日経ビジネスの同名の記事から。
中国の経済に関するブレインは、経済を正しく理解しているのではないかという視点で何回か書いているが、これは残念な例である。ここに出てくる余永定氏は、中国の「五カ年計画」策定にもかかわるシンクタンクのトップ研究者であるという。
記事においては、クローサーのモデルと一致せず、中国の国際収支構造の変遷が特殊であることを指摘している。例えば、1993年、中国は米国の64分の1の一人当たり国民所得であったにも関わらず、米国に資本輸出(経常収支黒字)していた。その後も同様の状態が続いている。これがおかしいと言っているのである。何故おかしいかといえば、米国から資本投資を受けて高い金利を払っている一方、米国債を買って低い金利を受け取っている。米国債は長期的にみて目減りもしている。本来貿易で得た黒字は米国債を買うのではなく、国民の生活水準向上のために国内に投資すべきであるのに、そうなっていないということである。
しかしこれは不思議ではない。余永定氏は貨幣とは何か、投資とは何かということを理解せずに、新古典派の誤りに嵌っているのだ。中国が受けているのは直接投資であり、中国が米国債を買っているのは間接投資である。利率が違うのは当たり前である。
成長を促すものは、知識技術の流入であって、お金の流入ではない。直接投資は技術も流入するので、お金の流入で成長するのだという誤解を生んでいる。極論すれば、投資以外で知識技術を得る方法があって、流入した知識技術を利用する設備を自国内で生産することができるのであれば、外国から投資など受けずに国内の銀行からの融資で設備を作れば用が足りるのだ(明治の日本はこれで成長している)。
利益の分配が適切におこなわれているという新古典派経済学の神話も誤解のもとになっているかもしれない。外国から大きな利益を得た中国人は、それを他の中国人に全て分け与える義務などないのである。輸入の増大には簡単には繋がらない。米国債を買うことになるのが当然の帰結だ。
余永定氏は最後に、この状況を打開するために方策を上げている。
既に述べたように、重要なのは国内での技術の開発である。現在おこなっているように、海外企業を買って技術を得るのもよい方法だろう。しかし氏のあげた方策は、新自由主義的なものが多く、それらはむしろマイナスになる可能性も高い。資本移動の管理というところは正しいが、それとは矛盾する人民元国際化を同時に主張していることは面白い。