【毒親育ち、社会人になる】
①なかなか波乱万丈な人生でした
②フリーターから脱出した方法(その1)
③学歴なしフリーターが大企業に転職できた理由
⑤エンジニアにとって一番大切なものは何?
⑥これからどう生きていく?ウクライナ侵攻の余波
子供(私)に感情&意思があることを許さなかった両親。
日常生活から進路に至るまで、思い通りにならなければ親権を振りかざし、私を捻じ伏せてきました。
それでも、子供が間違えていて親が正しければ、
「あの時は反抗しちゃったけど、やっぱりお父さんお母さんの言う通りだったよ。あの時は反対してくれてありがとう。えへへ」
となって円満解決になるのでしょう。
が、我が家の場合、いつも子供(私)の判断のほうが正しかった。
『絶対にうまくいかない絶対に失敗する』
そう分かりきっているルートに進むことを強制されるストレスたるや・・・。
両親の判断ミスに次ぐ判断ミスのツケを延々と払わされ、そのために私の人生・時間は削られ、心身共に疲弊し、体まであちこち故障するような日々。
生きてても全然楽しくない・・・。
希望が見えない・・・。
特に学生時代は、何のために生きてるのか分からない毎日でした。
そんな私の20代後半の記録です。
20代後半①
この頃、給付金をもらいながら専門的な勉強をすることができる学校があることを知りました。
その学校に通うには、諸々の(なかなか面倒くさい)手続きと、面接試験をパスしなければなりません
その学校には分野違いのいくつかクラスがあるのですが、面接試験がある以上、自分の好みだけでクラスを選べる訳ではありません。
フリーター時代、いくつか資格を取得していた私。
そのうちのとある資格が、とあるクラス(Aクラスとしましょう)を受験するにあたり有利になる。受けるならAクラスを志望したほうがよい、と、アドバイザー的な立場の方から強く勧められました。
実は、このAクラスで学ぶ専門分野、学生の頃、ちょっと興味があったので独学でかじったことがあるんです。
そして、
(あー・・これ向いてないわ。興味も持てないし)
そうはっきり自覚してしまった分野でした
でも、難病を発症し、ドクターストップがでていたものの、頼れる家族もいない私は、無理して働き続けていました。
もう体はボロボロ・・・限界でした。
この難病、命に関わる病気ではありませんが、仕事には大いに影響する疾患でした。(内部疾患です)
フリーターとして働くには、割と致命的な疾患。
詳細はこちら▼
退路も無く、他に選べる道も無かった私は、安全圏をとってAクラスを受験することに決めました。
結果は・・・
無事合格
学校に通えることになりました
Aクラスでは、とある分野の専門的な技術を教えてもらうことができました。
いろいろ制約はありましたが、生まれてはじめて自分の意思で選ぶことができた進路。
ひとことで言うと・・・
通って本当によかった
学校、楽しかった
学生時代、親に強制された進路と、この学校とでは、まるでモチベーションが違いました。
私は、はじめて学生生活を謳歌するができました
私は勉強に励む傍ら、積極的に就活を行い、卒業前にその分野の企業から内定を頂き、フリーターを脱出することができました。
大学等でしっかりその分野を勉強した訳でもなく、未経験でエンジニアの世界に飛び込んだ私。
入社当初は・・・
もーーー
めちゃくちゃキツかった
仕事関係の多大なストレスで、胃→腸と次々に痛め、生理不順にもなりました
病院通いの日々・・・
年が他の新卒採用者よりいっていることもあり、
(早く仕事できるようにならなきゃ・・・)
と、余計にプレッシャーを感じていました。
(最初っから自分の進みたい進路に進み、普通に就活・就職していたら、新入社員研修とかも受けられたろうし、変にプレッシャー感じることもなくて、こんな余計な苦労しなくて済んだのにな・・・)
これまで散々遠回りしてロスした時間、自分の生い立ちを恨めしく思うこともありました。
それでも、厳しい先輩・上司にしごかれても必死に食らいつき、仕事が終わった後も勉強し、努力して、ちょっとずつ実務経験を積んでいきました。
その会社で働き始めて数年経った頃、とある理由から、私は同業他社に転職することを決意します。
一体、何があったのか
>>>つづきます
カバー写真:UnsplashaのJens Kreuteraが撮影した写真