同僚の退職で大いに心がぐらついた日①
の続きです
【毒親育ち、社会人になる】
①なかなか波乱万丈な人生でした
②フリーターから脱出した方法(その1)
③学歴なしフリーターが大企業に転職できた理由
⑤エンジニアにとって一番大切なものは何?
⑥これからどう生きていく?ウクライナ侵攻の余波
会社の親しい同僚から
『会社を退職することに決めた』
という連絡が入りました。
・・・何故か
この続きを書こうと思ったのですが、先に私の過去の話を書かないと分かり難いと思ったので、そちらから書くことにします。
ここからはちょっと重い話です。
苦手な方は読まないでください![トランプスペード](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/136.png)
私は、自分の進路を自分で決めることが許されない家庭で育ちました。
官僚の父、美人な母・・・両親はひどく世間体を気にする人達だったので、一見まともそうな家庭に映ったと思います。
でも、実際には仮面家族もいいとこ
家の中はめちゃくちゃでした
父にも大いに問題はありましたが、一番の問題は母。
![ドクロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/131.png)
それでも『将来エンジニアになりたい』という夢を持っていた私は、滅茶苦茶な家庭環境と、思い通りにならない心身を押して努力し国立大の推薦を取りました。
![ムキー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/009.png)
![むかっ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif)
![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
これはほんの一部。両親のしでかした悪事を上げ連ねたらキリがないくらい。
ついでに言うと、高校進学の時も散々両親に足を引っ張られ、行きたくもない高校に進学する羽目になりました
そして、私の意思も適性も一切無視して、強制的に文系の女子大に私を放り込みました。
雰囲気が合わず、この学校を卒業したところで将来の展望も見えず、すっかり目標を見失い、やる気を失ってしまった私は、次第に学校から足が遠のきました。
出席日数が足りず危うく留年しかかっていたところを、心優しい友人&教授に救われ、留年することなく無事に卒業することができました。
でも、相変わらず将来の展望は見えず、自分の適性に合った仕事に就けるルートもなく、就活にまったく身が入らない状態・・・。
そんな学生が採用されるほど就活は甘くなく、当然の流れで、私はフリーターになりました。
20代前半
フリーターになり生活は苦しかったですが、社会人になって経済的に自立したことで、両親から『お金』を盾に理不尽なことを強いられたり、脅されることがなくなり、精神的にはずっと楽になりました。
私の鬱病は少しずつ回復していきました
(↑あ、今はすっかり完治してるのでご心配なく)
でも、たいした学歴もない、まともな職歴もない、学校で得た就職に活かせる専門知識もない・・・。
新卒でフリーターになると、生活を立て直したくても、そこからどう這い上がっていいのか分からなくなりました。
(だって、採用面接に進んだとして、アピールポイント無いからね)
当時の私は、
(勿論いちばん悪いのは両親だけど)
うまく立ち回れたかった自分も悪い。
自分の努力が足りなかったんだ・・・。
でも
今ならこう思う。
『あんな悲惨な養育環境で育ったのに、曲がらずに育った自分、えらい!』
『死なずに生きててくれてありがとう!』
そう過去の自分を褒めてやりたいくらい(笑)
しかし、更に不運は続きます。
業務が原因で、私は難病を発症してしまったのです。
こんな病気です▼
そのせいで仕事を続けることが難しくなり(ドクターストップも出た)退職せざるを得ない状況に・・・。
(私はフリーターとしてすら働けないの・・・?)
そりゃ絶望しました。
仕事を辞めたところで、助けてくれる家族なんて私にはいませんから。
(この先どうやって生きていけばいいの・・・)
私は途方に暮れました。
>>>もうちょっとつづきます
カバー写真:UnsplashaのJens Kreuteraが撮影した写真