ヒプノセラピーのアプローチの
ひとつに、前世療法というのがあります。
ヒプノセラピー イコール 前世療法だと
思われている方も多いですが、
実際には、現在も未来もたっぷり扱いますので、
前世療法はあくまでも、手法のひとつです!
前世療法というのは
そもそも魂や生まれ変わりを信じない
人にはハテナの話ですよね。
世界的なベストセラーを漫画化した
こちら「前世療法」を読んでみてください。
とてもわかりやすいです。
内容としてはこうです。
将来を渇望されていた米国のスーパー・エリートの精神科医
ワイス博士は、前世は信じていなかったものの
子供時代に戻る催眠療法を使って治療をしていました。
不安が強くなかなか改善しなかった患者さんの
キャサリンに対して、ある日うっかり
誘導の言葉を間違って、
”子供時代に”という制限を
かけなかったことから、
思いがけずキャサリンが
前世の体験をしてしまいます。
ワイス博士は、信じがたいと感じながらも、
定期的なセッションを重ね
キャサリンがどんどん改善して
自信を取り戻していく様子を目の当たりにし
前世や魂を否定できなくなり・・・
やがてワイス博士は渇望された
自分のキャリアを棒にふる覚悟で
このことを世に知らしめるのが自分の使命だと
周囲の猛反対を押し切ってこの本を出しました。
世界的スーパーベストセラーの実話です。
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前世療法なんて何の意味があるの?
という意見はごもっともで、
ご自分で体験されるまでは、
無理からぬことだと思います
人は自分の想像を超えたことは、
体験するまでは理解できませんよね。
前世は本当なのか?というご質問について。
前世の事実検証に一生懸命になる方も
いらっしゃいます。
この15年、色々な方の変化と成長を
拝見して来ての私のスタンスは、
身も蓋もないようですが、
前世の体験が本当だろうが何だろうが
その効果に何の違いもないので
どうでもいいのではないかと
私は考えています。
前世療法は「目的」でなく「手段」であり
通り過ぎる「プロセス」です。
一番大事な本来の目的は、
「現実」であり、
「人生」であり、
「日常」です。
自分が、地に足をつけて、
しっかりと今ここを生きれるようになり、
心は安らかで安心して満たされて
自分の可能性を発揮できていて、
自分は大丈夫だと思えるようになるか?
ということが大事なのであって、
その変化が良きものであるならば、
その「手段」は自分にとって
効果があると言えるし、
何でもいいのではないか。
そのように考えています。
過去生を見ること=過去にこだわることなのでは?
というご質問について。
繰り返しになりますが、
前世療法は単なる手段です。
「自分が中世のお姫様だったの〜」とか
「貧乏な人生ばっかりでガックリ」
とか、そういう、スーパー表面的な
ことに気を取られてる場合じゃないですぜ、
お嬢さん!!!!!
ふか〜〜い意味に気付こうぜ!!!
というものなんですよ。
私もヒプノセラピーを受け始めた時
ただひたすら
「本当の自分を知りたい」
「最高の自分を生きたい」
とは思っていました。
問題山積みとはいえ、
基本形としては前向き思考で
超現実的な人間なので
過去にこだわりたくないし
過去のことを言ってどうするのだ、
前生を見たいとは
思っていませんでした。
しかし、前世療法は
ネガティブ思考や
過去にこだわる人というより、
逆境や苦労に負けず
前向きに頑張って
生きて来た人にこそ
その力を発揮します。
本当の自分を知りたい
どうして自分はこの家族に
生まれたのだろう
自分の生きる意味や人生の目的は
なんだろう
なぜあの辛い出来事を体験したのだろう?
と思って生きて来た人にとって、
事実は変えることができなくても、
過去の体験を
受入れることができるようになり
今の家族や人生を
受入れることがでできるようになり
そして、その上で
今この人生を、自分の責任で、
主体的に生きるという
覚悟や強さが生まれていきます。
魂は本当に生まれ変わって
過去の人生を生きていたと知ることが
今を生きるための
強力な力になるわけです。
私達の叡智は緻密で精巧な
スーパーコンピューターです。
思考の予想を遥かに超えていて、
その人の本来の姿を取り戻すための
戦略を熟知しています。
その順番やあらわれ方はいつも完璧、
その方だけのオーダーメイドです。
緻密なふせんがはりめぐらされた
良質なサスペンス、
もしくは冒険映画のようです。
ただなんとなく出てくるわけじゃないんです。
後から振り返ってみると、
潜在意識の天才的な戦略に
舌を巻くという感じです。
(それがめっちゃ面白い!ムフ)
前世療法は、他人の体験を聴いても、
「へ~・・・」「で、それで???」
という印象しかないと思います(笑)
お友達が大変興奮して話をしてくれるのだけど、
聴いているほうは、
「さっぱりわからない」
「薄っぺらい陳腐なハナシに感じてしまった」
という方もいらっしゃるでしょう。
それには理由があります。
前世の体験というのは、
ご本人にとっては、
それまでの人生の価値観や信念が
ひっくりかえるほどの
インパクトが生まれる体験です。
愛や自己信頼や
社会への信頼や
安心感といったものは、
壮大すぎるテーマだし
言葉の定義が人によって違っていて
わかりにくい概念ですよね。
人の頭の中を割って比較するわけにも
行かないしね!
なのに、これらが
人が幸せに生きる上では
もっとも大切なもの
だったりするわけです。
私たちの多くは、これらを
わかったつもりになっているだけで
全然わかっていなくて
愛ってこういうもの、
愛されるにはこうしなきゃって
歪んだイメージや思い込みのまま
めちゃ頑張って生きてます。
その歪んだ愛の木型を後生大事に
抱えているがゆえに
頑張っても頑張っても
認められないとか
満たされないとか
いつも不安定だとか
自分を辛くさせていることにも
全然気づいていません。
なので、潜在意識は、
言葉の定義や解釈ではなくて、
エネルギーや体感を伴って
その人にとって
最もわかりやすい形
もっとも納得できる形で
体験させて
その概念をひっくり返そうとします。
そして、その体験は、
非言語での体験が大部分なので、
人に話したり
感想を書こうとすると
簡単には伝えきれず、
とても陳腐なものになります。
それを前提の上で、
私自身の体験のひとつをシェアしたいと思います。
私は視覚型ではなく感覚型なので、
映画のようにはっきり見えるわけでは
ありません。
ただ、インスピレーションが流れ込んで来て
物語が展開していくのが
「なぜかわかる」という体験のしかたです。
時代は中世、場所は建物の裏の草地でした。
私は男性で、兵士でした。
ある日、2人の仲の良い同僚に呼び出されます。
私はお調子者ののんきな人間であったようで
何も考えずに口笛を吹きながら
2人の後ろをついていっていました。
どうやら目的の場所である空き地についたようで
彼らが立ち止まりました。
お、ついたのか、
でも、こんなところで何を?と
思った瞬間、
私の前を歩いていた2人が
くるっとふりかえって、
左右から、やりで私の腹を貫きました。
頭が真っ白になり
仲間だと思っていた2人がなぜ?
親友だと思っていたふたりがなぜ?
頭に走馬灯のように
疑問が浮かびましたが
後ろに倒れながら
二人の瞳が見えて
その苦しそうな顔に
ああ、
上からの命令なのだな・・・
と悟りました。
当時、上からの命令は絶対でした。
何か理由は知りませんが、上層部が
私の存在が邪魔になったのでしょう
上からの命令に選択の余地はありません。
それを悟った時、その瞬間にもう彼らを
許せていたのです。
もう言葉は出ませんでしたが
見開いた瞳で「さようなら」と
彼らに別れを告げていました。
その間、わずか数十秒だったように思います。
そして、死ぬ直前に、
その2人の同僚は、
私の今世での母と弟だと
わかりました。
ああ、私達は、こうして、
裏切ったり、裏切られたり、
殺したり、殺されたり、
助けたり、助けられたり、
愛したり、傷つけたりして、
本当にたくさんの立場を経験して
生きているのだと、
頭の中に、静かにその理解が拡がりました。
15年前の私は、長年に渡る家族の問題を
抱えていて、家族の幸せを
心から心配していました。
心痛が当たり前という状況でした。
潜在意識では、
「家族を置いて、
自分だけ幸せになることなどできない」と
思っていたのですが、頭では
そのことにも気づいていませんでした。
また、潜在意識では、
「自分が幸せになることが
家族に喜んでもらえるのか、
とても不安だ」と思っていたのですが、
そのことにも気づいていませんでした、
そんな中、ヒプノセラピーを2週間おきに
受け始めてから6〜7回目から
前世が出て来るようになり、
次々に
家族とたくさんの役割を入れ替えて
さまざまな人生を体験しました。
ヒプノセラピーでは、
自分がそれをはっきりと見ているという
確信は、最初はありませんでした。
自分が勝手にでっちあげているだけなのでは?
自分が見たい物を見ているのでは?
という思考の疑いが体験を小さく評価していました。
沸き上がって来た感情で顔が歪むほど
涙が出て、知らないことを
話しているにも関わらず、
体験の数回目までは、
自分の体験が、信じられなかったのです。
ヒプノセラピーでは多くの人が
涙を流します。
それは悲しい涙ではなく、
自己の真実に触れた感動の涙であり、
過去の体験で後生大事に抱えて
蓋をしてきた
感情に光を当てて解放し、
自分を解き放つための涙です。
わたしたちの多くはふだん、
自分の人生には終わりがあることを
意識して生きていることはほとんど
ありません
しかし、
前世療法では、いのちには
限りがあることを実感させられます。
そうして、どの人生も、
その時々の限られた
条件と環境の中で
一生懸命生きた自分が
そのとき何を学んだのか、
何を決めたのか、
次に生まれてくるときには、
どのように生きたいと思ったのか
それらを実感せざるを得ません。
そうして、そういう自分が
愛おしく、この人生もまた
与えられたカードを使って
懸命に生きようという思いが生まれます。
「今、ここを生きる力」
自分の未来を切り開くために。