ステグリッツ教授はかく語りき(不況) | 秋山のブログ

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フリードマンの優れた書籍「大収縮」では、大恐慌の時の政府の失敗が明確に示されている。不況の時に財政再建などやれば、もしくは金融を絞れば、不況はよけい深刻化するのは、理論的に当然のことだ。スティグリッツ教授も、不況時の財政再建に関しては、厳しく批判していることは既に書いた

ここで誤解してはいけないことは、政府がやらかしたことは不況を大恐慌にしてしまったということであって、不況の発端には別の原因があるということだ。「大収縮」での政府の失敗の証明は、政府が関与しなければ、不況はおこらないということの証明にはなるはずもない。

P109
『今日の労働市場のあちこちで見られる現象は、世界大恐慌時代の農業部門で見られた現象と似ているかもしれない。あの当時、農業の生産性の向上によって農産物の供給が増えたため、たまに訪れる不作の年を除き、農産物の価格と農場の所得は年を追うごとに下落していった。下落幅はときとして容赦ない水準に達したが、とりわけ大恐慌の始まったころの下落ぶりはすさまじく、農民の所得は三年間で半分以下に減少した。。。(中略)。。。さらに都市部の生産品に対する農民層の需要が落ち込んだため、都市部の生産品に対する農民層の需要が落ち込んだため,都市部でも雇用状況が悪化してしまったのである。』
P109
『製造業における生産性の向上は、セクター内の失業率上昇という結果を招いた。市場がうまく機能していれば、失業者はとどこおりなくほかのセクターに移動し、失業者自体は例外としても、経済全体が生産性向上の恩恵に浴する。しかし、ほかのセクターへの移動がいつも簡単にいくとは限らない。』

生産性の向上と、それに伴う失業、そこからおこる需要の減少こそ不況の原因なのだ。
しかしこの不況を改善するために、さらに生産性を向上させようなどと頓珍漢な主張をする輩も少なくはない。生産性の向上は、以前も書いたように、必ずしも社会全体のためにならないのだ。

理想を言えば、市場がうまく働いて生産性向上のメリットを社会全体が享受できることがよいだろう。政府は正しく産業を育成、もしくは自ら雇用を創出する義務があるだろう。