産業構造と雇用について | 秋山のブログ

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「新・日本経済入門」の産業構造に関する章では、経済の発展に伴って第一次産業から二次、三次へと移動していくペティ・クラークの法則についてまず書かれている。これに関しては、しばしば紹介している話であり、経済を理解する上で必須の知識と考えるが、提唱された当時の解釈には問題があるだろう。そしてこの解釈がそのまま記述されている。『第一次産業よりも第二次産業の方が利益が多く、第二次産業よりも第三次産業の方が儲かる』から人々が移って産業構造が変わっていくというものだ。しかし現実では移行する産業の方が儲かるとは限らず、儲からなくても人は移動している。移動の理由は、生産性の向上によるその時主体の産業における需要飽和以外の何物でもないだろう。(ちなみに、儲かる産業は独占性の高い産業である)

 

次にクローサーの国際収支発展段階説に関して記述されている。日本の貿易収支が赤字化し、所得収支が黒字であることをもって、成熟した債権国化しているなどと書かれているが、これは全く残念な考え方だろう。この説に関しては初期に考察しているが、何故そのようになるか考えずに、一致を主張するのは危険だ(貿易赤字は近年縮小、もしくは黒字化も見られる)。もちろん成熟した債権国に当たるからなどと具体性のないイメージを何らかの理由にしてはいけないだろう。

ただ、このような構造になることには、為替の問題(成熟した債権国の通貨は高い)だけでなく、ある程度の必然性はある。投資家は、より多くの利益を得るため、労働者からより搾取でき、税金によってその搾取を取り戻されることの少ない低法人税国への企業の移転を促すだろう。その究極の形が、タックスヘイブンを絡めた多国籍企業ということになるだろう。

搾取される分より、技術の流入による生産性の向上の方が大きければ、搾取されて問題ないので、途上国も税を下げ、場合によっては補助や利権を与えることまでやって、移転を促そうとするだろう。この移転は最大生産量を増大させるものであるから、失業などの不具合が生じなければ、双方にとって好ましいはずのものである。もちろん、見えざる手によって自然に達成されるわけもなく、当たり前のように不具合が生じるのが現実だ。それを調整しようと考えても、一国での対処は困難だろう。そう簡単には推奨できない。

流出対策として、自国の法人税を下げることは全く愚かな方法だ。税は利益に対してかかるので、従業員に多く配分する企業はほとんど払わないで済む(蛇足だが、不況でも徴収し、不況をさらに悪化させる外形標準課税は最悪の法人税であり、企業の国外流出を促進するだろう)。しかし従業員も税を払うので、税を取り逸れるわけではないし、従業員に多く払うのであれば、税による再分配の必要性も減るだろう。海外への進出は、まず事業として成り立つかどうかという視点が重要であり、法人税はその後の話になるだろう。法人税率での途上国との競争は不能であるだけでなく、法人税以外の要素が海外進出に関して大きいことを考えれば、海外移転に全く関係のない企業にも影響のある法人税減税は百害あって一利なしだろう。(何かマイナスの要素を認めた時に、そのマイナスの程度がどのくらいか考えない傾向が経済の議論では多々見かける)

流出対策として正しいのは、国内の需要を増加させることである。高度成長期と比べれば、確かに電化製品は行き届き、買い替え需要のみになっているため、需要拡大は期待できないと勘違いするのも無理はないが、医療介護育児教育は言うに及ばず、懐に余裕があれば使いたいものはいくらでもあるだろう。生産能力の増大に伴ってペティの法則のように人が移動するためには、搾取されずに生産した人間がその分収入を増やすことが必須である。現在の状況は、増大した生産能力を輸出のために使い、その利益の多くは投資家のものになっている(日本の場合は内部留保も多い)。

 

貿易の促進策の推奨に対し反対の意見を述べれば、内向きとか閉鎖的などと、イメージによる批判を浴びせられることになるが、少し考えればそれが間違いだと分かるだろう。一般国民の収入を犠牲にした(内需を犠牲にした)輸出でGDPを上げても価値はないだろう。一国で自己完結すると言われていたアメリカは、貿易の割合を増やすことで豊かになったわけではなく、一般国民の厚生を低下させてきた。日本でも同じ愚行を推奨する言動が目立つ。日本が取るべき産業構造の変化は内需を中心とした第三次産業への移行であり、自由な競争が正しいなどと盲信したりせずに、補助金制度などを十分に活用して、各産業において適正な価格が維持され、十分な収入を国民が得ることで実現されるだろう。