MMTはファクト | 秋山のブログ

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雑誌をパラパラ見ていたら、小幡績氏がサイゾー9月号で、MMTを批判していた。よくもここまでデタラメを書けたものだという内容である。小幡氏は「MMTは理論ではなくてファクトだ」とMMT論者が主張していることに対して、『トートロジーを言っているだけ』などとトートロジーの意味自体も知らないようなことを述べていた。

これを読んでふと思ったことは、我々が胸を張って述べる「理論ではなくてファクト」とは何かということである。早速答えを書けば、我々がファクトとしているのは、現代においてお金は借り入れによって発生するということだ。お金は金鉱を掘り出すことで発生するわけではなく、全世界に決まった量のお金があるわけではない。お金と同時に負債も発生するので、全てのお金の合計は、全ての負債の合計に必ず一致する。この部分がファクトであって、そこから導かれる理論は、ファクトと言い直すべきではないだろう。しかしファクトからの演繹は、正しい可能性が高い。というよりファクトに反することからの演繹は必ず間違っている。例えばお金を限られた資源のように考えたことから生じたクラウディングアウトという理論は、ステファニーケルトン教授が言うように『completely wrong』である。

 

ファクトから理論を求めていくのが科学の当たり前である。もちろん一発で正解に辿り着けることは多くないはずで、試行錯誤や検証を重ねながら、理論をブラッシュアップしていくことになる。その結果驚くような結論が出ることもあって、それで人々の生活が改善されていくことが科学の醍醐味だ。しかし新古典派に代表される主流派経済学では、そんな当たり前の方法論が尊重されなかった。その一つの理由は、キリスト教や哲学の影響があるだろう。聖書の言葉を根拠にするように、著名な経済学者の主張や、教科書に書いてあることを根拠にして考えるといった間違ったやり方がしばしば観察される。もちろん主流派経済学でも事実に基づいた正しいこともあって役に立つことがあるが、例えば条件が変わって成立しない話をそのまま当てはめるようなこともおこなわれている。また、特定の集団の利益へ誘導するために発言する人間が多いのも、経済学の中世からの特徴である。そのような人間は、導き出したい結論から、それを補強する事象を持ってきて理論を作るために、それが正解である可能性はとても低いものになる。既に答えを決めつけていることによるバイアスもかかるであろうし、正解に辿り着くための作業も全くおこなわれないからだ。

 

さて、導き出したい結論から理屈を作り出すという作業をよくおこなっているのが財務省だ。それは例えば以前の高橋洋一氏のISバランス論に関する記述でも窺い知ることができる。ISバランス論は根本的に間違っており因果関係は示さない。しかし高橋洋一氏は『相手を混乱させる』アイデアとして、それを主張するように言っている。

ほとんどの財務官僚にとって、経済学は公務員試験のための暗記科目であり、詭弁を弄してプロパガンダをおこなう道具に過ぎないということが分かるエピソードだ。しかし高橋洋一氏はかなりマシな方である。小幡氏は、サイゾーの記事において経済学(全て)が現実を説明できない未熟さを指摘しており、それはすなわち自分が何か主張する時の経済学の理論もその程度であるということである。屁理屈の種くらいに考えているとして間違いではないだろう。

これは経済学の方にも問題はもちろんある。小幡氏も述べているように、『人間は刻々と変わり、社会も変わる』ので、不変の真理を確立すること自体が、最初から無理だという主張が経済学には存在する。しかし経済学同様に対象が不確実である医学を専門としている人間としては、それは甘えであり、間違いを改めないための方便であるとしか思えない。難しくても、できる範囲を淡々とおこなえば実用性のある強固な理論となっていくものなのだ。間違えたなら反省し、理論を修正していく作業をこなしていくべきなのである。それがすなわち前述のファクトを重視した方法であり、それをおこなえば経済学もどんどん進歩していくものと信じている。

話を戻せば、小幡氏は経済学の理論など正しいか間違っているか分からないものだと、述べている。それに対して対談者から、それならばMMTがダメだということがどうして分かるのかというツッコミが入った。その答えがMMTが『理論ではありませんから』だ。結局のところ財政均衡に反対するものは理論にしろ、経済学者にしろ無条件に批判し、理由など適当につければよいという姿勢がこの記事からは明確である。

そして小幡氏は、ファクトに反することを次から次へと発言している。既に述べたようにクラウディングアウトがそうだ。ファクトから演繹していけばクラウディングアウトがおこらないことが分かり、何故多くの人がクラウディングアウトのような誤謬に陥るのか(貨幣のプール論)も分かっており、そして実証上はクラウディングアウトと逆のこと(負債の量と金利の逆相関)がおこっている。また、人々がお金を使うようになれば、資産が減っていくという主張もあったが、経済をマクロ的視点で見られないこと、そして同様に貨幣のプール論による誤りである。実際は企業の投資が増えるので、資産は増えやすくなる。全体としての金融資産は、企業と政府の負債によって決まるというのもファクトである(企業がお金を借りて投資をしなくなれば、金融資産は減少する)。

 

今回の記事からは、経済を理解する上で参考になる話は全くなかったが、以前から持っていた財務官僚が何故間違いをおこすのかという疑問が少し解けた気がする。結局のところ彼らにはマクロ的に経済を正しく理解するために学習するというインセンティブがほとんどないということだろう。普段の業務からは、経済全体を見て何かをするといったことはない。政府から与えられた課題や法律等に照らし合わせて何か問題を見つければ、それに対応しているだけである。高橋洋一氏が以前、バブルが膨らむ問題を見て総量規制をおこなったのも、結果として経済全体のための政策になっているが、経済全体をみておこなったものではなく、ひとつのまずい問題に対応しただけである。経済全体をみた経済政策を作っていくのは本来政治家の役割のはずだが、経済のイロハも理解していない政治家が多く、財務省に教えてもらっている状態なので、こんなことになっているということなのだと思う。財務官僚も主流派経済学の無力さは理解しているはずだが、彼らからそれを否定し、経済を正しく理解しようとする動ぎは出てこないだろう。経済をただしく多くの国民が理解し、多くの政治家が理解して変えていく必要がある。もちろん財務省が自分達の慣習を優先し、そちらに誘導することを、国会議員に圧力をかけて実現するといった現在おこなわれている悪習は、戒められなくてはいけないだろう。