金融政策の実践 | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編」から。

 

第12章は中央銀行と金融政策の仕組みの解説である。仕組みの解説なので大きな異論はない。強いてあげるとすれば、取り付け騒ぎが起きなくなったのは、P166『預金保険機構で保護されることがわかっている』という要素よりも中央銀行が貸し出して対応できる仕組みができているということの方が大きいと思われる(少なくとも日本ではそうである)。

 

ということで第13章の「金融政策の実践」に関して検討する。

 

最初に失業率が上がっている時に、緩和的金融政策が取られることが書かれている。これはもちろん正しい。ところがこれ以上金融緩和をおこなっても効果が無いポイントとして、またしても自然失業率が出て来る。P170『経済が潜在GDPに近い状態にある時には、失業率が自然失業率にほぼ等しく』なるなどと書いているが、潜在GDPとの一致に関しても眉唾ものである。

 

一方、インフレをふせぐために金融引締めがおこなわれることが書かれている。日本の例でもインフレ抑制のための金融引締めは、大きく不況にするために良かった試しがない。しかし、インフレの兆候が見えたらすぐに金利を上げ対抗するというのが、FRBの方針であった。

 

その次にはデフレに関して書かれていた。大恐慌の際デフレがいかに問題だったかということと、実質金利が高くなってしまうために金融政策の効果が乏しくなることについて書かれている。これはその通りであろう。

この項で残念なのは、デフレでも深刻な不況につながるわけではないと日本を例にだしていることだ。GDPの上昇があっても日本を好況であると考えるのは、GDPの盲点を失念しているということだろう。デフレがなければもっと成長していたのではないかと考えられないことも、論理的思考力の欠如だ。デフレを恐すぎる必要がないというのは誤りだ。

 

P175『金融政策によってインフレ率を抑え、金利が低い状態を用意できれば』設備投資がしやすくなって成長に繋がるというのは論理的におかしい。設備投資に関してはインフレで金利が低ければ促進されるというのが正しい。米国がスタグフレーションの際の停滞が、おそらくインフレのせいだなどと書いているが話にならない(統計的に証明困難であると正直に書いているのはよい)。

 

バブル対策に対する金融引締めに関しては日本の経験からまるで学んでいない。また、そもそも株価は常に投資家の期待によって上下するものであり、業績によって直接的に上がっていくものではない(ここを勘違いしている人は多い)。バブルなのか適切な価格なのか前もって分からないなどとよく言われており、この本にもそうのようなことが書かれているが、本当のところ株価は常に虚像なのである。

IMFの専門家がバブルに対して金融引締めを主張しているからといって、それが正しいわけではない。むしろIMFがいかに経済を理解していないか知らしめる話である。

 

最後に書かれていることは裁量的な金融政策についてである。裁量的な金融政策に関しても財政政策と同様にあまり好ましくないというスタンスをとっている。その理由は「タイミングの遅れ」と「やり過ぎる可能性」であり、その根拠であるかのように、元FRB副議長のアラン・ブラインダーの喩え話を持ちだしているが、これは実にバカバカしい。経済の現実と一致するかどうか分からない喩え話に何の価値があるというのだろうか。さらには『紐を推す』(日本では凧糸理論と呼ぶ人もいる)という話から考えれば、金利(貨幣の量の調整でも同様である)は経済を抑制するだけのものであることも分かるはずで、その喩え話のような構造には経済はなっていないことも分かるだろう。

裁量の代わりに基準を決めておこなうことがよいという話として、インフレターゲットを多くの国が採用しているという話が出て来るが、その基準でやればやり過ぎにならないという根拠はない。結局は基準も人が考えたものである。例えばスタグフレーションの最中に機械的におこなえば、確実に惨憺たる状況に陥るだろう。経済の構造から考えれば、デマンドプルのインフレは通常心配には及ばず、修正する必要は一般国民にはない。修正すべきは、コストプッシュによるインフレであり、これは市場の失敗によって起るものである。基準を決めるための材料は、経済学の多くの研究の中に埋もれており、作ることができるかもしれないが、重要な要素を(おそらく意図的に)棄捨してしまっている新古典派の経済学にはその可能性はない。