確実な貨幣の理解からコロナ不況を説明する | 秋山のブログ

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MMT論者は、しばしば主流派経済学を天動説扱いする。私としても同じように考えているが、この強烈なメッセージは、あまり一般の国民には届いていないように思える。というのは、MMTの内容を理解せずに誰かのMMTに対する論評で判断している人間が大部分であり、そもそも主流派経済学のどの部分が天動説なのか明確ではないからだ。

 

それでは何が天動説かと言えば、それは商品貨幣論である。貨幣を、金鉱のようなそのまま価値のあるものと捉え、金鉱の発掘のような何らかの作業によって増えるものと考えるものだ。天動説ではどのように増えるかは、昔から謎とされているが、増えた結果限られたある量の貨幣が世の中に存在するといったお金のプール論にも行き着く。

一方、地動説は信用貨幣論である。貨幣は、負債証明書の特殊な一形式であり、発行の際はほとんどの場合借り入れが同時におこなわれる必要があるため、世の中の金融資産と負債は常にほぼ同じ額になる。

逆に言えば、貨幣の増加は借り入れがおこなわれるから起こるのであり、何者かが借り入れすることでいくらでも増やすことができ、現代においては枯渇することはない。また、貨幣に関して主権を持つ(統合)政府は貨幣の供給者であって、税で集めたお金を使っているわけではない。政府が貨幣を発行しなければ貨幣は存在しえず、また政府の予算執行のプロセスもまず政府が貨幣を使い、その後で税で貨幣を回収しているのである。

 

理論を比較する際には、現実、できればデータにより裏付けられた証拠で判断しなくてはならない。読むだけでなんとなく判断するのであれば、商品貨幣論を正しいとか、より優れているとか考えてしまう可能性がある。その昔、天動説を多くの人が信じたように、目の前の日常的な事象に置き換える思考は大きな間違いに繋がることを理解すべきだ(商品貨幣論は、もはや理論とも評価すべきではない。金属主義の誤謬とでも呼ぶべきである)。大きな間違いと言えば、商品貨幣論と密接なお金のプール論

から導き出されたクラウディングアウトがまさにそれだ。財政政策が主張される度にクラウディングアウトが起こると主張されるが、歴史上クラウディングアウトは起こったことがない(一部の文書に金融引締めをクラウディングアウトの例として出している記述はある)。データ上、財政政策をおこなった際には金融引締めをおこなわなければ逆に金利が低下するというのが現実であり、日本において財政赤字の拡大に伴い明らかに金利は低下している。これも商品貨幣論が誤りであることの証拠になるだろう。

 

さて、ここからが本題である。

 

進歩した現代においては、人にしろ企業にしろ多くのモノを生産することが可能である。ほとんど場合、購入者が増えるのであれば、現時点より多く供給が可能であろう。現実として最大限供給されないのは、ある程度以上の量はそもそも必要がなかったり、貯金する意欲に比べれば欲しくなかったり、収入が足りなくて買えなかったりするからである。一方、絶対に必要な需要とは言えなくても、生活を豊かにするために買ってきたモノが多々あり、少なくない人の仕事となっているし、全部ではなくても売り上げのかなりの部分をそれが占める業種も少なくないだろう。その事実は、今回のコロナによって明確になっている。

さて、ここで重要になってくる事実は、モノを供給する生産者は、消費者でもある点だ。コロナで被害の大きかった業種の減収は、連鎖して他の業種の減収に繋がる。その結果生産できるのに生産されず、個々の国民の厚生がどんどん下がっている状況こそが不況であり、総生産が著しく落ち込んでいれば大恐慌と呼ぶ。

不況の時に気をつけなくてはいけないことは、少しでも多く収入を得ようと競争が激化し、価格が下がることが起こりうることだ。個々人においては収入を伸ばす人間がいるとしても、平均としてはかえって大きな収入低下に繋がっていく。当然失業も増える(現在において、収入が上がらないことが、努力や労力が足りないせいだと主張されているのを見かけることがあるが、全体を見れていない実に短絡的な思考だ。物価が下がっていることがよいと考えることも同様である)。

また、不況になれば必ず政府の税収は減少する。ところが歴史上必ずと言ってよい程、経済にとって都合の悪いことが起こる。増税して政府の収支を合わせるべきだと考える政治家が出現するのだ。その結果はさらなる景気の悪化であり、それは米国の大恐慌の際にもあったという記録がある。統合政府は貨幣の供給者であるから、お金を借り入れて出費しているわけではないので、企業や家計のように政府が借り入れで困ることはない。しかし企業や家計と混同する人間は後をたたないのである。

歴史上、恐慌の多くは戦争によって解決している。戦争によって解決する理由は多々あるが、戦争の際には財政規律は無視されて、政府により大きな需要が発生するからである。個人や民間の借り入れが少なくなっている不況の状態において、政府以外に借り入れをおこなって貨幣を増やせる者はいないので、戦争なしで解決は困難なのだ。ケインズ政策を理解していても、大抵は、民間と政府を混同している人間の反対や、経済に対する理解に確信が持てないために、中途半端な金額しか使われず、十分な成果をあげられないことが多い。もちろん、例外的に財政規律の無意味さを理解して財政政策をおこなえる政治家がいて、戦争をせずに解決した例はある。日本では高橋是清がまさにそんな政治家であった。

 

実体経済を循環する貨幣の量が増えなければ、消費者の収入は増加せず、より多くのモノを買うことも、より高いモノを買うこともできない。逆に貨幣の量が減らすようなことならば、景気を悪化させることに繋がるのだ。減らす要因もいろいろある。税金(特に実体経済に関する税)が上がることも、金利が上がることもそうだろうし、コロナの自粛のように消費を控えて貯めておくようになることもそうだろう。このことは実証上確実なことだ(消費税の度に綺麗に成長率が下がったり、金利を上げる度に失業率が上昇したりしている)。

ここで貨幣がどのように増えるか思い出して欲しい。それは誰かがお金を借り入れることでのみ増えるのである(国民が働けば働く程増えるというのは完全に勘違いだ)。政府が借り入れて、給付するなり、仕事を発注するなりすべきである。しかし現在政府が進めているのは、民間の借り入れの推進だ。もちろんこれには一定の効果があるが、それでは経済全体としては借り入れ額が全く足りないだろう。長期間返済猶予できないので、すぐに効果がなくなる。

 

不況という点だけではなく、被害業種救済という意味でも流石に政府はお金を出さざるを得ない状況になっている。流石にそれすら反対するような議員は落選するだろうし、そもそもその反対は、天動説を信じているからで、あらゆる意味でそんな議員は落選させた方がよい。

現時点において無意味なプライマリーバランスに拘った当初のケチりっぷりは、少しは改善されたようだ。しかし相変わらずけちっているために、大胆な救済策にはなっていないし、実際は経済をきちんと立て直す政策をおこなっていないにも関わらず経済も大事と感染対策が不十分になってりもしている。

 

政府が支出したものは、後から回収されるものであるから、将来においては増税などがおこなわれる可能性は当然ある。その点を心配して、政府の支出を不安視する人間もいるだろう。しかし心配する必要は、正しく経済を理解していれば、ないのである。今回強調しているように、税が財源であるという考えが間違いであり、政府にとっては税を集めているのは経済の調整のためだ。従って、例えば何かの価格が異常に上昇したりしない限り、増税の必要はないので、それまでは増税せずとも当然なのである。そしてその時は上昇している部分に対して増税をおこなうべきであり、広く浅く集めるなどという考えは間違っている。また、対処しなければならない部分はお金が余っている部分でもあるので、増税しても国民に与える苦痛は少なく、経済全体に与える悪影響も少ない。そして好景気ならば自然に税収も増加するので、制度としての増税も必要ないことが多いだろう。

もう一つ指摘しておかなくてはいけないことは、一定の期限内に回収しなくてはいけないなどという考えが間違いであるということだ。国債は貨幣の量の調整など、経済の調整のためにあえて発行しているものであり、いくらでも借り換えが可能で、貨幣に関して主権を持つ世界中のあらゆる国が借り換えをおこなっているのである。つまり政府にとって実質的には返済の期限は存在しない。そして当然政府の収支を年度で合わせるべきだとかの考えには、何の正当性もなく、害悪しかもたらさないことが容易に予想できるだろう。

 

感染対策を止めたとしても、新型コロナが存在している限り国民の行動に大きく抑制がかかることは間違いない。需要不足により供給過多の度合いが高い業種は将来にわたって淘汰が進むだろう。失業者が大量に発生し、新しい仕事、形態に移行していく必要が出てくる。しかしながら多くの国民は、長い不況のために貯蓄もできない状態におかれていたために、新たなスキルを身につけるとか、新たな事業を始めるための元手も持っていない。だから今こそJGP(日本型)をおこなうべきだろう。学校にいってもらって給料を払う。国が必要とする産業に誘導するといったことが有効だろう。政府の考える計画は的外れだったり、非効率なことが多いというのはある程度は正しいが、高度成長期に政府が行なってきたことをみればハズレばかりではないことも分かるはずだ。完全に余っているものを活用しようというのに非効率も何もあったものではない。災害復旧に対する作業もボランティアなどではなく、お金が払われるようにすべきだろう。

政府の中にも、おそらくこの正解に辿り着いている人間は少なくないだろう。しかしその実行を邪魔するのが、財政均衡主義であり、政府と民間を混同した天動説である。政府は営利企業とは全く違うことを多くの政治家が理解、もしくは政治家も淘汰されて理解した政治家だけになることを強く願う。