読んでみて 

やはり キチンと理解している人も多いのだと えらくホッとした記憶もある。


そう言う事の反論は 一切されずに 今日まで 一所懸命に歌ってこられた

氏の姿勢と 誰かがある本に感想として書いていらっしゃった、「 この人と

同じ時代をいっしょに生きてこられて 幸せだと思う。」という文章が頭に

浮かんできて いや 確かにそうだよなぁ、とある雨の日のコンサートを思い

出していた 宿屋の おやじ でした。

425. 日経 最終面

望郷の道 という なかなか素敵な小説が終わったと思っていましたら、

今度は 高樹のぶ子 女史の 上海を舞台にした 物語が始まりました。


失楽園 の始まりが どんなだったか 忘れてしまいましたが 今後の展開に

男として期待できそうな滑り出しにて チョイと驚いたフリをしつつ 楽しく読み

始めております。


一面 二面の 世界経済の大変さ、というか 資本主義という制度そのものの

ハードランディングを予想されるエコノミストもある中で、朝から 不謹慎な、と

言われる事もあえていとわず 最終面から読み進める読者の一人になって

おります。


「 ドル社会 」 あるいは 「 アメリカ主導の資本主義世界の断末魔 」 

「 資本主義経済にかわる 新秩序 構築のための 生みの苦しみ 」なんて

いう言葉を目にし 耳にする 情報が一気に増えてきました。  


「 それは あくまで マクロ経済であって 君は キチンとミクロ経済に対応

しなさい。すべきです。」 という指図も聞こえますので 一応やめますが 

あのアメリカから 投資銀行が一挙に消滅して 商業銀行に変化したわけ

ですから なんともすさまじい時代をすごしているのだなぁ、と実感いたし

ます。


それにしても 昨日は扱った・・・いや 暑かった。


とりあえず 居間は・・・いや 今は おだやかな 朝の陽射しの湯本温泉です。