バブル経済 | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

バブルは悪いことの代名詞として使われているのをよく見かける。バブルを起こすから低金利は良くないとか、バブルをおこさないように金利を上げておくべきだといった意見もある。しかしこれらはバブルに関してイメージで考えている価値の無い判断だ。

 

プラザ合意によって大きく円高となった日本は、輸出重視から内需重視へと変換、また輸出超過も減少した。外国が借金して増やしていた日本の貨幣の総量は減少するので、高い金利や配当は払えなくなる。相対的に金利が高いことによっておこった不況に対して、公定歩合の引き下げがおこなわれた。この低金利がバブルの原因だなどという解説もある。

しかし金利がどれだけ低くても需要がなければ投資はおこなわれない。何故この時に、地価の上昇があったかと言えば、地価は下がらないもので金利や物価以上に上がる可能性が高いものと考えられていたからだ。また、再開発のため、実際大きく値上がりする土地もあり、買い替えで大きな利益を得た人も少なくなかったため、土地は儲かるものという印象を強めたであろう。利益を得た人間が、また土地を購入し、別の場所の地価が上がるという連鎖もあった。究極の形として、土地を担保にした土地購入のための融資を銀行が大量におこなうことによって、地価が上昇していったのである。市場の価格調整機能を逸脱し、事業で利用するためでない土地購入のために地価が上がること、これをバブルと言わずに何をバブルと言うべきだろうか。破裂して初めて分かるなどと言うのは、理解不足であろう。

株式も上がり下がりはあるが、大凡物価以上に上がるというイメージがあった(実際、銀行による株式の持ち合いで株価は安定していた)。銀行からの融資の増大と、それによって増加した貨幣の落ち着く先として株式市場に流入したということであろう。そして土地と同様、株価の上昇で儲けた人間が、次の株を買って株価を上げるということがおこったであろう。

 

バブルには良い副作用があった。担保価値の上昇によって、実際の事業に関する融資で、大きくリスクを取ってもらえ、容易に融資してもらえたということである。ところがまさに労働力を取り合うような(現在の安い労働力を取り合う状況とは全く違う)状況であり、適正な賃金が与えられていたのである。需要が追い付いてくるために、事業も上手くいくというよい循環にあった。ちょっと人が嫌がるような仕事なら高い報酬があって、いつでも少し上乗せして頑張るだけで収入を増やせる環境も、消費を控える意識を失わせた。しかし、馬鹿みたいに使っているのに貯金が増えていくという、現在とは正反対の状況だったのである。国の財政も、今のように不均衡でなく、大蔵省はむしろ予算の使い道を他省庁に聞いてまわるくらいであった。

当時は今の人間が信じられない程の贅沢をしていたが、外国に対して借金しまくって贅沢したわけではない。経常収支は黒字でもあったし、結局日本国民が生産しただけしか消費していない。国民の生産力を最大限に近く活かせる状況にあって、最大限に近く生産し、それを消費していただけである。現在の国民の生活から考えれば、罪深くさえ思える状況だったので、何か悪いことをしていたのではないかとか、その代償があるのではないか、もしくは代償でその後の不況がおこったのではないかなどと考える人も少なくないが、それらは全て誤りである。何故不況がおこったのか、どうすれば対処できたのかは、全て説明可能だ。バブル崩壊について書く時に説明しようと思う。